スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&書評

2023-12-31 19:00:51 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた第47回東京2歳優駿牝馬
 パペッティアの逃げとなり,2番手にコモリリーガルとローリエフレイバー。4番手のミスカッレーラまでが先行集団。2馬身差でフェルディナンドとアメリアハートとモノノフブラック。2馬身差でスピニングガール。その内にシトラルテミニ。2馬身差でヘリアンフォラ。モズミギカタアガリ,ミライヘノメグミが差がなく続き,2馬身差でケテンドリーム。内にキッショウテンで最後尾にボレロオブソロウという隊列。前半の800mは52秒1のミドルペース。
 3コーナーからパペッティア,ローリエフレイバー,ミスカッレーラが併走。パペッティアが一杯になって,2頭が並んで直線に。その後ろからフェルディナンド,アメリアハート,モノノフブラックの3頭が追い上げてきましたが,直線に入るところでアメリアハートが外に膨らんでしまい,モノノフブラックは大きな不利を受けました。直線はコーナーワークで前に出たローリエフレイバーとそれを追うミスカッレーラの争い。先んじたローリエフレイバーがミスカッレーラの追い上げを封じ込めて優勝。ミスカッレーラが2馬身差で2着。内を突いたシトラルテミニ,フェルディナンド,立て直して大外から追ったアメリアハートで3着争い。制したフェルディナンドが3馬身半差の3着。シトラルテミニがハナ差の4着でアメリアハートがクビ差で5着。
 優勝したローリエフレイバーは南関東重賞初挑戦での勝利。ここはミスカッレーラが中心的存在でしたが,未対戦で魅力ある馬が何頭かいて,それらが勝つパターンもあり得ると思っていました。新馬は負けたもののその後は圧勝続きの3連勝だったこの馬もその1頭。ミスカッレーラが右回りは初めてだったことを差し引いても,現時点で能力で上回っていたという見方ができると思います。順調なら間違いなく来年も活躍できるでしょう。母の父はネオユニヴァース
 騎乗した川崎の野畑凌騎手はデビューから1年9ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している大井の月岡健二調教師は南関東重賞9勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。

 工藤喜作に対する指摘はこれで終わりにします。
                                        
 『スピノザーナ11号』は工藤に対するふたつの追悼文の後,書評がふたつあって,これですべてです。最初のものは福岡安都子の『国家・教会・自由-スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗』という論文に対するもので,この論文は東京大学出版会から2007年12月に出ているようです。書評をしているのは光文社版の『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の訳者である吉田量彦で,書評自体の題名は「『リヴァイアサン』への応答としての『神学・政治論』」となっています。僕は元となっている福岡の論文を読んでいませんので,これについては何も言及しません。また,吉田は,スピノザの表の主著が『エチカ』であるとすれば裏の主著が『神学・政治論』であると考えている学者で,吉田の見解opinioには僕にとっても触れたいと思うところが多々あるのですが,それは後に回すことにします。というのは吉田はすでに『スピノザ 人間の自由の哲学』という本を出版していますので,このことについてはむしろこの本を題材としたときにまとめて考察する方がよいからです。なのでここではこの書評に関しては考察しません。
 もうひとつは福居純の『スピノザ「共通概念」試論』です。こちらは書評の方には題名は伏せられていません。評しているのは藤井千佳世です。こちらの本はすでに僕自身の見解を示してありますから,ここでそれを再び深く追究する必要はないでしょう。福居はこの本を出版する前に『スピノザ『エチカ』の研究』という,幾何学的に書かれた『エチカ』を通常の文章に手直ししたものを出版しています。ただそのときの福居と,『スピノザ「共通概念」試論』を書いたときの福居とでは,『エチカ』の,あるいはスピノザの哲学の解釈の方法に関してやや相違があります。端的にいうと,以前の福居はスピノザの哲学を解釈するときに,ドゥルーズGille Deleuzeの解釈に多くを負っていたのですが,その後にその考えを改め,ドゥルーズとは異なった解釈を試みています。福居のふたつの著書に関してはそういう相違があるということに注意しておいてください。
 これで『スピノザーナ11号』の検討は終了です。
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東京シンデレラマイル&精査

2023-12-30 19:16:44 | 地方競馬
 第17回東京シンデレラマイル
 フラテルニテが押していきましたが内から追い抜いたラビュリントスの逃げ。2馬身差でフラテルニテが追い,2馬身差でツーシャドー。その後ろはパワースレイヴとレディオスターの併走で直後にサダムスキャット。2馬身差でサーフズアップとメイドイットマム。その後ろはグランパラディーゾとスピーディキックとラムリケティで集団。2馬身でセパヌイールとサブルドールとノーブルシルエット。ラブラブパイロとサルサレイアは発馬後の正面では前から6馬身ほど離れていましたが,向正面の半ばでは馬群に追いついてきました。前半の800mは49秒5のハイペース。
 3コーナーからラビュリントスの外にフラテルニテが並び掛けていくと,外からツーシャドーが追い上げ,フラテルニテは後退。捲った勢いで外の方からツーシャドーが先頭に立って直線。その後ろは馬群が横並び。内の馬にぶつけられて外に弾かれたものの立て直して伸びてきたスピーディキックが差し切り,後方から大外を伸びたラブラブパイロの追い上げを凌いで優勝。ラブラブパイロがクビ差で2着。やはり後方からラブラブパイロのすぐ内から追い込んだサルサレイアが2馬身差の3着。ツーシャドーの内から追ったサブルドールがアタマ差で4着。
                                   
