スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&復習

2022-11-30 19:52:58 | 将棋
 26日に倉敷市芸文館で指された第30期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 里見香奈倉敷藤花の先手で中飛車。西山朋佳女王・女流王将が向飛車にしたのをみた先手が2筋に飛車を戻し,先手の居飛車,後手の振飛車の対抗型になりました。
                                        
 第1図で後手は☖4六馬と出ましたがこれはおそらく失着。この馬は守備に大事な駒なので,動かしてはいけませんでした。おそらく中央に力を足す☖5四金のような手が最善だったのではないかと思います。
 ここから☗5五角☖同馬☗同銀☖4五桂☗5六飛と進みました。
                                        
 ここで☖6六歩と突いたのがおそらく敗着。☗7四角と打たれて一遍に敗勢になりました。第2図では☖2八角として☖5五角成を目指すのがよかったようです。
 里見倉敷藤花が連勝で防衛第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期,26期,27期,28期,29期に続く八連覇で通算13期目の倉敷藤花です。

 僕はスピノザの思想の礎となっているのはスピノザの形而上学的部分にあると考えています。もちろんその形而上学的部分の中にも,基本的な部分とそうでない部分,いい換えれば基本を応用することによって導出される部分があり,さらにその応用部分によってまた導かれる,段階でいうならさらに上の部分があって,こうした関係が延々と続いていくことになります。そしてもちろん,ある基本的な部分から導かれる応用部分はひとつではなく複数あるのですから,それら複数の応用部分がさらに複数に分かれてさらに上の段階に進むというような形で,スピノザの形而上学というのは枝分かれしていくことになります。要するに,段階が高くなればなるほど,枝分かれしたその分の数は増えていくことになります。もっともこのこと自体はスピノザの形而上学に特有のことではありませんし,もっといえば学問に限られることでもないのであって,おおよそ何か特定の知識とか技術といったものが全般的にもっている性質だといえるでしょう。要するにどのような知識であれ技術であれ,段階が上がっていくほど分枝している部分が多くなっていき,そのためにそれをマスターするのは困難になっていきます。レベルの高いことをマスターするのはレベルが低いことをマスターするよりも困難であるという命題は,あまりに当然の命題といえますが,なぜこの命題が当たり前のこととして成立しているのかといえば,レベルが高くなっていくほど分枝が多くなるという点に由来するのです。
 これでみれば分かるように,段階の高いふたつの事柄の基礎部分が同一であるということはよくあります。ですから,それらふたつの事柄が,それ自体としてみられるならばまるで違ったことであるのだとしても,基礎部分から始めていくときには,同じことから開始されるということがあり得ます。したがって,基礎部分を繰り返すということにはふたつの意味があるのであって,ひとつは基礎部分が重要であるからその部分を繰り返して学習する,いい換えれば復習するということであり,もうひとつは,そのように復習される部分から異なった事柄がいくつも導出されるということです。
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竜王戦&思想の礎

2022-11-29 19:08:04 | 将棋
 25日と26日に宮地嶽神社で指された第35期竜王戦七番勝負第五局。
 広瀬章人八段の先手で相掛り。先後同型から先手が角を交換して先攻する将棋に進みました。
                                        
 後手の藤井聡太竜王が飛車を打ち込んだ局面。ここで☗5九桂と打って受けましたが,これが最善の受けで局面は均衡を保っています。これに対して☖3六角☗同金☖同飛成と進めましたが,これは急ぎ過ぎで,☖1九飛成と香車を取っておくのが優ったようです。
 次の☗4四角と打った手に対する☖5三金打は,受けとしては最強の手ですがこの局面ではあまりよくありませんでした。☗3七歩に☖2七龍は,ほかのところに逃げれば龍を取られる変化になって後手がまずいので仕方がありませんが,☗3四角の王手が厳しく,先手が有利になりました。
                                        
 ☖5三金打の局面は,金を打つのであれば☖3八金と攻め合う方がよく,また受けるのであれば金は温存して☖5三銀とするべきだったようです。
 広瀬八段が勝って2勝3敗。第六局は今週の金曜と土曜に指される予定です。

 僕がスピノザの思想といっているのは,スピノザの哲学に限定させないためです。つまり僕はスピノザの形而上学が重要であると考えているのですが,それは単にスピノザの哲学を理解するための礎として重要であると考えているわけではなく,もっと幅広く,スピノザの思想を理解するために重要であると考えているのです。そもそも『エチカ』は,確かにスピノザの哲学の集大成であるとはいえますが,直訳するなら倫理学なのであって,倫理学が倫理学といわれるのは,それが哲学とは異なった学問であるからです。しかも『エチカ』には倫理学や哲学だけが含まれているかというならそうではありません。たとえば『エチカ』の第三部は総じていうなら感情論ということになるでしょうが,感情論は哲学や倫理学に限定されるようなものであるということはできません。たとえば第三部定理一九をそれひとつだけで抽出するなら,これは心理学という学問の一種であるとみなすこともできるのであって,そうした心理学も『エチカ』には含まれていると考えなければなりません。しかしそれが『エチカ』の中に含まれているということは,第一部の形而上学と無関係ではないからであって,その意味でスピノザの思想,少なくとも『エチカ』に含まれているすべての思想にとって,スピノザの形而上学がその礎となっている,あるいは礎となっていると理解しなければならないのは間違いないでしょう。
 そして僕がスピノザの思想というときに含ませているのは,このことだけではありません。『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』や『国家論Tractatus Politicus』といった,神学や政治論もまたスピノザの思想に含まれるのであって,それを十全に理解するためには,スピノザの形而上学を理解することが不可欠であると僕は考えているのです。実際にスピノザはそれらの著書で,『エチカ』で示されていることを根拠として記述している部分というのを多く含ませているのですから,このことも間違いないといっていいでしょう。
 これで僕がスピノザの哲学の基礎がその形而上学にあり,かつそれを理解することがスピノザの思想の全体を解するための不可欠な要素と考えていることは理解してもらえたでしょう。
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朝日新聞社杯競輪祭&基本的部分

2022-11-28 19:15:00 | 競輪
 小倉競輪場で争われた昨晩の第64回競輪祭の決勝。並びは新田‐新山‐守沢‐成田の北日本,坂井‐平原の関東,郡司‐小原の神奈川で荒井は単騎。
 平原,郡司,新田の3人がスタートを取りにいきました。互いに譲らず発走後の1周はほぼ3人が横並び。最終的に誘導の後ろに入ったのは平原で,坂井の前受けに。3番手に郡司,5番手に荒井,3人の中では最初に引いた新田が6番手という周回に。このまま動きがなく残り2周のホームに入ったので,まず単騎の荒井が動いて平原の後ろまで位置を上げました。新田はバックから発進。坂井も抵抗して先行争いとなって打鐘。ホームに入ると新田が坂井を叩いてかまし先行。坂井は引けないので新山の内で粘りにいきました。両者が併走のままバックに入ると新山が番手捲りを敢行。守沢はやや車間を開けて追走。外から郡司が捲ってくると守沢が郡司,郡司マークの小原を次々に牽制。この間に新山と郡司,郡司と小原の車間がそれぞれ開いてしまい,新山が悠々と優勝。郡司が2車身差で2着。小原が2車身差で3着。
 優勝した青森の新山響平選手は4月に岐阜のFⅠを完全優勝して以来の優勝。グレードレースは一昨年3月の玉野記念以来となる優勝でビッグは初制覇。このレースは北日本の並びが意味するところが僕には定かではありませんでした。新田が早めに駆けて新山が番手捲りというのは考えられましたが,守沢が自身の優勝よりも新山の援護に回ったのは僕には想定外でした。北日本が結束した結果としての優勝という色が濃いように思います。

