琵琶湖疏水は 琵琶湖から京都えと、水を送り供給している、唯一の建設された水路です。東山の山腹をうがって京都えの水を供給しています。琵琶湖から流れ出る本流は、滋賀県では瀬田川となって流れ、大阪では淀川となって流れて、大阪湾の海にながれつきます。
草津市。南草津の東南方面の山腹にそびえる建築群は立命館大学の草津キャンバスです。大学は草津市とも多方面に協定されていて、市民向けの琵琶湖講座ETCもひらかれています。多種多様なできことで市民に親しまれている大学校です。
現在の草津市の(野路の玉川)は平安時代《12世紀》から歌どころとして有名な地域でした。萩の玉川と云われました。日本の6玉川の一つです。昔の交通手段としての主な街道にあった唯一の土地柄です。【あすも来ん野路の玉川萩こえて色なる波に月やどりけり】 と、千載和歌集に源俊頼朝臣が詠んでいます。
南紀州の熊野速玉大社は、大屋根の上に5本の鰹木と左右の屋根の端に2ヶ所の千木があります。色彩は金ぴかに飾られていました。菊の紋章が正面にあり千木にはハート 型の 模様が見られます。創建の年代は不明ですが、1871年には県社になっています。古くからの神社ですのに、デザインが感覚的には新しいものを感じます。
草津市の新宮神社は、天平年間(729~749)に僧行基が創建したと伝えられている神社です。現存している本殿は一間社流造り、大永3年(1523)の建立で496年も昔の建築物です。国の重要文化財に指定されています。
221年昔の1798に建立された矢倉の道標です。東海道を京の方に向かっていた旅人が、この地で矢橋道から船で琵琶湖を渡るか?あるいは歩いて瀬田の唐橋を渡って琵琶湖ををわたるか?思案したらしいです。船便を選んだ時に、琵琶湖が荒れたら船がでませんので、徒歩の方がよかったと………⦅急がば回れ⦆のことわざの語源になりました。
滋賀の立木神社は、創建より1250年を迎えた古社です。常陸の国(現在の茨城)の鹿島神社の祭神が旅に出ました。道中の滋賀、草津にさしかかりました。当時のことですから馬による移動と思はれます。使っていた馬用の鞭を地面に刺したところ、柿の樹が生えて育ちました。この樹を崇めこの木を用いて神社を建て、社名を立木神社とされました。これが社名の由来とされています。厄除け開運の神社としても著名な神社です。