 優勝したスピーディキックは昨年の東京シンデレラマイル以来の優勝で南関東重賞7勝目。連覇で東京シンデレラマイルは2勝目。今年は重賞ばかりを使っていたのでここまで勝っていなかったのですが,それでも大きく崩れていたわけではなく,南関東重賞に戻れば当然の優勝。僕はこの馬は古馬の重賞を勝てるだけの力があるとみていますので,今年の成績は残念に思っています。来年はうまくレースを選択してそれを達成してほしいところです。父はタイセイレジェンド。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年の佐賀記念を勝ったサイレントディール
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は船橋記念以来の南関東重賞68勝目。第8回,12回,16回に続き連覇となる東京シンデレラマイル4勝目。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞8勝目。東京シンデレラマイルは連覇で2勝目。

 ステノNicola StenoがチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから『エチカ』の草稿を入手し,危険な書物であるから出版されたら禁書処分にした方がよいという上申書を提出するまでの間に,一定の期間があったようです。これは,入手した草稿をステノが精査したからだと思われます。つまりステノは,それがスピノザが書いたものだからという理由だけで,禁書処分にしなければならないと考える人物ではなかったということを意味することになります。きちんと内容を理解して,その上でやはりこれがカトリックにとって危険な書物であるから禁書処分にした方がよいという上申書を提出したのです。これはステノの人物像を明らかにするようなエピソードといえると思います。
 ステノはオランダ,おそらくライデンLeidenに滞在していた頃に,スピノザと親しく交際していたと思われます。この当時は無神論者ということが,放埓で野蛮な人間ということをも同時に意味し得たのですが,ステノはスピノザが無神論者であったとしても,そういう人間ではなかったということはよく知っていたでしょう。今回の考察の中で紹介した,スピノザに対してユダヤ人共同体に残るように慰留があったということを指摘しているベールPierre Bayleも,スピノザが品行方正であったことは奇妙に思われるかもしれないけれども,キリスト教を信仰していながら放埓な生活をしている人もいるのだから驚くに値しないといっていて,ベールと異なってステノはスピノザ本人のことを知っていたのですから,余計にそのように考えることができたと推測されます。だからステノはスピノザの著作物であるという理由だけで禁書処分にすることはできないと考えたのかもしれません。ただ,精査したということがステノがどういう人物であったのかということを明らかにする一端にはなっていると僕は思います。
 先述しておいたように,ステノとチルンハウスとの一件は,工藤の死後に明らかになったことですから,工藤は知る由もありませんでした。しかしそれ以外の事実は工藤はスピノザの研究者としてよく知っていたといわなければなりません。それを知りつつ工藤はカトリックの洗礼を受けたのです。これは大きな決断だったと僕は思います。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&草稿

2023-12-29 19:05:55 | 地方競馬
 第69回東京大賞典
 ミックファイアはあおって1馬身の不利。ノットゥルノの逃げを予想していたのですが,ウィルソンテソーロの逃げになりました。リードは1馬身から2馬身くらいの間で推移。2番手にドゥラエレーデ。3番手にノットゥルノとグロリアムンディ。5番手にキングズソードとミックファイア。3馬身差でテンカハル。8番手にウシュバテソーロ。6馬身差でマンガンという隊列。前半の1000mは63秒8のミドルペース。
 3コーナーにかけて馬群は縮まってきましたがウィルソンテソーロ,ドゥラエレーデの順は変わらず,3番手はノットゥルノとグロリアムンディの併走。その後ろにキングズソードとミックファイアが併走し,追い上げてきたウシュバテソーロまでが優勝圏内。直線に入ると逃げたウィルソンテソーロが後ろとの差を広げて抜け出し,逃げ切り態勢に入ったのですが,大外から追い込んだウシュバテソーロが計ったように差し切って優勝。逃げ粘ったウィルソンテソーロが半馬身差で2着。2番手のドゥラエレーデが流れ込んでクビ差の3着。
                                   
 優勝したウシュバテソーロ日本テレビ盃以来の勝利。大レースはドバイワールドカップ以来の4勝目。第68回からの連覇で東京大賞典2勝目。ここは実績では断然なので優勝は順当なもの。予想していた展開とは異なったのですが,明らかに先行していた馬が有利なレースをやや離れた後方から差し切ったのですから,力の違いを見せたといっていいでしょう。展開が結果に占めたウェートは大きかったと思いますが,2着馬と3着馬はチャンピオンズカップの2着馬と3着馬ですから,現状の力通りの結果ではあったといえると思います。父はオルフェーヴルで母の父はキングカメハメハ。母の7つ上の半兄に2003年の東京新聞杯を勝ったボールドブライアン。Ushbaはジョージアにある山の名前。
 騎乗した川田将雅騎手朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース42勝目。東京大賞典は初勝利。管理している高木登調教師はドバイワールドカップ以来の大レース11勝目。第61回,69回に続き連覇となる東京大賞典3勝目。

