元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

人生を大逆転!私の運命を変えた一冊の本の抜粋です。人生が全く変わりました!転職13回のどん底から、夢だった映画を製作、全国で上映できました!

2019-09-20 21:20:14 | 日記

31歳の時、私の運命を変えた本の一冊の抜粋です。

当時の私は転職13回以上をして絶望をしていました。高校生ぐらいから劣等感、自己嫌悪、自己卑下のかたまりのような人間で、その時はわかりませんでしたけど、これが原因で転職してたのです。

私の運命を変えたのは、この本を含めた数冊との出会いでした。

『「雪ダルマ型人生観という考え方もここにあると思います。
「プラスの結果が出てくれば、もちろんそれを実力としてゆく。マイナスの結果が出てくれば、それを反省材料として教訓を身に付け、さらに大いなる発展の種をまいてゆく。

何が出ても、雪ダルマのように転がって大きくなっていくしかない」このような生き方をしていると人生は楽しいですし、常に勝利を続けていることになります。

中略  常勝思考の一面として不動心がきわめて強くなってきます。
波風に強いのです。

バクテリア(細菌)を食べていく白血球のようなものです。常勝思考というのはあのような感じなのです。

白血球が口を開けてバクテリアを食べているかのような感じで、どんどん取り込んで栄養にしてしまうわけです。中略   いろいろな苦難・困難の時があっても、それを利用し、逆手にとって、さらにプラスのものを出してゆくというのが常勝思考なのです』幸福の科学出版「常勝思考」より抜粋。

これらの本を何度も読み返しました。半年ぐらいかかりましたが、劣等感、自己嫌悪、自己卑下、自殺願望が無くなり、マイナス思考だったのがプラス思考にかわりました。

すると急に営業成績が急激に増え始め、社内の上司達の私に対する態度が一変しました。その後は映像制作会社にヘットハンティングされ、独立、2008年には映画「「ボディ・ジャック」を企画・製作して全国で上映できました。

本当に思いを変えるだけで現実が変わるのを実感しました。

しかしこの本に出会うまでには14年間もかかりました。高校生の時より「人間の生きる目的は何か」の答えを知りたくて、スピリチャアル系の本を300冊ぐらい読みました。

高僧と言われ、そのような格好をし、マスコミにもうけのいい人の本から予言者、超能力者まで読みましたが、
明確な答えを書いてある本はなく、私の心はまったく変わりませんでした。むしろ悪くなるばかりでした。

しかし、この「常勝思考」を読み初めてからは人生が一変しました。


私も変わったのですから、他の人もこれらを読んで、思いを変えれば必ずその人の人生も好転し変わると思い、差し上げようとしても拒む人が多くいます。

なぜならこれらの本の著者は幸福の科学の大川先生だからです。この名前を聞くと急に、「いいです」と断ります。

悪いイメージが浸透しています。これは1991年から始まったマスコミによる攻撃によるものです。

特に週間誌による攻撃がひどく、現在まで続いています。その内容は偏見で、裏もとらず、実際になにも調べていません。名誉毀損で出版社を訴えて勝訴していますが、

賠償金は200万で済んでしまっています。おおげさに捏造記事を書いて売れれば得になるので、現在までしつこく攻撃してきています。

他のマスコミもインドでの講演会に7万人が集まり3万人が会場に入れなかったことやネパールやインドの国営放送で講演会が放送されたことなど、良い情報は自主規制をして一切、報道されていません。

抜粋文を読んでいただければわかると思いますが、何かおかしいところがあるでしょうか?

多くの人が抱いている悪いイメージとは全く違います。劣等感、自己嫌悪、自己卑下、自殺願望の人間が全く変わってしまったのですから正しい教えです。

多くの会員達も仕事が順調になった(自分の会社を上場した人もいます)、夫婦、親子、嫁姑の関係を改善した人、重い病気を直した人など実体験をして会員となっています。

このような素晴らしい教えが説かれているのに、多くの人はマスコミを信じて、読もうとしません。まったくもったいない、損です。

先生の本を読んで、思いを正し、プラス思考に変えれば現実が良い方向へと必ず変わります。

とりあえず本を読んでみてください。初心者にお勧めなのは、先程の本の他に「幸福の法」「勇気の法」などがあります。(1900冊出版されています)

今の偏向マスコミを信じるのか、それとも自分の目で確かめるのか、あなたにお任せしますが、あなたの幸せを思うと実体験者としては強く後者をお勧めします。


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日本を絶対にチベットやウイグルのようにしてはならない!自分の国を守るために抑止力を持つべきだ。真なる主権国家として立ち上がろう!

2019-09-20 21:19:56 | 日記

[HRPニュースファイル509]今こそ、真なる主権国家として立ち上がろう!より抜粋

『◆「大中華帝国」の再興を狙う中国

中国は1978年の?小平による改革開放路線によって、それまでの社会主義経済を捨て、市場経済体制に移行しました。

その経済成長は目覚ましく、この二十年のGDPの成長率は実に10%前後で、

GDPはすでにドイツ、日本を抜いて世界第二位の経済大国になっています。



そして中国はその経済力をバックに、驚異的なスピードで軍事力を強大化させ続け、

国防費はすでに日本の防衛費の二倍から三倍となり、アジア最大の軍事大国へと変貌しました。



その目的は何か――それは、かつての「大中華帝国の再興」であり、日本併呑まで視野に入れた、アジアの覇権国家の実現です。

「中華」とは、中国(中華)が世界の中心であり、漢民族以外の異民族は漢民族帝国に膝を屈するものとする思想です。



そこから歴史的な「羈縻(きび)政策(羈は馬の手綱、縻は牛の鼻綱。羈縻とは、手綱・鼻綱で周辺諸国を中国から離反しないように、つなぎ留めておく意味)」や「冊封体制(中国の皇帝が周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結ぶこと)」が生まれました。


「帝国」とは、一人の権力者がその強大な権力によって、自国民のみならず、異民族をも支配する状態を言います。

「覇権」とは、天下に向かい号令をかける権利のこと、あるいはその権利がある状態を指します。

かつて中国史上において、秦、漢、隋、唐、明、清などの王朝が、漢民族居住地域を越えた領域を支配し、アジア全域に影響を及ぼしたように、中国は今、その経済力と軍事力をバックに、再び周辺諸国を支配し、アジアの覇者にならんとの誘惑に駆かられているのです。



◆今こそ、真なる主権国家として立ち上がろう!

私は中国をいたずらに敵視したり、戦争を煽りたいわけでは全くありません。私個人としては、孔子や孟子など多くの思想家を輩出した中国文明には一定の尊敬の念を持っており、中国人の友人も数多くいます。

しかし、ここまで露骨な軍備拡張を行われては、「専守防衛」の立場から考えても、問題視せざるを得ません。

日本もまた国家として、国民と国土を守らなければならないのです。

「自分の国を他国の植民地にはさせない」という、強い意志と気概を持たなければならない時を迎えているのです。

なぜなら、中国は共産党の一党独裁国家であり、マルクスの共産主義思想を核にした唯物論国家です。

その属国となることは、日本がチベットやウイグルと同じ運命をたどる――宗教も、言葉も、歴史も、自由も、思想も、土地も、資源も、全て奪われ、民族全体が奴隷のように扱われ、虐殺され、支配される――ことを意味します。

何よりも今、私たち日本人に求められていることは、自分たちが置かれている状況を理解することです。

つまり、2250年前に始皇帝が興した「秦」にも似た覇権主義の帝国・中国が台頭している現実を直視することです。

私たち日本国民は、このままであれば、十年後、二十年後には日本という国は、中国に呑み込まれて滅びる可能性が極めて高いという事実を知り、今こそ、真なる主権国家として立ち上がるべきであります。(文責・矢内筆勝)


