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動物病院の日常、広報、呟き
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大阪へ行きました。

2013年11月30日 | 旅行

新幹線に夕方から乗り込み、一路大阪へ。中之島のホテルです。


綺麗な夜景。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
12月の予定:お休みはカレンダー通りです。31日まで通常通りです。年末のシャンプーのご予約、年始年末のペットホテルご予約はお早めにお願いします。
1月の予定:1日(水)、2日(木)は全日お休みを頂きます。
      3日(金)は午前のみ通常通り、午後はお休みいただきます。
      4日(土)以降は通常通りの営業とさせていただきます。



歯根膿瘍、抜歯

2013年11月29日 | 動物病院


ワンちゃん、左上顎第Ⅲ前臼歯の歯根膿瘍によって目の下皮膚から膿が出てきました。
抜歯をして洗浄しています。
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ウサギさん爪切り

2013年11月28日 | 動物病院


目やにも出ます。涙管洗浄を行いました。


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外出猫ちゃん、足の怪我

2013年11月27日 | 動物病院

良く外出するそうです。


まだ新鮮な傷なので縫いましたが、ケンカで逃げ遅れたのでしょうかね。

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福田恆存と國語問題ⅡⅩ

2013年11月26日 | 歴史
 昭和30年代後半になると福田さんが携われた國語論争に少し新しい色合いが加わってきます。
それまで福田さんが論争してきた相手は桑原武夫、金田一京助、あるいは土岐善麿といった文人と呼んでよい人々でした。
これらの人達は漢字制限論者で、仮名遣いの点では表音主義者と呼べば正体が分かる人々です。
文人である故にその説くところには一応学問的次元があり、世間が見るであろう論拠を振りかざしていました。
ただしその論拠自体は学問的次元の物と言える様な代物ではありません。学説の域には達していないのです。要するに能率本意の文筆業者の思い込みに過ぎないのです。
そこで福田さんは内心の馬鹿馬鹿しさに堪えながら、
自分の議論を非学問の徒に対する真の学問人としての説得力を踏むために自分も良く勉強された上で文章を書かれたのではないかと思われます。
その大変真摯な研究の成果として「私の国語教室」といったのが不朽の学問的業績が収穫されました。
福田さんの努力は自らの力によってしかるべく報いられたと言って良いでしょう。

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福田恆存と國語問題ⅩⅨ

2013年11月25日 | 歴史
 昭和33年に福田さんは「聲」という同人雑誌に「私の国語教室」を連載されます。それは翌35年12月に新潮社から単行本として出版されました。
36年1月に読売文学賞を贈られ、6月に新潮文庫に入れられ大いに普及しました。これが正統表記を勉強しようとする人にとってバイブルの様な存在となりました。
その後昭和58年中古文庫に入り、現在は「文藝春秋」を出している文春文庫で入手可能です。本協議会の市川浩さんの分かりやすい解説が付いています。
ところで昭和35年の「私の国語教室」によって、國語問題についての正論を吐く批評家としての福田さんの位置は揺るぎない物となりました。
この年に「國語問題早わかり」という論文もあり、これは文藝春秋から出ている福田さんのanthology「日本を思ふ」という中に収録されています。
これも國語問題とは一体何なのか、一読に値するものです。
その後昭和41年に国語審議会に関し文部大臣に対して連年、1年に2、3編の國語問題についての論文を、
国語改革派(破壊派?)陣営に対して、厳しい警告を発しその非を戒める論文をジャーナリズムに発表しています。
昭和42年以降は発言の機会が少なくなり、52年4月に「諸君」に「国語政策に関し総理に訴ふ」というのを書いたのが10年ぶりでだったでしょう。
その時の総理が福田赳夫さんでありました。この50年代にこの國語問題協議会で時折福田さんは講演されています。
実はある日、私も福田さんと同じ演壇に立って拙い報告をした覚えがあります。
「國語国字」という本協議会の雑誌の記録によると昭和52年3月27日三百人劇場においてであると言うことが分かります。
この時福田さんはメモを忘れてきたとおっしゃって
  「あまりに酷い慣用句の誤用例について記録してきたのだけど、そのメモを無くしちゃって…」
といって何度もポケットを探りながら遂にメモ無しで話を終えられた事を覚えています。