 スピノザが『エチカ』の草稿をライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに見せることを許可しなかったということは,書簡七十二から明らかになっています。僕の推測ではチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausはこれを守り,ライプニッツに草稿のすべてを見せるということはありませんでした。ライプニッツとチルンハウスとの間で交わされた会話の中で,チルンハウスが部分的にスピノザの思想をライプニッツに語ってしまうというようなことがあったということまでは僕は否定しませんが,草稿の全体を読んで研究するということはライプニッツにはできなかったと僕は考えています。だからライプニッツは,知り得ていただれがスピノザの遺稿集Opera Posthumaを編集しまた印刷しようとしているのかという情報を,ステノNicola Stenoには秘匿したのだと思います。他面からいえば,その情報をステノに伝えることによって遺稿集の発刊が阻止されてほしくない,発刊された遺稿集を入手したいという思いの方が,ライプニッツには大きかったのだと思います。
 チルンハウスはライプニッツには『エチカ』の草稿を見せなかったのですが,スピノザが死んだ後,どういう経緯があったか定かではありませんが,この草稿がステノの手に渡りました。これは2010年以降に明らかになった史実なので,工藤は知り得なかったことなのですが,スピノザとカトリックの間の関係としての史実には相違ありませんからここにも記しておきます。
 『エチカ』の草稿を入手したステノは,もしもこのようなものが出版されて多くの人に読まれるようなことがあれば,カトリックを危機に晒すことになるので,もしも出版されるようなことになればすぐに禁書処分にした方がよいという旨を上層部に伝えます。この上申書が提出されたのは1677年9月4日と特定されています。スピノザが死んだのはこの年の2月21日です。遺稿集は同年の年末には出版されていますので,スピノザの死と遺稿集出版の中間にあたることになります。遺稿集の禁書指定は異例の早さでなされたのですが,これは事前にステノからの上申書が提出されていたことと無関係であったとは考えられません。つまりステノは死後のスピノザとも一定の関係があったということができます。
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ホープフルステークス&ステノとライプニッツ

2023-12-28 19:07:51 | 中央競馬
 第40回ホープフルステークス。サンライズアースが左前脚の蹄の底の内出血で出走取消,ゴンバデカーブースは感冒で出走取消となって16頭。
 ミスタージーティーは外側によれて1馬身の不利。ヴェロキラプトルとアンモシエラが並んで先行。3番手にサンライズジパング。4番手にシンエンペラー。5番手にショウナンラプンタ。6番手はタリフラインとウインマクシマムとセンチュリボンド。9番手にインザモーメントとシリウスコルト。2馬身差でディスペランツァ。12番手はアドミラルシップとミスタージーティー。14番手にレガレイラ。テンエースワンとホルトバージが並んで最後尾を追走して1コーナーを通過。向正面に入るとショウナンラプンタが単独の3番手に上がり,前の2頭との差は2馬身ほど。向正面の半ばでは内のヴェロキラプトルが単独の先頭に立ちました。前半の1000mは60秒0のミドルペース。
 3コーナーから前の2頭はまた併走になり,外からショウナンラプンタが上がってくるとアンモシエラが後退し始め,単独の2番手までショウナンラプンタが上がったのですが,4コーナーをうまく回れずにかなり外に膨れました。この間に内を回っていたシンエンペラーがヴェロキラプトルの外から接近。それをショウナンラプンタのすぐ内からサンライズジパングが追い,ショウナンラプンタのさらに外からレガレイラ。一旦は抜け出したシンエンペラーを大外から差し切ったレガレイラが優勝。シンエンペラーが4分の3馬身差で2着。サンライズジパングが2馬身差の3着。
 優勝したレガレイラは重賞初挑戦での大レース制覇。7月に函館で新馬を勝った後,10月に東京のオープンに出走して3着。このレースは前走で1800mの重賞かオープンで好走している馬が強いレースで,そのパターンには該当していました。牝馬ですがこのレースに出走してきたのは,適性を重視してのものだったのでしょう。今年の中山競馬場の芝コースはわりと早いタイムが出るのですが,そういう馬場状態はこの馬に向いたのではないかと思います。父は2017年に共同通信杯とアルゼンチン共和国杯,2018年に金鯱賞と大阪杯,2019年にジャパンカップを勝ったスワーヴリチャード。3代母がウインドインハーヘアで祖母の4つ上の半兄がディープインパクト。Regaleiraはポルトガルの宮殿。
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はジャパンカップ以来の大レース制覇。第28回,30回,33回に続き7年ぶりのホープフルステークス4勝目。管理している木村哲也調教師はジャパンカップ以来の大レース9勝目。ホープフルステークスは初勝利。

