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ニーチェの言葉『神は死せり』日本人としてどう考えるかⅩⅧ

2013年08月19日 | 歴史
 「”真の世界”を我々は廃絶してしまったのだ。で、どんな世界が残っているのか。ひょっとして仮象の世界が残っているのでは。そんな馬鹿な。
  ”真の世界”とともに、我々は仮象の世界も廃絶したのだ。正午、最も影の短い瞬間。最も長い錯誤の終焉。人類の頂点。ツアラーツーストラ始まる」

 あの世は我々が廃絶してしまいました。では何が残っているというのでしょうか。仮象(~の様に見える)ですか。
形而上学は実在(あの世)と現象(この世)に分けて考える思想です。根底にある”真の世界”は見えません、隠れているのです。
しかし”真の世界”がなくなってしまったら仮象の世界も一緒になくなっちゃったんです。これが正午なのです。ニーチェは常に影と光両方を見ています。
日本人にとってヨーロッパ世界は光り輝く世界に見えていますが、実は暗い影を伴っていて。アジアは光と影を対立させないで生きてきました。
仏教の多くは「あの世はない」という概念を前提にしています。あの世という物を求めない心を前提としています。
ニーチェの結論をアジア人は先取りしているともいえます。我々アジア人はヨーロッパ近代文明という物が襲来され、それを理性と光の世界として受け止めてきました。
科学技術その他。それは抜き差しならない我々を覆っている現実であります。ヨーロッパは光の世界と同時に暗闇(悪の世界)も抱えています。これはアメリカも同じです。
その二重になっている世界が我々日本人には最初見えませんでした。明治大正昭和に渡って見えませんでした。見えないで慌てふためいて戦争にまで至ってしまいました。今、我々はその二重の世界がはっきりと見えるようになってきたのです。しかし、光と影、両方有るけれどツアラーツーストラは正午と言いました。
正午とは影の無い世界が来たということです。二重性にヨーロッパもそれに気がついてきたのです。アジア人は最初から正午に生きてきたのです。


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