2012. 10/13 1164
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その4
「右近に消息したれども、え逢わず。『ただ今ものおぼえず、起き上がらむ心地もせでなむ。さるは、今宵ばかりこそは、かくも立ち寄り給へめ、え聞かぬこと』と言はせたり。『さりとて、かくおぼつかなくては、いかが帰りまゐり侍らむ。いま一所だに』とせちに言ひたれば、侍従ぞ逢いたりける」
――(時方が)右近に会いたいと申し入れましたが、会うことができません。「今はあまりのことに分別さえ失って、起き上がる気力さえありません。もっともあなたがこうしてお立ちより下さるのも今宵かぎりでしょうに、お目にかかれないのは残念でございます」と取り次ぎの者に言わせます。時方がなおも、「そうかといって、このように訳がわからなくては、どうして帰参できましょう、せめてもうお一方(侍従)にでも」と、強いて言いましたところ、やっと侍従が会うことになりました――
「『いとあさましく、思しもあへぬさまにて亡せ給ひにたれば、いみじと言ふにも、あかず夢のやうにて、誰も誰もまどひ由を申させ給へ。すこしも心地のどめ侍りてなむ、日ごろもものおぼしたりつるさま、一夜、いと心苦しと思ひ聞えさせ給へりしありさまなども、聞えさせ侍るべき。このけがらひなど、人の忌み侍るほど過ぐして、今ひとたび立ち寄り給へ』と言ひて、泣くこといといみじ」
――(侍従は)「本当に何と申しましたらよいのでしょう。ご想像も及ばぬ状態でお亡くなりになりましたので、悲しいと申すのも、あまりにあっけなく夢のようで、一同途方に暮れております旨を、どうぞ匂宮に申し上げてくださいませ。もう少し気分も落ち着きましてから、浮舟さまがこの頃、始終物思いに沈んでいらっしゃったご様子や、先夜、宮様をお通し出来ず、たいそうお気の毒にお思い申しておられたことなど、お聞かせ申し上げましょう。死人の穢れや何やら、人が不吉とします期間が過ぎましてから、もう一度お立ち寄りくださいまし」と言って、ただ泣きに泣くのでした――
「うちにも泣く声のみして、乳母なるべし、『あが君や、いづかたにかおはしましぬる。むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなく悲しくもあるかな。あけくれ見たてまつりてもあかずおぼえ給ひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむ、と、あしたゆふべに頼みきこえつるにこそ、命も延び侍りつれ』」
――家の中でも、人々の泣く声ばかりして、乳母であろうか、「ああ、お嬢様、いったいどちらへ行っておしまいになったのですか。亡きがらさえも拝せないとは、お側にいた甲斐もなく悲しゅうございます。明け暮れお見上げしていてさえ、拝し足りない感じで、いつになったら見がいのあるご境遇が拝せようか、はやくそうなれば良いと、朝夕それをひたすら頼りにしていましたからこそ、生き延びてもきましたものを…」――
◆けがらひなど=穢れなど
では10/15に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その4
「右近に消息したれども、え逢わず。『ただ今ものおぼえず、起き上がらむ心地もせでなむ。さるは、今宵ばかりこそは、かくも立ち寄り給へめ、え聞かぬこと』と言はせたり。『さりとて、かくおぼつかなくては、いかが帰りまゐり侍らむ。いま一所だに』とせちに言ひたれば、侍従ぞ逢いたりける」
――(時方が)右近に会いたいと申し入れましたが、会うことができません。「今はあまりのことに分別さえ失って、起き上がる気力さえありません。もっともあなたがこうしてお立ちより下さるのも今宵かぎりでしょうに、お目にかかれないのは残念でございます」と取り次ぎの者に言わせます。時方がなおも、「そうかといって、このように訳がわからなくては、どうして帰参できましょう、せめてもうお一方(侍従)にでも」と、強いて言いましたところ、やっと侍従が会うことになりました――
「『いとあさましく、思しもあへぬさまにて亡せ給ひにたれば、いみじと言ふにも、あかず夢のやうにて、誰も誰もまどひ由を申させ給へ。すこしも心地のどめ侍りてなむ、日ごろもものおぼしたりつるさま、一夜、いと心苦しと思ひ聞えさせ給へりしありさまなども、聞えさせ侍るべき。このけがらひなど、人の忌み侍るほど過ぐして、今ひとたび立ち寄り給へ』と言ひて、泣くこといといみじ」
――(侍従は)「本当に何と申しましたらよいのでしょう。ご想像も及ばぬ状態でお亡くなりになりましたので、悲しいと申すのも、あまりにあっけなく夢のようで、一同途方に暮れております旨を、どうぞ匂宮に申し上げてくださいませ。もう少し気分も落ち着きましてから、浮舟さまがこの頃、始終物思いに沈んでいらっしゃったご様子や、先夜、宮様をお通し出来ず、たいそうお気の毒にお思い申しておられたことなど、お聞かせ申し上げましょう。死人の穢れや何やら、人が不吉とします期間が過ぎましてから、もう一度お立ち寄りくださいまし」と言って、ただ泣きに泣くのでした――
「うちにも泣く声のみして、乳母なるべし、『あが君や、いづかたにかおはしましぬる。むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなく悲しくもあるかな。あけくれ見たてまつりてもあかずおぼえ給ひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむ、と、あしたゆふべに頼みきこえつるにこそ、命も延び侍りつれ』」
――家の中でも、人々の泣く声ばかりして、乳母であろうか、「ああ、お嬢様、いったいどちらへ行っておしまいになったのですか。亡きがらさえも拝せないとは、お側にいた甲斐もなく悲しゅうございます。明け暮れお見上げしていてさえ、拝し足りない感じで、いつになったら見がいのあるご境遇が拝せようか、はやくそうなれば良いと、朝夕それをひたすら頼りにしていましたからこそ、生き延びてもきましたものを…」――
◆けがらひなど=穢れなど
では10/15に。