「Jerry's Mash」のアナログ人で悪いか! ~夕刊 ハード・パンチBLUES~

「Jerry'sギター」代表&編集長「MASH & ハードパンチ編集部」が贈る毎日更新の「痛快!WEB誌」

【夢を追う君へ】 夢を追いかけていた、あの頃・・・『セックスと酒とオリジナル・ソングス』(後編 Side-B)

2021-07-19 14:42:28 | 編集長「MASH」の新コラム「Mashからの遺言」

先ずは先日書いた
『セックスと酒とオリジナル・ソングス』(前編 Side-A)
を読んでから、今回の「Side-B」をお願いしよう!↓

https://blog.goo.ne.jp/12mash/e/a9baf356a2b170eabb7bf3a41237e301

読んでくれたと思って、書く。
Kidsたちの将来を考えると
「早くに夢を見つけ」
「着実にその夢を目指して欲しい!
だって「それが一番の近道」だからなんだ!
と俺はソコで書いた。

今日この「後編」では、俺の生い立ちと共に
「偶然が重なった・・・」そんな「裏道り」を歩き
ラッキーにも「自由を手に出来たお話」をしよう。
くれぐれも真似は禁物だゼ。

18歳にして「本気で組んだバンド」は
順調な滑り出しで、1年もしないうちに
「ホールでプレイしたり」
「新宿のライブハウスでハコバンとなったり」
「マネージャーが付いたり」と・・・
とにかく「超バンドマン生活」を送っていた。

丁度この頃「ちゃんとした彼女」も出来て
「リハーサル」「ライブ」「デート」
そして、一応「専門学校通学」(笑)
というサイクルで、日々は慌ただしく過ぎていった。

ただ、
「音楽にトリツカレていた・・・」
なんて「生易しいモン」ではなかったんだ。
今だから言えるが「イヤな経験」も沢山したし、
実際「俺には音楽しかヨリドコロが無かった・・・」
のだと思うんだよ。

「雑誌で記事を書く」も
その「リフレイン具合」に「不自由さを覚え」
そんな「鬱憤(うっぷん)」を
「自作曲に込め、ステージ上で歌っていた」
そんな風に思うんだ。
そして、多くの人が抱えるように
俺も「十分に孤独」だった。

この「孤独さ」こそ、
「多くの人が死んでいく要因」
だと俺は分かっていたよ。
ジャニスやジミ、ブライアン・ジョーンズから
カート・コバーンそして尾崎豊まで・・・・

勿論「死なないで済んだ人間」も多いけれど
有名無名、ミュージシャンだろうがサラリーマンだろうが
そんなの関係なく
「人間は誰しもが孤独」だから、
言い換えれば
「誰もがキワドイ線を綱渡りしている」
んだと思うのよね。

俺にとっては「音楽が救い」だった。
そして「女の子も救い」だったんだ。
あの頃の俺には「孤独を埋めるパーツ」だったのだろう。
逆に「本当に一人の人を愛する」ことが出来ていたら
とっくに「家庭を持ち、子供を育てていた」と思うよね。

ただ、俺はこの頃、
「よく酒を飲んでセックスをしていてね・・・」
その結果
「より孤独となり、その後ギターを弾いて、曲を作っていた」
っていう(苦笑)。

コレはミュージシャンにはよく聞く話だが
「腰を振りながらも、虚しさを感じ、ギター弾きてぇ~」
と本気で思ったりするんだよね。
「出し終わるとモノ凄い罪悪感と共に、ギターに手を伸ばしたくなる・・・」
今だから分かるけれど
「孤独過ぎて、もうギターしか信じられない」んだよね。

そして「曲を書き上げて、満足して眠る・・・。」
隣で「女の子」が「やさしく寝息を立てていた」りしてさ(笑)。
もう「精神的にギリギリの生活」だったと思うんだよ。

俺個人として書いた曲には
「ラブ・ソング」
ってのも、有るには有るんだが
それは「女の子を目の前に対面で歌う」だけ
ステージで当時「それらの曲」を歌ったことは無いんだ。

