永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1169)

2012年10月23日 | Weblog
2012. 10/23    1169

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その9

「大夫内舎人など、おどしきこえし者どもも参りて、『御葬送のことは、殿に事の由申させ給ひて、日さだめられ、いかめしうこそ仕うまつらめ』など言ひけれど、『ことさらに、今宵過ぐすまじ、いと忍びて、と思ふやうあればなむ』とて、この車を、むかひの山の前なる原にやりて、人も近うも寄せず、この案内知りたる法師のかぎりして焼かす。いとはかなくて、けぶりは果てぬ」
――薫の家来で、宇治の警護をした内舎人(うどねり)や、その婿の右近大夫などの、先日来、やかましい事を言って脅した者たちも集まってきて、「御葬送のことは、大将殿に事の次第を申し上げてから、日を改めて、厳かに取りおこなわれるべきでしょう」などと言いますが、右近は、「どうしても今宵のうちに行いたいのです。思う仔細がありまして」と言って、この車を向こうの山の前の野辺にやって、誰も近づけず、事情を知っている法師たちだけで、焼かせました。あっけない有様(死体が無いため)で、煙が立ち昇って弔いは終わりました――

「田舎人どもは、なかなかかかることを、ことごとしくしなし、言忌など深くするものなりければ、『いとあやしう、例の作法など、あることどももし給はず、下衆下衆しく、あへなくてせられぬることかな』と謗りければ、『かたへおはする人は、ことさらにかくなむ、京の人はし給ふなる』など、さまざまになむ安からず言ひける」
――田舎の人々は、却って葬式などは仰山に取り行い、言忌などの縁起をひどくかつぐものなので、「まことに妙なことだ。世間並みの葬儀など、当然すべき事もなさらず、下々の葬式のようにあっけないやり方で、済まされたことよ」と非難する者もいれば、「兄弟のおいでになる方は、わざとこのように略式に、京の人はなさるのです」などと、あれこれと、不安な気持ちで説明するのでした――

「かかる人どもの言ひ思ふことだにつつましきを、ましてもののきこえ隠れなき世の中に、大将殿わたりに、骸もなく亡せ給へり、と聞こし召さば、必ず思ほし疑ふこともあらむを、宮はた、同じ御なからひにて、さる人のおはしおはせず、しばしこそ、忍ぶとも思さめ、つひには隠れあらじ、また、さだめて宮をしも疑ひ聞こえ給はじ、いかなる人か率て隠しけむ、などぞ、思し寄せまうかし…」
――こういう人々の言葉や思惑さえ恥かしいのに、まして悪い噂はすぐさま広がるのが世の常のことですから、大将殿にしても、亡骸もないままお亡くなりになったとお聞きになりましたなら、必ず匂宮が関わっておられるとお疑いになることもありましょう。しかしまた、匂宮にしましても、薫と御同族の間柄で、浮舟らしい人の居る、居ないについて、当座のうちこそ、薫が隠して居るのではと、お思いになるかも知れませんが…――

「生き給ひての御宿世は、いとけだかくおはせし人の、げに亡きかげに、いみじきことをや疑はれ給はむ、と思へば、ここのうちなる下人どもにも、今朝のあわただしかりつるまどひに、けしきも見聞きつるには口かため、案内知らぬには聞かせじ、などぞたばかりける」
――生きておられた間は、まことに申し分のない御運勢の姫君が、成る程「亡き影に浮名流さむ…」の歌の詞のように、死後ひどいことを疑われなさるのかと思えば、この邸内の召し使いどもにも、今朝の慌ただしかった騒ぎの中に、見聞きした者には口止めをし、事情を知らぬ者には、聞かせぬようになどして、何かと工作するのでした――

では10/25に。