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ニーチェの言葉『神は死せり』日本人としてどう考えるかⅩⅨ

2013年08月20日 | 歴史
 外国文学にせよ歴史にせよ、言葉の世界であり、文字表記の世界です。しかし果てしなき時間を遡れば我々は言葉も文字もない世界にぶつかるわけです。
空間を果てしなく拡大してもやはり言葉の及ばない世界が現れます。具体的な手がかりのある有限な物ではなく、何も無い世界。
”死と虚無”を対象とする時何が起こるのでしょうか。
時間と空間の果てに、”死と虚無”を認めない立場もあれば、”死と虚無”しかないということをしっかり直視している立場もあります。
もちろんニーチェは後者に属します。死では無く永遠の生がそこにはあります。虚無ではなく永遠の存在があります。
そういうものを立てる場合もありますが、ニーチェはそうではありません。歴史をどんどん遡っても文字表記の遡れるところまでしか遡れません。
彼は文字なき以前の遠く果てしない過去を訪ねます。
時に古代ギリシャの始原の世界、晩年には古代イスラエル史の始原の時代に、今までの歴史や既成の歴史観を破棄して白紙に戻すと言うことを彼はやっていきます。
「悲劇の誕生」と「アンチクリスト」の二作です。
新しいグロイター版全集の結果、紆余曲折を重ねて遂に完成されなかった「権力への意志」という主著の中で、
まとまった最後の一作品として残った物が「アンチクリスト」です。
「アンチクリスト」の重要性は、激しく過激な言辞に満ちているわりには物語仕立てでプロットがあり、筋立ての流れがあります。
結果として読者に不安を与えません。ニーチェの作品の中には断章ばかりでよく分からない読みにくい本も多いのです。
「悲劇の誕生」も「アンチクリスト」もきちんとした構成があります。
この本のテーマは「無からの創造はどうして可能だったのか」です。
神による天地の創造、処女マリアの受胎、十字架上に死んだはずのイエスの復活、何か原因が無ければこういうことは起こりません。
おそらく何かの危機があったのでしょう。古代人はこういうことは認めません。無から有は生じないと考えます。キリスト教の成立史はあからさまに不合理です。
キリスト教の神はあまりにも自由すぎます。この自由は「神の恩寵」と呼ばれています。端的に言えば「不合理故に我は信ずる」でしょう。
「何かの仕掛けがあったからこれは可能になったのだろう」とニーチェは想像したに違いありません。そこには決断の自由が存在します。信じるとは意志の決断です。
そのような事が起こったに違いないでしょう。様々な誘惑を捨てて神の掟に従う決断、その自由はいかなる掟において可能になったのでしょうか。
ここで我々はユダヤ人の歴史を振り返る必要があります。

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