 僕の場合でいえば,ある事柄を探求していくときに,これは重要な事柄であるから基本的な部分から順に論証していくという類のいい方をすることはあります。ただ,ここで重要というのは,僕にとって重要である,あるいは同じことですが,僕は重要と思っているという意味であって,読者にとってそれが重要であるかどうかは分かりません。ですからこの説明は,たとえばスピノザが第一部定理一一備考の冒頭でいっていることと比較すれば,便宜的なものであるといえるでしょう。他面からいえば,そこでスピノザがしたような説明が必要となるような探求は,あるいはもっと正確にいえばこれは探求そのものではなく探求の方法は,というべきでしょうが,そうした探求の方法を僕は採用していないことになります。
                                   
 ただ,僕がある事柄が重要だと思っているなら,その事柄を基本的な部分から説明するという意欲を有しているということは,実際にそれを重要であると考えるかどうかは別として,読者にも伝わるところでしょう。そしてなぜ重要と思う事柄こそ基本的な部分の説明を怠らないように僕がしているのかといえば,結論として帰結してくる重要な事柄にとって,基本的な部分もそれと同様に重要であると僕が考えているからです。そして基本的な部分を教えるのが入門書の性質であるとすれば,僕が一定の頻度で入門書を読んでいるというその理由が,僕のブログには反映されているということになるでしょう。
 僕がこのブログで基本的な部分というのは,概ねスピノザの哲学における形而上学的な部分になります。『エチカ』でいえば,第一部がそこに該当すると理解してください。厳密にいえば第一部のすべてが,また第一部だけがスピノザの思想の形而上学的部分を構成するわけではありませんが,僕が基本的な部分ということの大部分がそこに該当するのは間違いないところです。そして僕はその基本的な部分が重要な結論と同様に重要であると考えているのですから,要は僕はスピノザの思想にとっては,形而上学的部分が最も重要である,いい換えればスピノザの哲学の形而上学的部分を理解していることが不可欠であると考えているということです。
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ロンジン賞ジャパンカップ&特例

2022-11-27 19:35:49 | 中央競馬
 ドイツから1頭,フランスから3頭が招待された第42回ジャパンカップ
 テュネスの枠入りに時間を要しました。逃げたのはユニコーンライオンでこれは大方の想定通り。2番手にハーツイストワール。3番手はシムカミルとテーオーロイヤル。5番手にヴェルトライゼンデ。6番手にオネストとカラテとボッケリーニ。9番手にヴェラアズール。10番手にトラストケンシンとグランドグローリーとダノンベルーガ。13番手にデアリングタクト。14番手にシャドウディーヴァとテュネスとシャフリヤール。16番手のユーバーレーベンまでは一団で続き,4馬身差の最後尾にリッジマン。最初の1000mは61秒1の超スローペース。
 直線の入口ではユニコーンライオンとハーツイストワールは雁行でその外にボッケリーニ。直線に入るとボッケリーニの外からダノンベルーガが伸びてきてさらにその外からシャフリヤール。最内を突いたのがヴェルトライゼンデ。ヴェルトライゼンデとダノンベルーガの間からはヴェラアズールが伸びてきて4頭の争い。一番外のシャフリヤールが内に寄ったためにダノンベルーガは進路を失いました。残った3頭では真中のヴェラアズールの末脚が優って優勝。シャフリヤールが4分の3馬身差で2着。ヴェルトライゼンデがクビ差で3着。
 優勝したヴェラアズールは大レース初挑戦での制覇。今年の春まで2勝クラスを走っていた馬で,3月に2勝クラスを卒業。3勝クラスは3着2回の後で6月に勝ちました。休養を挟んで出走した京都大賞典で重賞初制覇を達成してここに挑戦。僕はこのレースはシャフリヤールが最有力と考えていました。通ったコースの差を考慮すると,着差ほどの能力差はなさそうですが,少なくともそのレベルまでは達しているとみてよいでしょう。今年の春の時点でこの馬が今年のジャパンカップを勝つと予想するのは困難だった筈で,急激な上昇馬といっていいと思います。父は2010年に京成杯と日本ダービー,2012年に天皇賞(秋),2013年に毎日王冠を勝ったエイシンフラッシュ。3代母がムーンインディゴ。伯母に2007年のJRA賞の最優秀2歳牝馬のトールポピーで叔母には2011年のJRA賞の最優秀3歳牝馬のアヴェンチュラ。Vela Azulはスペイン語で青い帆。
 騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は一昨年の香港スプリント以来となる日本馬に騎乗しての大レース12勝目。日本の大レースは2019年の朝日杯フューチュリティステークス以来の9勝目。第33回以来9年ぶりのジャパンカップ2勝目。管理している渡辺薫彦調教師は開業から6年9ヶ月弱で大レース初勝利。

 第一部定理一一第三の証明に関しては,なぜこの手続きで証明したかという理由を説明する必要がスピノザにはあったことになります。ですから第一部定理一一備考の冒頭で,スピノザはその理由を説明しているのです。しかしこのような事例は特別であって,論証Demonstratioの手続きの理由を説明する必要がない限りこのような説明はされません。逆にいえばこうした説明がなされるというのが稀であるということは理解することができると思います。
                                   
 『エチカ』でいうなら,第二部定理三六というのは,何が定理Propositioで示されているかということや,この定理がどのような訴訟過程で証明されているかということは僕には分かります。また,この定理でいわれている内容が正しいということも理解することができます。しかし,なぜこの定理を論証するためにスピノザはこの論証に訴えたのかということや,この定理がこの部分で論証されなければならなかった理由,またこの定理が『エチカ』の全体の中で有する意義といったものは僕には分からないので,この定理は現在でもそれらの点では僕にとって多くの謎が残っている定理になっています。これはスピノザがそうしたことを説明していないがゆえに生じる疑問なのです。一方,スピノザにはここでこの定理を論証する理由があったでしょうし,論証するならスピノザ自身がなしたような仕方で論証する理由というものがあった筈です。また,この定理が示されることが,『エチカ』にとって意義のあることだからこれを『エチカ』を構成するひとつの定理として挿入しているのであり,もしもそうでなかったら,この定理が『エチカ』に挿入されることはなかったであろうということも間違いないところでしょう。ただスピノザはそうしたことについては説明するまでもないと考えたので,そうしたことを加えませんでした。これは加えられることの方が稀なのですから,当然といえば当然です。しかしそれが加えられていないために,僕には謎が残る定理となっているのです。
 これと同じように,僕も『エチカ』を援用して何事かを解明していくときに,なぜそうした論理過程で『エチカ』を援用するのかをすべて説明はしません。
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ジェンティルドンナ&第一部定理一一備考