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「勝利の方程式とは・・・・あなたの思いそのものが、あなたの未来をつくる」大川隆法

2019-09-20 21:19:33 | 日記

心のなかで肯定すべきものは、未来の理想像でなければならないのです。

必ず、心のなかに、自分の「あるべき姿」というものを思い描いてください。

それを強く念じ続け、現にそれが、ありありと見えてくるように感じられるようになってきたとき、その未来は現実の世界へと引き寄せられてきます。

外国では、「引き寄せの法則」と言うこともありますが、「自己実現の法則」
「成功の法則」と言ってもよいし、あるいは、「勝利の方程式」と呼んでもよい
と思います。

「あなたの思いそのものが、あなたの未来をつくる」という法則を、実感とし
て、つかみ取ることができたならば、あなたの力は本当に十倍、百倍へと増して
いくでしょう。

『宗教立国の精神』より抜粋

幸福の科学 公式サイト https://happy-science.jp/whats-happy-science/


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以前は、自分の短所ばかり見ていたが、自分に自信が持てるようになった!(体験談)

2019-09-20 21:19:13 | 日記

http://voicee.jp/2014072910158

以前は、自分の短所ばかりが目につき、「自分には何にもいいところがない……」と悩んでいました。

でも幸福の科学で、「人はみな神仏の子で、心の内に必ずその輝きが宿っている」と知って、自分の長所を見られるようになり、自信が生まれました。

それから「人はそれぞれ、使命を持って生まれてくる」「神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない」という教えを学んでから、困難が目の前に現れても「自分を鍛え、使命を果たすために与えられた試練であり、必要なプロセスなんだ。

 

必ず乗り越えていける!」と前向きに捉えられるように! それと、祈願文を読むと不思議と、「今までの自分とは違う。 大丈夫!」という、エネルギーがこみ上げてくるんです!

これからは、人に頼られる人間になって、同じように悩んでいる人を助けてあげたいです。


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「与える愛の実践」でスランプを脱出できた!(体験談)

2019-09-20 21:18:52 | 日記

http://voicee.jp/201401083789

数年前、大学を卒業した私は、さらに服飾デザインの勉強がしたくて、故郷の九州を離れ、大阪の専門学校に通い始めました。はじめはコンテストで優秀賞を受賞するなど意気揚々でした。しかし、次第にデザインする楽しみ自体がなくなっていったのです。

ぷっつりと制作への意欲が失せ、スランプに陥ってしまいました。学校にも行かず、パチンコに明け暮れる日々。仕送りを使い果たすと、一日中アパートに引きこもってゴロゴロする生活が何カ月も続きました。



みじめな自分

俺はいったい何やってんだ――。やりたいことが分からなくなり、本当にみじめでした。仕送りをしてくれている親のことを思うと罪悪感もこみ上げてきます。ある日、部屋の中で、ボーッと宙を見つめていると、「あるもの」が目にとまりました。幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』です。

高校を卒業する際、兄から勧められて入会していたものの、支部にも数回行ったきりでした。私はふっと『正心法語』に手を伸ばしました。

「大宇宙に 光あり 光は 仏の 生命なり――」

一句一句、口ずさんでいると、ふわっと体が温かくなってきました。

「あったかいなあ……」

なぜか涙があふれてきました。私は兄から『太陽の法』を勧められて読んだ時、宇宙の起源や次元構造などの壮大な話に惹かれ、入信しました。しかし、心の教えを深く学んだり、実践してみたことはありません。

「こんな状態の自分が立ち直れるのは、幸福の科学しかないんじゃないか。真剣に教えを学んでみようか――」

思い切って最寄の支部を訪ねていくと、支部長がアドバイスをして下さいました。

「毎日一つでいいですから、『与える愛』の実践をしてみて下さい」



小さな与える愛から

小さなことからでしたが、人に会ったら笑顔で挨拶をしたり、ことあるごとに「ありがとう」の言葉を出すようにしました。真理を学びながら学校もアルバイトも再開。人に関心を向けていくなかで、友人の悩みを聞く機会も増えていきました。

