永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1139)

2012年07月29日 | Weblog
2012. 7/29    1139

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その47

「昔よりこの河のはやくおそろしきことを言ひて、『先つころ渡守が孫の童、棹さしはづして落ち入り侍りにける。すべていたづらになる人多かる水に侍り』と人々も言ひあへり」
――昔からこの宇治川の流れが速くて危ないことを、女房たちも話して、「先頃も、渡守の孫の童が、棹をさし損ねて河に落ちました。落ちた者はおおかた命を落とす事の多い恐ろしい河です」と言い合っています――

「君は、さてもわが身行方も知らずなりなば、誰も誰も、あへなくいみじ、と、しばしこそ思う給はめ、ながらへて人わらへに憂きこともあらむは、いつかそのものおもひの絶えむとする、と思ひかくるには、さはりどころもあるまじく、さわやかによろづ思ひなさるれど、うちかへしいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、寝たるやうにてつくづくと思ひみだる」
――浮舟は、それにしても自分が行方知れずになったなたらば、誰もかれも(母君、薫、匂宮ら)敢え無く悲しいことと、しばらくはお嘆きになるだろう。でも生き長らえて、世の物笑いになるゆなことにでもなったなら、いったい何時物思いが尽きることか。そう考えていくと、今、死んでゆくことに何の障りもなく、そうすれば万事さっぱりするとは思われるものの、あれこれと行ったり来たり考えてみるとやはり悲しい。母君が自分の身の上を何かと案じて言い言いしている有様を、寝た振りをして聞いていて、つくづくと思い乱れていらっしゃる――

「なやましげにて痩せ給へるを、乳母にも言ひて、さるべき御いのりなどせさせ給へ、祭り祓などもすべきやうなど言ふ。御手洗川にみそぎせまほしげなるを、かくも知らでよろづに言ひ騒ぐ」
――浮舟がまるでご病気のように痩せていられるのを母君は心配して、乳母にも、どうぞご祈祷などもおさせになってください。祭りや祓などもこのように、などと言います。浮舟としては「恋せじと…」の歌のように、御手洗川に禊ぎをしたい思い(神は受けない)でも、母君はそれとは知らず、何かと騒いで世話をやいています――

「『かしこにわづらひ侍る人も、おぼつかなし』とて帰るを、いともの思はしく、よろづ心細ければ、また逢ひ見でもこそ、ともかくもなれ、と思へば、『心地の悪しく侍るにも、見たてまつらぬがいとおぼつかなく覚え侍るを、しばしも参り来まほしくこそ』と慕ふ」
――(母君が)「常陸の介の邸で患って(お産の娘)いる人のことも気懸りなので」といって帰りますのを、浮舟は物思いが多く、心細い時ですし、もうニ度と母君にお目にかかれずに死んでしまうかもしれないと、名残り惜しくて「気分が悪うございますし、お目にかからずに居るのは気懸りです。しばらくでも母君のお側に参っていとうございます」と慕うのでした――

◆御手洗川(みたらしがわ)=伊勢物語「恋せじと御手洗川にせし禊ぎ神は受けずもなりにけるかな」

では7/31に。