豊橋からの帰り際、高速に向かう豊川を渡る橋で渋滞に会い、
最初は一番河口側の橋のある道を走っていたのですが、 渡るのを止めて手前を右折、
最初は一番河口側の橋のある道を走っていたのですが、 渡るのを止めて手前を右折、
川沿いに遡り河口より2つ目の橋に。 そこも渋滞していたのでさらに遡り、 結局河口より3つ目の橋を渡る事に。
渡り切り右折して走っていると、これまた迂回の通行止め。 どうやらお祭りが行われている様でした。
渡り切り右折して走っていると、これまた迂回の通行止め。 どうやらお祭りが行われている様でした。
広い道に出て走っていると一号線線沿いにある神社のお祭り風景に出くわしました。
みんなゆるやかな傾斜の芝の上で、何かが始まるのを待っているようでした。
高いやぐらが組まれ、電飾の様なものが張り巡らされていました。
その芝の風景が凄く懐かしく感じ、一瞬車を止めて参加しようと試みたのですが、どこもかしこも交通規制でそれもままならず、
神社の名前も書いていたのですが、ウサギの様な漢字で「なんてよむのかなぁ~」って言いながら、後ろ髪をひかれつつ一号線を高速に向かいました。
すると大きな音の昼花火。
帰ってからもその風景はずっと私の頭に残り、
たまたま家に立ち寄ってくれた、最近の奉納登山のお供をしていただいている友人にその話をしてみると、
きっとその神社に何かあるから一度ネットで調べてみたら・と言う事になり、解らない漢字と場所を手がかりに調べてみると・、
菟足(うたり)神社は手筒花火発祥の地でした。
この一帯に徐福伝説があったのには驚き!
今年の初めに三重尾鷲の徐福本当の上陸の場所と呼ばれている場所に呼び寄せられたばかりで、
たまたまのツナガリにびっくりしました。
このサイトには、熊野に渡来した徐福一行が、この地方に移り住みその子孫が秦氏を名乗っていると書いていました。
菟足神社には、昔から中国的な生贄神事が行われていて、それも何か熊野の神スサノオの動向にかぶります。
三河地方が古来から熊野地方とは海路による往来が行われ、熊野信仰の修験者により熊野に伝わる徐福伝承が伝えられた。また、小坂井町が交通の要地で、東西を往来する人達のなかからも徐福の故事が伝えられたとも書かれていました。
確かに地図を見てみると熊野と豊橋は海でツナがってすぐ近くに見えました。
熊野と豊橋は古来よりこんなに縁の深い場所だったんですね。
この時にたぶんこの神社に誘導され祭りを見させられのでしょう。
4・12は豊橋の土地の祭りの日だったのです。
その祭りの日にコンサートを開催していただき、
私が音を出せた事を心より感謝致します!
【行かせてもらう事】と【音を出させてもらう事】。
【行ける事】と【音を出せる事】は、
最近の私の音楽活動の中で本当に大きな意味を持ちます。
これが実現するだけですべてが成立する。
これが実現するだけですべてが成立する。
リハーサルが終わってあんな大きな虹が出たのも、
豊橋の土地に迎えていただいたと思っています。
この祭りのハレの日にお呼びいただき、
この祭りのハレの日にお呼びいただき、
少しでもお役に立てた事を心より感謝すると同時に、
心より光栄に思っています!
本当に今回は長一年間準備をしていただき、
本当に今回は長一年間準備をしていただき、
お招きしていただきました事を心より感謝致します。
ありがとうございました!