ちよ旅、今回は日本のマチュピチュ・天空の城と言われる竹田城跡を訪れます。
遺構好きにとってこの日本屈指の山城遺構は、絶対に行きたいところのひとつです。
開業当時の形に改装された、東京駅丸の内北口ドームの天井です。(上)
東京駅からのぞみ103号で出発します。
列車旅の楽しみは、何と言っても駅弁です。
まずは、「あなご寿司三昧」です。(上)
3時間で姫路に着きました。
せっかくですので、約5年をかけて天守閣の修理を終えた姫路城を見に行きます。
最も変わったのは屋根の部分で、屋根瓦の継ぎ目に目地漆喰を使用したことです。
白鷺城は、前にも増して白く輝いていました。(上)
姫路城は戦争の空襲にも奇跡的に生き残り、現存12天守のひとつです。
先を急ぎますので、姫路城は写真を撮っただけです。
姫路駅に帰ると、名物の「明石焼き」がありました。(上)
たこ焼きに比べると中がとろとろで、だし汁をつけて食べます。
姫路から播但線のはまかぜ3号(左上)に乗って、竹田駅(右上)に着きました。
踏切を渡って駅裏登山道より、標高353mの山頂にある竹田城跡に挑みます。
この登山道は工事で通行止だったのですが、最近になって通れるようになりました。
これは登ってすぐのところにある、竹田城の城主や家臣たちの屋敷の遺構です。(左上)
険しい登山道ですが、昔の人も登城の折にはこの道を登ったと考えられています。(右上)
山頂に近づくにつれて、勾配がさらにきつくなります。
進んでは休みを何回も繰り返して、ようやく竹田城跡にたどり着きました。
1443(嘉吉3)山名氏と赤松氏との対立の中、最前線基地として但馬守護大名山名宗全が築城したとされています。
以後太田垣氏が7代にわたって城主となりますが、1580(天正8)羽柴秀吉の但馬征伐により落城します。
最後の城主赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われていますが、1600(慶長5)関ヶ原の役のあと廃城となっていきます。
山頂に石垣だけが残っている雰囲気から、規模は小さいものの日本のマチュピチュと呼ばれています。
秋から冬にかけて朝霧が発生し、雲海に包まれた竹田城跡はまさに天空の城となります。
帰りも舗装道路ではなく、表米神社登山道から下ります。
こちらもかなりの急勾配ですが、下りは少しは楽でなんとか無事に下りてきました。
登山道の名前のとおり、下りてくると表米神社に着きます。
境内には、土俵を囲んで六段の貴重な石積み相撲桟敷があります。(左上)
手前には舞台もあって、歌舞伎の見学にも使用されたと考えられます。
下りてきた表米神社の参道を、ふり返って見たところです。(右上)
当初の予定では、竹田城跡の全景が見渡せる立雲峡の展望台に登るつもりでしたが・・・。
思った以上に疲れ果てて、断念しました。
このあとはまかぜ6号で姫路に戻り、山陽新幹線で岡山に出て泊まりました。
―ちよ旅11竹田城跡・おわりー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます