【書評 143】補遺 モーッアルトの食卓 関田 淳子（著） 朝日選書 873 2010年12月 刊

　昨日は２回に亘り、ヴォルフガング・アマデウス・モーッアルト（1756-1791）の旅と結婚後の生活における＜食＞をめぐるエピソードと著者の比較文化論的考察に触れた。
　最後に、書き足りない感のある人物、その他について補足しておきたい。

◆　まず最初に、父・レオポルド（1719-87年）；
　著者は本書で＜天才息子の売り込みで出世を狙うケチな男＞の側面を描いており、無論、それは誤ってはいないだろうが、レオポルドが残した功績は息子を不世出の作曲家に育てた事のほか、
ザルツブルグ宮廷楽団で1743年にヴァイオリン奏者の職を得て以来、宮廷作曲家の称号を得たり、最後は宮廷副楽長に昇進（1763年）するなど、一応安定した生活基盤を維持した点ではないか。
というのも、幾ら息子の売り込みに出るにしても、ザルツブルグで生活する妻子の生計を保証できねば自腹の旅など無理であり、アマデウスの成功もなかったからである。

　レオポルドのもう一つの功績は≪バイオリン奏法：邦題≫「塚原哲夫（訳）」で全音楽譜出版社から1974年に出ている教則本を世に出した事だろう。原著は1750年頃？自費出版されたといい、
タルテｲーニ（1692-1770）の論文≪Trattatodimusica secondo la vera scienza dell' armonia=Treatise on Music according to the true science of Harmony≫からの借用が多いと言われつつも、
当時の主だった言語＜英、仏、オランダ、露＞に翻訳され、重版するほどの人気を博した。ヴァイオリンを手にする人なら関心を寄せる名著である。私も所有し、時折り目を通す。

◆　もう一人は、妻・コンスタンッエ（1762-1842年）：結婚は1782年
　此の女性は浪費家とか悪妻説が蔓延する一方で逆の良妻賢母を唱える研究者もあり、今となっては断じにくい。アマデウスの没後、楽譜や書簡を売却した事を非難する向きも見られたようだが、
残された莫大な負債を抱えつつ息子二人を養わねばならず、デンマークの外交官と再婚した事と同様、やむを得ないのではあるまいか、と私は思う。

　結婚前はソプラノ歌手であり、結婚した翌年に作曲された「大ミサ曲；K427」はアマデウスが妻のソプラノを最初から入れる構成だ。脚が悪いので高額な温泉湯治を繰り返したので”贅沢女”
などと陰口を叩かれたが、アマデウスは演奏会や作曲で稼いだ金を温泉場へ送り続けており、夫婦仲は良かったと判断される。エピソードとして面白いのはアマデウスとの交際に際し、実母が
「３年以内に結婚せねば違約金を支払う」と約束させた文書を娘であるコンスタンッエが破り捨てたというもの。こういう気丈な女性だからこそ、アマデウスは父との訣別が出来たと思われる。

　晩年、研究者が病床にあったコンスタンッエを訪ねた際に「モーッアルトは食道楽だったと聞くが何が好物だったか？」と質問した。答えは「マスが好きだった」。本書で関田氏が披露する逸話は、
貴族が好んだジヴィエ料理よりも、当時はライン河沿岸でしか得られない貴重な養殖魚に魅せられたアマデウスの姿を彷彿とさせる。やはり、彼の口は相当肥えていたのだろう。

★　最後は＜レストラン＞の語源：
　本書142ページに著者は興味深い記述を載せているので、紹介したい。
　ー－欧州では＜オリオ・スープ＞と呼ばれる滋養強壮に良いと昔からされていた具たくさんスープがあった。1765年、パリのブーランジュと言う料理人が「レストラン」という名前を付けて、
　　自分の店で売り出したところ、爆発的人気で有名に。此のスープを出す店が＜レストラン＞と呼ばれるようになったが、命名の元としたのは仏語≪restaurer≫。是は英語の≪restore≫と同義で
　（再生/元気回復）。　名声と乱立ゆえか、時の君主・ルイ16世は、認定された高級料理店の尊称としてのみ、この言葉の使用を赦す旨の布告を出したという。

　初めて知った逸話で、興味深く読んだ。この言葉も御多聞に漏れず、最初は限定された高級イメージが時を経て大衆化し、最初の有難みから離れてしまう好例であった。　　＜　おしまい　＞