静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【書評 143-2】 モーッアルトの食卓     関田 淳子(著)       朝日選書 873      2010年12月 刊 

2021-11-04 18:36:53 | 書評
 著者がアマデウスの足跡を追って描いた各地の食卓風景や晩餐会の詳細は興味深い。それは、訪れる地域ごとに好まれていた食材が異なるうえ、調理法も多彩であるだけでなく、其の背景に在る大国
(フランス、スペイン、イギリス)宮廷との文化的距離で受けた影響の差がみられるからだ。そういった相互に与えあった食文化への影響からも、当時の欧州は王国間に姻戚関係が複雑に結ばれ、
外交とは政略結婚そのものであった事が滲み出ている。
 
 具体的には、テーブルの並べ方(長方形/馬蹄形/コの字形)、給仕作法の流れ(仏式/英式/オーストリー式)、ビュッフェ形式の有無、食卓には相伴できないが周りで侍っている陪臣たち&食事中の
BGM演奏に雇われた者たちの置かれた位置、などが各国微妙に違っていた点まで著者は触れている。個々の料理名やレシピに関心がある方は本書を手に取られるか、または誠文堂新光社≪音楽家の食卓:
(野田浩資)≫を参照されたい。後者は本書ほど人物評は詳細ではないが、シェフの視線から偉大な作曲家たちの好物を捉えており、これも面白い。

 モーッアルトは王侯貴族の食事中に奏でる”食卓の音楽(ターフェル・ムジーク)”の為にセレナーデや喜遊曲を作曲し、自ら指揮・演奏した。それで1回幾らの現金を貰い、次の旅に出た。
アマデウスに先立つ先輩のテレマンには<ターフェル・ムジーク>と名付けた曲集まである。また、アマデウスは音楽好きで楽器を演奏する王侯貴族の為に、ソナタや協奏曲<Vn./Flute/Cemballo>を
捧げている。
 然し、こんにち我々が畏敬し評価する価値ほどに当時のアマデウスが迎え入れられたわけでは勿論ないので、一部の音楽好き&造詣が深い貴族を除き、所詮は食卓を彩る娯楽楽士でしかなく、召使や
執事と同じ部屋で普通の平民夕食を戴く、そういう待遇だった。庶民には大変高価だったコーヒーやココアを口にできる<お呼ばれ>のチャンスなど、長い旅路の中で何回あったろうか??

 そういう日雇い生活を送ったモーッアルトのイタリア旅行で得た収穫が<オペラ>の作曲だった。特定の狭いサロン空間ではなく、多数の観客に聴かせられる劇場でのオペラ音楽に彼は救いを見出す。
「魔笛」「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」などの傑作には、交響曲や管弦楽曲とは違い、アマデウス自身の叫び・諧謔が、楽器だけでなく人間の声と言葉も交え、ストレートにぶつけられている。
幼い頃から多動症で落ち着かず、しょっちゅう手指が動き鍵盤の上を踊る仕草が食事中も止まらない、お喋り&冗談が止まらなかったと伝えられる彼にとり、歌劇はもってこいの場かもしれない。
 
 不思議なのは、アマデウスの両親、そして姉もがっしりした体格で背も高かったと伝わるが、本人はチビ&やせっぽちで天然痘の痘痕が消えぬ顔の風采は挙がらなかったという点だ。著者によれば、
病弱なのに5歳から過酷な旅に引き回された彼にはリウマチの他、栄養失調も考えられ、音楽・作曲しかできない/通常の生活能力に欠けた男の劣等感と父への反感が特異な人生と名作を育んだ?
 然し、である。天から降り注ぐように美しい旋律の数々が、犬と小鳥を愛し、浪費家で賭け事(ビリヤード)と酒に溺れた小男から泉の如く湧き溢れた。何と不可思議なことよ!! < 了 >
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