2012. 10/19 1167
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その7
「かかることどもの紛れありて、いみじうもの思ひ給ふらむ、とも知らねば、身を投げ給ひつらむ、とも思ひも寄らず、鬼や食ひつらむ、狐めくものや取りもて去ぬらむ、いと昔物語のあやしきもののことのたまひにか、さやうなることも言ふなりし、と思ひ出づ」
――(浮舟が)この頃、匂宮とのことで込み入った訳があって、ひどく物思いに沈んでおいでになったとは、母君は知りませんので、身投げなさったとは思いもよらず、鬼が食ったのか、狐のようなものがさらって行ったのか、昔話には不思議な話の例などに、そんなふうなこともあった、
などと思い出すのでした――
「さては、かのおそろしと思ひきこゆるあたりに、心などあしき御乳母やうの者や、かう迎へ給ふべし、と聞きて、めざましがりて、たばかりたる、人もやあらむ、と、下衆などを疑ひ、『今参りの心知らぬやある』と問へば、」
――さてはあの、かねて恐ろしいと思っています、大将殿の北の方のあたりに、腹黒い御乳母などが居て、薫がこうして浮舟を京へ迎えられると聞いて、腹立たしく心外なことと思い、何か手を回したのではあるまいかとも思って、下人などを疑って、「新参の者で、気心の知れないのが居はすまいか」と問うと――
「『いと世離れたりとて、ありならはぬ人は、ここにてはかなきこともえせず、今とく参らむ、と言ひつつなむ、皆そのいそぐべきものどもなど取り具しつつ、かへり出で侍りにし』とて、もとよりある人だに、かたへはなくて、いと人ずくななる折になむありける」
――(侍女が)「ここは遠く京を離れた不便な土地だというので、住み馴れない者(新参者)は、ここではちょっとした用事もできず、じきに戻って参ります、と言っては、皆京へ引き移る用意の物などを持って帰って行ってしまいました」ということで、もとから居る侍女でさえ、一部は居なくなっていて、まことに人不足な折なのでした――
「侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、『身をうしなひてばや』など泣き入り給ひし折々のありさま、書きおき給へる文をも見るに、「なきかげに」と書きすさび給へるものの、硯の下にありけるを見つけて、河の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、うとましく悲し、と思ひつつ」
――その中でも侍従などは、近頃の浮舟のご様子を思い出して、「いっそ死んでしまいたい」などと泣き入られた折々の様子、また、母君へ書き遺された御文をみますと、「亡き影に」と書き流されたものが硯の下にありましたので、宇治川の方を眺めやりながら、荒々しい響きを立てて流れる水の音を聞くにつけても、気味悪く悲しい、と思いながら――
「『さて亡せ給ひけむ人を、とかく言ひ騒ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる方になり給ひにけむ、と、思し疑はむも、いとほしきこと』と言ひ合はせて…」
――そんな風に亡くなられた方を、あれこれ騒ぎ立てて、あちらでもこちらでも、一体どういう風にお亡くなりになったのかとお疑いになっては、姫君がお気の毒なことですもの」と、侍従は右近と相談して…――
では10/21に
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その7
「かかることどもの紛れありて、いみじうもの思ひ給ふらむ、とも知らねば、身を投げ給ひつらむ、とも思ひも寄らず、鬼や食ひつらむ、狐めくものや取りもて去ぬらむ、いと昔物語のあやしきもののことのたまひにか、さやうなることも言ふなりし、と思ひ出づ」
――(浮舟が)この頃、匂宮とのことで込み入った訳があって、ひどく物思いに沈んでおいでになったとは、母君は知りませんので、身投げなさったとは思いもよらず、鬼が食ったのか、狐のようなものがさらって行ったのか、昔話には不思議な話の例などに、そんなふうなこともあった、
などと思い出すのでした――
「さては、かのおそろしと思ひきこゆるあたりに、心などあしき御乳母やうの者や、かう迎へ給ふべし、と聞きて、めざましがりて、たばかりたる、人もやあらむ、と、下衆などを疑ひ、『今参りの心知らぬやある』と問へば、」
――さてはあの、かねて恐ろしいと思っています、大将殿の北の方のあたりに、腹黒い御乳母などが居て、薫がこうして浮舟を京へ迎えられると聞いて、腹立たしく心外なことと思い、何か手を回したのではあるまいかとも思って、下人などを疑って、「新参の者で、気心の知れないのが居はすまいか」と問うと――
「『いと世離れたりとて、ありならはぬ人は、ここにてはかなきこともえせず、今とく参らむ、と言ひつつなむ、皆そのいそぐべきものどもなど取り具しつつ、かへり出で侍りにし』とて、もとよりある人だに、かたへはなくて、いと人ずくななる折になむありける」
――(侍女が)「ここは遠く京を離れた不便な土地だというので、住み馴れない者(新参者)は、ここではちょっとした用事もできず、じきに戻って参ります、と言っては、皆京へ引き移る用意の物などを持って帰って行ってしまいました」ということで、もとから居る侍女でさえ、一部は居なくなっていて、まことに人不足な折なのでした――
「侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、『身をうしなひてばや』など泣き入り給ひし折々のありさま、書きおき給へる文をも見るに、「なきかげに」と書きすさび給へるものの、硯の下にありけるを見つけて、河の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、うとましく悲し、と思ひつつ」
――その中でも侍従などは、近頃の浮舟のご様子を思い出して、「いっそ死んでしまいたい」などと泣き入られた折々の様子、また、母君へ書き遺された御文をみますと、「亡き影に」と書き流されたものが硯の下にありましたので、宇治川の方を眺めやりながら、荒々しい響きを立てて流れる水の音を聞くにつけても、気味悪く悲しい、と思いながら――
「『さて亡せ給ひけむ人を、とかく言ひ騒ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる方になり給ひにけむ、と、思し疑はむも、いとほしきこと』と言ひ合はせて…」
――そんな風に亡くなられた方を、あれこれ騒ぎ立てて、あちらでもこちらでも、一体どういう風にお亡くなりになったのかとお疑いになっては、姫君がお気の毒なことですもの」と、侍従は右近と相談して…――
では10/21に