公理論の中に非実在的なものの定義Definitioを組み込むということ,単に定義として組み込むのではなく,その非実在的なものを吟味するために役立つようなよい定義として組み込むことが可能であるということは,スピノザも認めると思います。いい換えればたとえ非実在的なものが公理論の中に組み込まれているのだとしても,それが吟味するのに役立つような形で組み込まれているのである限り,それは公理論として成立するということをスピノザは認めるでしょう。
さらにいうとこのことは,その公理論のことをスピノザが学知scientiaとして認めるか認めないかということとは直接的には関係しません。というのは,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』では真空vacuumが定義されているがゆえに,非実在的なものが『デカルトの哲学原理』という公理論の中に組み込まれているのですが,実際にはそれは,真空なるものは存在しないということを証明するために組み込まれているからです。したがってその限りにおいてはスピノザの考え方とデカルトRené Descartesの考え方が一致しているのであって,公理論の中からこの部分だけを抽出するなら,スピノザがそれを学知ではないということはできません。スピノザは真空が存在しないということが真理veritasであると認めているのですから,真理を明らかにしていることを学知でないということはできない筈だからです。いい換えればスピノザは,たとえ非実在的なものが組み込まれている公理論でも,それを学知としてあるいは真理として認める場合があるということです。この観点から説明した方が,スピノザは非実在的なものが組み込まれている公理論であったとしても,それが要件を満たすように組み込まれている限り,それを公理論として認めるということは分かりやすいかもしれません。
次に,バディウAlain Badiouが公理論的集合論を記述しようとするときに,スピノザが求めるような条件の下で空を定義することができるのかという点については,僕は確実なことはいえません。そもそも集合論における空という概念notio,つまり存在論を離れた数学としての空という概念がいかなるものであるのかということを僕は知らないからです。ですが,それが不可能だとは思えないです。
バディウAlain Badiouは,空を考察の対象としなければならないから公理論が採用されなければならないと主張していました。おそらくその根拠は,公理論において空を定義する必要があったらだと僕は思います。それ以外に,非実在的なものを考察の対象とするために,公理論を採用しなければならないという理由が僕には見当たらないからです。ですからバディウはきっと,考察のために空を定義する必要があると考えていたのでしょう。そして空を定義してしまえさえすれば,空について考察することが可能になると考えていたのだと思います。
これだけでは,スピノザが示す定義Definitioの要件を,バディウが定義しようとした空が満たすということはできません。空が,あるいはもっと広くいえば,非実在的なものが,知性intellectusがそれを概念するconcipereのに資するような形で定義され得るのかということはまだ判然としていないからです。同時に,公理論における定義の要件について,バディウがスピノザが示したようなものとして解していたかも分からないからです。ただ,スピノザが示すような条件を満たす形で空を定義することは,できないことではないだろうと僕は考えています。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第二部定義五では,真空が定義されています。それによれば真空とは物体的実体substantia corporeaのない延長Extensioのことです。この定義は,真空を説明するために役立つ定義であるとはいえません。物体的実体のない延長というのは,それ自体で何らかのものの本性essentiaを説明するとはいえないからです。ですが物体的実体とか延長というのが何であるのかということは,定義するかどうかということは別としても,『デカルトの哲学原理』という公理論の中で明らかにすることができる事柄ですから,真空を吟味するためには役立つ定義です。そして真空というのは非実在的なものですから,非実在的なものを,吟味するために役立つように定義するということができるということは,この一例が明示しているといえるでしょう。いい換えれば,たとえそれが非実在的なものであったとしても,公理論を論証していくために,知性は非実在的なものを概念することができるのであり,そのための定義も立てられるのです。