 スピノザがカトリックの立場にあるステノNicola Stenoに対して何かをいっても無効だと考えていたのと同じように,ステノもスピノザのような新哲学の改革者,これはステノ自身が選んだいい方ですが,スピノザのような哲学者にカトリックの立場から何かをいっても無効であると考えていたのだろうと思います。だから上層部からの指示がなければ,ステノがスピノザに書簡を送るということもなかったと思います。
 ステノはカトリックに改宗した後,パリで布教活動に取り組みました。このときにライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizと知り合いました。スピノザが死んだ後,遺稿集Opera Posthumaの出版を防ごうとするカトリックの動きがアムステルダムAmsterdamであったということが『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』で示されています。しかしアムステルダムのどこでだれが遺稿集の編集や印刷を企てているのかまで突き止めることができなかったとされています。ライプニッツは遺稿集の編集者であるシュラーGeorg Hermann Schullerと連絡を取っていましたから,具体的にどこで遺稿集の編集がされているのかということは知らなかったとしても,だれが編集をしているのかということは知っていた筈です。その前にライプニッツがスピノザに会いに行ったとき,事前にライプニッツはシュラー以外の遺稿集の編集者たちと会っていたということが『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では指摘されていて,僕も確かにそうしたことがあったと思いますので,ライプニッツはシュラー以外の編集者たちのこともある程度は知っていたと思われます。なのでライプニッツはそうした情報をステノに伝えることはできたのです。もしもライプニッツがそうしていたら,遺稿集の出版は実現しなかったかもしれません。たぶんライプニッツはそれを恐れて知っていた情報をステノには伝えなかったのでしょう。
 こうしたことが実際の出来事だったと推測されるほかの事情が残っています。ライプニッツの知り合いにはパリにやってきたチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがいて,チルンハウスは『エチカ』の草稿を所持していました。書簡七十で示されているように,チルンハウスはそれをライプニッツに見せようと思い,シュラーを介してその許可をスピノザに求めています。ただスピノザは許可しませんでした。
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慰留工作&返信の理由

2023-12-27 19:09:31 | 哲学
 破門の宣告を受けたスピノザに対して,将来にわたって生活を保証するので悔悛してユダヤ人共同体に残るようにとの慰留工作が行われたという説があります。こうしたことは記録として残っていませんから史実とはいえませんが,その慰留は大いにあり得たと僕には思えます。
 スピノザの破門は,ウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaのスキャンダルの記憶がまだアムステルダムAmsterdamの人びとに残っていてもおかしくない時代のことです。この当時のアムステルダムのユダヤ人共同体には,スピノザの父のように,スペインやポルトガルなどから迫害によって逃れてきた人々が少なからず存在していました。そうした人びとにとって,スキャンダルは起きてほしくない出来事だった筈です。なぜならユダヤ人共同体の中でこうした事件がたびたび起こるなら,アムステルダムでユダヤ人を迫害する理由になり得ると想像されたからです。スペインやポルトガルでの迫害は宗教的な意味合いであって,かれらはスキャンダルによって追放されたわけではないとしても,追放の口実をアムステルダムあるいはオランダの当局に与えることはかれらにはマイナスであるのは明らかで,だからそれを避けたいと考えるユダヤ教会の指導者がいたとしても,不自然ではないでしょう。スピノザはダ・コスタのように自殺はしませんでしたが,ナイフで襲われるということはあったのであって,スキャンダラスな事件は現に起こり得る状況だったのです。だから,スピノザにユダヤ人共同体にとどまることを求める慰留工作があったとして,それは十分に合理的に説明することができることなのです。
 仮にそれが史実だったとして,もしもスピノザが慰留を受け入れてユダヤ人共同体に留まれば,何らかの記録が残されている筈で,そうした工作が史実であったかどうかも確定することができたでしょう。しかしスピノザは破門宣告を受け入れてユダヤ人共同体を去ったのですから,仮に事前に慰留工作があったとしても,その記録が残っていないことが著しく不自然であるというようには僕には思えません。なので具体的にどういうものであったのかはともかく,何らかの慰留工作はあったのではないかと僕は推測しています。

 スピノザがステノNicola Stenoに返信を送らなかったのは,おそらくそうしたくなかったからです。ローマカトリックの信者がその立場からいうことに対して何か反論をしても,それが受け入れられる余地はないということをスピノザは理解していたのでしょう。だから,アルベルトAlbert Burghに対してもスピノザは本当は返信を送るつもりはなかったのです。ただスピノザはアルベルトの父であるコンラート・ブルフとは懇意にしていて,世話になったこともありました。アルベルトはコンラートを含むアルベルト家の人びとに対して,カトリックに改宗して以降は多大なる迷惑をかけていたと伝えられています。迷惑を蒙ったアルベルト家の人びとから依頼されたので,アルベルトへの返信となる書簡七十六を,本意ではなかったけれども送ったというのが本当のところでしょう。そのことはこの書簡の内容からも窺うことができます。このためにこちらの書簡は残され,それが遺稿集Opera Posthumaに掲載されることになったので,アルベルトからスピノザに送られた書簡六十七も遺稿集に掲載されたということだと思います。それでもこれらの書簡が掲載されることにより,スピノザとローマカトリックとの関係があまりよくなかったということは,早い段階で知られることになったのです。
                                        
