2012. 7/21 1135
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その43
「『絵師どもなども、御随身どもの中にある、むつまじき殿人などを選りて、さすがにわざとなむせさせ給ふ』と申すに、いとど思し騒ぎて、わが御乳母の、遠き受領の妻にてくだる家、下つ方にあるを、『いと忍びたる人、しばし隠いたらむ』と語らひ給ひければ、いかなる人にかは、と思へど、大事と思したるに、かたじけなければ、『さらば』ときこえけり」
――その大内記が「絵師たちなども、御随身たちの中に居る者で、気心の知れた家来などを選んで、さすがに念入りなものを作らせておいでになります」と匂宮に申し上げますと、いっそう匂宮はお気持がいらいらなさって、ご自分の乳母で、遠国の受領の妻として下る者の家が、下京にあるのを、「ごく内密にしてある人を、しばらく匿いたいのだが」と御相談になります。受領はいったいどんな人だろうかと思うものの、匂宮がたいそう大事なことをお思いになっておられるご様子に、畏れ多くて、「どうぞ、お使いくださいまし」と申し上げます――
「これを設け給ひて、すこし御心のどめ給ふ。この月のつごもりがたに下るべければ、やがてその日わたさむ、と思し構ふ。『かくなむ思ふ。ゆめゆめ』と言ひやり給ひつつ、おはしまさむことはいとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母のいとさかしければ、難かるべき由をきこゆ」
――(匂宮は)この隠れ家をご用意なさって、少しほっとされました。乳母とその夫たちはこの月末ごろ、任地に赴く予定なので、すぐその日に、宇治から浮舟を移らせようと計画されています。「決して手ぬかりするな、決して」と御文を宇治にお遣わしになりますが、ご自身で宇治にお出向きになりますのはご無理で、また、宇治でも乳母がたいそうやかましいので、お迎えするにも何かと面倒な様子を申し上げるのでした――
「大将殿は、四月の十日となむ定め給へりける。さそふ水あらば、とは思はず、いとあやしく、いかにしなすべき身にかあらむ、と、浮きたる心地のみすれば、母の御許にしばしわたりて、思ひめぐらす程あらむ、と思せど、少将の妻、子産むべき程近くなりぬとて、修法読経など隙なく騒げば、石山にもえ出で立つまじ、母ぞこちわたり給へる」
――薫大将は、浮舟を迎える日取りを四月の十日とお決めになりました。浮舟は、浮き草のように「誘う水あらば」誰でもよいという気はせず、われながらもまことに怪しく、この身は一体どうしたらよいのだろうと、宙を踏んでいるような気持ちばかりしますので、母君の許へ行って、しばらくあれこれと考えるゆとりが欲しい、と思うのですが、あちらでは、少将の妻となった人のお産の日が近づいたというので、修法やら読経やらで隙も無く騒いでいますとかで、一緒に石山に詣でることさえ出来そうにもありません。そうこうしているうちに、母君の方から宇治に来られたのでした――
◆さそふ水あらば=古今集「わびぬれば身を浮き草の根を絶えて誘う水あらばいなむとぞ思う」
では7/23に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その43
「『絵師どもなども、御随身どもの中にある、むつまじき殿人などを選りて、さすがにわざとなむせさせ給ふ』と申すに、いとど思し騒ぎて、わが御乳母の、遠き受領の妻にてくだる家、下つ方にあるを、『いと忍びたる人、しばし隠いたらむ』と語らひ給ひければ、いかなる人にかは、と思へど、大事と思したるに、かたじけなければ、『さらば』ときこえけり」
――その大内記が「絵師たちなども、御随身たちの中に居る者で、気心の知れた家来などを選んで、さすがに念入りなものを作らせておいでになります」と匂宮に申し上げますと、いっそう匂宮はお気持がいらいらなさって、ご自分の乳母で、遠国の受領の妻として下る者の家が、下京にあるのを、「ごく内密にしてある人を、しばらく匿いたいのだが」と御相談になります。受領はいったいどんな人だろうかと思うものの、匂宮がたいそう大事なことをお思いになっておられるご様子に、畏れ多くて、「どうぞ、お使いくださいまし」と申し上げます――
「これを設け給ひて、すこし御心のどめ給ふ。この月のつごもりがたに下るべければ、やがてその日わたさむ、と思し構ふ。『かくなむ思ふ。ゆめゆめ』と言ひやり給ひつつ、おはしまさむことはいとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母のいとさかしければ、難かるべき由をきこゆ」
――(匂宮は)この隠れ家をご用意なさって、少しほっとされました。乳母とその夫たちはこの月末ごろ、任地に赴く予定なので、すぐその日に、宇治から浮舟を移らせようと計画されています。「決して手ぬかりするな、決して」と御文を宇治にお遣わしになりますが、ご自身で宇治にお出向きになりますのはご無理で、また、宇治でも乳母がたいそうやかましいので、お迎えするにも何かと面倒な様子を申し上げるのでした――
「大将殿は、四月の十日となむ定め給へりける。さそふ水あらば、とは思はず、いとあやしく、いかにしなすべき身にかあらむ、と、浮きたる心地のみすれば、母の御許にしばしわたりて、思ひめぐらす程あらむ、と思せど、少将の妻、子産むべき程近くなりぬとて、修法読経など隙なく騒げば、石山にもえ出で立つまじ、母ぞこちわたり給へる」
――薫大将は、浮舟を迎える日取りを四月の十日とお決めになりました。浮舟は、浮き草のように「誘う水あらば」誰でもよいという気はせず、われながらもまことに怪しく、この身は一体どうしたらよいのだろうと、宙を踏んでいるような気持ちばかりしますので、母君の許へ行って、しばらくあれこれと考えるゆとりが欲しい、と思うのですが、あちらでは、少将の妻となった人のお産の日が近づいたというので、修法やら読経やらで隙も無く騒いでいますとかで、一緒に石山に詣でることさえ出来そうにもありません。そうこうしているうちに、母君の方から宇治に来られたのでした――
◆さそふ水あらば=古今集「わびぬれば身を浮き草の根を絶えて誘う水あらばいなむとぞ思う」
では7/23に。