ラテンアメリカでは1700万の移民に対して原住民が1500万人です。北では500万に対して50万人ほどでした。
数の多い方は当然厳しい人種差別はできなくて混血せざるを得ません。数の少ない方に対しては過酷な政策ができるのです。
南では差別はできるが排除ができないので人種の違いを緩める政策をせざる得ませんでした。北は有色人種を排除する徹底的なやり方が可能でした。
最後は遊牧民の食料源であるバッファローを根絶やしにすることで彼らの息の根を止めました。北は戦争までして徹底的に独立国を作ったのです。
この違いはイギリスとスペインの違いでもあるし、どちらが良い悪いではなくそういう結果が残ったというだけです。南は地理的条件が悪かったこともあります。
南北に走るアンデス山脈が邪魔をしたり、人跡未踏のアマゾンがあってどうにもならなかった事実があります。16の独立国はできましたが統一できませんでした。
原住民の人種や言語がばらばらだったことも災いしました。スペインは市民革命を経ていない古い遅れていた社会構造を持っていました。
イギリスは自由主義的な自治国家を作ろうとする余裕を被植民地側に与えました。一方スペイン王朝の富のために植民地を作ったスペインの違いがありました。
別の観点での見方としてスペインとポルトガルの違いではないとも思われます。ポルトガルは実はブラジル一カ所だけを所有します。後は全てスペインです。
ポルトガルは事実スペインに吸収されて植民地として大きな成果を発揮できませんでした。
スペインとポルトガルが世界に進出したときの違いはスペインは陸、ポルトガルは海へ進出しようとしました。スペインは領土を侵略します。
ポルトガルは脱領土のやり方でした。スペインは荘園を作って大土地所有による領地支配をしました。ポルトガルは海上を支配しただけです。
ブラジルはスペインと同じやり方をされました。スペインはコロンブスが最初に海を渡って西へ進んで西インド諸島にぶつかります。
ポルトガルはアフリカの西海岸を南下し、喜望峰を回ってバスコダガマがマダガスカルとモザンビークの間を抜けてインド洋に出ます。ポルトガルは海を支配します。
陸には入らないのです。また侵略した相手の文化程度が違いました。スペインはインカ帝国へ入っていきました。
ポルトガルは豊かなインドを見て自分たちのが貧しいことに気が付きます、そして亜細亜を抜けて、やがて日本まで来ます。
亜細亜には異なった宗教の民族がたくさん住んでいて、最初に出会ったのはアラビア語を話すイスラム教徒でした。
ところがバスコダガマの軍勢は彼らと上手く折り合うことができません。全て敵だと思ってしまいます。アフリカの海岸でいきなり発砲してしまうのです。
食料を奪っては補給します。船長は船を下りません。乗組員も人質を交換して警戒しながら陸を上がっていきます。つまり折り合おうとしませんでした。
2度目の遠征でバスコダガマは20隻の大船団を連れて武力でインド洋を制圧すればインドを征服できると豪語して一斉に大砲をならしながら進みます。
考えられない非常識さです。当時のインドの王族はムガール帝国で住民を保護するという発想がありませんでした。よって防衛しようとしません。
税金さえ払ってくれれば何が来ても良いと考えました。ポルトガル人は港に入らずに入港する交易船を待ち伏せし略奪します。大砲の威力は凄まじいものがありました。
胡椒香辛料をそれによって独占しようとしたのです。ポルトガルの鎖を海上に張り巡らせました。全ての船は生命を保証されるために通行証の提示を義務づけます。
海を支配するポルトガル人と税金を支払う地域の船、このやり方をイギリスが真似します。イギリスの東インド会社は18世紀までこの方法で海上を封鎖します。
アメリカは遠隔操作の国です。金融支配と海上と空。ポルトガルの発想と似ています。ポルトガルは鎖の輪をどんどん広げて今度はインドネシアに出て行きます。
やがて種子島に来ます。相手の文化のレベルが違うと海上封鎖では思うように行かなくなります。そのうちにポルトガルはスペインに敗北します。
海上支配という発想、遠隔操作という発想、他国の領土には踏み込まない、外から操る。これらは英米のやり方に似ているではありませんか。
世界を2分割支配するという奇想天外なトルデシリャス条約はローマ法王が勅許しています。
「ここから西へ行ったところはお前の領土だ。東へ行った所はお前の領土だ」。
インドネシア上でラインを引きぶつかって、揉めているうちにポルトガルはスペインに吸収されてしまいます。本国ヨーロッパでポルトガルはなくなってしまうのです。
スペインの時代は米西戦争まで続きます。「外から地球全体を支配すると言う発想」、日本人にはその必要を感じないし理解できないのです。
了
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