3月24日に姫路を訪れました。晴天に恵まれまして平成の大修理完成のちかい姫路城は、まだ日焼けしていない美しい白さを輝やかせていました。白鷺城も白すぎるお城になっていました。27日の天守閣の一般公開をまえに、わたしが訪れた24日の夜間にはNHKがお城の前から歌謡曲の特別番組を放送するとかで準備に追われていました。後日チェックしましたら小柳ルミ子とお城好きのプロレスラーが出演していました。公開後はたいへんな人出らしくて5月の連休明けまでは、落ち着かないのでは?
琵琶湖の南岸から眺めた景色です。守山市の第一なぎさ公園からの眺めで、約12、000本の早咲きの菜の花が4,000平方メートルの広さに咲きほこっています。対岸の比良山脈の残雪とのコントラストが美しく,休日には訪れる人を多く見かけました。
見る人の感性でどの様に響くのか愉快な形に成長しています。一本の大根が偶然このような形に生育したようです。わが街の公民館ロクハ荘の入り口に展示されていました、栽培されたかたも、何か愉しいことを考えられて持ってこられたと思います。皆さんはいかがでしょうか??どのようにみられましたか?
ハンセン病。医学や病気治療の理解がとぼしい時代に、顔面にでる見がたい病状や、感染の恐れから、患者えの差別があったじだいの隔離施設です。この京都府木津市の施設は建物《名称 北山一八間戸》だけが残っていて国の史跡に指定されています。建物は間口38メートル奥行3,9メートルぐらいの細長い棟割長屋で、約2畳ぐらいの個室が18戸に区切られていました。そしてこれは、日本で最古の救ライ(ハンセン病)施設でした。救ライ所として著明なものは岡山の長島愛生があります。本土から30メートルの距離の島にあり、島ぜんたいのなかに、患者夫婦のための住居や納骨堂があったようで、ここではごく少しですが柔軟な生活があったのかな?と思はれます。
盆栽だなの一隅でパンジーやスミレなど原色の華やかな花の影にかくれてひっそりと佇んでいた春蘭。春の日差しを感じてか、勢いよく花蕾みの芽を伸ばしました。梅の花が咲いて、次は桜の開花に関心がむいていましたが、忘れたら困ると云わんばかりに元気な春蘭のお出ましです。
琵琶湖大橋は琵琶湖をまたぐ2本の橋の中のひとつです。湖の中間地点ぐらいに東西をむすぶ国道477号線としてあります。上下2車線ずつ、4車線の有料橋です。橋の長さは1400メートルで橋の下を大型船舶が航行できるように、一番高いところで26,3メートルあります。大きい湖で滋賀県民にはみなれた景色です、私が転入して住民になった当初は橋の大きさと美しい姿に見とれていました。
かたずけけ物をしていましたら古札が出てきました。昭和19年に日本銀行から発行された五銭札でした。<い号券>と<A号券>があるようで、サイズは左右98ミリ上下48ミリぐらいで楠公五銭札と云はれているようでした。この貧弱なお札を見ていますと,終戦の一年前の発行ですので当時の世相がしのばれます。《欲しがりません、勝つまでは……》の時代です。この札の紙質は上質紙で小サイズ、札表の印刷には現在では当然のナンバー記入がありません。アメリカの日本都市市民えの無差別空襲で都会が壊滅状態になり、食料品を筆頭に物資が不足していた時代ですので、終戦がちかずいてくる時代をかんじます。