2022-11-26 19:20:50 | 名馬
 エリザベス女王杯を勝ったジェラルディーナの母はジェンティルドンナです。父はディープインパクト。母はドナブリーニ。ひとつ上の全姉に2012年の京都牝馬ステークスと関屋記念を勝ったドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で淑女。
 2歳11月のデビュー。このレースは2着に負けましたが2戦目の未勝利で初勝利。
 3歳1月のシンザン記念に出走して重賞初制覇。チューリップ賞は4着に負けましたが桜花賞で大レース初制覇。オークスも勝って二冠を達成。
 秋はローズステークスで復帰して重賞4勝目。秋華賞を勝って牝馬三冠を達成。ジャパンカップに進むと外のオルフェーヴルを弾き飛ばすように進路を確保し優勝。JRA賞の年度代表馬に選出されました。
 4歳初戦はドバイシーマクラシックに遠征して2着。帰国して出走した宝塚記念ゴールドシップの3着。
 秋は天皇賞(秋)で復帰してジャスタウェイの2着。ジャパンカップは連覇を果たして大レース5勝目。JRA賞では最優秀4歳以上牝馬に選出されました。
 5歳の初戦は京都記念で6着。この年もドバイシーマクラシックに遠征。直線で進路をなくしましたが外に切り返して優勝。帰国して出走した宝塚記念はゴールドシップの9着。
 この年の秋も天皇賞(秋)で復帰して2着。ジャパンカップエピファネイアの4着に負けて三連覇を逃しました。引退を伸ばして出走した有馬記念を勝って大レース7勝目。JRA賞で年度代表馬に選出されて現役を退きました。
 この馬はスピードやスタミナがあるといった競走能力だけでなく,闘争心とか根性といった面もきわめて優れた馬で,競走馬として必要なすべての要素を兼ね備えていたといえます。そして産駒が大レースを制覇したのですから,まさに名牝といえるでしょう。

 特別な場合というのがどういう場合であるのかということについては例示しておきましょう。ここでは『エチカ』を実例とします。
                                   
 スピノザは第一部定理一一第三の証明をした直後の備考Scholiumの冒頭で次のようにいっています。
 「この最後の証明において私は神の存在をアポステリオリに示そうとした。これは証明がいっそう容易に理解されるようにであって,同じ根底から神の存在がアプリオリに帰結しえないためではない」。
 ここでいわれているアポステリオリというのは,結論から条件あるいは結果effectusから原因causaに進む論証Demonstratioをいい,アプリオリはそれとは逆に,条件から結論に,あるいは原因から結果へと進捗する論証のことをいいます。第三の証明についていえば,現実的に何かが存在するという結論から,最高の実在性realitasを有するものは存在しなければならないという条件が論証されているので,これはアポステリオリな論証であることになります。そしてスピノザは,これをアポステリオリに証明した理由を説明しているのであり,その理由とは,この証明が容易に理解できるからだとしています。確かにこの証明はとても分かりやすいものなのであって,最高の実在性を有するものが存在するかそうでなければ何も存在しないかのどちらかであるということが二者択一として示されるのであれば,何かが,たとえば僕たちが存在するという反証し得ない事実から,最高の実在性を有するもの,つまり神Deusが存在するということが理解できます。
 一方,スピノザがアポステリオリに証明した理由についてなぜここで述べているのかといえば,それがアプリオリに証明することができないからではないのであって,アプリオリにも証明できるといいたかったからです。なぜそういいたかったのかといえば,これはこの定理Propositioに限らず,あらゆる定理は本来的にはアプリオリに証明されるべきだとスピノザは考えているからです。このことは第一部公理三第一部公理四から,本来の論証は原因から結果へと進むべきものであるということになるということから明白でしょう。ただ,この第三の証明はアポステリオリな論証の方が,アプリオリな論証より理解することは容易なのです。
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キタサンブラック&反復

2022-11-25 19:26:37 | 名馬
 天皇賞(秋)を勝ったイクイノックスの父はキタサンブラックです。父は2004年にスプリングステークスを勝ったブラックタイド。母の父はサクラバクシンオー
                                        
 デビューは遅く3歳1月になりましたが新馬を勝利。続く条件戦も連勝しました。このときの内容が強かったので,上の方までいく馬だと思ったのですが,すぐにスプリングステークスを勝って重賞制覇を達成。皐月賞ドゥラメンテの3着。ダービーもドゥラメンテの14着と大敗を喫しました。
 秋の復帰戦となったセントライト記念で重賞2勝目。そして菊花賞で大レースを制しました。有馬記念は3着。
 4歳初戦の大阪杯は2着。天皇賞(春)を制して大レース2勝目。宝塚記念は3着でした。
 秋は京都大賞典で復帰し重賞5勝目。ジャパンカップを勝って大レース3勝目。有馬記念は2着。JRA賞の年度代表馬に選出されました。
 5歳はこの年から大レースとなった大阪杯を初戦に選んで大レース4勝目。さらに天皇賞(春)をレコードタイムで連覇。宝塚記念は9着と生涯2度目の大敗を喫しました。
 秋は天皇賞(秋)で復帰して極悪馬場のレースを制して大レース6勝目。ジャパンカップは3着でしたが引退レースとして出走した有馬記念で大レース7勝目をあげました。この年もJRA賞の年度代表馬に。
 生涯で2度の大敗は,レース前から精神面での安定を欠いていたために体力的な消耗が大きくなってしまったもの。それ以外はきわめて安定した成績を長きにわたって残しましたから,競走能力は疑い得ません。ファンの人気も高かった馬ですから,繁殖牝馬には恵まれるでしょう。ただ血統面はやや貧弱で,そういう馬は種牡馬としては大成しないというケースが往々にしてあります。自身の競走能力でその部分をどう跳ね返していくかというところでしょう。

 さらにもう一点,以下のことからも,入門書を読むということに意義があると僕が考えているということ,また前々からそのように考えていたということは理解してもらえると思います。
 僕がある事柄について新たに考察を進めていくとき,多くの場合はそれ以前に考察をしている事柄について,すでに考察したといったり,あるいはその考察した事柄を部分的に援用したり,そうでなければ必要となる定義Definitioや公理Axioma,あるいは定理Propositioに訴求するかします。もちろんその場合に援用される定義とか公理そして定理というのは,このブログの中から援用するのですから,それについてすでに考察がすんでいるということになります。そうした部分を基礎としなければ新たな考察はすることができない,他面からいえば新たな考察を進めていくというときには,必ずそれを進めるための前提となる基礎部分がありますから,これはきわめて当然のことです。いい換えればこれは僕がとくにそうしているというわけではなく,スピノザの哲学について考察していく場合はだれでもそのようにするのですし,もっと一般的に,ある何らかの考察をするというときには必ずその前提としての基礎が必要になるということを踏まえれば,だれが何を対象に考察するのであっても,これと同じような方法が採用されます。あるいはこうした方法を採用しなければ,何事かを考察するということ自体が不可能であるといってもいいでしょう。
 しかし僕が必ずそうした方法を採用したかといえばそうではなく,前提となる基礎的部分から再び開始するというケースもありました。なぜすでに済ませてあるような手続きを再び最初から繰り返すのかといえば,そうしたことは,常に必要であるとはいえないにしても,時としてそのように反復する方がよいと僕が考えているからです。これもまた僕に特有のことではなく,一般に何事かを考察していくときには,考察の手続きの手順だけが示されるのであって,なぜそのような手続きでそれを考察したのかということが説明されることはありません。厳密にはないわけではなく,ある場合もあるのですが,それは特別な場合で,その説明が必要な場合に限られます。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&理解度

