宮津市の宮津カトリック教会は、1896年(明治29年)フランス人宣教師によって建築されました。教会の内部は当時床が畳敷きでしたが、今は時代に合わせて畳の上に椅子席が設けられていました。窓にはフランスから取り寄せたステンドグラスが使用されています。そして窓は外開きではなく、和風的に左右の引き戸になっていました。天井は美しい曲線をえがくドーム型でした。特に床が畳敷きであることに明治の雰囲気を感じます。この教会の建物は素晴らしいのですが、外観は表側から見るよりも、後方から眺める景観のほうがおもむきがあって素敵でした。バツクシャンの建物です。歴史的にも重要文化財にあたいする建築物です。
兵庫、せきがん寺(岩屋寺とも称される)の木造金剛力士立像は高さ371,2cmで重要文化財に指定されています。仏師、肥後法橋定慶が1242年(仁治3年)に製作しました。定慶の作品には生身の女性を思はせる現実的な面相表現があると云われます。定慶の作である、せきがん寺の不動さんは優しいお顔の系統と云われているようです。何ごともそれぞれ見る人の感覚の問題でしょが 残念ながら私の感覚ではその優しさを理解しにくいところがあります。不動さんのお顔としてはと云うことでしょうか?
樹齢1000年と云われる兵庫県指定、天然記念物の大ケヤキです。幹径が6,4メートルもあります。1000年ぐらい昔、川にかけられていた土橋の中を、根の一本が太く成長して10メートルにもなったようです。橋のように川をまたいでいますのでこの根は(木の根橋)と名ずけられています。
大屋根の上に座っている鬼瓦の多彩な表情に興味をひかれて写真を撮りためていましたが、その瓦の製作年代や製作者の名前をしることはほとんど有りません。その点この瓦は出自が明確で、阿吽の阿のかたちの鬼瓦ですが文化6年、約200年前に冨波互師、長兵衛の作と鬼瓦に銘がきざまれています。鬼らしい良い表情をしているとおもいます
(大きな真鯉はお父様…)とうたわれる童謡があります。先日、水面に咲いている花を眺めていましたら、水中から大きな黒い真鯉が突然、顔をだしました。水面からカメラまで10センチぐらい、鯉のはねる水しぶきを気にしながら急いでシャッターを切った写真です。餌をもらえると思ったのでしょうか?
戦国時代の有名な武将に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康があります。現代に残る史跡とされるものは徳川、豊臣、に比べて織田家は少ないように思います。信長の墓所とされる本能寺や安土城跡がありますが、史跡の数としては少なく思います。そんななかで丹波市には明治の廃藩置県まで九代にわたる織田家の存在がありました。今は廃寺となった静寂な山すそに歴代藩主の墓所が残されています。
知りあいの方からゴーヤを頂きました。普段わたしどもでは馴染みのうすい食材ですので、テーブルに飾っていました。ゴーヤの肌は新緑のように美しい碧いろでした。その後じょじょに黄みをおびてきました。一週間ぐらいたったある日に、突然ゴーヤの形がくずれ赤い種子をのぞかせていました。中はからっぽでした。ゴーヤはこのようにして繁殖されるのかと納得いたしました。崩れたゴーヤの形はいびつで……
野洲市の弥生の森歴史公園にある実物大に復元された竪穴住居です。先日恐竜の住んでいた現地で1億年前の時代に夢をふくらませました。現在、人類(猿)が出現して50万年。それに比べたら、今、復元された竪穴住居が見られる3000年~4000年まえの弥生時代は、住居や水田や狩りがあって、人類の近い近い過去の生活だとかんじました。