2013. 3/21 1230
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その22
「禅師の君、『この春初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ聞き侍りし』とて、見ぬことなればこまかには言はず。『あはれなりけることかな。いかなる人にかあらむ。世の中を憂しとてぞ、さる所には隠れ居けむかし。昔物語の心地もするかな』とのたまふ」
――禅師の君が、「この春に尼君たちが初瀬の寺に詣でての帰りに、不思議なことで見つけた人だと聞きました」とだけ言って、わが目で見たのではないので、それ以上の詳しいことは言いません。中将が、「不憫なことですね。どのような生い立ちの人であろうか。世間が厭だという訳で、そのような宇治(憂し)に隠れ住んでいたのだろうか。昔物語にでもありそうな心地がするものだ」とおっしゃる――
「またの日帰り給ふにも、『過ぎ難くなむ』とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれど、をかし。いとどいや目に、尼君はものし給ふ。物がたりのついでに、『忍びたるさまにものし給ふらむは、誰にか』と問ひ給ふ」
――次の日お帰りになる時にも、「素通りも、致しかねまして」と言って、お立ちよりになりました。ここ小野でも心づもりをしていましたので、おもてなしも故姫君が思い出されるように整え、少将の袖口は今では鈍色と変ってはいますが、それも風情があります。尼君はまたも涙ぐまれた目でおいでになります。話のついでに中将が、「人目を忍んでいるようにお過ごしのお方は、どなたですか」と訊ねられます――
「わづらはしけれど、ほのかにも見つけ給うてけるを、隠し顔ならむもあやし、とて、『忘れわび侍りて、いとど罪深うのみ覚え侍りつるなぐさめに、この月ごろ見給ふる人になむ。いかなるにか、いとものおもひ繁きさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰かはたづねきこえむ、と思ひつつ侍るを、いかでかは聞きあらはさせ給ひつらむ』と答ふ」
――(尼君は心の中で)面倒なことではあるけれども、ちらとでもお眼に止まったからには、隠し通せることでもないと思って、「亡き娘のことばかり忘れかねて、この世に未練を残すのも罪深いことと思いつづけておりましたが、その心の慰めにもと、近頃お世話している人でございます。どのような事情がありますのか、たいそう物思いの多い様子で、この世に生きていると人に知られることを、ひどく辛そうに思っておられるようです。このような山奥に居れば誰にも気づかれまいと思っておりましたのに、どうしてお聞き出でになられたのでしょう」とお答えになります――
「『うちつけ心ありて参り来むだに、山深き道のかごとは聞えつべし。まして思しよそふらむ方につけては、ことごとに隔て給ふまじきことにこそは。いかなる筋に世をうらみ給ふ人か。なぐさめきこえばや』など、ゆかしげにのたまふ」
――(中将は)「ほんの気まぐれで参上したとしましても、このような山奥までわざわざお訪ねして来たのですから、感謝こそされても、疎まれることはないでしょう。ましてや、亡き姫君の身代わりとまでお思いなら、私にもまんざら他人とは思えません。どういう訳で世を厭っていらっしゃるのでしょう。お慰め申し上げたいものです」などと、詳しく知りたい風におっしゃる――
では3/23に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その22
「禅師の君、『この春初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ聞き侍りし』とて、見ぬことなればこまかには言はず。『あはれなりけることかな。いかなる人にかあらむ。世の中を憂しとてぞ、さる所には隠れ居けむかし。昔物語の心地もするかな』とのたまふ」
――禅師の君が、「この春に尼君たちが初瀬の寺に詣でての帰りに、不思議なことで見つけた人だと聞きました」とだけ言って、わが目で見たのではないので、それ以上の詳しいことは言いません。中将が、「不憫なことですね。どのような生い立ちの人であろうか。世間が厭だという訳で、そのような宇治(憂し)に隠れ住んでいたのだろうか。昔物語にでもありそうな心地がするものだ」とおっしゃる――
「またの日帰り給ふにも、『過ぎ難くなむ』とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれど、をかし。いとどいや目に、尼君はものし給ふ。物がたりのついでに、『忍びたるさまにものし給ふらむは、誰にか』と問ひ給ふ」
――次の日お帰りになる時にも、「素通りも、致しかねまして」と言って、お立ちよりになりました。ここ小野でも心づもりをしていましたので、おもてなしも故姫君が思い出されるように整え、少将の袖口は今では鈍色と変ってはいますが、それも風情があります。尼君はまたも涙ぐまれた目でおいでになります。話のついでに中将が、「人目を忍んでいるようにお過ごしのお方は、どなたですか」と訊ねられます――
「わづらはしけれど、ほのかにも見つけ給うてけるを、隠し顔ならむもあやし、とて、『忘れわび侍りて、いとど罪深うのみ覚え侍りつるなぐさめに、この月ごろ見給ふる人になむ。いかなるにか、いとものおもひ繁きさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰かはたづねきこえむ、と思ひつつ侍るを、いかでかは聞きあらはさせ給ひつらむ』と答ふ」
――(尼君は心の中で)面倒なことではあるけれども、ちらとでもお眼に止まったからには、隠し通せることでもないと思って、「亡き娘のことばかり忘れかねて、この世に未練を残すのも罪深いことと思いつづけておりましたが、その心の慰めにもと、近頃お世話している人でございます。どのような事情がありますのか、たいそう物思いの多い様子で、この世に生きていると人に知られることを、ひどく辛そうに思っておられるようです。このような山奥に居れば誰にも気づかれまいと思っておりましたのに、どうしてお聞き出でになられたのでしょう」とお答えになります――
「『うちつけ心ありて参り来むだに、山深き道のかごとは聞えつべし。まして思しよそふらむ方につけては、ことごとに隔て給ふまじきことにこそは。いかなる筋に世をうらみ給ふ人か。なぐさめきこえばや』など、ゆかしげにのたまふ」
――(中将は)「ほんの気まぐれで参上したとしましても、このような山奥までわざわざお訪ねして来たのですから、感謝こそされても、疎まれることはないでしょう。ましてや、亡き姫君の身代わりとまでお思いなら、私にもまんざら他人とは思えません。どういう訳で世を厭っていらっしゃるのでしょう。お慰め申し上げたいものです」などと、詳しく知りたい風におっしゃる――
では3/23に。