2022-11-24 19:24:13 | 地方競馬
 第24回兵庫ジュニアグランプリ
 少し気合をつけてスペシャルエックスがハナへ。2番手にジョウショートニーとエコロアイ。2馬身差でオマツリオトコとマルカラピッド。その後ろはスターキーとデステージョとバウアーズとジンステージ。3馬身差で追走していたトレドは1コーナー手前で故障を発生して競走中止。ジョイブラックが11番手でラブミーモナコが最後尾で発走後の正面を通過。向正面に入るとエコロアイが半馬身差の2番手に上がり,2馬身差でオマツリオトコ,さらにラブミーモナコ,デステージョという順になりました。ミドルペース。
 3コーナーからスペシャルエックス,エコロアイ,オマツリオトコの3頭で雁行に。一番外を回ったオマツリオトコが2頭を捲り切って先頭で直線に。そこからは差を広げる一方となって快勝。勝ち馬には捲られたもののそれ以外の馬は離したスペシャルエックスが4馬身差で2着。一杯になったエコロアイの外から伸びてきたデステージョが2馬身半差で3着。
 優勝したオマツリオトコはここまで3戦2勝の成績だった馬で重賞は初制覇。負けたのも函館2歳ステークスの3着でしたから,評価を落とす必要があるものではありませんでした。このレースはJRA所属で2勝している馬と,北海道から遠征してきた2頭の争いという構図。連勝で出走してきたトレドの競走中止は残念でしたが,概ね順当な結果になったといえるでしょう。ペースがさほど速くならなかったので,末脚を武器にする馬たちにはやや不利となりましたから,4着のマルカラピッドまでは着差ほどの能力差があったわけではないと思います。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。祖母の父はバブルガムフェロー
 騎乗した横山武史騎手は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。管理している伊藤圭三調教師は第19回以来5年ぶりの兵庫ジュニアグランプリ2勝目。

 このブログが開始されたのは2006年の3月でした。よってすでに16年半以上の年月が経過しています。僕がその中で紹介してきた諸々の入門書は,必ずしもこのブログが開始された後に読んだものであるというわけではなく,それ以前に読んだものもありました。しかし中にはこのブログの開設後に発売されたものもあるわけですから,そうしたものについては当然ながらその後に読んでいるわけです。つまり僕は入門書というのを,文字通りにスピノザの思想のための入門として読んでいる,あるいは読んできたというわけではなくて,スピノザの思想についてある程度の知識を蓄えた後にも読んでいるということになります。
 僕が『エチカ』を最初に読んでからでいえば,すでに30年以上の時間が経過しました。その30年の間,僕が常にスピノザの思想に関心を抱いていたといえば必ずしもそういうわけではなく,スピノザの思想のことを気に掛けていない時期というのが確かに僕にもありました。ただ,30年という時間の中でいえば,そうした時期というのはきわめて短期間になりますから,今の僕は,初めて『エチカ』を読んでから30年以上の間,ずっとスピノザの思想に関心を抱いていたといったとしても,厳密な正確性は欠くとしても,強弁であるとはいえないだろうと考えています。そしてそれだけの年月があれば,最初に『エチカ』を読んだ時の僕と比べれば,現在の僕はスピノザの哲学に対する理解度というのは,かなり深まっている,これはあくまでも過去の僕と現在の僕の比較であって,僕と僕以外のだれかの比較ではありませんが,その理解度が深まっているのは間違いありません。そしてそういう状況で,僕はまた入門書である『はじめてのスピノザ』を読んだのです。
                                        
 こうした状況から,入門書を読むということには意義があると僕が考えていることは理解してもらえるのではないかと思います。ある程度まで知識が深まれば,もう入門書などは読む必要はないというのもひとつの考え方としてはあり得るのであって,もしも僕がそういう考え方をしていたとするなら,『はじめてのスピノザ』を読むというようなことはなかったでしょう。
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農林水産大臣賞典浦和記念&入門書

2022-11-23 18:58:36 | 地方競馬
 第43回浦和記念
 サバンナロードはダッシュに欠け3馬身の不利。発馬直後はアイオライトとエルデュクラージュが並び,その後ろにスワーヴアラミスとタイセイドレフォンとランリョウオー。その後ろがラーゴムとケイアイパープル。その後ろがタービランスとサンライズハイアー。ここまでが一団。3馬身差でクリノドラゴン。7馬身差の最後尾にサバンナロード。その後,アイオライトとエルデュクラージュとランリョウオーの3頭で抜け出しその後ろのスワーヴアラミスとタイセイドレフォンに3馬身ほどの差。さらに,アイオライトとランリョウオーの2頭になってエルデュクラージュは3番手に。2周目の向正面に入るところでアイオライトが単独の先頭に出るという展開。前半の1000mは60秒5の超ハイペース。
 ランリョウオーはすぐに一杯。2番手以下はエルデュクラージュ,タイセイドレフォン,ラーゴムの順になり,内からタービランスがその後ろに。さらに後方に控えていたクリノドラゴンもその後ろまで取り付いてきました。アイオライトはそのまま飛ばしていき,3コーナーではリードが6馬身くらいに。ラーゴムとクリノドラゴンが並んで差を詰めてきました。直線に入るとクリノドラゴンがラーゴムを置き去りにし,さらにアイオライトも差すとそのまま抜け出して優勝。ラーゴムもクリノドラゴンを差して2馬身半差で2着。超ハイペースで飛ばしていったアイオライトがクビ差の3着に粘りました。
 優勝したクリノドラゴンは重賞初制覇。この馬は4歳馬ですが出走歴は多く,初勝利が9戦目,2勝目が13戦目,3勝目が19戦目。そして25戦目で4勝目をあげてオープン馬に。その後は重賞を2戦して共に4着と,じわじわと力をつけてきた馬です。今日のメンバーは9頭は勝ってもおかしくないと思える混戦のメンバー。快勝になったのは展開面が大きく,同じメンバーで戦ってまた勝てるのかといえば,必ずしもそうとはいえないでしょう。トップクラスとは現状は差がありますが,キャリアは多くても,これまでの成長の度合いからしてまだ強くなる余地はありそうですから,どこまでトップに近づいていかれるかといったところでしょう。父は2012年に七夕賞,2013年にアルゼンチン共和国杯を勝ったアスカクリチャンで,その父はスターリングローズ。6代母がファンシミン
                                        
