静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

”選挙による国民の信託”を錦の御旗にして皇室を政治利用する保守政権を 国民はいつまで支えるのか?

2024-08-13 07:09:17 | 時評
【再録】≪ 秋篠宮による”政教分離原則”の順守よびかけ ≫保守政治家は順守せぬまま呼びかけを黙殺・これを許すのか? 有権者は考えよう・・2018.11.30.
<1> 秋篠宮さま 大嘗祭「宗教色強い」公費に否定的見解 https://mainichi.jp/articles/20181130/k00/00m/040/144000c?fm=mnm
<2> 秋篠宮さま53歳に ご夫妻の記者会見全文 https://mainichi.jp/articles/20181129/mog/00m/010/011000c?fm=mnm
・ 引用は二つとも毎日だが、保守系の読売や産経新聞が果たしてどのような見出しを付けて、秋篠宮の言葉を報道したのか? 
  それはさておき、発言の根幹は「皇室行事が神道の儀式であるので、宗教儀礼に国税を使うのは憲法が定めた”政教分離の原則”に照らすと疑義がある」との指摘だ。 

・ <秋篠宮さまは宮内庁の山本信一郎長官に見解を伝えたことも明らかにし、「話を聞く耳を持たなかったのは非常に残念だった」と批判した。
  山本長官は「持論は承知しているが、宮内庁の立場を説明してきた。決定事項への考えを述べられたのだろう」としている。>
 ⇒ 宮内庁長官の言葉で我々有権者が考えるべきポイントは「決定事項への考えを述べられたのだろう」である。『国民が選んだ多数派政党の国会議員が構成する政府/内閣が
  決めた事だから、秋篠宮の意見は聴き置くけれども、政府が決定を変える必要はない』といっているのだ。 これぞ代議制民主政治の理論通りだから宮内庁長官は全然誤っては
  いない。 ここで問われるのは、”政教分離原則の順守”を今の政府・及び政府を構成する議員たちを支える勢力が無視または黙殺している現実を有権者である我々が受容するか、だ。


★ 引用した電子版には無いが本誌紙面【30面】には<秋篠宮さま問題提起>と題した別の記事があり、皇族が過去に政治がらみの発言をした事例が記載されている。古い順に;
 《1》(故)三笠宮・・戦前の「紀元節」と同じ2月11日を『建国記念の日』法制化の動きを批判。神武天皇自体を歴史的根拠なしとして反対の意思表示へ。(1966年)
 《2》(故)三笠宮長男/寛仁・・皇室典範改正論議の中で、男系皇位継承を伝統とふまえ、女性/女系天皇容認に異を唱えた。(2006年頃)
 《3》 秋篠宮・・「天皇の定年制はやはり必要になってくると思う」(2011年)

* 昨日の秋篠宮発言を含め、どの発言も〔天皇制それ自体/天皇制と政治の在り方〕に関するもので、現在の我々国民に無縁ではない。無縁でないどころか、活きている論点だ。
     いくら自民党や公明党が選挙で多数派を得ていると言っても、憲法違反の疑義が強い”政教分離原則の無視”まで 私も貴方も白紙委任したのではない。

今の憲法のもとの内閣制度では、英国と違い、首相に衆議院の解散/選挙を選ぶ権限が与えられており、一旦選挙に勝てば与党の都合の良いように選挙時期を操ることが許されている。
 従い、定期的な改選を求められる参議院選挙の機会しか、今は有権者が衆議院での暴走を牽制する手段はない。 参議院でネジレ状態を再現させるか、衆議院の勢力分布を変えない限り、
此の天皇制/皇室に関わる憲法原則を与党に順守させられないのである。

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 本件の核心は、まず、天皇制が国家神道と直結してきた姿を肯定するのか否か?である。例えば、欧州の王室はキリスト教権威・伝統との結びつきをもはや前面には出していない。
国民国家としての王制、政治システムの一部としての君主は国民と同向き合うべきかを問いながら各国王室は存在している。日本の皇室に保守派はそれを望まない、ここが決定的な差であり、
神道へのこだわりが皇統継承をめぐる困難とともに、今後の皇室・天皇制持続の大きな障害となっている。秋篠宮はそれを直感していると私は思う。令和の徳仁天皇は果たしてどう思っているのか?

 先日も述べたが、皇室典範は憲法の下位にある法律に過ぎないので、国会勢力が変わればいつでも改訂はできるのだ。有権者はそういう視線で、来るべき衆参両院の選挙に臨もう!
  
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