【1】 今朝の毎日朝刊 ≪金言:女性の一人旅/小倉 孝保≫ (論説委員)から・・
男女平等を否定するイスラム原理主義でアフガニスタンを統治しようとするタリバン政権と日本の現況を対比しており、興味深い。
何が興味深いかと言えば、誰もが知っている事実にまつわるエピソードから説き起こしている意外性にある。1869(明治2)年、同時に開通したスエズ運河とアメリカ大陸横断鉄道にヒントを
得た仏人小説家ベルヌは冒険小説『80日間世界一周』を1872年に書く。面白いのはここからだ。
何と、此の小説に触発された米紙ワールドの女性記者ブライは88年「この小説の主人公に倣って世界を一周し、その経験を報告したいと会社に提案する。これに対し会社は
「女性単独で世界を回れるはずがない」として男性記者の派遣を検討した。ブライは「それなら自分は他の新聞社と契約して、その男性よりも早く帰ってくる」と宣言し、ワールド紙は結局、
彼女に世界一周を命じる。ブライは89(明治22)年、洋服を1着、手提げかばんを一つ持ってニューヨークから東回りの旅に出る。
当時、男性たちは「女性の旅行には大きな荷物が必要で、準備に時間がかかる」と考えた。彼女はそれを正すため、最低限の荷物しか持たなかった。
この企画を知った米誌コスモポリタンは自社の女性記者、ビスランドに世界を一周するよう命じる。彼女はブライの出発から約9時間後、ニューヨークから西回りで出発している。
反対方向から世界を回る、20代女性同士の競争である。激しい船酔いや極端な寒さに耐えながら鉄道と船を乗り継ぎ、両者は横浜を経由、ニューヨークに着いた。世界一周にかかったのは
ブライ72日間、ビスランド76日間。2人がそろって小説内主人公の記録を破ったことで、世界の人々は女性の能力を思い知らされた。
← 皆さん、此の話は日本では明治前半の出来事である。当時はアメリカですらまだまだ男女不平等だったが、勇敢な女性が少しづつ社会を変え始めた。此の差はとてつもなく大きい。
*アフガニスタン・タリバン暫定政権は昨年暮れ、近親男性の同伴がない限り、女性が72キロ以上離れた場所へ旅行するのを禁じた。「女性には男性の保護が必要」と考えるタリバンの決定だった。
米国の2女性が旅したのは各約4万5000キロ。タリバンが禁ずる距離の625倍である。2人が生きていたら、規制のばかばかしさに腰を抜かすだろう。ただ、私たちもタリバンを笑えない。
「宿直勤務は無理」「旅客機の操縦はできない」と、その能力を確認する前から、女性の活躍を阻んできたのは日本社会である。その「偏見」はすっかり克服されたといえるだろうか。
【2】 テレビのニュース報道ヴァラエティー番組(昼時&夕刻)への苦言: 誰であれ人が話している裏でBGMを流すのは もう止めよ!
もう随分前に、この苦言は確か本コラムでも書いた記憶があるが、NHK含め一向に変わらない。他方、民法にせよNHK にせよ、定時に流す正規番組としてのニュース放送、そこでBGMは流さない。
また、政治家・学者・コラムニストをスタジオに招きコメンテーターと共に社会・政治問題の解説や深堀を行う番組でもBGMは流していない。 だから、此の区別は意図的としか見えない。
何故?と考えるうち浮かんだ仮説;それはBGMを流しながらの<ながら勉強・ながら作業>で青少年期を過ごした世代が働き盛りに達し、TV局制作部門の大勢を占めるようになったからでは?
定時の正規ニュース番組と違う時間帯での話題性+娯楽テイスト中心の番組ならBGM は寧ろ必要なサービスだ、と疑わない人たちが主流となったからではなかろうか?
お堅いニュースではないからこそ、ポップミュージックを流したら番組がもっと楽しくなる・・・そう信じているとしか私には解釈できない。 そうですか、若きディレクターさんたち???
