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 日本人プロスポーツ選手 アメリカで活躍の土台は 75年前の黒人野球選手への差別排除あってこそ・・・日本はどうだ?

2022-04-15 07:56:50 | 時評
▲★ 毎日【金言】ありがとう 永久欠番「42」=小倉孝保 (論説委員)   全文転載
 米大リーグの各球団には永久欠番が多い。例えばヤンキースでは、「1」~「10」の全てが欠番である。ベーブ・ルース(3)やルー・ゲーリッグ(4)、ジョー・ディマジオ(5)らの背番号だ。
ただ、リーグ共通の欠番は一つしかない。「42」。近代大リーグ初の黒人(アフリカ系)選手、ジャッキー・ロビンソンがドジャースで付けた番号である。
第二次世界大戦後、米国のプロスポーツ界では人種の壁が取り払われ、野球、アメリカンフットボール、バスケットボールの白人チームに黒人選手が参加した。兵士として国のために戦った彼らに、
門戸を開く機運が生まれていた。

 黒人リーグで活躍していたロビンソンは1947年、ドジャースに入団する。南部では人種隔離政策が残り、全米に差別意識が強い時代だった。チームメートには、「黒人のいるチームではプレーしない」との請願書に署名する選手もいた。こうした動きに球団社長のブランチ・リッキーが通告する。「(請願を)撤回しない選手はチームから出て行ってもらう」
 相手チームの抵抗もあった。カージナルスは選手の投票で、ドジャースとの対戦拒否を決めた。この時、ナショナル・リーグ会長のフォード・フリックは言った。
「ここは米国だ。市民には等しくプレーする権利がある。リーグは君たちこそ出場停止にする」

 試合になるとロビンソンは相手チームからひどいやじを受けた。それでも彼は耐えるしかなかった。自分が黒人を代表していることを知っていたからだ。どんなやじにも理性を失わない彼を、
チームメートが助けた。相手チームに向かい仲間の選手が叫んだ。「臆病者」「なぜ、言い返せる人間にやじを飛ばさないんだ」ロビンソンは俊足、強打の二塁手として活躍し、黒人たちに勇気、自信を
与えた。黒人解放運動の指導者、マルコムXはラジオを耳に当てながら試合中継を聴くのが常だった。その後、他チームも黒人を選手に加えた。多様性が組織を強くする。ロビンソンはそれを証明した。


★ ドジャースが「42」を永久欠番とした72年、彼は心臓発作で53年の人生を閉じた。大リーグが欠番を決めたのはデビュー50年後の97年である。
 ロビンソンが屈辱に耐えながら道を開き、チームやリーグの幹部が確固たる意思でそれを支えた。彼のデビューからきょう15日で75年。大谷翔平選手、鈴木誠也選手らの活躍も、「42」なくしてはあり得なかった
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 野球が数少ない娯楽の中でもひと際輝いていた時代を知る世代にアメリカ大リーグは憧れの的であり、ジャッキー・ロビンソンの名前は懐かしいし、差別を巡るエピソードも広く知られている。
ロビンソンが亡くなる前の1971年、来日した「ボルチモア・オリオールズ」と「巨人」の試合を私は後楽園球場<=今の東京ドーム>で観戦した。成績は全ての日本チーム合算で2勝12敗1分。
パワーと技術の差が今では想像できないほど大きかった記憶が鮮明なだけに、村上雅則投手(旧南海ホークス)が1964年に渡米してから60年弱、日本人選手の活躍には今昔の感がある。

 <大リーグが欠番を決めたのはデビュー50年後の97年>とあるが、アフリカ系アメリカ人や非白人への差別は現在も消えていない。法制度上、或は日常生活の表面では既に無い事になっているが、
欠番(42)が決められた90年代のアメリカに生きた私は人種差別の痕跡を目撃し愕然とした。ミシガンではレストランに入ると白人客が一斉にナイフ・フォークを置き、私を注視したし(1989年)、
アラバマでは、北部と同じ目つきは無いものの、古い店や酒場には≪ Entrance for Colored ≫とペンキで書かれた立て札が外されずに残っており、部屋も仕切られ座席の仕様が違っていた(1994年)。
大都会に短期駐在した日本人は恐らくこのような痕跡に接するチャンスの無いまま帰国しただろう。・・・それは現在も変わらないのではないか。

 白人系にはへつらう一方、アジア人全般を低く見下げる。中国人・韓国人を嫌い、在日韓国人や北朝鮮系に露骨なヘイトスピーチ・妨害を止めず、政府も罰則を伴う法的規制に乗り出さない日本社会。
軍人政権の弾圧から逃れてきたミャンマー人には門戸を頑として閉ざし、国連の定める「難民」認定を守らないニッポン。かたやウクライナ人は無条件で迎え入れ、温かく世話をし、美談扱いだ。
 それを国民も国会議員も「不公平だから是正せよ」と声を挙げない。人種差別を排除した大リーグコミッショナーの75年前の人権意識と比べてみよ! 何という情けない意識の貧しさだろう。
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