落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

美しい国を目指して

2010年02月02日 | movie
『泣きながら生きて』

1989年、上海出身の丁尚彪が日本の土を踏んだのは35歳のときだった。
文革期の下放政策のため満足な教育を受けられず、大学に行きたい一心から親戚や友人たちからやっとのことでかき集めた借金で入学金を支払った日本語学校は、北海道阿寒町、働き口もない過疎地だった。
学校を脱走し不法滞在者となった彼は東京に移り、上海に残してきた一人娘に勉学の道を託してひたすら働き続けた。その間15年、一度も故郷に帰ることなく・・・。
2006年にCX系で放送されたドキュメンタリー番組を、視聴者の大学生の企画で劇場公開。

ひとりっ子政策の中国では子どもが何よりも大切にされる。親は子どもに希望を託し、子どものためにできることは何でもしてしまう。
極端な格差社会から抜け出すべく、海外に生活の糧を求めて飛び出していく中国人も多い。現に東京でも、今どきどこのコンビニに入ってもファミレスやファーストフードや居酒屋に入っても、中国系の店員に出会わない店はほとんどない。電車に乗っても繁華街を歩いていても、必ずといっていいほど中国系の人に出会う。それくらい中国人が多い。
だから、この丁さん一家の話は、はっきりいえばそれほど珍しい話じゃないんだろうと思う。
現代の中国人たちの、無数の似たような汗と涙の物語の、そのうちのひとつに過ぎないのだろうと思う。
東京中にあふれる中国人労働者たちにも、多少の程度の差こそあれ、それぞれに丁さんと似たり寄ったりの事情があるのだろう。

人には誰にでも、平和で幸せな人生を求める権利がある。
親に三度三度きちんとした食事を食べさせたい、子どもにまっとうな教育を受けさせてやりたい、具体的な願いのひとつひとつは少しずつ違うかもしれないけれど、何も贅沢をしたいとか楽しく遊び暮らしたいというだけで、二度と再び家族に会えないかもしれないという危険を冒してまで故郷を捨てて異国へ出て行く人間はそうはいないだろう。中にはそーゆー人もちょっとはいるかもしらんけどね。現実には。けど多数派じゃあないと思う。
ぐりや、これを読んでいるあなたや、その隣の誰かと同じように、ビザを持たずに日本に滞在している(中国人だけじゃない)外国人労働者たちのひとりひとりにも、丁さんと変わりない、それぞれの生活と、人生と、希望がある。
映像を観ていて、そこまでをストレートに表現できないTV番組というメディアの不自由さがすごく気になった。
あと、丁さんがなぜ国内ではなく日本での勉学を志したのか、そこが明確でないのもひっかかる。地方の外国人留学生誘致政策の不備だけを糾弾するのは、ちょっとフェアじゃないんじゃないかなと。

作中でいちばん心を動かされたのは、13年ぶりに再会する妻のために、丁さんがはとバスの行程表を書き写している場面。
¥8,000の参加費を節約するため、彼は東京めぐりのコースを無料のパンフレットから写し、手のひらサイズの路線図をプラスティックの拡大鏡で覗きながら、一箇所一箇所、乗り換えルートをチェックしていた。
家賃を二万円浮かせるために風呂なしのぼろアパートに住み、台所の給湯器で髪を洗う丁さん。外で食べると高いからと、夕食を多めにつくって弁当箱につめる丁さん。不景気なのにみっつも仕事があってラッキーだと、昼は工場作業員、夜は料理人、あるいは清掃員として、早朝から深夜まで身を粉にして働いている丁さん。
まさに爪に火を灯す思いで稼いだ夫のお金を全部、娘の学費に貯めて、ひとりで上海の家を守ってきた妻のために、はとバスのパンフレットを書き写している丁さんのつつましさにはやっぱり感動してしまった。

来日して15年、髪もすっかり薄くなり、歯茎が痩せてきれいな歯並びもぼろぼろになった丁さんは、両手を合わせて飛行機の窓の外に飛び去る日本を拝んでいた。
彼が何を思って拝んでいたのかは、ぐりにはわからない。
彼はいったい、何を拝んでいたのだろう。彼にとっての日本は、いったい何だったのだろうか。
エンドクレジットの後で、テロップで丁さんはあたかも正規の手続きを経て帰国したかのような解説があったけど、放送当時の中国の報道ではまったく別なことが書かれている(ソース)。どちらが事実なのかは確かめようがないけど、こんな風に安易なハッピーエンドに収束させてしまったことで、丁さんの15年間の重さや、その他の在日外国人たちの抱えた重さが、どうしようもなく損なわれてしまったような気がするのが残念だった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