永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1133)

2012年07月17日 | Weblog
2012. 7/17    1133

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その41

「『先づかれを、人見ぬ程に』と聞こゆ。『今日はえきこゆまじ』とはじらひて、手習ひに、『里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住み憂き」
――侍従が「まず、匂宮へのご返事を。誰も見ませんうちに」と申し上げます。浮舟は「きょうはお返事は書けません」と、恥かしがって、手すさびのように、歌を「里の名の宇治(憂し)ということを、わが身の上だと感じておりますから、このあたりは、他よりもいっそう住みづらい気がします」と書くのでした――

「宮のかき給へりし絵を、時々見て泣かりけり。ながらへてあるまじきことぞ、と、とざまかうざまに思ひなせど、ほかに絶えこもりてやみなむは、いとあはれに覚ゆべし」
――浮舟は、匂宮がお描きになった絵を、ときどき取り出して見ては自然と涙が出てきます。匂宮との間は長く続く筈はないとあれこれ思い、諦めようとしてはみるものの、このまま他所へ行って、お目にかかれなくなってしまったなら、どんなに悲しいことであろうか、と思われるのでした――

「『かき暮らし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身をもなさばや、まじりなば』ときこえたるを、宮はよよと泣かれ給ふ。さりとも、こひしと思ふらむかし、と思しやるにも、もの思ひて居たらむさまのみ、面影に見え給ふ」
――浮舟からのお文に「あてもなく世をすごす私の身を、いっそあの真っ暗に曇って晴れない峰の雨雲にしてしまいたい、いっそ雲になってしまったならば…」とありましたのを、匂宮は御覧になって、涙をほろほろとお流しになってお泣きになります。そうは言っても、きっと私を恋しがっているだろうとお察しになるにつけても、あの物思いの姿ばかりが、目の前に浮かんでくるのでした――

「まめ人はのどかに見給ひつつ、あはれ、いかにながむらむ、と思ひやりて、いとこひし。『つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとど水かさまさりて』とあるを、うちも置かず見給ふ」
――いっぽう真面目な薫の方は、ゆったりと返事をお読みになって、ああ可哀そうに、浮舟はどんなに寂しくしていることだろうと、遥かに宇治の方を思いやって、しみじみと恋しく思うのでした。浮舟の返歌は「憂き身を思わせる雨がつれづれと止まずに降りますので、宇治の川水が増すばかりでなく、袖までもいよいよ涙でぬれることです」と書かれてあって、それを薫は下にも置かず眺めていらっしゃる――

◆まじりなば=古歌から2つ引く。
      ①白雲の晴れぬ雲居にまじりなばいずれかそれと君は訪ねむ
      ②行く舟の跡なき方にまじりなば誰かは水のあはとだに見ゆ

では7/19に。