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ニーチェの言葉『神は死せり』日本人としてどう考えるかⅩⅡ

2013年08月13日 | 歴史
 彼をからかった市場の人達は現代人とも言えるでしょう。神を信じていない現代人です。しかし「お前達が神を殺したのだ」と言っています。
神は自然死を遂げたのではなくて近代人が神を殺したというのです。
しかし神を信じないで平気な一般の人間にはその自覚はなく、その自覚を持っている彼は発狂して死んだはずの神を今なお探し続けています。
神を信じないでも平気でいる、あるいは信じたふりをして中途半端に生きている近代の人間が神を殺したと言っているのです。
すると狂人は市場の聴衆が不思議そうな眼で自分を見ている前でランプを地面に投げつけ、粉々に壊してこう言いました。
「早く来すぎた。まだ私の来る時では無かった。この恐るべき出来事はまだまだ進行中なのだ。まだ人間共の耳には達していない!」と叫びます。
さながらニーチェは自分の運命をこのたとえ話に託していたようです。
 近世以降、科学による人間の認識による確実性が強まるにつれて神への信仰とそれをどう調和させるかが思想史の中では問題で有り続けています。
カントは科学と道徳を分け、人間の道徳を神への道とします。
ショーペンハウアーはそれでも満足できずインド哲学に傾いてインドの叡智がキリストの教えと矛盾しないとしきりに言います。
また危うくなりかけた神の立場を一生懸命弁護する流れが歴史の中にずっと存在します。神の立場を救おうとして人間の立場を強めました。
これが近世以降の形而上学の歴史であります。デカルト以降そうです。彼は神を弁護するために人間の認識の確実性(数学)を持って之を論証しようとしました。
結果的にデカルトもカントもショーペンハウアーも人間が神を創造している事に気がつきませんでした。
「人間が神を作り出したときに神は死んだのだ」ニーチェはそういいたかったのです。我々が神を殺したのだ。我々はみんな神の殺害者なのだ。
狂人の口から彼が言わせている事はまさに神を弁護しようとした近世以降の形而上学者の全てが神の殺害者なのです。

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