ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

「富士山大爆発殺人事件」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第5回 TBS系列 ザ・サスペンス

2020年05月15日 | こらむ
「富士山大爆発殺人事件」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第5回
TBS系列 ザ・サスペンス
放送日:1983年9月10日
出演:あべ静江・江藤 潤・今福将雄・北詰友樹、音無真喜子、山谷初男
監督:鷹森立一
制作:三船プロ TBS
(ストーリー)
富士山が大爆発をすると言い続けていた老人・耕造(今福将雄)が、河口湖から死体で発見された。娘の頼子(あべ静江)は、事件後失踪した頼子の夫・幸雄(江藤潤)を探して・・・

この年、1983年10月15日に富士山が大爆発するという噂が全国にながれ、それをチャンスとばかりに作られたみえみえの2時間サスペンスでした(笑) まだ私もまだ30才で、サード助監督でした。それなりに慣れてきたのですが、先輩達はいつも私をサードで誘うので、まだまだダメだったんでしょう(笑) まだまだ先輩に引っ張られていく事に、十分満足していた時期でした。
思い出すのは我々ロケ隊が、河口湖湖畔の宿に閉じ込められた事でした。台風による影響で川や湖が増水し、道路が寸断されて東京へ戻れないのです。それでしかたなく、三船プロがひいきにしていた、現地のお寿司屋さんの2Fの大広間(宴会場)をお借りし、男性陣キャスト・スタッフは全員そこで雑魚寝して宿泊しました。江藤潤さんも全然平気で一緒でした。記録さん達女性陣は、別室でした。あべ静江さんも女性スタッフと一緒の部屋だったと思います。この頃は、スタッフと俳優さんの距離がもっと近かったように思います。携帯電話もなかったので、緊急連絡先として、俳優さんの自宅の電話番号を聞くのが普通でしたから。この頃、私はこの先どうなっていくのだろうという不安も確かにありました。そういった不安をまぎらわすために、いつもハヤカワミステリを持ち歩いました。その日も、ミステリを読みながら夜をやり過ごしていました。いつか、ミステリの脚本を書こうと密かに思っていたのです。監督になるには、脚本が書けなければだめだと、常日頃先輩達に言われていました。後日、それは実現し「ペキンニシス」というタイトルで脱稿しました。それは、「北京原人」の骨が行方不明になった事と、「北京原人」が学術名:シナントロプスペキネンシスところからきたタイトルでした。つまりダジャレです(笑) 結局その脚本は、私が得意のダジャレをダイイングメッセージにした、つまらない脚本になりました(笑)
この番組の中で、吉田の火祭りのナイトロケは、映像にかなりの緊張感がありました。スタッフも別班態勢を組んでいて、映像素材をたくさん撮影しました。しかし、お祭りの一般客が普通にいる中で、出演者を入れこんた撮影は困難を極めます。小型16ミリのカメラで撮影でしたから、小回りはききましたが、もうカチンコなど入れる時間もなく、記録さんが「回った?」と聞いて、カメラ助手が「回りました」と答えて、撮影を記録していきました。1カット撮影する度に「何秒?」「15秒です」と応えていくスタッフ達は、緊張はしていましたが手慣れた感じでした。慣れない私は、すごいなぁと他人事のようでした。それではダメなんですけどね。
群衆にまぎれたあべ静江さんの側に、セカンド助監督がついています。カメラ側の助監督からの手での合図を見るとすぐ、その助監督は、あべ静江さんに「回りました」と小声で伝えて、すばやく離れます。あべさんは、ストップの合図がくるまで、一生懸命に夫を探す芝居をします。それも、カメラがどこにあって、どうむけば自分が映るのか理解していなければなりません。カメラに背を向けてばかりでは絵になりませんからね。それが火祭りの映像の中で、すごい緊張感になって映像に残りました。あべ静江さんは、本当に一生懸命に頑張っていました。



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