逆に俺の歌と呼べるものは
「メッセージ・ソング」か「別れの歌」
ばかりだったね。
「照れ」とかではなく
「嘘を付きたくはなかった」んだよ。
「歌うベキコト」は「リアルでありたい」
と思っていたからね。

3年後に学校を卒業し
それでも音楽ばかりをヤリ
「彼女」とも別れ
「バンドも暗礁に乗り上げた」
そんな頃・・・
見かねた「バイト先の先輩」が
声を掛けてくれたのがキッカケで
毎日バイトで通っていた会社・・・
そう!「(株)リクルート」に入社するんだ。

偶然なんだよ。
専門学校の担任が「元リクルート」の人で、
そのコネで「在学中に研修で行かされた会社・・・」
ソコが「リクルート」だったんだ。

で、研修後も「バイト」で毎日働いて、
卒業後も「バイト」で毎日夜遅くまで・・・・。
「そりゃぁ先輩は心配してくれるよなぁ・・・」
当時は「フリーター」とか、そーいう言葉はないから
肩書きは「無職のバンドマン」っていう
もう最悪のネーミング(笑)!

とにかく、入社させて頂き
そこで「大きく自分の人生が変わった!」ワケ。
「見ていたものが全て逆であった事」に気付き
音楽をも「客観的に見る」ことが出来たんだ。

不思議と、この時期
俺自身「孤独感」は少なく
「会社が持つパワーのお陰」で、
ドンドンと「新しい自分」が出せる・・・
そんな日々になっていったんだよね。

数年後、27歳の頃
「音楽を違う角度から見直す」
ことにより
「インディーズ・レーベル&ライブ・イベント会社」
を立ち上げ、独立。
主に「バック演奏」「プロデュース」「イベント企画」
「CD製作」「ジャケット・デザイン」そして「盤の営業」まで・・・
とにかく「リクルート」で得たパワーで猛進したんだ。

ソレと同時に、渡米したりして
「自分のギター収集が加速されて」しまってね(笑)。
そのお陰で、2001年には
「ヴィンテージ・ギター専門店」
を開業!

その後、
横に「スタジオ」を造ったり、
「Bar」やったり、
「レコード屋」やったり、
「アンティーク時計店」や「古着屋」などなど・・・
なんだかんだ昨年1月まで
「実店舗経営」
をしていたってワケ。
(現在は通販「鎌倉JWC」経営)
いやぁ、よく働いたモンだよ。

いかがだろうか?
「ただただ、ラッキーだった。」
その一言に尽きるでしょ?
俺は「自由と幸せを手にしたかっただけ」なんだが、
ソレが「人よりも強い」のかもしれない。

今改めて振り返ると
結局「つながっている」んだよね。
高校時代に「雑誌で文章」を書き
「音楽雑誌編集の専門学校」
へ行き、ソコで気に入られたお陰で
「リクルートに入れた・・・」んだから。

あの頃
アレほど「夢中にバンドをヤッた」俺だが
作る曲は「ウケたけれど、売れなかった」わけだし、
逆に「アレほど日々ステージをコナシタ」から
「ギターを知り尽くせた」ワケでもある。

結局は
自分の「夢見た人生」ではなかったけれど
前編で書いた様に「曖昧」だったから
「こんなモンになった」のだろうね。
でも、逆に「バンドが売れなくて良かった」よ!
ソコも含めて、ホント「ラッキーだった」と思うんだ。
俺は一番欲しかった「自由を得た」ワケだからね!

ただ、あくまでも俺は「レア・ケース」だから、
何度も言う様に
「若い子」は「早目に夢を1つに絞り」
ソコを目指して猛進して欲しい!

そして、例え「その夢」が叶い、
「思い描いていたモノと違っていた」
としても
「一度つかんだその夢を叩き台」
として、
「何度も再チャレンジすればイイ!」

本当に「Happy」と思えるまで
「走り続けりゃイイ!」のさ!
誰かの歌にあったよね!
「Try Try Try!」
って曲がさ。俺、アレ好きなんだよ!

《 編集長「MASH」筆 》
ご意見・ご感想・記事投稿は編集部まで!

https://hardp.crayonsite.com/