落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

天才のラストダンス

2006年01月25日 | book
『カメレオンのための音楽』トルーマン・カポーティ著 野坂昭如訳
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カポーティは世界的に有名な大作家だが、邦訳されていて現在も一般に読める長編作品はどちらかといえば少ない。よく知られているのは映画化された『ティファニーで朝食を』、そして『草の竪琴』、ノンフィクション小説の巨編『冷血』、未完の遺作『叶えられた祈り』、そんなところだろう。デビュー作『遠い声 遠い部屋』(95年に映画化されているが日本未公開)は中篇といった方が妥当だろうし、『冷血』『~祈り』以外の他の作品もボリュームとしては軽いものだ。上記以外の邦訳は全て短編集である。
彼は弱冠19歳にしてセンセーショナルにデビューし文壇のスターとなったが、そのスキャンダラスな生活とあたら才能ゆえに文筆活動には苦労した。84年に亡くなるまでの実に40年間という長い作家生活の割りに、遺した作品の量が多くないのはそのせいだろうか。
『カメレオンのための音楽』はそんな彼が生前最後に出版した短編集。

ぐりはこのカポーティという人の小説が大好きなのだが、なぜかこれは今まで読む機会がなかった。なんでかな?すーっごいおもしろかったです。
これは一見すると小説ではない、スケッチ風のエッセイや対談集のようにも見える。事実アメリカではノンフィクションに分類されてるそーだ。でもよくよく読んでみるとそうではない。いささかのよどみもなく鮮やかに迸るような文体には明らかな再構成の痕が認めれられるし、それがまた巧みなリアリティの演出にもなっている。そこには一点のほころびもない。よく書けている。まさに天才カポーティらしい一冊です。
だがカポーティは『冷血』での成功の後『~音楽』を発表するまで14年間も小説を書けなかったし、『~祈り』に関してはついに脱稿に至らないまま死ぬことになった。それほどまでに彼を叩きのめした『冷血』の“重さ”と“衝撃”とそこへ残された“無力感”が、読んでいてひしひしとよくわかる。

第一章の「カメレオンのための音楽」はある情景のスケッチ風短編集。
カポーティの従来の短編を思わせる、かろやかでエキゾチックでチャーミングな、しかしぞっとするような狂気と悲しみを含んだ小説が6作品収められている。
なかで最も印象的なのは「くらくらして」。一読してすぐにカポーティ自身の私小説とわかるこの物語は決して不幸な話ではないのだが、同時にとてつもなく悲しい。その悲しさは人間なら誰でも身におぼえのある、だが日常にかまけて(あるいは直視するのを避けたいがために)忘れてしまうような性質の悲しみだ。悲しみそのものの存在が軽いからこそより悲しい。そんな悲しみを、これほど率直に描ける作家はカポーティぐらいしかいないかもしれない。

第二章「手彫りの棺」はアメリカ西部のある小さな町で起きた連続殺人事件を担当している刑事とカポーティの対談。
といっても実際にそんな刑事がいたわけではなく、作家が取材した複数の捜査関係者から得た情報を組み合わせて再構成した文章なのだそうだが、この映画のシナリオのような、インタビューのようなスタイルの臨場感が圧巻です。読んでいてもどこまでが事実でどこからが憶測、そしてどの部分が虚構なのかがまったくわからず、まるで迷路のなかで踊らされているような気分になってくる。
これが直接『冷血』の成功によって書かれた文章であることはまず間違いないだろう。だが作家はそこで満足はしなかった。いや、できなかったのかもしれない。

第三章「会話によるポートレート」はまさに見出しのまま、作家が実際にともに過ごした人物との会話を採録した短編7本。
ニューヨークの派遣ハウスキーパー、学校時代の同級生、故郷ニューオリンズの人々、凶悪殺人犯、ハリウッド女優など、さまざまな人が登場する。だがどの人物に対しても作家はまったく姿勢を変えていない。変えないからこそ、相手を描写しているようで、相手に反映されるカポーティ自身こそがくっきりと浮かび上がって見える、そんな文章になっている。
なかではやはりアル中気味の友人との昼食を描いた「見知らぬ人へ、こんにちは」、マリリン・モンローとの何気ないやり取りを綴った「うつくしい子供」、殺人犯ボビー・ボーソレーユへのインタビュー「そしてすべてが廻りきたった」が印象的だ。純粋さはこわれやすくはかないほどに純粋であり、その裏にある地獄の深さゆえにより美しく完璧にみえる、という矛盾が克明に描かれている。

カポーティという人物に対する評価はさまざまあるだろうけれど、ぐりはやっぱり作品を読むたびにこのひとは天才だと思うし、これだけの才能と作品を世界に遺してくれた神(そんなものがいるとして)には感謝せずにはおれないです。
おもしろかった。うん。
いよいよ『Capote』が楽しみになってきたよー。

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