近江の長浜地方、鄙びた田園地帯を過ぎて山すそにある近江弧ほう庵を訪れました。小堀遠州は、茶道では千利休、古田織部とともに三大茶人と称されました。華道では遠州流の家元であり、又、作庭でも全国に有名な庭を数多く残されています。その小堀遠州が眠る菩提寺です。この地に遠州が作庭された庭は、本堂の南にある枯山水の庭と、東には池泉回遊式庭園とが続くようにありました。この写真は本堂の南がわの紅葉をみせていた楓です。黄葉まじりで、後方の山の稜線も借景として取り入れられていて、落ち着いたのどかな雰囲気を堪能することのできた紅葉狩りでした。
野に山に、紅葉の名所にと、樹々の色付きを追いかけながら出かけていましたが、毎日のように、眺めている自分の盆樹の欅の樹が、美しい黄葉をみせていました。樹高20センチほどの盆樹ですが、樹の姿、形は別にして、鉢への種蒔きから35年間にわたって手塩にかけ、枯らすことなく育ててきた愛樹です。さすがに幹肌には、積み重ねた年輪を偲ばせてくれる荒れ肌を見せています。
穴太積み(あのう積)、全国の有名な城のほとんどの石垣が穴太積だとか! 延暦寺の本坊、滋賀院門蹟の石垣はその代表的なものです。この坂本地域は重要伝統的建造物保存地区として指定されています。形や大きさがさまざまな石を巧みに組み合わせて積み上げています。石垣の高さは約5,5メートルあります。織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちして、石垣の破壊を試みたがはたせず、その強靭さをみこんで、信長の居城、安土城を築城するときには穴太積みを用いたと云はれています。現在、街なかで石垣をみかける事があっても、細部はほとんどが、コンクリートで固められているようです。
病気と云うような言葉は私には関係のないことと、まったく他人事のように思っていましたが、身体の退化は万人に分け隔てなく訪れて来るようです。市民検診で部分的な異常を指摘されまして入院生活を体験いたしました。心配しましたが結果はOKでした。そこの病院の中庭にある狸の里に数匹のタヌキと数羽のフクロウがたたずんでいました。全匹、全羽、マスクを掛けて新型インフルエンザ予防の訴えをしていました。通路を歩く患者さんも、これを眺めては心なごんでいるようでした。
ミツバの咲いた花はなに色だったかな?通りすがりのつつじの植え込みの中に、つつじと背くらべをするようにミツバの黄色い花が咲いていました。花の大きさは直径で3ミリ位、どちらかと言えば初冬のこの季節に可憐に咲いている花に目が止まりました。春に緑のじゅうたんのように美しいミツバ、そこに咲いている白い花の集団がクローバーだと思っていました。それはそれとしてこの時期にひっそりと咲くこの黄色い花、これも紛れもないミツバの花だと思いますので、この花になにか珍しく、そして強いものを感じます。その後、散策の道すがら観察していますと、小葉のミツバは、見慣れたあの白い花を、この時節でも咲かせているのを見ることが出来ました。
先日、古市古墳群のある藤井市の古室山古墳を訪れました。天気予報では完全に雨天でしたので、合羽持参の完全準備でかけたのですが、ラッキーなことに青空が顔を見せてくれました。円墳の径は100メートルぐらい、お椀を伏せたような、古墳の頂上に上がりました。なだらかな斜面は草が枯れて薄茶色の広がりを見せていましたが、山すその柿の樹が紅葉していて、斜面の枯れは色と、柿葉の紅、その後ろの空の青、この対比の美しさが素敵でした。
坂本地区に約50寺あると云はれている里坊の一つかなとおもいますが、止観院でみうけました。鬼瓦としては比較的制作された年代が新しい物なのでしょうか?この鬼さんは、顔立ちが恐ろしい中にも当世的な感覚を感じます。太く短い角、裂けた口元の上下に伸びている牙、頭の髪形からあごひげの形まで、全体的に恐ろしいと云うよりもなにか優しみを感じています。
今年も11月9日から15日まで全国火災予防運動が取り行なはれています。1972年、今から37年まえに日本専売公社が、予防運動の主旨に賛同して発行されたチエリーの記念タバコ包装紙です。描かれている炎の絵がある以外は、極端に簡素化されていて、スローガンを読まなければ、火災予防運動とは、結び付けにくいデザインのようです。それにしても近頃私どもの近辺では、消防車の鐘の音を聞くことが稀になりました。
盆棚のツタの紅葉が今年は長く目を楽しませてくれています。10月の10日ごろから紅葉が始まり一度ブログしましたが、それから約30日、今も枝から葉を落とさずに長持ちしています。もう落葉かなと思いますが、紅の色がたいへん鮮やかになりましたので、もう一度、記してみたくなりました。
昨日、暖かい快晴のひざしに誘われて、朝早くに琵琶湖湖西の日吉神社をたずねました。まだもう少し早いかなと思ったのですが、それでも、鳥居の左右の楓は色付きをみせて、朝日に映えて輝いていました。まだ訪れる人もごくわずかで、五~六人の地もとの人が楽しまれているぐらいでしたので、私は静かな境内に心ゆくまで紅を眺めてきました。