2012. 10/11 1163
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その3
「いたくわづらふとも聞かず、日ごろなやましとのみありしかど、昨日の返りごとはさりげもなくて、常よりもをかしげなりしものを、と、思しやるかたなければ、『時方行きてけしき見、たしかなること問ひ聞け』とのたまへば」
――浮舟がひどい病気だとも聞かないし、近頃気分がすぐれないとは言っていたものの、昨日の返事にはそのような様子もなく、常よりも趣き深いものでしたので、匂宮にはご想像もつきません。「時方、そなたが行って様子を見たうえで、確かなことを聞いてくるように」と仰せになりますと――
「『かの大将殿、いかなることか、聞き給ふこと侍りけむ、宿直する者おろかなり、など、いましめ仰せらるる、とて、下人のまかり出づるをも、見とがめ伺ひ侍るなれば、ことづくることなくて、時方まかりたらむを、ものの聞こえ侍らば、思し合はすることなどや侍らむ。さてにはかに人の亡せ給へらむところは、論なうさわがしう、人しげく侍らむを』と聞ゆ」
――(時方は)「あちらの薫大将殿が、どのようなことをお聞きになりましたのか、宿直の者が怠慢である、などと御叱責になるというので、ただ今では、あのお邸の下人が出入りするのまで、きびしく問い糺すと申します。そのような所へ私が何の口実もなしに参りまして、それが万一大将殿のお耳に入りましたならば、秘密をかぎつけられるような事になるかも知れません。それにそんな風に急に人が亡くなられたような所では、お邸はさぞかしお取り込み中で、人の出入りも多ございましょうに」と申し上げます――
「『さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なおとかくさるべきさまに構へて、例の、心知れる侍従などに逢ひて、いかなることをかく言ふぞ、と案内せよ。下衆はひがごともいふなり』とのたまへば、いとほしき御けしきもかたじけなく、夕つ方行く」
――(匂宮が)「そうかといって、このまま事情が分からずにいられようか。やはりそこを何とか工面して、例の事情を知っている侍従にでも会って、一体どうしてそう騒ぐのかと聞きただしてみよ。下人はよく間違ったことを言うものだから」と仰せになりますので、時方は匂宮のお気の毒なご様子ももったいなくて、夕方宇治に出かけます――
「かやすき人は、とく行き着きぬ。雨少し降りやみたれど、わりなき道にやつれて、下衆のさまに来たれば、人多く立ち騒ぎて、『今宵やがて、をさめたてまつるなり』などいふを、聞く心地もあさましくおぼゆ」
――時方のような身分の軽い者は出歩きが簡単ですので、間もなく宇治に行きつきました。雨は少し小止みにはなったものの、難儀な道中なので、服装をやつして、下人の風にして来ましたところ、人々が大勢立ち騒いでいて、「今晩すぐに、御葬送申すのです」などと言っているのを聞く心地も、ただただ呆れ果てるよりほかありません――
では10/13に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その3
「いたくわづらふとも聞かず、日ごろなやましとのみありしかど、昨日の返りごとはさりげもなくて、常よりもをかしげなりしものを、と、思しやるかたなければ、『時方行きてけしき見、たしかなること問ひ聞け』とのたまへば」
――浮舟がひどい病気だとも聞かないし、近頃気分がすぐれないとは言っていたものの、昨日の返事にはそのような様子もなく、常よりも趣き深いものでしたので、匂宮にはご想像もつきません。「時方、そなたが行って様子を見たうえで、確かなことを聞いてくるように」と仰せになりますと――
「『かの大将殿、いかなることか、聞き給ふこと侍りけむ、宿直する者おろかなり、など、いましめ仰せらるる、とて、下人のまかり出づるをも、見とがめ伺ひ侍るなれば、ことづくることなくて、時方まかりたらむを、ものの聞こえ侍らば、思し合はすることなどや侍らむ。さてにはかに人の亡せ給へらむところは、論なうさわがしう、人しげく侍らむを』と聞ゆ」
――(時方は)「あちらの薫大将殿が、どのようなことをお聞きになりましたのか、宿直の者が怠慢である、などと御叱責になるというので、ただ今では、あのお邸の下人が出入りするのまで、きびしく問い糺すと申します。そのような所へ私が何の口実もなしに参りまして、それが万一大将殿のお耳に入りましたならば、秘密をかぎつけられるような事になるかも知れません。それにそんな風に急に人が亡くなられたような所では、お邸はさぞかしお取り込み中で、人の出入りも多ございましょうに」と申し上げます――
「『さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なおとかくさるべきさまに構へて、例の、心知れる侍従などに逢ひて、いかなることをかく言ふぞ、と案内せよ。下衆はひがごともいふなり』とのたまへば、いとほしき御けしきもかたじけなく、夕つ方行く」
――(匂宮が)「そうかといって、このまま事情が分からずにいられようか。やはりそこを何とか工面して、例の事情を知っている侍従にでも会って、一体どうしてそう騒ぐのかと聞きただしてみよ。下人はよく間違ったことを言うものだから」と仰せになりますので、時方は匂宮のお気の毒なご様子ももったいなくて、夕方宇治に出かけます――
「かやすき人は、とく行き着きぬ。雨少し降りやみたれど、わりなき道にやつれて、下衆のさまに来たれば、人多く立ち騒ぎて、『今宵やがて、をさめたてまつるなり』などいふを、聞く心地もあさましくおぼゆ」
――時方のような身分の軽い者は出歩きが簡単ですので、間もなく宇治に行きつきました。雨は少し小止みにはなったものの、難儀な道中なので、服装をやつして、下人の風にして来ましたところ、人々が大勢立ち騒いでいて、「今晩すぐに、御葬送申すのです」などと言っているのを聞く心地も、ただただ呆れ果てるよりほかありません――
では10/13に。