ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

17前半「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(前半)

2020年06月15日 | こらむ
17前半「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」
自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(前半)

放送日:1989年10月7日 土曜ワイド劇場 
出演:浅野ゆう子、永島敏行、古村比呂、牟田悌三、名古屋章
監督:池広一夫
制作:東映
ノサップ岬の女 北の港町殺人事件!青梅-根室-留萌、おんな捜査行
妻子ある作家を愛した料理旅館の女将の悲劇を描く。

私にとって激動の1989年です。この年、「その男、凶暴につき」を撮影した直後の番組です。有名な池広一夫監督です。監督は見るからに映画人という風貌で、貫禄がありました。主演の浅野ゆう子さんともコミュニケーションよく、スタッフも監督のお知り合いが多く(大映出身の方々)とても雰囲気のいい組でした。チーフ助監督として、私も自信をつけていた頃で、頑張ろうという気持ちいっぱいでした。そしてまた、北海道ロケがありました。根室(ノサップ岬)から留萌まで、北海道横断ロケです。撮影するには、事前の下見(ロケハン)があります。ですから、この番組で2回北海道へ行ったのです。ロケハンと本番。どんどん北海道が好きになっていきました。しかし、この3年後、映画「いつかギラギラする日」深作欣二監督作品で、えらいしんどい撮影が待っているなんて、予想もしていませんでした。その話はまた別の機会に。浅野ゆう子さんは、美しかった。永島敏行さんは難しい役だったけど、すごく頑張っていた。牟田悌三さん、名古屋章さんはいい味があって、このような方々が日本映画を支えていたんだと思います。
撮影の思い出の中で、3つ大きな思い出があります。その一つですが、ロケハンで留萌に着いた時の事でした。監督も私も、初めての留萌です。監督は「さて、どこから攻めよう」とロケハンの段取りの話を始めました。そして、「まず全体を見よう。留萌の町全体を見渡せるような場所に連れて行ってくれ」と製作部に指示を出しました。心の中で私も大賛成でした。基本、全体だよな。それが基本だよ。と思いました。高台に着いて、留萌の町全体を見回しながら、地元の案内の方に、説明を受けました。番組の中でも、その高台から撮影したショットが使われています。映画の基本を忠実に守っておられる、池広監督はさすがだと思いました。生意気ですが、撮影とは「何か」を熟知されている監督だと思いました。私も、これは勉強になったなぁと感じました。
ところがです、実は直前に撮影した「その男、凶暴につき」で、こういった映画作りを否定しながら撮影しているスタッフの一人だったのです。「その男、凶暴につき」では、編集でカットされ、撮り直しした部分があるのですが、それはファーストシーンで、浮浪者が駅そばの公園の片隅にある水道で、水を飲んでいるというシーンです。映画はそこから始まりますが、当初違っていました。幻のカットになりましたが、東京タワーをメインとする東京の大夜景から始まり、カメラパーンすると、山手線の駅が見える。ホームには会社帰りのサラリーマンがいくつか、さらにカメラがパーンすると、駅のそばにあるなんでもない公園。そこの水飲み場にズームで寄っていくと、浮浪者が水道で水を飲んでいる。これがファーストシーンでした。すばらしいカットだと思います。大都会から浮浪者までワンカットで見せる。スタッフは自画自賛していました。私もすばらしいカットだと思いました。しかし、1週間後、北野監督は、このシーンを取り直ししたいと言ってきました。我々スタッフは驚き。なぜ・・・・。北野監督の説明は「最初から浮浪者の口のアップでいきたい」という事で、スタッフは愕然としました。それは、何故に浮浪者から?「だって・・・」「だって?」「恥ずかしぃ」「恥ずかしい?」「よくあるよね、そんな感じ・・・説明だよね」といったような会話でした。なるほどね。よくあるね。それは説明か・・・でも、全体の引きからだんだん細部に入っていくのは、映画作りの基本中の基本です。映画監督初心者のあなた、ちょっと冒険しすぎてませんか?(笑) 映画作りのノウハウを無視しようとする北野監督と、映画作りの基本を守る池広監督。この二人に連続して私はつきました。どちらが正しく、間違っているという事はないと思いますが、いろいろ考えさせられました。自分自身が映画監督になった時、私はどうするか、高台に行くか、局所にこだわるか・・・もし映画監督になる事が出来たらの話ですが・・・・(汗)

話がそれました。こんな感じで、留萌の高台に立った時の事をいろいろ思い出します。全体の引きから入っていくのは、映画作りのセオリーです。池広一夫監督も先輩から学び、私達も池広監督から学んで、そうやって映画作りの伝統というかノウハウが引き継がれていく。そう思っていました。映画作りには基本が大事という事も、強く思っていました。こうやて「ノサップ岬の女」の撮影が進んでいったのですが、その後、池広監督にめちゃ怒られ、ロケバスが大変な事になるという大事件がありました。<続く>













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