 ステノやアルベルトがスピノザに対して書簡を送ったのは,ローマカトリックの上層部からの指示があったからだといわれています。たぶんこうした指示がなければ,これらの書簡が送られることはなかったでしょう。ステノもアルベルトもスピノザのことを知っていたので,スピノザに書簡を送ることができました。もしもほかにカトリックの信者でスピノザの知り合いがいたら,そうした人からもスピノザに書簡が送られていて,それは現在になっても発見されていないという可能性はあります。ただ,書簡が送られたのはこうした指示があったからなのはたぶん事実で,それがなければアルベルトはスピノザに書簡を送るということは思いつかなかったでしょう。ステノはたぶんスピノザがそうであったように,スピノザに対してカトリックの立場から書簡を送りたいとは思っていなかったのではないかと僕は考えます。
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棋王戦コナミグループ杯&返信

2023-12-26 19:31:51 | 将棋
 21日に指された第49期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は広瀬章人九段が1勝,伊藤匠七段が1勝。
 振駒で伊藤七段の先手。3三金型の角換わり相腰掛銀。この将棋は中盤の戦いに入る前に千日手となりました。これは後手がうまくやったといえる結果でしょう。
 広瀬九段が先手となった指し直し局は矢倉。この将棋はずっと難しい将棋に思えたのですが,感想戦の内容からは先手が作戦勝ちをしていたということで両者が一致していたようです。先手は攻めていくのではなくて待ち,後手に攻めさせた方がよかったといっていましたが,実戦の進展でも先手が悪いというわけではなかったと思います。
                                        
 第1図で☗5六銀と上がりましたが,☖5五銀上が生じて一遍に後手の勝ちになりました。☗6七桂と打っておけば一気の寄せはなかった筈なので,まだ終盤戦が続いていたのではないでしょうか。
 敗者組の伊藤七段が勝ったので第二局が今日指されました。

 スピノザが送った書簡のすべてが遺稿集Opera Posthumaに掲載されたわけではありません。ただ,スピノザがアルベルトAlbert Burghには返事を送ったけれどもステノNicola Stenoには送らなかったということは,史実として確定させていいと僕は考えています。これは次の理由によります。
 アルベルトがスピノザに送った書簡六十七は,遺稿集に掲載されました。対してステノがスピノザに送った書簡六十七の二は,遺稿集には掲載されず,1921年になってようやくスピノザへの書簡として発見されたものです。前もっていっておいたように,アルベルトの書簡は理知性の欠片も感じさせないような罵詈雑言に終始しているのに対し,ステノの書簡はステノがスピノザの考え方を知り,それに対して反論を試みるという内容の,こういってよければ理知性を感じさせる書簡です。ですから書簡としての価値はステノからの手紙の方がずっとあるものです。それなのに遺稿集の編集者たちは,価値が高い方は掲載せずに価値の低い方を掲載するという措置を採りました。これがなぜかと考えれば,アルベルトに対してはスピノザが書簡七十六という返信を送っていて,この返信を遺稿集に掲載する価値があると編集者が考えたからでしょう。つまりスピノザの返信を掲載するために,その返信相手からの書簡を掲載したのです。ということは,もしもスピノザがステノに返信を送っていれば,遺稿集の編集者たちはきっとそれを遺稿集に掲載する価値があると考えたでしょう。そしてその場合にはステノからの書簡も掲載された筈なのです。スピノザは自身が送った書簡と自身が受け取った書簡のすべてを保管していたのですから,そのことは編集者たちにとって可能であったのは間違いないと思われます。しかしこのようにはならず,アルベルトからの書簡だけが掲載され,ステノからの書簡は掲載されませんでした。これはおそらく,スピノザがステノには返信を送らなかったために,それ自体が保管されるということもあり得なかったからです。ですからスピノザがステノに返信を送らなかったということは,かなりの確率で史実としてよいと僕は考えるのです。
 スピノザはたぶん返信したいとは思っていませんでした。
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ひろしまピースカップ&ふたつの書簡

2023-12-25 19:02:06 | 競輪
 玉野競輪場で争われた昨日の広島記念の決勝。並びは野口‐大槻の東日本,皿屋‐浅井‐山内の中部,町田‐山田の西国で佐々木と稲川は単騎。
 町田がスタートを取って前受け。3番手に稲川,4番手に佐々木,5番手に皿屋,8番手に野口で周回。残り3周のバックの出口から野口が上昇。町田は誘導との車間を開けて待ち,併走から野口がホームで叩きました。3番手になった町田はバックから発進。野口を叩き返して打鐘。稲川,佐々木も続いたので叩かれた野口は内でバックを踏んで後退。後方になった皿屋が発進すると,町田を捲りました。町田の番手の山田が山内をどかして浅井の後ろにスイッチ。稲川が追い込みをかけましたが,浅井が牽制。開いた皿屋と浅井の間を突いた山田が直線で突き抜けて優勝。浅井が1車身半差で2着。稲川の後ろからイエローラインのやや外を伸びた佐々木が半車身差で3着。
 優勝した佐賀の山田庸平選手は3月の松山記念以来となる記念競輪3勝目を完全優勝で達成しました。広島記念は初優勝。このレースは前受けした町田が野口に叩かれた後ですぐさま巻き返していったのですが,これは僕には意外でした。自身の優勝を狙うのであれば,3番手にいた方がよいように思えたからです。結果的に皿屋にあっさりと捲られてしまったのですが,これは早い段階で脚を使ってしまった影響があったからだと思われます。山田はうまく浅井の後ろにスイッチして,これが優勝に繋がったわけですが,完全優勝しているように,この開催はかなり調子がよかったのでしょう。それで機敏な動きをすることができたのだと思います。

