娯楽が少ない時代に子供だった者にとり、大相撲は野球と並び、娯楽の双璧だった。私の好きなスポーツは相撲の他、陸上競技、水泳、野球。それは昔も今も変わらない。
野球は投手対打者の一騎打ち(個人競技)の面白さに加え(団体競技)の醍醐味も兼ね備える数少ない競技、そこが面白い。陸上/水泳、それは相手あっての競争ながら、自分と向き合う勝負でもある。
自分の能力がタイムの全てであり、相手との駆け引き要素は極度に薄い。駆け引きする前に実力が無ければ勝負にもならない。そこが柔道/レスリング/ボクシングなどの格闘技と違う。
断じて昔を懐かしむ気持ちで言うのではない。。野球や水泳/陸上に比べ、ここ10年、いや20年、大相撲は競技&伝統文化としての魅力を著しく損ねていると感じる。
それが何から生まれているのか? 私なりにツラツラ愚考してみた。
(A) 大関陣が弱すぎて優勝争いの盛り上げに絡めないまま、情けない成績で終わる場所が多すぎる。よって、番付の権威そのものも傷付いている。
(B) 横綱/鶴竜&白鵬を筆頭に、上位力士の休場が多すぎる。以前なら、恥じて引退を申し出たのだが<申し出ない限り辞めさせられない>風土が災いしている。
(C) 放送を独占するNHKアナウンサーの質が低下し、基礎知識不足で解説者の意図がわからないまま頓珍漢な質問を繰り返し、視聴者はシラケるばかりだ。
また、序盤戦から「今場所の優勝戦線は?」などと愚かな設問で番組盛り上げにはやる浅はかさも、放送の興を削いでしまう。NHKも劇場型放送癖の弊害に冒されている。
こういった現象の奥に在るものは? と考えるなら、原因はおのずと見えてくる。
(A) これは、大関昇進の基準が甘いからである。<直前3場所でXX勝以上、または優勝>この基準で現在までの大関が推挙された。だが陥落する者、或は勝ち越しが精いっぱいという大関の多いこと!
ギャンブル気味でも大関に上げれば、其のうち何人かが伸びて横綱になってくれたら儲けもの! こういう協会の打算が見え見えではないか? 唯一の成功例が(稀勢の里)!!
(正代/貴景勝/朝の山)のテイタラクを観よ。(高安/栃ノ心)はどうだ? 照之富士との好対照が情けなさすぎるではないか。
(B)なるほど白鵬は優勝回数はじめ前人未到の強さと記録を残してきた大横綱だ。疑いない。然し、誰しも衰えは来る。怪我などしなかった白鵬が怪我で休む頻度が上がるにつれ、誰よりも本人が
肉体の限界を感じている筈だ。「厳重注意」と横綱審議会が云おうが、当人が動かぬ以上、協会は何もできない。奇妙な習慣だ。白鵬は帰化して親方になる権利も得たので、何時辞めても安泰だ。
これは何も日本文化に育たなかった外国人力士だから大目にみているのではない。興行ビジネス上、大きな看板を汚したくない、其の一心からに違いあるまい。
ハワイに始まり、モンゴル出身力士の活躍で日本相撲協会は救われている。その恩義が協会の手足を縛っているのか? でも、それでいいのか?
(C)引退力士があるとNHKはアーカイブで20~30年近く前の取組録画を流す。それを見るたび、緊張感とアナウンサーの的確な解説、そして解説者と息の合ったやり取りが蘇る。
現在でも相撲放送は恐らく担当が一定期間は固定されると想像する。何故なら、場所前の稽古風景やサイド情報、部屋での話題などを収集してくるのもアナウンサーの仕事でもあったから。
だが、どうも最近、以前のベテランアナウンサーと違う声になって目立つのが”実況放送での軽さ”だ。「解説者に何を言わせたいのだ?」と突っ込んでしまうほど馬鹿な設問が出る。
相撲に全く関心も興味も無かった人は別にして、恐らく多くの方は、私が云わんとしている事の核心はお分かりじゃないだろうか??
野球は投手対打者の一騎打ち(個人競技)の面白さに加え(団体競技)の醍醐味も兼ね備える数少ない競技、そこが面白い。陸上/水泳、それは相手あっての競争ながら、自分と向き合う勝負でもある。
自分の能力がタイムの全てであり、相手との駆け引き要素は極度に薄い。駆け引きする前に実力が無ければ勝負にもならない。そこが柔道/レスリング/ボクシングなどの格闘技と違う。
断じて昔を懐かしむ気持ちで言うのではない。。野球や水泳/陸上に比べ、ここ10年、いや20年、大相撲は競技&伝統文化としての魅力を著しく損ねていると感じる。
それが何から生まれているのか? 私なりにツラツラ愚考してみた。
(A) 大関陣が弱すぎて優勝争いの盛り上げに絡めないまま、情けない成績で終わる場所が多すぎる。よって、番付の権威そのものも傷付いている。
(B) 横綱/鶴竜&白鵬を筆頭に、上位力士の休場が多すぎる。以前なら、恥じて引退を申し出たのだが<申し出ない限り辞めさせられない>風土が災いしている。
(C) 放送を独占するNHKアナウンサーの質が低下し、基礎知識不足で解説者の意図がわからないまま頓珍漢な質問を繰り返し、視聴者はシラケるばかりだ。
また、序盤戦から「今場所の優勝戦線は?」などと愚かな設問で番組盛り上げにはやる浅はかさも、放送の興を削いでしまう。NHKも劇場型放送癖の弊害に冒されている。
こういった現象の奥に在るものは? と考えるなら、原因はおのずと見えてくる。
(A) これは、大関昇進の基準が甘いからである。<直前3場所でXX勝以上、または優勝>この基準で現在までの大関が推挙された。だが陥落する者、或は勝ち越しが精いっぱいという大関の多いこと!
ギャンブル気味でも大関に上げれば、其のうち何人かが伸びて横綱になってくれたら儲けもの! こういう協会の打算が見え見えではないか? 唯一の成功例が(稀勢の里)!!
(正代/貴景勝/朝の山)のテイタラクを観よ。(高安/栃ノ心)はどうだ? 照之富士との好対照が情けなさすぎるではないか。
(B)なるほど白鵬は優勝回数はじめ前人未到の強さと記録を残してきた大横綱だ。疑いない。然し、誰しも衰えは来る。怪我などしなかった白鵬が怪我で休む頻度が上がるにつれ、誰よりも本人が
肉体の限界を感じている筈だ。「厳重注意」と横綱審議会が云おうが、当人が動かぬ以上、協会は何もできない。奇妙な習慣だ。白鵬は帰化して親方になる権利も得たので、何時辞めても安泰だ。
これは何も日本文化に育たなかった外国人力士だから大目にみているのではない。興行ビジネス上、大きな看板を汚したくない、其の一心からに違いあるまい。
ハワイに始まり、モンゴル出身力士の活躍で日本相撲協会は救われている。その恩義が協会の手足を縛っているのか? でも、それでいいのか?
(C)引退力士があるとNHKはアーカイブで20~30年近く前の取組録画を流す。それを見るたび、緊張感とアナウンサーの的確な解説、そして解説者と息の合ったやり取りが蘇る。
現在でも相撲放送は恐らく担当が一定期間は固定されると想像する。何故なら、場所前の稽古風景やサイド情報、部屋での話題などを収集してくるのもアナウンサーの仕事でもあったから。
だが、どうも最近、以前のベテランアナウンサーと違う声になって目立つのが”実況放送での軽さ”だ。「解説者に何を言わせたいのだ?」と突っ込んでしまうほど馬鹿な設問が出る。
相撲に全く関心も興味も無かった人は別にして、恐らく多くの方は、私が云わんとしている事の核心はお分かりじゃないだろうか??
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