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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅨ

2023年02月28日 | 歴史
 昭和元禄と言うが実に貧しい、芭蕉も西鶴もいない、プラザの噴水のような文化主義。
やはり菊と刀の連関を取り戻さなければいけないという三島の最大のメッセージです。
まさに今日、刀が問題になっています。
北朝鮮の核の問題、アメリカの一極支配から多極化している中で我々日本人は日本をどうやって守るのか。
核武装もそういうことに関わるでしょう。三島の問いは今、具体的な政治プログラムの中で問われています。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅧ

2023年02月27日 | 歴史
 『文化防衛論』の中ではっきりと言っているのは菊と刀、文化と武力、菊と刀の連関が絶たれたのが戦後であるといっています。
戦後の日本は刀、軍隊を平和主義の中で手放してきました。
そのことによって文化が豊かになるのか、
実はそうでは無く菊と刀の連関が絶たれた事によって文化も一見繁栄しているようで
非常に空虚な物になってしまったといっているのです。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅦ

2023年02月26日 | 歴史
 三島の死は分かりません。
確かに死そのものは分かりません。三島は死によって訴えました。その事柄自体ははっきりしています。
戦後の日本がそれまでの日本の伝統文化歴史から明らかに断絶してしまいました。
そういう問題を彼ははっきりと戦後の文学者として訴えたし行動もしました。
三島の死ははっきりとしたミッションを示しています。
故に36年たってもこうして問題になるし行為をどう受け止めるかが問われています。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅥ

2023年02月25日 | 歴史
 『葉隠』山本常朝の中で忠臣蔵の四十七士をけっこう批判されています。
主君が腹を切ったら翌日、とにかく討ち入りして切り死にしてもいい、お家再興なんて考えるのは武士では無い、
こういうことが書かれています。三島の武士道は都会の武士道だと思っていました。
『葉隠』は佐賀の地方田舎武士の意地だと考えるととても納得ができました。
効果を求めない、四十七士のようにお家再興のために着々と計画をするのは卑怯だ。それが高貴なる敗北の日本史だと。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅤ

2023年02月24日 | 歴史
 これはかなり不思議で重い問題として残ります。三島は最初からこの問題を持っていた気がするのです。
『仮面の告白』でドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一説を引いてきて美とはこういう物だと長い文章を引用しています。
ドストエフスキー的な美意識という物は有効性を問わない形での存在論です。
三島の不思議なところは戦後左翼という物、無効性の論理を出すことによって功利主義的な論理を克服してしまう、
否定してしまう、乗り越えてしまうという厄介な存在に対してです。
それ以降左翼がガタガタになって自滅していったのは三島の死がある意味でゼロの死、
無意味な死を死んだことからつながるんじゃないか。これはけっこうたいへんな事なんじゃないかと思うのです。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅣ

2023年02月23日 | 歴史
 それ故に三島は永遠に生きるような気がします。
三島の死で一番強烈に感じているのは「文化防衛論」の復刊版で冒頭に反革命宣言とかありまして、
そのなかで彼が必要に繰り返していることは「自分たちがやっている事、思想言論行動すべて有効性が問題ではない。
何か目的があってそのためにやるとか、根拠があって何かをするとか、絶対それは認めない。
ただ自決なら自決、それ自体があって、それの政治的有効性だとか将来何かを残すためとかそういうことを
一切拒否して死そのものを求めた」

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅢ

2023年02月22日 | 歴史
 三島事件以後の人たちは三島の死について分析や評価、いろんな事をやってきました。それでも解釈ができません。
そこに三島が今なお生きている、死後成長し続けている意味は我々には今なお彼の死が納得できないし、
意義、根拠も分かりません。
大げさに言えばイエスキリストの死をどう解釈するかと言うことが欧米を中心とした歴史だったとすれば、
これは日本人に課せられた課題として残るのではないでしょうか。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅡ

2023年02月21日 | 歴史
 現代につながる三島文学と事件とは何だったのしょうか。
三島さんの死の意味、どういう意味を持ってああいう形で死んだのでしょうか。
我々は今の時点ではたぶん理解できないし解明できません。最終的にも分からないでしょう。
それは三島さんにも分からなかったかもしれません。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩⅠ