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福田恆存と國語問題ⅩⅧ

2013年11月24日 | 歴史
 語に従うというと言うことのわかりやすい例として、四つ仮名、「じ」、「ぢ」、「ず」、「づ」の使い分けです。
「自信がある」と「自分は」の「じ」。「地震」とか「鼻血」の「ぢ」。これらは発音は同じです。しかし語に従えばどちらを書けばよいか自ずと分かります。
もちろんひらがなだけ扱っていただけでは分かりません。易しい字は漢字で表記されます。小学生にも中学生にもどちらが正しいかは分かります。
例えば「なかんづく」と言う言葉がありますが、あれは「中に就いて」と言う意味だからざ行の「ず」は合いません。
ところが「なかんずく」と書く人が後を絶たないのです。これは現代仮名遣いがそう教えているからでしょう。
「むずかしい」なんていうのもそうでしょう。ザ行の「ず」です。この「ず」を見ると私は背筋が「むずむず」してしまうのです。
「むづかしい」は「むつかしい」と発音する人さえ多くいます。「つ」の濁りか「ず」の濁りか嫌でも分かるはずなのです。
なぜザ行の「ず」を使わせようとするのでしょうか。これも「語に従う」という原則を守れば簡単に解決できるのです。

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福田恆存と國語問題ⅩⅦ

2013年11月23日 | 歴史
 福田さんが金田一氏へ反論を提示した根本思想は「仮名遣いというものは発音に従うのでは無く、語に従うものだ」ということなのです。
語に従うというのが少々分かりにくいかも知れません。「文章に従う」ということです。語の意味ないし語源に従うということです。
この「文章音に従うべし」という原則について、森鴎外の「仮名遣意見」の中でわかりやすい例をあげて述べられています。
例の「恋すてふ 我名は未き 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」という句を
「こいすちょう わがなわ…」という風に発音を写してしまうと何を言っているのか分かりません。「こひすてふ」ならば恋をしているというのは伝わります。
そういうことを述べているのです。
語源に従うということは昭和61年6月のこと、日本文化会議で出している「文化会議」という雑誌に、私が「再考、現代仮名遣」という講演報告を載せています。
これは日本協議会の渡辺かげるさんがネットに再掲して下さったのでご存じの方がいるかも知れません。
その中で例えば西洋近代語、さらに英語、フランス語、ドイツ語におけるオルソグラフィーに関して。
あれは要するに語源への記憶を保存する努力の表れとして発達したのだという事を述べたのです。よって現に行われている発音と一致しません。
あるいは同音異義の字の使い分けに多少混乱を生じたり、つまり日本語の仮名遣いと実によく似た、あるいは全く同じ問題を抱えていることになります。
しかし現在、特にドイツ語などはそのオルソグラフィーを守り続けているのです。ところがこれも現在は少々崩れ始めているようです。
一番分かりやすい例は電話、telephone、ドイツ語でph。そこにこの語源が元来ギリシャ語から来ているという記憶を残そうとしたのでしょう。
それが最近ではfを綴るようになってしまいました。
そうすると"tele"は遠方の意味のギリシャ語で、”phone”はギリシャ語に由来する記憶は打ち消されてしまっているのです。
語源への記憶を断ち切ってしまう点において、イタリア語はある意味では先駆者です。
そのことが現代イタリア文学あるいは広くイタリア人の知性という物に何か衰えをもたらしているのではないかと直感的に思うのです。
これを主張するロマンスの学者もいます。当方にはその因果関係を明らかにする力量はないし、他にそういった研究も見当たらないようですけど。


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福田恆存と國語問題ⅩⅥ

2013年11月22日 | 歴史
 実例としてこの國語問題協議会におきまして、一昨年になりますが6月に京都で、12月に仙台で講演会があり、両会とも演題に立ってつたない話をしました。
その録音テープが外注に出されて筆記録として手元に来ました。それをテープから文字に起こしたのはアルバイトの方ではないかと思います。
プロと違うところはただ忠実に起こせば良いというだけの現実しか知らないということです。
言い間違いでも、言いよどみでも念押しの反復でも無意味な間投詞でも、私はよく『まあまあ』といったらしいのですが、それを全て文字にしてしまっています。
そのように聞こえたのならこれは私の発音が悪いのだから仕方ないですが、とにかく起こしてきた速記原稿が使い物になりません。
点検して直していく内に私はもうくたびれてしまい、もうこれはだめだ、見切りを付けて新しく書き直した方が良いと判断し、
ノートに頼って、また新たに語り口風の文章を書き下ろし、会報の編集係にお届けしたのでした。届けられた速記原稿はゴミ箱行きとなってしまいました。
その速記起こしの製品に対してその作成に事務局が報酬を払われたのかは分かりません。
 どれほどまでに使い物にならなかったか、詳細は記憶にありませんが、
福田さんが金田一博士への反論の中で「表音的仮名遣いは仮名遣いにあらず」と言う一説を設けて論じている例をちょっと拝借してお話ししましょう。
「歳は取りたくないものだ」を表音式に綴るとしましょう。東京人は早口に物を言うので「歳やー取りたかねーもんだ」と聞こえる。
もし、表音主義の原則を貫くと「としやとりたかねえもんだ」となる。これでは文章として成立しません。仮名遣いとしても成立しません。
江戸末期の戯作者達が町人の下世話な発音をわざとそのおかしさがリアルに出るように写音した戯文調の文章があります。
そういった文章ならまだいいが、そんな物が続いてしまっても到底読むに堪えません。

