永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1224)

2013年03月09日 | Weblog
2013. 3/9    1224

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その16

「尼君ぞ、月などあかき夜は、琴など弾き給ふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ。『かかるわざはし給ふや。つれづれなるに』など言ふ。昔も、あやしかりける身にて、心のどかに、さやうのことすべき程もなかりしかば、いささかをかしきさまならずも生ひ出でにけるかな、と、かくさだ過ぎにける人の、心をやるめる折々につけては思ひ出づ」
――尼君は、月の明るい夜などは琴を、少将の尼君などという人は琵琶を弾いたりなさいます。そして「あなたもこのような遊びをなさいますか。退屈でいらっしゃるでしょう」などと言います。浮舟は、自分は不運の身で、昔ものんびりと音楽を習う折とてなかった。ほんのちょっとした優雅なところもなく、これまで過ごしてきたものだ、と、わびしさがこみ上げて来て、このような盛りを過ぎた尼たちが慰みに琴を弾く折々につけても、幼いころを思い出すのでした――

「なほあさましくものはかなかりける、と、われながら口惜しければ、手習いに、『身をなげし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし』思ひのほかに心憂ければ、行く末もうしめたく、うとましきまで思ひやらる」
――やはり自分は何の取り柄もない身であると、われながら口惜しく、いたずら書きのついでに、(歌)「悲しさのあまり、早瀬に身を投げたものを、だれが邪魔をして救ってくれたのでしょうか。恨めしいこと」と、助けられたことが辛く、何ごとも心に叶わぬ身ゆえ、これから先もいったいどうなるのかと愛想も尽き、不安が募ってくるのでした――

「月のあかき夜な夜な、老人どもはえんに歌よみ、いにしへ思ひ出でつつ、さまざまのものがたりなどするに、いらふべき方もなければ、つくづくとうちながめて、『わらえかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月のみやこに』今はかぎりと思ひはあてし程は、こひしき人多かりしかど、こと人々はさしも思ひ出でられず」
――月の明るい夜毎、年老いた尼君たちは、風雅にうたを読んだり、過ぎ去った昔を偲んだりして、さまざま話にうち興じていますが、浮舟はその中にも入りようがないので、ひとりしみじみと思い沈んで、(歌)「自分がこうしてこの世に生きていようとは、都では誰一人知らない」いよいよもう最後と決心した折は、恋しい人も大勢いましたが、今では他の人々はそれほどには思い出されない――

「ただ、親いかに惑ひ給ひけむ、乳母、よろづに、いかで人なみなみになさむと思ひ焦られしを、いかにあへなき心地しけむ、おなじ心なる人もなかりしままに、よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近なども、折々は思ひ出でらる」
――ただ母君がどんなに悲しまれただろう、乳母は万事につけて、何とかして私を一人前の良い縁組をと気を揉んでいたのに、私が急に居なくなってどんなに落胆しているかしら。宇治に居た頃は特に気の合った話相手もなかったので、何ごとによらず心おきなく話し合い、親しくしていた右近のことなども、時折りは切なく思い出されるのでした――

「若き人の、かかる山里に、今はと思ひたえ籠るは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼七八人ぞ、常の人にてはありける」
――若い娘がこのような淋しい小野の山里に、世をあきらめて籠りきるのは難しいことですので、ここには年老いた尼君七、八人だけが、いつもここに居る人達なのでした――

では3/11に。