なぜ僕が,スピノザは公理論の内部に非実在的なものが含まれることを一般的には否定しないであろうと考えるのかといえば,スピノザは定義Definitioの条件として,定義されるものをその定義されるものに則して正しく示されなければならないということだけを掲げているわけではないからです。もちろんスピノザは,そのような定義が定義の要件を満たすということは認めます。しかし一般に定義のすべてがそうしたものでなければならないとはいいません。これはシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九から明らかです。そこではスピノザは,定義には二種類あるのであって,ひとつはその本性essentiaが不確かなものを説明するために役立つ定義で,もうひとつはそれ自身が吟味されるために立てられる定義であるとしています。このうち前者は,定義されたものを正しく説明する定義に該当するのに対し,後者はそれには該当しません。むしろ定義されたもの自体を吟味する,つまり公理論の中での論証Demonstratioに役立てる定義なのですから,そうしたものの本性は,もしそれが論証の中で明らかにされるのであっても構わないことになります。ただし一方で,それは吟味されるために役立たなければならないので,その定義が与えられた場合には,それを吟味する人が,吟味する人がというのはその人の知性intellectusがというのと同じですが,それを正しく概念するconcipereことができるのでなければなりません。いい換えれば後者でスピノザが掲げている要件は,知性がそれを十全に概念することができる定義であるということになります。
したがって,もしも空を定義するときに,その定義が空について知性が十全に概念することに資するものであるとすれば,その定義はスピノザが示している定義の条件を満たしていることになります。というよりも空というのは一例にすぎないのであって,非実在的などんなものであったとしても,それを知性が概念するのに資する定義が与えられさえすれば,スピノザはその定義は定義として正しい,いい換えればそれはよい定義であることを認めるのです。よって少なくともスピノザは,非実在的なものの定義を公理論のうちに組み込むことを,一般的には否定できない筈なのです。
存在論というのは,もしもそれを文字通りに解するならば,存在するものについての論理です。したがって,存在しないものについての考察は,この意味においては存在論とはいえません。いい換えるなら,存在しないものは存在論の中に組み込むことが不可能なあるものであるということになります。
しかし,何を存在論であるというのかは別としても,存在論の中に存在しないもの,いい換えれば非実在的なものが組み込まれている場合というのは,実際にはあると僕は解しています。もしも存在するものについて探求する場合に,存在しないものについても考慮しなければならないという論理構成を構築するなら,その存在論の中には存在しないものが組み入れられなければならないからです。たとえば,神Deusの本性essentiaには自由意志voluntas liberaが属すると仮定して,現実的に存在するものは神の意志によって存在するとしましょう。この場合には,神がある特定の意志を発揮したがゆえに現実的に存在するものが存在するということになるので,もしも神が現に意志をしたのとは異なった意志を発揮していたとすれば,現にあるのとは異なったものが存在するようになっていたことでしょう。他面からいえば,現に存在しないものが存在することになったでしょう。したがって,もしもこのような理論構成の下で存在論を構成するのであれば,その存在論の中には,存在するものだけが含まれれば十分であるとはいえず,むしろ存在しないものについても含まれていなければなりません。とくに神の本性に自由意志が帰せられる場合には,無限に多くのinfinita可能性のひとつとして現にあるものが存在するということになるので,存在しないもの,非実在的なものについては,存在するもの,実在的なものよりも多く含まれていなければならないということになります。ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizのモナド論を存在論的に解するならこのようなことになると僕は考えます。ですから,存在しないものが存在論の中に含まれるということは,それが数学的な対象であるかないか,あるいはそれが数学の対象になり得るかなり得ないかということと無関係に,つまり単に哲学的にも,あり得るのだといわなければなりません。
まず第一に,ボイルは化学者であったわけですが,だからといって哲学や神学に造詣がなかったとはいえません。むしろこの時代の化学者であれば,そうした事柄に対しても関心を払っていたとみる方が普通です。たとえばフッデJohann Huddeは政治家でありまた光学者であったわけですが,スピノザの哲学に対して有益ないくつかの質問を書簡を通してしています。また,ホイヘンスChristiaan Huygensも科学者でしょうが,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を読み,それを高く評価しています。逆にデカルトRené DescartesやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは哲学者といえますが,数学でも業績を残しています。つまりこの時代はスペシャリストよりはゼネラリストが多かったわけで,ロバート・ボイルもそうであった可能性が高いでしょう。ですからボイルが神学や哲学についてスピノザと議論をしても,不思議であるとはいえません。