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福田恆存と國語問題ⅩⅤ

2013年11月21日 | 歴史
 福田さんの仮名遣い論の根底にこの思想があります。
仮名遣いという具体的な問題にこの思想を当てはめて考えますと、福田さんが歴史的仮名遣いに付くという立場が良く分かるはずです。
金田一博士を先頭とする國語改良論者たちは仮名遣いを発音に合わせろと主張しました。
発音というのはこれは現代人が日常生活の中で用いている発音のことなので、これは「仮名遣いを現代生活に合わせろ」と言うことでもあります。
ところが現代人の生活言語は発音にしても言い回しにしても決して一様ではありません。
地方により、職場により、属している社会集団により、あるいは流行により、家庭により、個人の癖により、実に様々です。
と言うと聞こえがいいが実は各人各様のめちゃくちゃな発音と言い回しが行われているのであって、
そうした現実に従っていたら仮名遣いというものは統一を失ってしまいます。とてもその國民共通の意思疎通の使用に耐える物でなくなってしまいます。
発音され語られる言葉は文字に記憶された言葉とは別の物です。語られる言葉には「場」という物があります。その「場」の共有が伝達と理解、共有の条件になります。
しかし、文字化された言葉には「場」がありません。そういう共通の場が無いと言うことを条件として、むしろ覚悟して文章を綴らなければならないのです。

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福田恆存と國語問題ⅩⅣ

2013年11月20日 | 歴史
國語として、「書く」にしても文字使い仮名使いの正確さとか美しさに気を遣う余裕がありません。もちろんあればその方が良いでしょう。
余裕がなくてもそれを特に非難する事はできないでしょう。人文系社会系、おしなべて文化系の学問の場合において、
その学問の価値、その価値が人間に対して持つ意味、説得力という物を保証するのは言葉です。
言語表現としてどれほどの力を持つか否かが学問としてのその作業の成果の意味を決定するのです。その場合説得力を持った言語の構築、これがすなわち目的となります。
福田さんの論争文の脈略から離れて申し上げてみましたが、國語はその国の文化そのものであります。
言語を道具とのみみなすならば、人は一体それを以て何をするのでしょう。その道具を以て何をするというのだろう。
まさか商売の道具としてお金が儲かりさえすればよいというわけでもないでしょう。
『存在論』、哲学分野の哲学者が良く言う言葉です。この中に「人間は言葉の中に住む。人間の存在を存在たらしめるのは言葉である」と言う命題があります。
これは決して観念の遊びではなく、言われてみればその通りです。人は言葉を家としてそこに住んでいるのです。
言葉が荒れているというのは荒れて汚れた家に住んでいるような物で、
正確な言葉を尊ぶということは、正確な寸法を採って建築された軋まない、すきま風の入らない堅固な家に住んでいると同じです。
人間の生活の気分的安定の基礎になります。というより人間の知的生活はすなわち言語生活です。
言葉を操るという事がすなわち知的精神的に生きているということなのです。

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福田恆存と國語問題ⅩⅢ

2013年11月19日 | 歴史
昭和30年から31年にかけて國語改良論者達への一連の反論の論文に現れている、福田さんの國語についての基本精神というような物を探ってみましょう。
それが昭和34年雑誌『声』に載りました。彼の「私の国語教室」の準備をなす物として大変重要な過程と思われます。
金田一博士への反論の中に福田さんは「日本人の言語意識」という基本基礎理論的な一説を立てておられます。
そこで金田一氏の「言語は知識の手段であって目的ではない」という言語感に対して厳しい反論を加えています。
また、福田さんの中学の同期生に高橋義孝さん、よく「ぎこうさん」と呼ばれていたドイツ文学者の人が
中央公論で福田さんの応援を買って出て金田一さんに反駁したようです。
ところで言語というのはどういう物が目的なのでしょう。
私も国立大学の現役時代に外国語教育のあり方を巡って、色々研究会と言うよりもほとんど論争会みたいな物を催していた記憶があります。
言語道具説を立てる同僚に対して厳しい批判をして論争を交わした覚えがあります。もちろん言語は道具としての役割も持たされています。
しかし、それが全てでもないし道具であると言うことが究極のあり方ではありません。
でも自然学者の場合、その研究内容は切り詰めれば一連の数式とか記号に還元されてしまう性質を持っています。
よってそれを他者に伝え広める手段としての言語、少なくとも文章は、伝達のための手段道具であると見て良いでしょう。
その手段は広く世に広めるためですが、これは国語たるを要しません。むしろ国際的に使用者の多い近代語による方が便利で、それは代表的には英語です。

