落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

悲しかったこと

2023年07月09日 | diary

今年は1923年9月1日に起きた関東大震災からちょうど100年にあたる。

この未曾有の災害で10万人以上が犠牲になり、また、直後に広まった流言蜚語が原因となって殺害された朝鮮人は6,000人以上にも上る。この他、中国人や沖縄出身者など朝鮮人に間違えられて暴行を受け命を落とした人、社会主義者狩りによって殺された人々もいる。
今年9月1日には、現在の千葉県野田市で発生した福田村事件を題材にした劇映画が公開される。

このブログで何度か書いている通り、私は在日コリアン3世だ。
祖父母が渡日したのは関東大震災から数年後の1920年代後半〜1930年代と聞いているから、私自身と一連の虐殺事件には直接的な関わりはない。
でも、2011年の東日本大震災をきっかけに各地で災害復興支援ボランティアとして活動したとき、被災地で100年前とほとんど同じデマを何度も耳にした経験は、トラウマのような傷となって、心の底にこびりついて離れなくなった。

足掛け8年ほどになった活動で出会った人々の多くは、余所者のボランティアを快く迎え、心を開いて信頼してくれた。何も知らない私に漁業を教え、農業を教え、自然とともに暮らす生き様の輝きを見せてくれた。皆さんが私にしてくださったことには感謝しているし、信じられないほど素晴らしい出来事に遭遇した幸運の数々は、間違いなく一生の宝物だと思っている。

だけど、大災害の混乱の中で起きた犯罪やそれらしき現象をすべて朝鮮人や韓国人や中国人の仕業だと決めつけたり、自らきちんと確かめたわけでもない伝聞を無責任にふれまわる行為にはショックを受けたし、とても悲しかった。
不自由な被災生活で精神的に不安定になっていて、どこかの誰かを悪人に仕立てたくなる気分になってしまう、正常な判断力が働かないといった心理は理解したいと思う。とはいえ、そういう言葉を聞いた瞬間に背筋を走る、冷たく乾いたなんともいえない感触の恐ろしさと、反射的に「もう誰も信じられない」という孤独感に突き落とされる絶望感は、私自身の手ではどうしようもない胸の奥底にずっしりと座り込んでしまった。

その一方で、過ちを二度と繰り返すまいと遺骨を探して供養したり、記録を集めて研究を続けている人々もいる。
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹著)はとてもよくまとまっていて読みやすい本だったし、加藤さんご自身が催したフィールドワークには非常に感銘を受けた。別の方々が定期的に実施している横浜でのフィールドワークにも参加して、この事件に心を寄せてくれる人たちに出会えたことが純粋に嬉しかった。もうこういうことは絶対繰り返してはいけないと心に決めて、一生懸命とりくんでいる人たちがいるという事実が、嬉しかった。

今年は100年後にあたることもあってか各地でいろいろな行事が催されていて、先日、某所で行われた大規模なフィールドワークに参加してきた。
某所とぼかすのは、私がいまからこのフィールドワークをくさすからである。ぼかしてもわかる人にはわかると思うけど。

私はずっと、この地域のフィールドワークに参加したかった。都市部と違って現場と現場の間の距離が開いているエリアを一人で足でまわるのは難しいし、土地勘もなかった。なのでこの機会に参加できてラッキーだったのかもしれないけど、結果としては、とても残念な気持ちになってしまった。

このフィールドワークでは、殺された朝鮮人を弔った慰霊の場を中心にまわったのだが、どういうわけか、スピーカーは、その場その場で起きた虐殺事件の経緯の詳細にはほとんど触れず、遺体を埋めた場所で続いてきた慰霊祭や、朝鮮人の遺骨を掘り起こして慰霊碑を建てたいきさつや、そのために続けてきた調査活動など、被害の実相よりもその後の「私たち日本人が努めてきた成果」ばかり熱心に微に入り細にわたって説明を繰り返した。

いや、いいですよ。
それはそれで立派な活動です。
素晴らしいことです。

でもね。
「軍の指示には逆らえなかった」「朝鮮人を殺すよう指示された人たちも被害者」って、それはちょっと聞き捨てならなかった。

主催に在日コリアン系の組織が関わっているから、何を話してもわかってくれると思ったのかもしれない。
参加者に事件の被害者の関係者がいるかもしれないなんてことは、想定しなくてもいいと思ったのかもしれない。
ホントにそういう人がいたかどうかは知りませんが。

確かに私は、かつて日本人が朝鮮人にしてしまったことを忘れまいと、二度と繰り返すまいと真摯に活動している人たちのことを心から尊敬している。事件当時だってデマを信じることなく、朝鮮人をかばった人、匿った人がいたことの方が、殺害に加わった人たちよりももっと注目されてほしいとも思っている。
そのことを話したら、加藤直樹さんは「だからって日本人が犯した罪は相殺されない」といっていたけれど。

けど、今回のフィールドワークではどうしても、スピーカーや参加者の「他人事感」が異常に鼻についてしまった。

朝鮮人を殺したのは私じゃない。大昔の無知蒙昧な人たちや、横暴な帝国陸軍がやってしまったことと私たちは関係ない。
私たちはこんなに一生懸命、どこに朝鮮人が埋められたのか調べて、掘りあてて、立派な慰霊碑を建てた、慰霊祭も続けてきた。

・・・・・・で?
だから?
それで?

私は、皆さんがどんなに高邁な志をもってして活動していても、そこに当事者意識がなければなんの意味もないと思う。
災害が起きたとき、社会が混乱しているとき、人間がどれほど無知で愚かでどんなに非道なことも顧みない、恐ろしい生きものに変わってしまうのか、誰もがその当事者になり得るというリスクを我がこととしてしっかりと捉えていなければ、必死の調査活動も慰霊祭もなんの役にも立たない、ただの「悲惨で残虐な歴史エンターテインメント」で終わってしまう。

ひどいことがあったね、残酷だね、悲しいことだね。
事実を知って、忘れないように、次の世代に語り継ごうとしてる私たちって素敵。
それでは単なる「不幸ポルノ」の消費となんら変わりないのではないだろうか。

フィールドワークの途中で気分が悪くなった。吐き気がした。
途中で帰った人が他にもいたから、もしかすると、同じように感じた人がいたのかもしれない。

手間暇かけて準備したであろうせっかくのイベントが、なぜこんなことになってしまったのか、私は知らないし、正直にいって全然知りたくもない。
もっとはっきりいえば、今回参加したことはもう忘れてしまいたい。
ただただ寂しくなった。

歴史に学ぶことの目的は、過去の人々が犯した誤りと同じ轍を踏まないということではないのだろうか。
それは、「自分も同じ轍を踏むかもしれない」という当事者意識なくして達成できるものなのだろうか。

私にはわからない。
わかる人がいたら、教えてほしい。
わりと真面目に。

 

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