TV放送が受信機普及にあわせて拡大した1960年代に青少年期を過ごした層にとり、裕福な家庭でなければステレオやハイファイセットはおろか、テープレコーダーも全家庭には無かった。
勉強机にむかいつつ、小さなラジオで若者向けの歌番組や娯楽番組をこっそり聞く楽しみは拡がった。だが、それは、集中力の妨げになると親や教師から戒められた”ひそやかな愉悦”でしかなかった。
其の年齢層が今や老い、耳は遠くなり、速い喋り口についてゆきにくくなった。そういう層に、人がしゃべっているのと重なる馴染みの薄いアップビートなBGM は騒音でしかないのだ。
考えてもごらん。午前、昼時、夕方にTVを視ている層は老若どちらが多いか? アップビートなBGMを好むが、其の時間帯を自室・自宅には居らず、仕事に明け暮れる20-50代ではないのだよ。
男女平等を否定するイスラム原理主義でアフガニスタンを統治しようとするタリバン政権と日本の現況を対比しており、興味深い。
何が興味深いかと言えば、誰もが知っている事実にまつわるエピソードから説き起こしている意外性にある。1869(明治2)年、同時に開通したスエズ運河とアメリカ大陸横断鉄道にヒントを
得た仏人小説家ベルヌは冒険小説『80日間世界一周』を1872年に書く。面白いのはここからだ。
何と、此の小説に触発された米紙ワールドの女性記者ブライは88年「この小説の主人公に倣って世界を一周し、その経験を報告したいと会社に提案する。これに対し会社は
「女性単独で世界を回れるはずがない」として男性記者の派遣を検討した。ブライは「それなら自分は他の新聞社と契約して、その男性よりも早く帰ってくる」と宣言し、ワールド紙は結局、
彼女に世界一周を命じる。ブライは89(明治22)年、洋服を1着、手提げかばんを一つ持ってニューヨークから東回りの旅に出る。
当時、男性たちは「女性の旅行には大きな荷物が必要で、準備に時間がかかる」と考えた。彼女はそれを正すため、最低限の荷物しか持たなかった。
この企画を知った米誌コスモポリタンは自社の女性記者、ビスランドに世界を一周するよう命じる。彼女はブライの出発から約9時間後、ニューヨークから西回りで出発している。
反対方向から世界を回る、20代女性同士の競争である。激しい船酔いや極端な寒さに耐えながら鉄道と船を乗り継ぎ、両者は横浜を経由、ニューヨークに着いた。世界一周にかかったのは
ブライ72日間、ビスランド76日間。2人がそろって小説内主人公の記録を破ったことで、世界の人々は女性の能力を思い知らされた。
← 皆さん、此の話は日本では明治前半の出来事である。当時はアメリカですらまだまだ男女不平等だったが、勇敢な女性が少しづつ社会を変え始めた。此の差はとてつもなく大きい。
*アフガニスタン・タリバン暫定政権は昨年暮れ、近親男性の同伴がない限り、女性が72キロ以上離れた場所へ旅行するのを禁じた。「女性には男性の保護が必要」と考えるタリバンの決定だった。
米国の2女性が旅したのは各約4万5000キロ。タリバンが禁ずる距離の625倍である。2人が生きていたら、規制のばかばかしさに腰を抜かすだろう。ただ、私たちもタリバンを笑えない。
「宿直勤務は無理」「旅客機の操縦はできない」と、その能力を確認する前から、女性の活躍を阻んできたのは日本社会である。その「偏見」はすっかり克服されたといえるだろうか。
【2】 テレビのニュース報道ヴァラエティー番組(昼時&夕刻)への苦言: 誰であれ人が話している裏でBGMを流すのは もう止めよ!
もう随分前に、この苦言は確か本コラムでも書いた記憶があるが、NHK含め一向に変わらない。他方、民法にせよNHK にせよ、定時に流す正規番組としてのニュース放送、そこでBGMは流さない。
また、政治家・学者・コラムニストをスタジオに招きコメンテーターと共に社会・政治問題の解説や深堀を行う番組でもBGMは流していない。 だから、此の区別は意図的としか見えない。
何故?と考えるうち浮かんだ仮説;それはBGMを流しながらの<ながら勉強・ながら作業>で青少年期を過ごした世代が働き盛りに達し、TV局制作部門の大勢を占めるようになったからでは?
定時の正規ニュース番組と違う時間帯での話題性+娯楽テイスト中心の番組ならBGM は寧ろ必要なサービスだ、と疑わない人たちが主流となったからではなかろうか?
お堅いニュースではないからこそ、ポップミュージックを流したら番組がもっと楽しくなる・・・そう信じているとしか私には解釈できない。 そうですか、若きディレクターさんたち???
TV放送が受信機普及にあわせて拡大した1960年代に青少年期を過ごした層にとり、裕福な家庭でなければステレオやハイファイセットはおろか、テープレコーダーも全家庭には無かった。
勉強机にむかいつつ、小さなラジオで若者向けの歌番組や娯楽番組をこっそり聞く楽しみは拡がった。だが、それは、集中力の妨げになると親や教師から戒められた”ひそやかな愉悦”でしかなかった。
其の年齢層が今や老い、耳は遠くなり、速い喋り口についてゆきにくくなった。そういう層に、人がしゃべっているのと重なる馴染みの薄いアップビートなBGM は騒音でしかないのだ。
考えてもごらん。午前、昼時、夕方にTVを視ている層は老若どちらが多いか? アップビートなBGMを好むが、其の時間帯を自室・自宅には居らず、仕事に明け暮れる20-50代ではないのだよ。
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