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≪ 日本人は死刑制度を どう考えるのか? ≫

2021-11-26 07:51:53 | トーク・ネットTalk Net
【金言】手を握ってもらいたい=小倉孝保 (毎日・論説委員) 要旨転載
1. 死刑囚が刑を執行される際、宗教家に手を握ってもらうことは許されるのか。米国で今、こんな議論が続いている。
  米国では過去、死刑囚が執行の際、宗教家に横で見守ってもらえるよう求め、最高裁は訴えを認めた。ラミレス死刑囚は今回、さらに手を握ってもらいたいと要求し、州当局は4月、
  保安上の理由からこれを拒否した。
  度重なる死刑囚からの求めについて、米国の一部には「執行の先延ばし戦術」との批判がある一方、死刑を巡っては、どんな訴えでも丁寧に審理を重ねるべきだとの考えが根強い。

2. 死刑は執行されてしまえば取り返しがつかない。そのため米国では、他の刑にはない手続きが定められている。例えば、死刑については、陪審員が全会一致で判断する州がほとんどだ。
  1審で死刑判決が出た場合、被告は無条件に控訴を義務付けられている。「超適正手続き」と呼ばれ、念には念を入れて刑を確定、執行する制度である。手を握ってもらうことの可否についても、
  この考えを基礎に、連邦最高裁が今後、判断する。

3. 日本では先日、死刑執行を当日に告知するのは違法として、死刑確定者2人が国を相手に、告知当日に執行をしないことなどを求めて提訴した。直前の告知では、異議を申し立てられないことが
  理由である。民主主義下で死刑制度を維持する限り、その運用には「適正手続き」を超える慎重さが求められる。執行当日の告知についても丁寧な審理が必要だ。

4. ラミレス死刑囚に殺された者の最期は、愛する人に手を握ってもらうこともなかった。それでも死刑囚の訴えを尊重しなければ、死刑を維持すべきでないと米国では考えられている。
  死刑制度の維持には覚悟がいる。
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 私は何度か「死刑制度の是非論争」について、小欄で私見を述べてきた。宗教的死生観を心に宿す人が多数を占める国々における『罪と罰』と、宿さない人々が大多数の<日本を含む>諸国では、
『罪と罰』認識が異なる。(God)と言う名の超越者を持つ世界観では<生命は超越者から賜ったもの>ゆえ、罪の如何/軽重を問わず”人が人を殺してはならない”とされる。
  他方、そのような超越者を抱かない世界では<生命は抽象的な超越者から賜ったもの>ではなく<大自然から生じたイノチの一つ>であり、『罪と罰』の間に超越者が介在することは無い。

仏教や神道、その他アニミズム由来の東洋概念的(宗教)で<人を殺すなかれ>と教えるのは、生命全般の殺生を禁じる心の延長であり<生命を抽象的な超越者から賜ったから>ではない。
 ≪自分の死を以て犯した罪を贖う≫発想が後者では否定されない vs 前者では否定される、其の違いの理由はそこにあり、日本人が『死刑制度を是認する根拠』にもなっている。

 以前も述べたが、死刑制度を廃止すべき唯一の理由として成立する論拠は(冤罪誤認による死刑求刑&執行)がゼロではないからだ。人間は完璧ではなく誤りを犯す存在だから『冤罪』は絶えない。
再審請求が有る限り、法執行に当たる者は『冤罪の可能性』を否定してはならず、恣意的な刑の執行は許されない。従い、私は死刑を廃するなら(恩赦無き終身刑)で代替すべきと言ってきた。

犯罪被害者遺族の憎悪・無念さが『因果応報』概念で死刑を求める感情は誰も非難できない。他方、死刑が執行されても亡くなった命が蘇らない悲しさは遺族が誰よりも知り、消えることも無い。
例えば、池袋暴走死傷事故で収監された飯塚徒刑囚。死刑求刑ではなかったが、遺族の皆さんの悲しみ&加害者への憎しみを抑えて余生を生きねばならない残酷さも同様に消えはしない。

それならば・・と妥協案的な装いを帯びるが<冤罪可能性への備え>と<殺す代わりに自然死で贖わせる>の両立を叶える(恩赦無き終身刑)が最も実際的な解決策ではないだろうか??
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