昨年の終い大師にいただいた厄落としの清算に、今日大阪は堺東に行かないといけない事になり、
まるで、「ここは雪国か・・・」と思わせられる程、雪の残る景色を眺めながら堺市街地に向かう。
その場所には色んな人が集結させられていて、処理が済むまでに3時間ほどかかり、ようやく解放されて外に出てふっ・と見上げると・・・
この25日に演奏予定の堺市役所の展望ロビー。
これは・・・、このタイミングで是非とも参拝させてもらわなければと思い立ち、
そこからすぐ近所の「仁徳天皇陵」にお参りして来ました。
ここからはあの鍵穴の片鱗も伺われません。
ただの杜です。
誰が上空から指導して造られたものでしょう。
五木博之「風の王国」の冒頭にも出て来る衝撃的なシーンの場所。
それがここです!
その小説上の設定では深夜の秘密儀式的なくだりですが、傍らには確かに宮内庁の係員の常駐所もあります。
昨年奉納演奏させてもらった大阪難波「高津宮」の宮司さんも、2月には一年に一度の皆さんの集結する参拝日があると言っていました。
お参りしていると、NPOの方が声をかけてくれました。ボランティアで、平日でも交代で語り部をされているみたいです。
「この天皇は、奈良の都に入る前に大阪を開いたのですか。」
「もちろんその当時は漢字も入って来てないので、その後に創られた文献からしてはなんとも言えませんが・・・、当時・大阪と奈良に交差して都が造られた事を考えると、やはり大阪がまずありきだったと思います。」
「ボストン美術館に展示されているお宝は、本当にここから流出したものなのですか・・・」
「宮内庁的にはここからは何も流出していないと言われていますが、江戸時代まではこんな柵もなく簡単に御陵に入る事が出来、御陵の天辺は堺を見下ろせる火の見櫓にもなっていたみたいです。その頃はこの森も樹もなにもない地肌むき出しだったということで、この樹はその後、ここ100年程で植樹されたものです。」
「今、仁徳天皇と呼ばれている者も当時、共に世界遺産候補に挙げられている古市古墳群の応神天皇と同じとされていたり、14代までの天皇家のあいまいな時期の記録ということで、今や歴史の謎はもはや計り知れません。」
ただ・私はここに立ち感じます!
ここに眠る天皇が奈良に入る前に大阪を開いた事を。
地理的にも何の違和感もない事です。
今は盗掘ではなく、このお堀で釣りを楽しみとする者達と宮内庁の監視官が鬼ごっこを繰り返しています。
仁徳天皇陵を世界遺産に!
ヒーリングピアノ Yasunobu Matsuo
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