思わず、学びたての真理を熱く語っている自分がありました。「心が落ち着くよ」と友人を幸福の科学の精舎にお連れしたこともあります。

そんな伝道の日々を送るうち、友人や家族が一人、二人と喜びの中で入会していきました。出口を求めて悶々としていた自分が、人を幸福への道にお導きすることができた――この伝道の経験は私に一つの自信を与えてくれました。

「伝道や仕事を通じ、多くの人を幸福にしたい。これが自分の生きるべき道だ!」

その後、服飾ブランド店に就職。これまでお世話になった人たちに恩返しをするつもりで、懸命に働きました。店長にも抜擢され、業績が全店舗中トップに。無気力な日々を送っていた自分がここまで変われたのは、まさに信仰のおかげです。

経典『発展思考』に、人生の指針としている一節があります。「理想と愛を持っている人は、多くの人びとのためになりたいと思っているために、その仕事が大きくならざるを得ないのです」――これからも限りない発展を目指し、何事にも果敢に挑戦していきます。


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「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞。消費増税の撤回が必要である。これこそが、財務省が歴史に学んで、いますべきことだ

2019-09-20 12:46:23 | 日記

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190502-00200883-diamond-bus_all&p=1

 5月1日から新元号「令和」に改元され、30年と5ヵ月続いた「平成」が終わった。

 「平成」は、どういう時代だったのか。

 財務省大蔵省)にいた筆者の視点から振り返ると、その時々の局面で、財政や金融政策が間違った処方をしたことで、バブルやその後のデフレに象徴される日本経済の混迷をより大きくした感が強い。



● 「平成デフレ」の引き金は 日銀の金融引き締め

 バブル景気に沸く1989年、改元により平成元年になったが、平成の最初の経済エポックといえば、消費税創設だ。

 当時の大蔵省にとっての重要事項のひとつも、消費税の導入だった。

 この消費増税がバブル崩壊にどのような影響を与えたのか。

 1989年の消費税創設(税率3%)がバブル経済の崩壊のきっかけになったのかといえば、まったく違う。

 4月に消費税が導入されても、経済は好調そのものでバブルは加速すらしていた。

 その当時の大蔵省の対応はかなりまともであり、消費税創設を前に、所得税減税などを先行して行い、その上で、物品税の廃止も行っている。

 「増減税中立」の税制改正にしたことで、消費税創設でも経済への悪影響はまったくといっていいほどなかったのだ。

 財政状況も、バブル景気により税収が増えたことで改善しており、1989年の赤字国債発行額はわずか2000億円。90年には赤字国債依存から脱却し、95年に赤字国債の発行を再開するまで、赤字国債の発行は基本的になかった。

 財政状況が良好だったので、所得税減税や物品税廃止などをする余裕があり、消費増税の経済への悪影響は避けられたのだ。

 一方で、ひどかったのは日銀である。

 当時の三重野日銀総裁は、バブルつぶしと称して、不必要かつ過剰な金融引き締めを行った。「平成の鬼平」とマスコミから持ち上げられたが、急激な金融引き締めはバブルをつぶすばかりか、実体経済もつぶした。

 バブルは、株価と地価が異常に値上がりしたもので、一般物価の上昇率は3%にも達していなかった。

 この失敗は、当時、もし今のような「2%インフレ目標」があったらという思考実験をしてみればわかる。

 インフレ率が高くなっていなかったので、金融引き締めはまったく不要だったはずだ。

 それなのに日銀官僚は間違えないという“無謬性(むびゅうせい)神話”があるために、この金融引き締めは正しいものとして考えられ、その後も平成時代の最後、黒田総裁の異次元緩和に転換するまで、日銀は引き締め基調が継続した。

 筆者はそれが、「平成デフレ」の引き金であり、デフレが長引いている元凶だと考えている。

● 「接待汚職」の大蔵省は 「お家大事」を優先

 バブルの当時、大蔵省はどうしていたのか。大蔵省のバブル対応はまともだったと考えている。

 異常な株価や地価の上昇は、税制などの法規制の抜け穴があって、それを利用した銀行・証券会社の異常な経営姿勢が原因だったことは、筆者も自分の行政経験からそう思っている。

 当時の大蔵省は銀行や証券会社の経営姿勢を正す指導を行っており、正しい行政だったと思う。

 だが一方で、バブル崩壊後は、大蔵省は巨額の不良債権を抱えた金融機関の救済や、大蔵省自らの不祥事対応で手一杯だったので、とても日銀の政策を考えている余裕はなかったのではないか。

 多くの金融機関の経営が破綻する戦後初めての金融危機という未曽有の事態になり、救済や不良債権処理のために税金投入が不可避になったが、それとともに、金融機関と大蔵省との癒着も社会問題になった。

 その一例が、98年の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だ。

 大蔵省官僚らが金融機関から、こうした低俗な接待まで受けていたことが発覚した。護送船団行政のもとで、金融機関への規制や権限を背景に、官僚の世界が腐敗していたことを示す象徴的な出来事と言えるだろう。

 社会からの批判が強まり、大蔵省は財政部門と金融行政部門を分離させられるという、省始まって以来の「危機」を迎えた。

 その状況では、大蔵省は「お家」が一番大事であり、バブル崩壊後の日本経済のことを考えている余裕はなかったのだろう。

● 97年4月の消費増税は間違い 経済の実態を考えず

 その後、日本は、90年代半ばからいわゆるデフレ経済に陥った。

 日銀はバブルつぶしの性急な金融引き締めの間違いを自覚しないまま、金融引き締めは継続された。

 名目金利は低水準だったので、金融引き締めを多くの人が意識しなかったのだが、インフレ率がマイナスになることは、古今東西を見渡しても例がほぼ皆無である。

 インフレ率がマイナスなので、名目金利は低くても実質金利は高く、経済成長は望めない状態だった。

 そういう状況の時に、大蔵省がとんでもない間違いをしたのが、1997年4月の税率3%から5%への消費増税だ。

 デフレ経済突入時に消費増税である。これは日本経済を奈落の底に突き落とした。なぜ起きたのか。

 大蔵省は、時の首相や政権、与党の黒子役として、政権運営などを陰で切り盛りする一方、歳出抑制や増税など政治家の嫌がる政策も実現させる「政治巧者」である。

 1993年8月、非自民の細川連立政権が成立した。連立政党の思惑が違うなどで政治的に不安定だったが、大蔵省は政権の中枢に食い込み、消費増税を仕掛けた。

 1994年2月の国民福祉税騒動だ。これはうまくいかず、細川政権の命取りになった。

 同年4月に羽田内閣になったが、短命で6月に退陣し、社会党と自民党連立の村山政権になった。

 ここでも大蔵省は消費増税を仕掛け、ついに税率を3%から5%に引き上げる増税法案を11月に成立させた。

 1996年11月、自民党と社会党の連立で誕生した橋本政権は、村山政権の時に決まった消費増税を1997年4月から実施した。

 だが、1997年以降明らかに、それ以前に比べても景気は停滞したが、大蔵省はそれを消費増税のためとは決して認めなかった。

 今でも「定説」になっているのは、当時起きたアジア金融危機が日本経済の低迷の原因だというものだ。

 アジア金融危機は、タイから韓国などへと波及した。震源地のタイや韓国は確かに経済成長が急減速したが、その後の回復は早かった。

 だが、日本は震源地でもないのに経済が低迷し、その後も低迷したままだった。これは日本の景気が国内要因で低迷したことを示しており、その原因は消費増税以外には考えられない、と筆者は考えている。