 騎乗した武豊騎手は第26回,28回,31回,37回に続き6年ぶりの浦和記念5勝目。管理している大橋勇樹調教師は浦和記念初勝利。

 それでは『はじめてのスピノザ』に関連するいくつかの事項について考察していくことにします。ただし,『はじめてのスピノザ』はあくまでも入門書ですが,僕の考察は入門書としての考察,いい換えれば入門者向けの考察にはとどまらず,もう少し深いところまで踏み込んでいくことになるでしょう。これは僕は第一義的には僕自身のスピノザの哲学に対する理解を深めていくためにこのブログを執筆しているのであり,僕以外のためのだれかのために執筆しているということは,少なくとも第一義の目的ではないということから,僕自身にとっては当然のことですが,その点は事前に理解しておいてください。ただここでは,『はじめてのスピノザ』そのものの内容について考察していく前に,僕の方からこうした入門書を読むことの意義について,いっておきたいことがあります。
 僕はスピノザの哲学についての入門書というのを,これ以前にも何冊か読んでいます。列挙すれば,ジャレットCharles Jarrettの『知の教科書 スピノザSPINOZA:A Guide for the Perplexed』,河井徳治の『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』,モローPierre-Francois Moreauの『スピノザ入門Spinoza et le spinozisme』,工藤喜作の『人と思想 スピノザ』,上野修の『スピノザの世界』といったものは,スピノザの哲学の入門書といえます。また,桂壽一の『スピノザの哲学』は,入門書と思って購入した書籍ではありませんでしたが,内容は入門書というべきもので,読書を開始する以前の意図と違っていたとはいえ,入門書を読んだという事実には違いありません。さらに上野修の『「無神論者」は宗教を肯定できるか』は,スピノザの哲学の入門書とはいえませんが,スピノザの神学あるいは政治論に関しては入門書といえるような内容であって,これは哲学そのものではないとしても,当初の意図からすれば,入門書を読んだということになります。
 僕が最初にスピノザ自身の著作として読んだのは『エチカ』で,これは30年以上前のことになります。僕がどのようにスピノザを知り,またその後にどうしてスピノザの哲学に関心を抱いたのかということについてはかつて詳しく説明しましたのでここでは繰り返しませんが,僕はその後に発売された入門書も読んでいます。
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将棋日本シリーズ JTプロ公式戦&はじめてのスピノザ

2022-11-22 19:22:48 | 将棋
 20日に幕張メッセで指された第43回将棋日本シリーズの決勝。対戦成績は藤井聡太竜王が5勝,斎藤慎太郎八段が3勝。
 抽選で選ばれた観客による振駒で齋藤八段の先手。角換わりの将棋になりました。
                                        
 第1図で☗1五歩と仕掛けていったのですが,これが失着。ここは☗7九玉か☗3三桂成☖同銀としてから☗7九玉として,また駒組に戻るのがよかったようです。
 ☖1五同歩☗同香☖同香☗2四歩☖1八香成☗2七飛☖4九角☗2六飛までは仕掛けた以上は当然の進行。そこで☖2五香と打つのが好手でした。
                                        
 これは☗3三桂成☖同銀☗2五飛で取ることができるのですが☖2四銀から後手が飛車を取る展開になります。実戦は☗2三歩成としましたが,☖2六香で飛車を取った後手が優勢となりました。
 日本シリーズには封じ手があり,☗1五歩はその封じ手でした。たとえばもう少し早い段階で封じ手となっていると,休憩時間中に先手は☖2五香に気付き,☗1五歩は無理と判断できた可能性はあります。封じ手のタイミングが勝敗を分ける場合もあるという一例ともなる一局でした。
 藤井竜王が優勝。2020年度の朝日杯将棋オープン以来となる6度目の棋戦優勝。日本シリーズは初優勝となりました。

 7月13日,水曜日。この日に1冊の本を読了しました。國分功一郎の『はじめてのスピノザ』です。國分の著書については以前に『スピノザの方法』を読んだことがあり,これが2冊目になります。『スピノザの方法』が,文字通りにスピノザの哲学における方法論,とくに真理veritasを獲得するための方法論について詳しく探求したものであるのに対していえば,『はじめてのスピノザ』というのは,そのタイトルからも連想することができるように,スピノザの哲学の入門書です。ですから内容としていえば『はじめてのスピノザ』は『スピノザの方法』よりもかなり理解しやすいものとなっています。少なくとも『スピノザの方法』というのは,スピノザの哲学に対してある程度の知識をもっているということを前提としなければ理解することはできないでしょうが,『はじめてのスピノザ』はそうした知識が何らなくても読んでいくことができます。
 サブタイトルは「自由へのエチカ」となっています。このエチカは,必ずしも『エチカ』を意味するわけではなくて,もっと一般的な意味でのエチカすなわち倫理学を意味すると理解した方がいいでしょう。ただこの副題から分かるように,スピノザの哲学の入門書ではありますが,『エチカ』の入門書であるという側面が強くなっています。これまでにもスピノザの哲学の入門書というのをいくつか紹介してきましたが,この『はじめてのスピノザ』はとくに『エチカ』の入門書という色合いが濃くなっています。たとえばスピノザの哲学の入門書の中には,スピノザの人生についても詳しく説明しているものがいくつかあります。『はじめてのスピノザ』も冒頭にそうした部分が含まれていますが,とても簡潔な紹介であって,分量として多くを含むものではありません。またその部分で『エチカ』以外のスピノザの著作についての説明が含まれていますが,それも最小限といっていい程度のものです。
 2020年11月20日に講談社現代新書から発行されたものです。つまりスピノザの入門書としては新しいものです。また新書版ですから分量もさほど多くありません。読むのが大変という類のものではないので,一読を推奨します。
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施設整備等協賛競輪in富山&2022年7月の通院

2022-11-21 19:07:58 | 競輪
 富山競輪場で行われた昨日の神秘の海・富山湾カップの決勝。並びは根本‐飯野‐竹内‐泉の北日本,北井‐野口‐近藤の南関東,伊藤‐大塚の九州。
 飯野がスタートを取って根本の前受け。5番手に伊藤,7番手に北井で周回。残り3周のホームから北井が上昇開始。根本は誘導との車間を開けて待ちました。先行争いとなりそうでしたが,バックで外から北井が叩いて前に。ただ近藤が離れてしまったために,根本が3番手に入り,7番手に伊藤,最後尾に近藤という隊列になりました。北井はホームでも緩めずに駆けていき,そのまま打鐘。根本は発進することができず,バックから飯野が自力で発進。それに野口が合わせようとしました。後方になっていた伊藤は内から進出。飯野は野口の外を乗り越え,前に出るとそのまま先頭を譲らずに優勝。マークの竹内が半車身差の2着に続いて北日本のワンツー。野口が4分の3車身差の3着に残り,内から野口と飯野の間を突いた伊藤は4分の1車輪差で4着。
 優勝した福島の飯野祐太選手は先月の松阪でのFⅠ以来の優勝。2008年にヤンググランプリを優勝して以来のグレードレース制覇で,GⅢは初優勝となりました。このレースは北日本勢と南関東勢が二段駆けの並びで,飯野も野口もこのメンバーなら脚力は上位ですから,先行ラインの番手選手が有利だろうと思っていました。北井が早い段階から全力で駆けていったために,展開としては野口が有利だったのですが,近藤が離れてしまったのが誤算。このために根本の発進は防げたのですが,飯野の捲りには抵抗することができませんでした。最終周回のバックで根本がいけないとみてすぐに自力に転じた飯野の判断もよかったと思います。

