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ニーチェの言葉『神は死せり』日本人としてどう考えるかⅡ

2013年08月03日 | 歴史
 これは外国文学の話ですが、歴史という物もおそらく同じ問題にぶつかるのではないかと思います。
歴史研究家にとっては、自分の外にある認識の対象というのは”過去”です。
だから最初は外国文学者が外国を自分の外に置いて眺めていたように、”過去”を自分の外に置いて眺めていきます。
しかしそこに留まっている限りは何も始まりません。あらゆる”過去”は既に確定している物で、もはや動かしようがありません。でも”歴史”は実は動く物です。
”歴史”と”過去”は全く別なのです。”過去”は確定している物で、その”過去”をどのように読み解くかが”歴史”です。
そしてそれを言葉として記述して初めて”歴史”は成立します。”歴史”はどこまでも言葉の世界です。
ということは、”歴史”は書く人間の主体によりいくらでも変わることになります。過去の中から特定の事実のセレクションが行われます。
セレクションには書く人間の評価が入ります。マルクス主義の歴史家ならその主観によって、ある過去の中から選びます。そして勝手な物を作り上げます。
何らかの評価の尺度がなければ事実を選択することができません。先入権というのは認識の前提であります。これはガダマーという哲学者も盛んにいっています。
つまり歴史という純粋な客観世界は存在しないということです。では歴史というのは歴史家の勝手な主観の反映かといえばそうとも言えません。
ここでやっぱり”自己”というのがどうしても出てきます。この”自己”は先ほどの漱石でも言ったように、自分の勝手な”自己”ではありません。
「自分が外を見ると自分を見ている自分がいる」という格闘の果ての”自己”なのです。勝手気ままな主観では決してありません。
歴史は”自己”よりも大きな物です。何とかその世界に近づこうと必死になって努力しないといけません。
漱石のように没入して自分を無くしてしまう、自分を捨てるとこまで行かないと歴史は扉を開いてくれません。しかしそれは客観ではありません。
歴史はこちらが動くことによって動いて見える世界です。歴史が動く世界であると言うことは通俗的にも分かりやすいことです。
過去は動かないが歴史は動くのです。私の生きてきた時代は、昭和の真ん中あたりの時代です。当時は明治大正昭和という時代区分が明確だったように思います。
明治文学全集、大正デモクラシー、昭和の戦争などが良い例でしょう。しかし最近はどうでしょうか。明治大正昭和は一つにまとめられてしまったような気がします。
そういう扱いがなされていくでしょう。もっと先の時代には明治と江戸の違いはなくなってしまうのではないでしょうか。
「戦争と戦後の切れ目は妄想だよ」とかいわれるんじゃないでしょうか。あと1000年経ったら平安、奈良、室町の区別はなくなるでしょう。
平安から江戸時代まで一つの区分になってしまうでしょう。つまり歴史は動くのです。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
8月の予定:8月12日(月)までカレンダー通りの通常営業。8月13日(火)、8月14日(水)、8月15日(木)の3日間はお盆休みを頂きます。
この間のホテルサービスは可能です。
ただし受付時間を朝9時と夕7時の2回のみとさせていただきます。
8月16日(金)からは通常営業いたします。





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