永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1170)

2012年10月25日 | Weblog
2012. 10/25    1170

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その10

「『ながらへては、誰にも、しづやかに、ありしさまをも聞えてむ。ただ今は、悲しささめぬべきこと、ふと人伝に聞し召さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし』と、この人二人ぞ、深く心の鬼添ひたれば、もて隠しける」
――(右近らは)「歳月が経ったならば、どなたにもゆっくりと事情をお話申しあげましょう。今は、いずれの御方にも、悲しさも醒めてしまいそうな自殺の事などを、人伝にでもお聞きになるようなことがあっては、やはりきっとご迷惑なことになりましょう」と、右近と侍従の二人は、ひどく心の鬼に咎められますので、ひた隠しに隠すのでした――

「大将殿は、入道の宮のなやみ給ひければ、石山に籠り給ひて、騒ぎ給ふころなりけり。さて、いとどかしこをばおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、さなむ、といふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使ひのなきを、人目も心憂しと思ふに、御庄の人なむ参りて、しかじかと申させければ、あさましき心地し給ひて、御使ひ、そのまたの日、まだつとめて参りたり」
――薫大将殿は、母宮の女三宮がご病気になられたので、ご病気平癒のため石山に参籠されて、何かとお取り込み中のところでした。そこで宇治のことも気にかけておられましたが、はっきりとこれこれのことでした、と申し上げる人もいませんでしたので、宇治では、このような一大事の折に、真っ先に薫からお使いがないことを、世間体にも辛いと思っているところに、荘園の人が石山に参上して、こうこうと取り次ぎから申しあげさせましたので、薫はただただ呆れ果てて、使者を遣わして、その翌日まだ早暁に宇治に伺いました――

「『いみじきことは、聞くままにみづからものすべきに、かくなやみ給ふ御ことにより、つつしみt、かかるところに日を限りて籠りたればなむ。昨夜のことは、などか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを、いと軽らかなるさまにて、いそぎせられにける。とてもかくても、同じいふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山がつの謗りをさへ負ふなむ、ここのためもからき』など、かのむつまじき大蔵の大夫してのたまへり」
――「そのような一大事には、聞くなりすぐに自分が出掛けるべきだが、このように母君のご病気平癒のため、石山に日数を決めて参籠しているので、すぐに参るわけにはいきません。昨夜の葬送はこちらに知らせて、日を延ばしてでもする筋なのに、なぜ、そのように手軽に急いで済ませれたものか。どのみち甲斐のないことではあるが、一生の終わりの葬式について、田舎者から悪口まで言われるとは、自分のために辛いことだ」などと、あの御信任厚い大蔵の大夫を使者として仰せになります――

「御使ひの来たるにつけても、いとどいみじきに、聞こえむかたなきことどものなれば、ただ涙におぼほれたるをかごとにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ」
――御使者が参ったにつけましても、皆ますます悲しみが増さりますが、申し上げようもないことですので、ただ涙にくれて言葉も出ないということを口実にして、はっきりお答えせずに済ませてしまったのでした――

では10/27に。