 オランダで主流であったプロテスタントのカルヴァン派とスピノザの関係は良好なものではありませんでした。それでも,ローマカトリックとスピノザの関係と比較したときには,まだましだったと考えることができないわけではありません。スピノザは当時はフランスに占領されていたユトレヒトUtrechtを訪問したことはありますが,それを除けばオランダから出たことはありません。それでもローマカトリックと無関係であったわけでもないのです。
                                        
 確たる資料として残っているのは,書簡六十七のアルベルトAlbert Burghからスピノザへの書簡と書簡六十七の二のステノNicola Stenoからの書簡,そして書簡七十六のスピノザからアルベルトへの返信です。このふたりはローマカトリックの信者で,ともにその立場からスピノザに対する批判を書簡として送ったのでした。このうちステノからの書簡は内容としてまともな面を有していますが,アルベルトからの書簡は誹謗中傷といっていいような罵詈雑言によって構成されています。
 ステノはデンマーク出身の地質学者で,オランダにわたってきた人です。たぶんスピノザがレインスブルフRijnsburgにいたときに知り合って,その当時の関係は良好でした。この頃のステノはプロテスタントの信者だったのですが,後にカトリックに改宗しています。
 アルベルトはたぶんスピノザがユダヤ人共同体を追放され,レインスブルフで生活するようになる前からの知り合いです。その頃のアルベルトはまだ子どもで,スピノザが懇意にしていたのはアルベルトの父であるコンラート・ブルフです。したがってアルベルトは幼少の頃からスピノザを知っていたみるのが妥当です。オランダ産まれのオランダ育ちですから,プロテスタントのカルヴァン派の信者であったのですが,カトリックに改宗しました。先に改宗したのはステノで,アルベルトはステノに誘われてカトリックに改宗したとみるのが妥当です。スピノザはアルベルトへの返信で,改宗したステノについて話し合ったという意味のことを書いていますから,アルベルトがステノを知っていたということは間違いないといえます。
 スピノザはアルベルトには返事を送りましたが,ステノには送りませんでした。
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有馬記念&決断

2023-12-24 20:13:10 | 中央競馬
 グランプリの第68回有馬記念
                                       
 好発はスターズオンアース。内から追い抜いていったタイトルホルダーが先手を奪い,スターズオンアースは2番手に。3番手にプラダリア。4番手にシャフリヤールとハーパー。2馬身差でウインマリリン。2馬身差でアイアンバローズ。2馬身差でタスティエーラ。9番手にソールオリエンスとスルーセブンシーズ。11番手にディープボンド。12番手にヒートオンビート。13番手にライラック。14番手にホウオウエミーズとドウデュース。2馬身差の最後尾にジャスティンパレスという隊列。タイトルホルダーのリードは2周目の向正面に入るあたりで4馬身くらい。3コーナーにかけて6馬身差くらいまで広がりました。ミドルペース。
 スターズオンアースとプラダリアが並んで差を詰めていくと,外から絶好の手応えでドウデュースが捲り上げてきました。直線に入るとプラダリアは一杯。スターズオンアースとドウデュースが並んでタイトルホルダーに迫っていき,外のドウデュースが差し切って優勝。スターズオンアースが半馬身差の2着で逃げ粘ったタイトルホルダーが1馬身差で3着。追い込んできたものの届かなかったジャスティンパレスがアタマ差の4着でシャフリヤールがクビ差で5着。
 優勝したドウデュースは京都記念以来の勝利。大レースは昨年のダービー以来の3勝目。このレースはソールオリエンスとタスティエーラが有力と思っていたのですが,僕が思っていたほど走れませんでした。3歳馬のレベルがそれほど高くないのかもしれませんし,タイトルホルダーが離して逃げるような形のレースへの対応力が欠けていたからかもしれません。このあたりは来年以降に判明するでしょう。ドウデュースは京都記念を勝った後にドバイに遠征したのですが,出走するに至りませんでした。休養に入って秋に復帰してからは勝ち負けに参加できないレースが続いていたのですが,この馬はレースを使っていくことで復調するタイプなのかもしれません。なので久々で強敵が相手というケースでは割り引いた方がいいのかもしれません。父は第50回を勝ったハーツクライで父仔制覇。英語表記はDo Deuce。
 騎乗した武豊騎手大阪杯以来の大レース制覇。第35回,51回,62回に続き6年ぶりの有馬記念4勝目。管理している友道康夫調教師は昨年のチャンピオンズカップ以来の大レース20勝目。有馬記念は初勝利。