スピノザとオルデンブルクHeinrich Ordenburgとの文通は一時的に中断されています。再開の契機はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausの仲介でした。書簡六十三のシュラーGeorg Hermann Schullerの報告によれば,そのときにチルンハウスはオルデンブルクとだけ面会したのではなく,ボイルとも面会しています。そしてふたりのスピノザに対する誤解を取り除いたとあります。それでふたりは『神学・政治論』を高く評価するようになったとされていて,高く評価したのが事実とは思えませんが,少なくともボイルがそれを読んでいたことは確かでしょう。そして文通の再開にあたって,ただオルデンブルクの誤解を解くだけでなく,ボイルの誤解も解く必要があったのも間違いありません。この事実は,スピノザとオルデンブルクとの文通にボイルが常に介在していたことを裏付ける強力な理由になり得るでしょう。
バディウAlain Badiouが数学は公理論でなければならないということを主張するとき,その公理論を幾何学的方法と同一のものとして把握していいのどうかは分かりません。ただ少なくともバディウが公理論でなければならないといっている数学を,幾何学的方法として記述することができない数学と考えることはできないでしょう。なので,それが幾何学的方法であるか否かよりも,それが公理論でなければならないとバディウが主張していることの方を,重視していいと僕は思います。
上野がいうには,ホッブズThomas Hobbesは論理すなわち計算であるといっていて,計算することが可能であるということが論理学であると認識していました。そのために命題計算をすることが可能な基本単位というものを探索していたわけです。ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizにも似たようなことがあるといっていて,両者の共通性として上野は分析をあげていたわけです。そしてこの方法というのは公理論的方法であるとはいえません。ですから,バディウが数学は公理論でなければならないといっていることを真に受けるなら,バディウはホッブズやライプニッツの方法に関しては数学であるとは認められないといわなければなりません。実際にはスピノザが分析的方法による数学も数学であると認めるのと同じように,バディウもそれを数学であると認めるような気は僕はします。ただバディウの主張そのものについては僕にはよく分からないので,スピノザのように認めると断定的な結論を出すことは控えておきます。
これでみれば分かるように,単に数学,バディウがいうような数学は存在論であるというテーゼを無視した場合の数学だけを中心に据えて考えるのであれば,バディウはホッブズやライプニッツよりは,スピノザと一致するのです。それが幾何学的方法であるかどうかということを別とすれば,数学が公理論的なものであるという認識cognitioではバディウはスピノザと一致しているのであって,ライプニッツやホッブズとは見解opinioを異にしていることになるからです。そしてこのことは,当然ながらスピノザの側からみた場合にも成立します。スピノザの考え方に近いのは,ホッブズやライプニッツよりはバディウなのです。
スピノザはデカルトRené Descartesの哲学については,そのすべてが真理veritasであるということを認めてはいませんでした。それでもデカルトによる分析は,哲学であるということを認めていたわけです。もちろんスピノザはデカルトの哲学の内容のすべてを否定するというわけではなく,デカルトの哲学の中にも真理はあるということには同意します。集合論との関係でいうなら,デカルトは空が存在するということを認めないのであり,この点ではデカルトとスピノザは一致します。ですが,そうであるがゆえにスピノザはデカルトによる分析を哲学であると認めていたわけではありません。いい換えれば,デカルトが分析によって導き出したことのうち,真理だけを哲学と認め,そうではない部分については哲学であると認めなかったのではありません。これは,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』のうちに,真理ではない事柄も定理Propositioとして示していることから明らかだといわなければなりません。
数学における分析は,それが命題として立てられるのであれば,真理であるとみなして構わないわけです。よって,真理ではない哲学の分析を哲学として認めるのですから,真理だけを導出するような数学の分析については,より数学であると認めやすい筈だといわなければなりません。したがってこの観点からも,スピノザは公理論的方法に基づかない,あるいは幾何学的方法には基づかない,分析による数学,スピノザが知っていたものとしていえば,ホッブズThomas HobbesやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizによる数学を,数学と認めていたであろうと推測することができるのです。