● リーマンショックで再び失敗 緩和遅れ「超円高」招く

 その後、金融危機などもあって、1999年度に税収は97年度と比べて、所得税収と法人税収の合計額が6兆5000億円もの税収減となり、失業者数は300万人を超えた。

 その後、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権で、郵政民営化や規制緩和などが行われ、景気も米国のITバブルなど、海外の好況に引っ張られるように回復、「いざなみ景気」とも呼ばれた。

 当時、構造改革の成果といわれたが、実はその裏で金融緩和をしていたのはあまり知られていない。経済の好調で急速に財政再建も進んだ。

 だが、2008年9月のリーマンショックで、新たな危機が世界を襲い、日本経済も再び奈落の底に突き落とされた。

 この時もマクロ政策の失敗が、事態を深刻化させた。

 金融緩和と積極財政が求められたが、日銀財務省もできなかった。まるで、両者がともにバブル後の対応を誤ったのと同じ光景を、ほぼ20年後に再び見ることになり、情けなかった。

 リーマンショックからほどなく誕生したのが民主党鳩山政権だった。戦後初の本格的な政権交代に、国民は大いに期待した。

 経済環境も、リーマンショック後の「最悪」からのスタートなので、放っておいても最悪よりは悪くならないという、政権交代の成果を示す絶好の環境だった。

 これについて、「死んだネコでもたたきつければ跳ね返る」と、欧米でもよく言われる表現がある。

 実際、鳩山政権で経済は最悪時よりマシになったが、回復のペースは芳しくなかった。日銀が信じがたい行動をとったからだ。

 大きな経済ショックへの対応策は、まずは大胆な金融緩和だ。

 実際に、欧米の中央銀行はリーマンショック直後、猛烈な金融緩和を行った。

 その結果、通貨量も大きく増加した。その時、日本銀行の動きは鈍かった。

 その結果、円は猛烈に高くなった。円が他国通貨に比べて相対的に少なくなったので、その価値が高くなったのだ。

 リーマンショック自体からは、日本は欧米に比べて大きなダメージを受けなかったにもかかわらず、円の「独歩高」で、日本の輸出企業が打撃を受けることになり、日本経済を急降下させた。

 これは、典型的な政策対応ミスだった。財政政策では鳩山政権でもそこそこ予算規模を継続したのでまずまずだったが、円高が全てをぶち壊した。

 民主党政権のもとでは、その後の東日本大震災も相まって、日本経済は再び苦境に立たされた。

 雇用の改善もできずに期待外れで、東日本大震災があったとしても、復興増税は古今東西を問わず「悪政」だ。

 選挙のマニフェストにはなかった消費増税路線に急転換したことも、普天間基地の県外移転を言った「普天間の迷走」とともに、政権交替は間違いだったと国民に思わせることになったのではないか。

● 「平成」の歴史に学べば 「令和」元年の消費増税は撤回を

 「平成」の最後に登場した第二次安倍政権は、アベノミクスで、金融緩和と積極財政で民主党政権時代の「悪夢」は振り払った。

 なにより雇用が改善したのはいいことだ。若い世代の就職環境は格段に良くなったので、安倍政権は若い世代の支持率が高い。

 ただし、税率を8%にした2014年4月の消費増税は失敗だ。

 これで景気の腰を折ったにもかかわらず、内閣府はいまだに消費増税による景気後退を認めていないのは、まずい。

 消費税は、平成になってから4ヵ月後に3%で導入されたが、97年4月の3%から5%の増税と14年4月の8%への増税は失敗だ。そのために平成時代はデフレを脱却できないままだった。

 新元号に沸くのはいいが、我々を待ち構えるのは10月の増税だ。

 8%から10%への消費増税が予定されているが、「令和」になってから5ヵ月後である。

 日銀短観によると、景気は今年に入り減退気味ともいう。新しい時代に向けて、財務省がすべきことは何か。

 「令和」の時代が平成デフレの二の舞にならないにならないようにするためには、消費増税の撤回が必要である。これこそが、財務省が歴史に学んで、いますべきことだ

 (嘉悦大学教授 高橋洋一)


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