安城市緑町 ミドリペットクリニック0566-77-6047

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動物病院の日常、広報、呟き
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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅦⅩ

2023年03月31日 | 歴史
西尾『文学の宿命』より引用「<トーマス・マンの話・・・>実生活と芸術との分離、三島は俺は太宰とは違うとしきりに言う。
作家は実生活では死んで、しかし作品は嘘で蘇るのだ。それが逆になってはいけない。
若きウエルテルは死ぬがゲーテは生き残る。実生活と芸術は正反対の関係でないといけない」

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅨ

2023年03月30日 | 歴史
この対談から引用します。
「そうです新潮の2月号に西尾さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを私がどういう風に扱ったか。
日本で一番理解しにくいのはそれなんですよ」。今考えるとこの時系列の中で何があったのでしょうか。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅧ

2023年03月29日 | 歴史
雑誌新潮2月号西尾幹二『文学の宿命』、直後に雑誌国文学5月号上で三島-三好行雄対談において
三島が西尾評論を取り上げたことによって西尾に様々な方から問い合わせがありました。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅦ

2023年03月28日 | 歴史
江藤淳『ゴッコの世界が終わった時』雑誌諸君70年新年号です。69年の12月に店頭に出たでしょう。
ここで江藤はいち早く三島を撃ちました。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅥ

2023年03月27日 | 歴史
 1969年から70年、70年の11月が三島事件となります。その時代を思い出してみましょう。
全共闘運動が激しくなって69年11月東大安田講堂占拠、それに対して市民社会は反発し69年12月選挙で自民党が圧勝します。
ある意味で盾の会はコミックな物に見え始めます。そういう辛い状況を三島が迎えました。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅤ

2023年03月26日 | 歴史
 三島の足跡を追ってディオニューソス像の脇にぼんやり立って一日中過ごしてみると大変美しいアポロ的世界の『潮騒』、
その一方でデモーニッシュ(悪魔的)なものは『英霊の声』などのベースに存在すると感じます。
美しさとバッカスの世界を2つ持っていました。この二面性がなかなか統一しません。
世界史的な見方と日本文化が重なり合う三島を考えてみたいと思います。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅣ

2023年03月25日 | 歴史
 三島は戦後の矛盾を引き受けてしまいました。病的要素、過剰な才能、それがある時期から変わりました。
それは『英霊の声』あたりからでしょう。三島の日本探求が国際作家としてシャープになっていきました。
戦中派であった三島が生き残り、あの時代に散華した同胞、日本人の事柄を一人の表現者として引き受けるところに至ったのです。
その自覚が強く彼にあったのでしょう。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅢ

2023年03月24日 | 歴史
ベルギーにせよバチカンにせよ同じです。バチカンではアントニウス像ばかり見ています。
それが昭和35年くらいに突然変わってきます。昭和36年『憂国(226三部作)』を書き始めます。昭和36年『十日の菊』、
昭和39年『喜びの琴』、最後に昭和41年『英霊の声』。
古今集から出発した古典主義者の三島が戦後のアプレゲールというべき、
新古今の世界にいったん入って再び古今に戻ってきたと見ていいのではないでしょうか。


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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅡ

2023年03月23日 | 歴史
 三島文学は戦後をずっと鏡のように照らしています。
加えて肉体と精神のアンバランスが見られます。三島作品の潜在的ある部分はギリシアとイタリアにあります。
三島が何に魅せられていたんだろうと彼の跡をたどって見に行ってみると、それは肉体美です。
彼は若者、美男子、肉体美。そんな像ばかりを見て回っているのです。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅥⅩⅠ

2023年03月22日 | 歴史
「例えば永井荷風は自分の中で作った秩序の中でどんどん閉じこもってしまっておもしろくなくなってしまうじゃないか。だからこういう矮小化はしたくない」三島は小林秀雄に訴える。
小林「君の魅力は才能だけなんだよ」と返した。
つまり三島は才能でもって矛盾した物を背負うことをずっとやってきました。
ある瞬間に秩序の中で自分の才能の行き着く先を見定めた時期があって、それが時代の大きな変化と上手く合っていました。
あるいは時代の変化を見たということが三島が才能をある一点に集中していったのです。

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2023年03月21日 | 歴史
文化秩序を歌舞伎になぞらえ「古典主義のレジスタンス」と表現しています。
つまり古典主義でもって近代に抵抗することによって秩序を再構築しようという発想です。
しかしそこには秩序の中に埋もれると自分の世界が小さくなると言う強迫観念があります。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅤⅩⅨ

2023年03月20日 | 歴史
 「善と悪、陰と陽、全てを引き受けよう」これが三島の特長です。
一面的な理念的な正当性だけで評価するのは難しいし見誤るところがあります。文化秩序自体に三島が反論していた節があるのです。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅤⅩⅧ

2023年03月19日 | 歴史
そしてメッセージを出して自分の生涯を閉じました。もう一つ、三島は”時代と寝る”ということをいろんな形で言っています。
石原慎太郎の『太陽の季節』、この時「時代と寝る作家」と石原を評しています。
石原の時代との関わり方は三島とは非常に対照的です。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅤⅩⅦ

2023年03月18日 | 歴史
彼の文学の仕事、そして演劇パフォーマンス、自分の病を突き詰めるような形で文学的活動をしたのだと思います。
だからあれだけの広がりをたった一人の仕事としてできたのでしょう。
それらを全部包み込むような文化秩序を日本の中に一度は作らなければいけないという考えを持ち続けていました。
その一番軸になる物は何だと考えて突き進んでいきました。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅤⅩⅥ

2023年03月17日 | 歴史
 三島が考える”秩序を持った文化”とは何か。それは天皇を軸とした文化秩序です。
その秩序の中には反秩序や性的倒錯(サド、マゾ)をも入らなければなりません。
三島自身正常な人間とやや違うところを持っており、肉体そのものがとんでもなく貧弱だった上に脳があまりにも早熟でした。
あらゆる病をたくさん抱えていました。

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