 受付では別のやり取りもありました。8月から12月の間に血糖値測定器の点検を行うので,その間に血糖値測定器を持参するようにとの案内でした。僕はサマリーを出すために通院の際には必ず血糖値計測器を持参しています。ですから持参については問題ありませんでした。持参すればその日のうちに点検が終わるので,診察が終了するまでには返却されるとのことで,その後の計測には問題はありません。これは8月からのことですから,この日はその案内を受けただけで,点検をしたわけではありません。
                                   
 診察が始まったのは午後3時5分でした。この日に検査した血糖値が低血糖となっていましたが,それ以外にこの間に発症していた低血糖は2度でした。なお,このときに出た48㎎/㎗という値は異例なほどに低い値であって,僕が自分で計測してこんなに低い値が出ることはまずありません。この間に出ていた低血糖というのは1度が69㎎/㎗で,もう1度が68㎎/㎗です。もっとも計測をしていないだけで,実際にはそれくらいの低血糖を発症しているケースがあるかもしれません。とはいえそのような場合にはすぐにブドウ糖の補給を行いますので,このときのようにその症状はすぐに改善されます。HbA1cは6.7%で,6月よりも良化していました。これはやはり気候的なものの影響が大きかったと思います。それでも低血糖が頻発しているというわけではありませんでしたから,注射するインスリンの量を変更するという措置はありませんでした。低血糖を発症していたこと以外には異常はありませんでした。何の異常もなかったというのは2月以来のことでした。
 診察の後,血糖値を計測するための針とセンサーを主治医からもらいますが,そのときに自己管理ノートも出してもらいましたので,それも持ち帰りました。昨年の12月の通院のときに説明したように,自己管理ノートは形式が変わっていたので,1冊を使用することができる期間が短くなっていたのです。ただ実際には8ヶ月でしたので,このときにもらったノートを使い始めたのは9月になってからです。
 薬局にはインスリンも注射針もありました。帰宅したのは午後4時10分でした。
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マイルチャンピオンシップ&十七回忌

2022-11-20 19:14:37 | 中央競馬
 第39回マイルチャンピオンシップ
 ゲートの中で立ち上がっていたウインカーネリアン,ロータスランド,ピースオブエイトの3頭が前に。レースの前半はピースオブエイトの逃げになりました。4番手にマテンロウオリオンとソダシとホウオウアマゾン。7番手にダノンザキッド。8番手にシュネルマイスターとダノンスコーピオン。10番手にサリオスとソウルラッシュとファルコニア。13番手にセリフォス。14番手にジャスティンカフェとエアロロノア。2馬身差でハッピーアワー。最後尾にベステンダンク。ファルコニアは外からどんどん上がっていき,3コーナーの手前ではピースオブエイトの前に出ました。ここで前の隊列はファルコニア,ピースオブエイト,ホウオウアマゾンの順になり,2馬身差でロータスランドとソダシ。その後ろにダノンスコーピオンが続くという形に。ファルコニアの動きに合わせた馬と合わせなかった馬がいたので,発走後の隊列とは大きく変化しました。前半の800mは46秒6のスローペース。
 ファルコニアが先頭のまま直線に。2番手がピースオブエイトで3番手にホウオウアマゾン。内へ進路を取ったのがロータスランドでさらに内にいったのがマテンロウオリオン。これらの中で最も粘ったのはピースオブエイト。その外からソダシとソウルラッシュが追い上げてきましたが,その2頭のさらに外のセリフォスの末脚が優り,あっという間に突き抜けて快勝。ピースオブエイトとソダシの間を抜けてきたダノンザキッドが1馬身4分の1差で2着。ソダシとソウルラッシュは接戦になりましたが,内のソダシが半馬身差の3着でソウルラッシュがハナ差で4着。
 優勝したセリフォスは富士ステークスから連勝。重賞は4勝目で大レースは初制覇。新馬を勝った後,重賞を連勝。クラシックには進まずマイル路線を歩みました。斤量が有利な3歳馬という身ではありましたが,今日のメンバーを相手にこれだけの差をつけて勝ったということは,確かにマイル路線の適性が高かったということでしょうし,陣営の判断が報われたということだと思います。ただ,完成度が高い馬のように僕には見受けられますので,今後の活躍はまだ成長の余地があるかどうかという点にかかってくるような気もします。父は第23回24回を連覇したダイワメジャーで父仔制覇。Serifosはエーゲ海の島の名前。
 騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手は2019年の有馬記念以来となる日本馬に騎乗しての大レース7勝目。日本の大レースは5勝目。マイルチャンピオンシップは初勝利。管理している中内田充正調教師は一昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース4勝目。マイルチャンピオンシップは初勝利。

 7月8日,金曜日。6月30日に依頼しておいたお会式の参詣券がこの日に郵送されてきました。このお会式は昨年のうちから参詣を要請されていたもので,日時もかなり前から決定されていたものです。なので僕も参詣することに決めていました。よってこの週は妹を迎えに行きませんでした。
                                        
 7月10日,日曜日。この日がお会式でした。これは先代の住職の十七回忌のお会式です。先代の住職の命日が7月で,ですからこのためのお会式というのはその命日に近い日ということで,昨年のうちから決定することができたのです。先代の住職というのは現在の住職の父親になります。お会式では住職が中心となって読経するのですが,この場合は住職は十七回忌の施主とでもいうべき立場になりますので,別の寺院から特別に呼ばれた僧侶が中心になっての読経になります。ここでいう中心というのは,中央に座るという意味です。
 この日は参議院議員の選挙がありましたので,午後4時半過ぎに投票に行きました。妹は帰ってきていませんでしたので,投票したのは僕ひとりだけで,妹は投票していません。
 7月11日,月曜日。内分泌科通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。到着したときに明らかに低血糖の症状がありました。なので保険証の確認をしてさらに予約票を所定の機械から出した後に,ブドウ糖の補給をしました。
 それから中央検査室に向かいましたが,この日はだれも採血を待っていませんでした。なので注射針の処理だけを行い,すぐに採血をしました。ブドウ糖を補給し終えたばかりなので,まだ低血糖状態を脱していないことは分かっていましたが,これは仕方がありません。その採血を済ませてから採尿をしました。
 実際にこのときに計測された血糖値は48㎎/㎗と,きわめて低い値でした。診察の予約は午後3時ですから,僕は午後2時50分ごろに内分泌科で受付をするのですが,そのときにはすでに計測結果が主治医に知らされていたようで,受付の担当者からブドウ糖を補給するように主治医からの指示が出ていると言われました。ただ実際にはその時点ではすでに低血糖状態を脱していました。
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ビリーヴ&蜂の巣

