永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(146)その1

2016年10月01日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (146)その1  2016.10.1

「十七日、雨のどやかに降るに、方ふたがりたりと思ふこともあり、世中あはれに心ぼそくおぼゆるほどに、石山にをととし詣でたりしに、こころぼそかりし夜な夜な陀羅尼いと尊う読みつつ礼堂にをがむ法師ありき、問ひしかば、『去年から山ごもりして侍るなり。穀断ちなり』など言ひしかば、『さらば祈りせよ』とかたらひし法師のもとより言ひおこせたるやう、『いぬる五日の夜の夢に、御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に踏み、日をば胸にあてて抱きたまふとなん見てはべる。これ、夢解きに問はせ給へ』と言ひたり。」

◆◆十七日、雨がのどやかに降っているうえに、あの人の邸からこちらは方ふたがりだと思われるので訪れもないであろうと、しみじみ心細く身にしみて寂しく感じられるときに、
―石山寺に一昨年参詣したときに、心細い思いをしていた毎夜毎夜、陀羅尼経をたいそう尊げに読みながら、礼堂(らいどう)で礼拝している法師があったので、尋ねたところ、「去年から山籠りを続けているものです。穀断ちです」などと言ったので、「それでは私のためにお祈りをしてくだい」と頼んでのでした。その法師から言ってよこしたことは、「去る十五日の夜の夢に、奥方様が御袖に月と日を受けられ、その月を足の下に踏み、日を胸に当ててお抱きになっていると見ました。これを夢解きにお聞きください」と言ってきました。◆◆



「いとうたておどろおどろしと思ふに、疑ひそひて烏滸なる心ちすれば、人にも解かせぬ時しもあれ、夢あはする物来たるに、異人のうへにて問はすれば、うべもなく『いかなる人の見たるぞ』とおどろきて、『朝廷をわがままに、おぼしきさまの政せん物ぞ』とぞ言ふ。『さればよ、これが空あはせにあらず、言ひおこせたる僧の疑はしきなり。あなかま、いとにげなし』とて、やみぬ。」

◆◆なんて厭な、大げさなことと思うと、疑わしさも加わって、馬鹿馬鹿しい気持ちもするので、誰にも夢解きをさせずにおりました折も折り、夢判断をする者がきましたので、
他人のこととして夢解きを侍女に尋ねさせますと、案の定、「いったいどのような人が見たのですか」とびっくりして、「朝廷を意のままに動かし、思い通りの政治を行えるであろう。」ということを意味する夢だ、と言います。「ほらごらんなさい。この者が出鱈目を言っているのではなく、言ってよこしたあの法師が疑わしいのだわ。ああうるさい、とても考えられない。他言してはいけない。みっともないこと」として、それっきりにしてしまいました。◆◆


■方ふたがりたり=兼家邸から道綱母邸の方角が塞がっている(従って兼家は訪れないであろう)

■陀羅尼(だらに)梵語のまま読み上げる長文の呪。

■穀断ち=修行や祈願を貫くため、五穀を一切食べずに行う修業。

■烏滸なる心ち(をこなる心ち)=ばかばかしい心地。