 工藤がスピノザの哲学の中にカトリックの教義と類似したものを見出したからといって,それだけでカトリックの洗礼を受けるということは,スピノザの研究者として大きな決断であったと思われます。それは,スピノザ自身とカトリック,これはローマカトリックですが,その関係が悪いものであったからです。
 スピノザはオランダで産まれました。最初はアムステルダムAmsterdamのユダヤ人共同体に住んでいたわけですから,キリスト教徒との関係はそれほど持っていなかったといえるでしょう。それほどというのは,スピノザの父は商人で,ユダヤ人商人はユダヤ人とだけ取引していたわけではなく,オランダ人とも取引していましたし,貿易などではオランダ人以外との取引もありました。またそうした商売のうちには,オランダ人と協力したものもあったと思われます。というのは,父が死んだ後はスピノザもそれを引き継いでいて,その頃の商人仲間にはオランダ人がいましたから,いくらユダヤ人共同体の中で暮らしていたからといって,キリスト教徒との関係が皆無であったとは考えられません。
 スピノザが家業を引き継いだ後の商人仲間の中にはキリスト教徒がいて,その中にはスピノザと生涯にわたって親しい交際を続けた人びともいます。とくにキリスト教のコレギアント派collegiantenといわれるグループの人びとはスピノザとの関係が良好であったとされています。ただコレギアント派というのはキリスト教の主流グループではありませんから,かれらとの関係からスピノザとキリスト教徒との関係を論じることはできません。オランダで主流だったのはプロテスタントのカルヴァン派といわれるグループで,カルヴァン派の牧師たちとスピノザとの関係はよいものではありませんでした。これは単に宗教上の理由だけで説明することはできず,政治的文脈も関わるのであって,基本的にカルヴァン派の牧師たちは王党派といわれる反動的な政治集団と結託していて,スピノザの立場は王党派と対立する議会派の立場にどちらかといえば近かったのです。カルヴァン派の牧師のすべてが反スピノザの立場だったとはいいませんが,スピノザとの関係は総じて悪かったといえます。
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農林水産省賞典中山大障害&肉付き

2023-12-23 20:04:21 | 中央競馬
 第146回中山大障害
 発馬後はジューンベロシティが先頭でその後ろにエコロデュエルとビレッジイーグルとギガバッケン。さらにマイネルグロンとニシノデイジーが続きました。1周目の正面に入ってビレッジイーグルが先頭に。ニシノデイジーが2番手に上がり,その後ろは6馬身くらいの差がついてジューンベロシティ。ギガバッケン,マイネルグロン,エコロデュエルの順。大竹柵を飛越するとマイネルグロンが単独の3番手になり,その後ろは8馬身くらい差が開いてジューンベロシティ。大生垣を飛越するとニシノデイジーが先頭に。4馬身差でビレッジイーグル,4馬身差でマイネルグロン。この後ろは大きく開いてジューンベロシティ。3馬身差でエコロデュエル。
 最終周回の向正面でマイネルグロンが2番手に上がると,そのまま先頭に立って最終コーナーへ。直線に入るとマイネルグロンがニシノデイジーとの差をまた開いて快勝。ニシノデイジーが10馬身差で2着。外から追い上げてきたエコロデュエルが6馬身差の3着。ビレッジイーグルは5馬身差の4着。
 優勝したマイネルグロンは東京ハイジャンプに続き重賞連勝での大レース制覇。本格化したのは今年に入ってからで,今年は4戦4勝となりました。このレースは縦長の展開になり,レースの途中から前にいた馬たちが1着,2着,4着。これは出走馬のレベルにそれだけ差があったからというべきで,その中でこれだけの快勝ですから,現状は障害馬の中でトップとみていいでしょう。まだ5歳馬ですから,この馬の天下が続くこともありそうです。父はゴールドシップ。母は2003年にフラワーカップを勝ったマイネヌーヴェルで祖母がマイネプリテンダー。Grandはフランス語で気高い。
 騎乗した石神深一騎手は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース11勝目。第139回,140回,141回,144回に続き2年ぶりの中山大障害5勝目。管理している青木孝文調教師は開業から6年9ヶ月で大レース初制覇。

 僕がスピノザ主義者となるための条件としてこのようなことをいうのは,僕自身の経験が反映されているからです。しかし今は僕のその経験について語っても仕方ありません。
 僕が骨格と肉付きで喩えたことでいうなら,工藤は骨格より肉付きを重視しているのです。このとき,骨格に相違があっても,肉付きに似通ったところがあるということは生じ得るでしょう。たぶんスピノザの哲学の骨格と,カトリックの骨格となる部分には大きな相違がある筈です。そもそもスピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』でいっていることは,哲学の骨格が真理veritasであるとすれば,聖書の骨格は服従obedientiaであるといっているように読解することができるのであって,スピノザ自身が自身の哲学と聖書の間には骨格上の差異があるということを主張しているといえますから,この点は深く考察するまでもなく明らかだといっていいでしょう。一方,敬虔pietasであるということを肉付きであるとすれば,その肉は真理の骨格からも服従の骨格からもつくことになるというようにスピノザはいっていると解せますから,骨格の相違があっても同じ肉が付き得るということについても,深い考察は必要とせずに明らかだといえるだろうと思います。
                                   
 したがって,それがどのような肉であったのかということまではいえませんが,スピノザの哲学についている肉と,カトリックの教義についている肉との間に,工藤は類似する部分を見出していたとみるのが妥当だと僕は思います。少なくともこの比喩でいえば,スピノザの哲学の骨格については工藤はそれほど重視していないのですから,スピノザの哲学の骨格とカトリックの教義の骨格との間に類似する部分があるとみていたわけではないということは明白だといえます。
 どこであるのかということまでは特定することはできませんが,工藤が,スピノザの哲学の肉付きが,カトリックの肉付きと似ているとみていたのであろうということまでは推測できました。そしてその類似性があったがゆえに,工藤はカトリックの洗礼を受けるに至ったとみるのが妥当でしょう。ただこの受洗は,単にこの事情だけで気楽にできるようなことではなかったように僕には思えるのです。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&スピノザ主義者