2022-11-19 19:08:03 | 名馬
 10月2日のスプリンターズステークスを勝ったジャンダルムの母はビリーヴです。母はグレートクリスティーヌ
 2歳11月の新馬を優勝。ただその後は苦労して,3歳の5月に2勝目。11月に2勝目をあげました。
 3勝目をあげたのが4歳の4月でオープン入り。当時の制度により降級し,7月と8月に連勝して本格的なオープン馬となりました。すると次のセントウルステークスをレコードタイムで制して重賞初制覇。さらにスプリンターズステークスではアドマイヤコジーンを2着に降して大レースの勝ち馬の仲間入りを果たしました。香港に遠征した香港スプリントは12着。
                                        
 5歳初戦の阪急杯は9着と大敗しましたが,続く高松宮記念は巻き返して大レース2勝目。笠松からJRAに移籍した当時の安藤勝己騎手にとって,初めての大レース制覇になりました。京王杯スプリングカップは9着で安田記念はアグネスデジタルの12着。1200mに戻った函館スプリントステークスは勝って重賞4勝目。
 セントウルステークス2着を挟んで連覇に挑んだスプリンターズステークスはデュランダルの2着。これで競走生活から退くことになりました。JRA賞ではこの年の最優秀4歳以上牝馬に選出されています。
 戦績から分かるように,典型的なスプリンターで,晩成型でした。繁殖生活はアメリカで送ることになりましたが,産駒のほとんどは日本で競走生活を送っています。オープンを勝った馬が2頭出ていましたが産駒の重賞初制覇となったのがジャンダルム。その馬が大レースも勝ったことになります。母が日本の名馬なのにジャンダルムがアメリカ産馬になっているのは,ビリーヴの繁殖生活が関係しているのです。

 7月1日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。通所施設に到着すると,地域担当支援主任のSさんが僕のことを待っていました。これは三者面談で作成する個別支援計画書に僕のサインを入れるためで,僕はその場でサインをしました。なお,個別支援計画書というのは,グループホームのものと通所施設のものの2通があります。このときにサインをしたのはグループホームの支援計画書だけで,通所施設の個別支援計画書は含まれていませんでした。
 7月2日,土曜日。午後4時半に家の床下の工事を施工した業者が訪問してきました。これは突然の訪問でした。僕の家の近くで別件の工事があったので,もしも可能であれば,夏に行う予定であった点検をこの日のうちに行いたいとのことでした。妹は在宅していましたが,点検だけですから,それほど時間を要するわけではありません。点検をするということ自体は工事が終了した後で知らされていたことですから,後で別に日程を調整するのも面倒に思えましたので,点検をしてもらいました。ところが施工部分自体には問題がなかったのですが,床下にキイロスズメバチが巣を作っているとのことでした。おそらくどこかしらから床下に侵入できる隙間があって,そこからキイロスズメバチが侵入してしまったようです。蜂の巣の駆除はこの業者で行えるとのことでしたので,駆除を依頼しました。ただしこれは当然のことですが,この日はそのための用意をしているわけではありません。実際に駆除をしたのは2日後です。
 7月4日,月曜日。妹を通所施設に送りました。そしてこの日の午後5時から,蜂の巣の駆除が行われました。一般的に蜂の巣の駆除というのは夜に行うものだと思うのですが,この時間で大丈夫とのことでしたので,僕は2日にこの時刻で依頼しておいたのです。巣があったのは木造建築の床下の木部ですから,巣を駆除するとその木部が削られることになります。なのでその部分を補強するという工事が巣の駆除の後に行われました。このために1時間ほどの時間を要しています。蜂の巣ができたのはアクシデントですが,巣の駆除も補強も,補償の範囲内として,無料で施工してもらいました。
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竜王戦&目薬の処方

2022-11-18 19:10:04 | 将棋
 8日と9日に福知山城で指された第35期竜王戦七番勝負第四局。
 藤井聡太竜王の先手で角換わり相腰掛銀。後手の広瀬章人八段は☖6三金型を採用しました。ただ,思うような展開にはならなかったのではないかと推測します。
                                        
 第1図から☖4七歩成と指しました。第1図はすでに後手が苦しいようなのですが,たぶんこの手が敗着に近い一手で,ここは☖3五歩と我慢して息長く指すのを目指す方が優ったように思えます。
 ☗同銀のときにも☖3五歩はあったかもしれませんが,銀を引かせたとはいえ拠点になりそうな歩を捨てた後なのでやりにくいでしょう。☖8六歩☗同金として馬取りに☖5一飛と引きました。☗8二馬に☖6五桂はもはや仕方がないところと思いますが☗2二歩と打たれて大勢が決しました。
                                        
 全体的には先手の快勝譜なのですが,後手が不出来な将棋だったという印象の方が僕には強く残りました。
 藤井竜王が勝って3勝1敗。第五局は25日と26日に指される予定です。

 この日のうちにО眼科に行って,目薬を処方してもらいました。目薬は概ね1ヶ月分が処方されますが,実際に使用してみると,1ヶ月だと少し余りが生じます。なので中4週で処方してもらう場合もあれば,中5週で処方してもらう場合もあります。また,これは点眼薬の場合で,塗布薬の方は1ヶ月では絶対に使いきれません。ですから,点眼薬だけを処方してもらって塗布薬の方は処方を辞退するという場合もありますし,点眼薬と塗布薬の両方を処方してもらう場合のふたつの場合が生じます。妹は家でもグループホームでも,そして点眼薬については昼に通所施設でも使用する場合があります。通所施設で使用する点眼薬はグループホームで補給してもらうようにしてあります。なのでグループホームには予備の点眼薬が保存してあり,それがなくなると連絡帳に表記され,僕の家にある在庫から補充します。それとは別に家で使用する点眼薬がありますから,点眼薬の在庫は僕の家にはそれなりにあります。また塗布薬の方は,グループホームと家とで別のものを使用しています。それとは別に1本の在庫を家で保管するようにしています。塗布薬も処方してもらうのは,その在庫がなくなったときです。
 6月20日,月曜日。妹を通所施設に送りました。ワクチン接種に伴う休みを挟み,妹にとっては6日ぶりの出勤となりました。
 6月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 6月25日,土曜日。午後8時55分に,ピアノの先生からの電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
 6月26日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。開始時刻は午後2時半でした。
 6月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 6月30日,木曜日。午後0時半にお寺の奥さんから電話がありました。7月10日にお会式が予定されていたのですが,このお会式に参加するためには参詣券が必要なので,その参詣券をどのように渡すのがよいかということでした。このお会式はかなり前から予定されていたもので,僕も参詣する予定でしたが,それまでにお寺に行く予定はありませんでした。なので郵送してもらうことにしました。
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ハイセイコー記念&副反応