2023年02月20日 | 歴史
 こういう非常に哲学的コメントをおっしゃっていて、その後に大塩平八郎の乱に関してかなり詳しく書いています。
それを時系列で見ていくと、どうも三島さんは最後の檄文の前に一番力点をこめたのは文化防衛論の後の陽明学だろうと思われます。
その間に日本文学史もみんなおやりになると言っておられたけれど、日本文学史に置いては本当に短いエッセンスだけでした。
彼にとって死の意味がどう意味だったのか、
何十年何百年後に爆発するような爆弾をそこらじゅうに仕掛けていったのでしょう。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅢⅩ

2023年02月19日 | 歴史
 三島自身が事件の4ヶ月前に最後の政治論文を月刊誌『諸君』に書いています。
『革命の哲学としての陽明学』。その中で大塩平八郎を礼賛しています。文庫本では『行動学入門』に収録されています。

「今日本では陽明学が顧みられることは全くないが、もし語られるとしたらどういう見地からからだろうか。
それはここ数年来の大げさな革命的言論とそれについて伴うことの無かった、革命的行動の蹉跌との間には現代政治と社会、
政治理念と行動の間における真っ黒な深淵が暗示されている。我々は今、
その深淵の上を閉ざす美貌的な平和にたぶらかされているが、
やがてその深淵は人間精神の上にもっと恐ろしい形で再現することは十分誘起される」

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅡⅩⅨ

2023年02月18日 | 歴史
 事件直後に林房雄が語りました。「憂国の諫死に近い。見事に散った桜花の様である。」、
保守陣営の中の保守の方が皆そういうとらえ方でした。
黛俊郎がおもしろいことを言いました。「これは精神的クーデターである」、事実上クーデターなんか目指してもいない、
まして自衛隊に対して訴えてもいません。自衛隊が呼応するわけがない。
三島の訳本を書いたアイバン・モリス、「これは高貴なる敗北の列に叙す」。
つまり日本の歴史においては(世界史では通用しないが)ヤマトタケル以来、源義経、後醍醐天皇、大塩平八郎、西郷隆盛、
そして三島由紀夫。この高貴なる敗北というものは日本史にしか持っていません。
そういう文脈の中でとらえるとどうでしょう。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅡⅩⅧ

2023年02月17日 | 歴史
 未来は明るくてどこまでも平安で憂いは何も無いという空気に三島は耐えられなくなったのではないでしょうか。
時代の曲がり角に起こった三島の事件、ニヒリズムとラディカリズムが一体化したドラマとしての三島。
歴史が欠乏し精神の豊かさが、目標が無い、それに対して問いかけたのです。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅡⅩⅦ

2023年02月16日 | 歴史
 その後世界的にも文学が出てこなくなりました。教養主義が消えて無くなりました。
アメリカのアランブルーが嘆いていた事と同じ事が世界各地でも起こっています。
気がつけば人口はどんどん減っていきます。健康雑誌がブームになります。
ニヒリズムの顕在化し、それを目の前に見ていて、三島が全て見通していたとはいえませんが
何かに気がついていて耐えられなくなったとはいえないでしょうか?。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅡⅩⅥ

2023年02月15日 | 歴史
 これは第二次大戦の切れ目よりももっと大きな切れ目が世界史の中に起こったということです。
それは何か、
何も事件は起こっていません。しかし、はっきり言って人間が世界に対して関心を失てしまいました。
若さやロマンチシズムを一遍に失ってしまったのです。
無気力無感動、無関心、価値の区別を知らない人間が多数を占めるようになることだったのです。
等質化された人間、文学の衰退、論壇の崩壊、これらは世界的現象として起こりました。

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「戦後日本と三島由紀夫の残した物」2006年平成18年ⅡⅩⅤ

2023年02月14日 | 歴史
 三島事件のあとに起こった出来事を予見していました。
彼はそういう意味での60年代末から70年代かけての時代の到来を予見していました。
それは世界史の大きな曲がり角でした。日本の国内のことだけではありません。
ブキャナンが書いているのを読むと、人口の減少が生命力衰退の必然であることがわかります。
他の先進文明諸国もみんなおそった出来事です。その分水嶺に三島事件があったのです。

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