落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

アルバイト時代

2010年02月01日 | diary
大学生に「ふさわしい」バイトとは? 学校も苦慮

ぐりは大学4年間で全部で20種類くらいアルバイトをしている。
最初は書店、その次が居酒屋、それから警備員、絵画モデル、デザイン事務所、フィットネスクラブ、事務員、ガソリンスタンド、ラーメン屋、日本料理屋、宅配便、イベントコンパニオン、肖像画描き、デパ地下、コピー取り、テレビ番組のADなどなど。ちなみに学生バイトの定番、コンビニ・ファーストフード・ファミレスはなぜかやってない。水商売もやった。スナックのホステス。2日で辞めた。あまりにも向いてなさすぎたし、自分の学部の教授が常連だとゆーことが判明したので。
なんでそんなにお金が必要だったかとゆーと、美大とゆーところはほんっとーにお金がかかるところだったから。ぐりのうちは貧乏ではなかったので、生活・学業に最低限必要なお金はちゃんと仕送りしてもらっていたけど、学費とは別に材料費とゆーものがかかる。これがまた馬鹿みたいにかかる。そしてそれは決して節約なんかできない。そこ節約してたらアートやってる意味ないからさ。
あと、スキーやってたせいもあるね。ぐりは学生時代に大回転(グランド・スラロームとゆー。レースです)をやっていて。これがまたやたら金がかかる。ウェアだの道具だのいちいち高いし、合宿費だって高い。

そーゆーワケで、明けても暮れてもバイトばっかりしていた。学校が忙しくなると、学校が始まる前の早朝にできるバイトを探して働いた。
そうして稼いだお金で、カメラやらレンズやらフィルムやら絵具やらインクやら溶剤やら紙やら、大学で必要なものを買った。服や化粧にかけるお金はいつも足りなかったから、たいていは古着屋で買った安い服をどうにか工夫しておしゃれしていた。メイクなんかは就職活動が始まるまでロクにしなかった。旅行にも行かなかったし、宴会といえば学校の近所でお酒を買ってきて、工房で餃子を焼いたり寄せ鍋をしたりして騒いでいた。
それでもじゅうぶん楽しかった。まだ携帯電話もインターネットも普及してなかった。ゲームも一部の人しかしていなかった。今の学生と比べたら、ずいぶん生活環境が違うような気がする。でも楽しかったのだ。

そうして経験したバイトの中には、「ちょっとそれはどーか?」なものももちろんあった。けど、今振り返って、自分で学生にふさわしくないことをしたという意識はない。
ぐりにとって大学時代は、家という保護下から社会へ出て自立して生きていくための助走期間、モラトリアムだった。そのことを、最初からかなりはっきりと自覚して大学に入学していた。
だから、はなっから「この4年間にしたいことは全部してやろう」と決心して、思いついたことを何もかも、端から順番にやっていっただけだ。だって、社会に出たらほんとうに自分のしたいことなんてそうそうできなくなる。やるなら今のうちだ。
アルバイトはそれを可能にするために必要不可欠な手段だった。それ以上でも以下でもなかった。
だからまあ、就職が決まったときは「ああ、これで毎週目を皿にしてアルバイト情報誌をめくりたおさなくてもいいんだ」なんて、ちょっとほっとしたのも正直なところだったりもする。

ぐりが大学時代をすごしたころと、今の学生が過ごしている「学生時代」がどれくらい違うのか、ぶっちゃけぐりにはよくわからない。
先日、某超有名私立大の女子学生と話す機会があって、いろいろショーゲキ的な話を聞いて「へー」とか「ほー」とか思ったものだけど、ちょっと冷静になって考えてみると、ぐりが彼女くらいの年ごろのときだって、そんな某超有名私立大の子となんて話はあわなかったし。学生の分際でなんでそんなに高額な服やら靴やらバッグやらアクセサリーにウツツをぬかさにゃならんのか、1時間も2時間もかけてフーゾク嬢みたくコッテコテに化粧せにゃいかんのか、クラブやらホストやら無意味に金のかかる遊びに熱を上げにゃいかんのか、あのころだってさっぱり理解できなかったし、今だってわからない。年をとったってわかんないもんはわかんないんである。ケータイ代だってそんなに高いもんでもなかろーに。
だけど、どっちみち大学時代が社会に出て行く前のモラトリアムであることには変わりない。年齢的にはもう大人なんだし、何をしたって自己責任でいいんじゃないの?とぐりは思うけどね。水商売だってAV出演だって、やりたきゃやりゃあいいじゃん、と思う。ほっときゃいいじゃん。子どもじゃないんだもん。
大学がバイトを斡旋すんのはいいかもしんないけど、禁止したりして規制すんのにははっきりいって意味はないと思うし、いいことなんか何にもないと思うんだけど。

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待ち犬。

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