したがって,もしも集合論いい換えればカントールGeorg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの数学が,真理を導き出す数学である限り,スピノザはそれを数学であると認めるであろうと結論しなければなりません。ただしこの点は,存在論的な観点があって,スピノザが空を真理であると認めることが可能であるのかということを検討しなければなりません。このことについては後回しにします。それからもうひとつ注意しておかなければならないのは,集合論というのは,空を対象としなければならないので,公理論的なものでなければならないというのがバディウAlain Badiouの主張であったということです。
化学に関しては,ロバート・ボイルRobert Boyleとの論争について検討したときに,スピノザはボイルの実験を化学であると認めるであろうといいました。それに今はスピノザにとって何が数学であると認めることができたのかを検討しているのですから,これについてはここでは割愛します。一方,ホッブズThomas HobbesやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが行っていた分析についても,スピノザがそれを数学であると認めるであろうことは,容易に想像がつくでしょう。正確にいえば,スピノザはカントールGeorg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorは知らなかったわけですが,ホッブズやライプニッツについては知っていたわけですから,スピノザはホッブズやライプニッツの手法について,それも数学であることを認めていたであろうということは,容易に結論できるのではないかと思います。とくに,たとえばある分析を駆使することによって何らかの数学的命題が立てられたとき,その数学的命題を幾何学的方法によっても示すことができるのであれば,スピノザはそれを数学ではないということはできなかったといわなければならないでしょう。これは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が,まさしくデカルトRené Descartesの哲学であるということを前提としているということと,同じ関係にあるといわなければならないからです。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』は,スピノザがデカルトRené Descartesの哲学を幾何学的方法で,すなわち綜合によって示した著作です。つまり,デカルトが分析によって示した事柄を,スピノザが綜合によって改めたものです。このことから端的に理解することができるのは,分析によって行われた営為について,それを綜合によって示すことができることをスピノザが認めていたということです。少なくともスピノザは,分析によって示された事柄について,それを綜合に改めることが可能な場合があると認識していたといわなければなりません。そうでなければ実際にそれを行う筈がないからです。
スピノザの哲学とデカルトの哲学の間には相違があります。たとえば自己原因causa suiとか自由libertasとか意志voluntasといった概念notioを,スピノザはデカルトとは異なった仕方で理解します。したがってスピノザは,デカルトの哲学が真理veritasのすべてを明らかにしているという認識cognitioを有していたと考えることはできません。よって,デカルトによる分析を綜合に改めた『デカルトの哲学原理』の内容について,そのすべてをスピノザが肯定しているわけではありません。しかしそうであったとしても,スピノザはデカルトが思考していた事柄について,デカルトが綜合によってそれを示した場合があるということを考慮の外においても,哲学ではなかったとか形而上学ではなかったとはいわないでしょう。このことはこの著作の題名が『デカルトの哲学原理』となっていることから明白であるといわなければなりません。デカルトは綜合によって自身の哲学を示す場合もあったのですが,方法としては綜合よりも分析が優れているという,スピノザとは逆の認識を有していました。ですから多くの事柄については綜合ではなく,分析によって示そうとしたのです。そのデカルトが分析によって示した事柄について,スピノザはそれをデカルトの哲学であるとことを肯定した上で,『デカルトの哲学原理』という著作で,綜合的方法で示すことになったわけです。
このことが,哲学にだけ固有であるとは僕は考えないのです。分析による数学も数学だし,分析による化学も化学であると,スピノザは認めるであろうと推測するのです。