琵琶湖の大津から京都えの疎水が長等山からの第一トンネル(1885年着工1890年完工)に入る水路の入り口です。左右に大きな鉄の扉が見えます。この鉄扉が、京都、大阪を始め関西人の命の水を預かっています。疎水の工事は、明治維新と東京遷都によって京都の人口が減少、産業の衰退もあって、これらの打開策として立案されました。1912年第二トンネルの完成があって、それに伴い、京都の灌漑、上下水道の整備、水車を動力としての発電etc…がありました。水車発電の電気では日本最初の電気鉄道が走りました。京都にとって、上下水道のみならず、観光面では南禅寺境内の水路閣や銀閣寺近辺の哲学の道、御所えの通水、各種産業など、その多方面にわたる偉大な効果影響力は、計り知ることが出来ません。