2022-11-17 19:12:28 | 地方競馬
 昨晩の全日本2歳優駿トライアルの第55回ハイセイコー記念
 ブルマリンシェールは発馬後のダッシュが鈍く2馬身の不利。逃げたのはポリゴンウェイヴで向正面に入るところで4分の3馬身差の2番手にナチュラルターン。ただ向正面に入ると後方にいたマンダリンヒーローが外から進出して2番手まで上がりました。ナチュラルターンの後ろはトワシュトラールとマイブーで併走。その後ろがリベイクフルシティ。ピノホホッア,サムタイムアゴー,ブルマリンシェールの順で続き,2馬身差の最後尾にラウドロック。前半の800mは51秒6の超スローペース。
 3コーナーからポリゴンウェーヴがスパート。一時的にマンダリンヒーローとの差が2馬身くらいになりましたが,コーナーでまた差を詰めていきました。3番手にはトワシュトラールが上がりその内からピノホホッアで外からナチュラルターン。3番手のトワシュトラールは前の2頭に追いつくことができず,直線はポリゴンウェイヴとマンダリンヒーローのマッチレース。楽な逃げだったポリゴンウェイヴがよく粘りましたが,外からマンダリンヒーローが差し切って優勝。ポリゴンウェイヴがクビ差で2着。内を回り,直線もトワシュトラールの内からトワシュトラールを差したピノホホッアが4馬身差で3着。トワシュトラールが半馬身差で4着。
 優勝したマンダリンヒーローはデビューから4連勝で南関東重賞制覇。このレースの2着馬は北海道で一定の成績を残し,早めに南関東に転入して南関東でも相応の実績を残している馬。その馬の楽な逃げになったのを,向正面で動いていき,直線でも外から捻じ伏せて勝ったのですから,内容は高く評価できると思います。無事に進んでいくことができれば,来春のクラシックでも有力候補となるでしょう。母の父はフジキセキ。母の3つ上の半兄に2011年の北九州記念を勝ったトウカイミステリー
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はローレル賞以来の南関東重賞31勝目。第51回以来となる4年ぶりのハイセイコー記念2勝目。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞25勝目。こちらも第51回以来となる4年ぶりのハイセイコー記念2勝目。

 接種の予約をしておいたのは午後3時です。順調に接種が終わりましたので,午後3時50分には帰宅することができました。この日のうちには妹に副反応の症状は現れませんでした。前にもいいましたように,もしも入浴中に副反応が出てしまうと僕の対応が遅れる可能性がありますので,この日も妹は入浴は控えました。ですから注射した部位に貼った小さな絆創膏も剥がしていません。
 6月16日,木曜日。妹は午前11時に起きてきました。妹は家にいる場合には昼まで寝ていますので,これはとくに起床が遅くなったということではありません。妹は昼まで寝ていますので,午前中であれば妹が在宅していても僕は外出することが可能です。このときはスパゲッティのナポリタンを妹のために買ってありましたので,それを食べさせました。完食しました。
 午後2時に妹の体温を計測すると,38.1℃とかなり高くなっていました。これは副反応です。カロナールを服用させて,妹は寝室のベッドに横になりました。
 午後5時半になって,何か食べるかと尋ねると,食べるという返事でした。なので妹のために用意しておいた卵のおかゆを食べさせました。わりと元気でしたので,それだけでなく,僕の夕食用だったハンバーグと,切り干し大根と芽キャベツとこんにゃくの煮物も出してみると,それらも完食しました。
 午後10時に体温を計測すると,37.8℃で,午後2時よりは下がっていましたが,まだ高めでした。服用から8時間が経過していましたので,再びカロナールを服用させました。カロナールは1回に2錠で,服用してから8時間は服用することが禁じられている薬剤です。ですから僕は1度目の体温の計測から8時間が経過した時点で再び体温を計測したのです。妹はこのときにも食べることを所望しましたので,妹のためのおやつとして用意してあった煎餅を食べさせました。
 6月17日,金曜日。妹はこの日も午前11時に起きてきました。体温を計測すると36.5℃で,ほぼ平常に戻っていました。これで妹の副反応は終了です。熱は出たものの総じて2度目のときよりも元気でしたので,2度目よりは軽く済んだといっていいでしょう。
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大山名人杯倉敷藤花戦&食費の改定

2022-11-16 19:18:40 | 将棋
 2日に指された第30期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が26勝,西山朋佳女王・女流王将が25勝。これはNHK杯の予選を含んだものです。
 倉敷市の副市長による振駒で西山女王・女流王将が先手となって角道オープン三間飛車。後手の里見倉敷藤花も三間飛車に振っての相振飛車。中盤は攻め合いの将棋になりました。
                                        
 第1図で後手は☖1三角と金取りに上がりました。ただこの手は危険で,☖4二歩と受けておくのが最善だったようです。
 ところが先手はこの手を軽視していたために対応に最善を欠きました。☗4三歩成☖4六角と進んだときに☗3七金と上がればよかったのですが,☗3七金打と手堅く受けました。さらに☖同角成に☗同金ではなく☗同桂と取ったのがよくなく,☖5四飛☗6五角に☖3四飛と回られ,後手が有利の攻め合いになりました。
                                        
 先手としては時間が残っていましたので,☖1三角と読みにない手を指されたところでもう少し時間を使うべきだったかもしれません。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は26日に指される予定です。

 6月14日,火曜日。午後12時50分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。僕はこの後,妹を通所施設に迎えに行くことになっていたのですが,そのときに印鑑を持参してほしいという依頼でした。電話の内容はこれだけでしたので,なぜ印鑑が必要であるのかということはこのときには分かりませんでした。
 通所施設に到着しますと,支援課長のUさんが待っていて,面談をしました。僕はUさんとはこのときが初対面,正確にいえばふたりで長く話をするというのは初めてでした。Uさんによれば,通所施設と利用者,およびグループホームと利用者との間の契約の内容が変更されるので,新たに契約書にサインをしてほしいとのことでした。変更されるのがどの点であるのかといったことの細かな内容の説明を受けましたので,僕が新しい契約書にサインするまで,概ね30分ほどの時間を要しました。変更になったのは4点あるのですが,そのうち最も大きなものといえるのは食費の改定でした。妹は通所施設でもグループホームでも給食を食べますが,この給食は無料ではなく食費が必要になります。この食費が改定された,要するに値上げされたということです。4点のうちの最大の改定がこの点にあるのですから,ほかの3点についても大幅な改定というわけではありません。ですからここではそれについての細かな説明はしません。ここで30分ほどの時間を要しましたので,帰宅時間もいつもより30分ほど遅れました。
 6月15日,水曜日。妹の3度目の新型コロナウイルスのワクチンの接種日でした。このワクチン接種がありましたので,この週は火曜に妹を迎えに行きました。また,副反応が出ることが容易に予測されましたので,この週は接種当日の水曜だけでなく,木曜と金曜も休みにして,翌週の月曜に出勤を再開するという予定を組んでありました。
 事前にいっておきましたが,このときに妹のワクチンを接種したのは,僕が3度目の接種をしたのと同じ,根岸町にあるクリニックです。また,このときはこのクリニックのワクチンがファイザー製になっていましたので,僕とは異なり,妹は3度目の接種もファイザー製になりました。
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