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福田恆存と國語問題ⅩⅡ

2013年11月18日 | 歴史
桑原さんに関しては、昭和40年代に入ってから、私自身少々雑誌に物を書くようになってからその非常に浅薄な文明論に
これもまた呆れかえって噛みつくという次第になります。その浅薄さは常に福田さん相手の國語論争にも十分現れています。
その桑原さんの文明論の浅薄さというのは、彼はヨーロッパに視察旅行に行かれたときのことです。それをヨーロッパ研究調査として、留学なんかとは決して言いません。
そして「ヨーロッパはもはや我々の学ぶ対象ではない。民俗学的調査の対象である。近代化は日本の方がよほど進んでいる」というのです。
その証拠として「パリの街中で自動ドアを3つ位しか出会わなかった。東京にはパチンコ屋にまである」からといいます。その浅薄さに噛みついたのです。
福田さんのこの時の論争文は終局、最高潮の部分は、題名はご記憶の方もあるかも知れませんが、『金田一老のかなづかい論を憐れむ』といいます。
そしてこの反論がどうしてこの論争が起こらざるを得なかったかというそのゆえんから一説を設けて、國語改良運動の歴史を委曲を尽くして説いておられます、
これはさながら森鴎外で有名な『仮名遣意見』に似ています。これ自体が仮名遣い論争の歴史、大筋の所の輪郭をよく伝えてくれる名論文になっています。
それによく似た値打ちのある論文であると思います。

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福田恆存と國語問題ⅩⅠ

2013年11月17日 | 歴史
この時、私も大学生であったので誌上の論戦の現場をその時その場で立ち会って見ていた記憶が一応あります。
それまでこの金田一京助という人に対して、石川啄木の莫逆の友であり、またアイヌ叙事詩「ユーカラ」の採集者として知られていた人であるということでした。
私はユーカラそのものには興味はなかったのですが、何となくこれは大変立派な、今の言葉で”フィールドワーク”です。
ユーカラの採集という仕事をされた学者として尊敬をしていたのですが、その偶像が一変に地に落ちて砕けてしまったという感じだったのです。
桑原武夫さんによる文藝春秋の小泉信三さんへの反論。金田一さんの中央公論での反論。いずれも私は読んでいません。
しかし、福田さんの論争文は相手の文章を十分引用しており、それに註を付けるような形で一々反駁を加えています。
はなはだ念入りな形を採っている物で、桑原、金田一両氏がどんな文章でどんな論旨を展開した物であったか、福田さんの反駁を読み返してみただけで十分に分かります。
その結果金田一博士の何とも嫌みたっぷりの隠忍無礼そのものの文章感覚に本当にあきれかえった覚えがあります。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
11月の予定:学会出席のため11月15日(金)午後より獣医師不在、16日(土)終日獣医師不在。両日ともスタッフはおりますのでサービス内容はお問い合わせ下さい。



福田恆存と國語問題Ⅹ

2013年11月16日 | 歴史
民間で國語問題を巡る議論が再燃したのは、少なくとも福田さんがそれに介入するようになったのは昭和28年2月のことです。
この時、文藝春秋に小泉信三さんが『日本語』と題する随筆を発表されました。
今度はそれに対して金田一京助、桑原武夫というお二人の学者がそれぞれ、中央公論、文藝春秋で反論を呈しました。
福田さんはこの年の9月から翌昭和29年の9月までロックフェラー財団の資金援助を受けてアメリカ、ヨーロッパに遊んでおられました。
そこですぐには論争に加わる機会はありませんでした。
その翌年帰国した昭和30年10月に河出書房から出ていた『知性』と言う雑誌に「國語改良論に再考を促す」と題して書かれ、
こうして國語改良論者の金田一博士と桑原武夫氏に対する反駁論の火蓋を切ることになります。
金田一京助氏は福田さんを若輩扱いし、何となく見くびって嵩に懸かったような反応を加え、福田さんがそれにすかさず再反駁し、
31年の夏まで論争が数回取り交わされています。
この雑誌『知性』を舞台としての國語問題論争に福田さんは44才から45才にかけて、もう脂の乗りきった働き盛りであります。
気力、知力充実しておられ、その福田さんの論戦における太刀のの切れ味の鋭さはちょっと類を見ない見事さでありました。

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