2023-12-22 19:34:18 | 地方競馬
 昨晩の第23回名古屋グランプリ
 サンマッハは発馬後のダッシュがまるでつかず5馬身の不利。レース前半はマテリアルガール,ミトノオー,メイショウフンジンの3頭が並んでレースを引っ張る形。4馬身差でグランブリッジ。2馬身差でテリオスベル。4馬身差でアナザートゥルースと続き,そこからセイカメテオポリス,ディクテオン,トーキョーサバク,オニジオオタニまでは固まって続きました。3馬身差でトランスナショナル。4馬身差の最後尾にサンマッハとかなり縦長の隊列。ミドルペースでした。
 2周目の向正面で前の3頭から単独の先頭に立ったのはミトノオー。マテリアルガールとメイショウフンジンは後退し,内からテリオスベルが追い上げてきました。3コーナーでは先頭のミトノオーを内から追い抜いたテリオスベルが先頭に。ミトノオーは後退し,内からグランブリッジ,外からディクテオンの追い上げ。直線の入口に掛けてテリオスベル,グランブリッジ,ディクテオンの3頭が雁行になり,直線の入口では外のディクテオンが先頭に。テリオスベル,グランブリッジの順に力尽き,直線先頭のディクテオンがレコードタイムで優勝。グランブリッジが2馬身差で2着。テリオスベルが6馬身差で3着。
 優勝したディクテオン浦和記念からの連勝で重賞2勝目。このレースはペースが極端に速かったというわけではなかったのですが,前の競り合いが長く続いたことが影響して,ミトノオーとメイショウフンジンは苦しくなりました。このためにレースの前半は後方に構えていた馬たちの争い。2着と3着は牝馬でしたから,騙馬であるこの馬にはその分だけ有利になったという感じです。重賞連勝は強い馬を相手にしてのものではありませんが,連続して同じような内容で勝ちましたから,この馬自身はもう少し上のレベルで戦える可能性があるように思えてきました。父はキングカメハメハ。母の父はキングヘイロー。母は2013年にJBCレディスクラシックを勝ったメーデイア。Diktaeanはゼウスの生誕の地。
 騎乗した愛知の岡部誠騎手は2019年の名古屋グランプリ以来の重賞4勝目。第12回第14回も勝っていて名古屋グランプリは4年ぶりの4勝目。管理している吉岡辰弥調教師は第21回以来2年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。

 僕はスピノザの本当の姿というのを,哲学者のスピノザの姿という意味に解します。したがって,スピノザの本当の姿を理解するということは,スピノザの哲学を理解するという意味に僕は解します。その哲学の骨格となっているのは,その哲学の基礎的部分を裏付ける論理構成です。なのでその基礎部分の体系の論理づけがどのようになっているのかということを研究することは,単に学問的な意味があるというだけでなく,スピノザの本当の姿がどのような姿であるのかを知るためには不可欠な条件であると考えるのです。しかもこのことは,単にスピノザの本当の姿を知るというだけでなく,当人がスピノザの本当の姿になるというためにも必須の条件であると僕は考えています。
                                   
 スピノザの哲学というのは,当然ながら基礎的部分だけで構成されているわけではありません。基礎的部分を骨格とするなら,そこに様ざまなものが肉付けされることによって,本当の姿になるのです。僕がみるところ,工藤は肉付けされたその部分のことをスピノザの本当の姿といっているように思えます。しかしこの肉付けは,骨格に応じてなされるものなのです。仮に肉付けの部分だけをみてそれと同じ肉付けをしてみたところで,それがしっかりとした骨格に支えられているのでなければ,その肉はどこかで支障を来すことになります。一方,骨格がしっかりとしていれば,その骨格に応じて自然と肉がついていくのであって,肉付けされた部分だけに着目して同じように肉をつけていく必要はありません。つまり,スピノザが哲学的に示している指針だけを模倣しようとしてもどこかで無理が生じてしまうことになるのに対し,基礎的部分の論理体系がどのようになっているのかということをきちんと理解しさえすれば,哲学的に示されている指針を模倣しようとしなくても,自然と模倣してしまうようになるのです。
 スピノザの哲学を模倣するということは,スピノザ主義者であるという意味だと僕は考えます。したがってスピノザ主義者になるためには,スピノザの哲学の論理体系の整合性の探求が必要条件であって,これは必要条件であると同時に十分条件でもあると僕は考えます。
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ゴールドカップ&本当の姿

2023-12-21 18:56:56 | 地方競馬
 第61回ゴールドカップ
 スマイルウィが前に出ていましたが1コーナーで外から追い抜いていったジョーパイロライトの逃げに。2馬身差で控えたスマイルウィとジャスティン。2馬身差でスーパーフェザー。5番手にサヨノグローリーとトップウイナー。7番手にリコーシーウルフ。8番手にセルフメイド。9番手にアマネラクーン。5馬身差でブラックパンサーとティアラフォーカス。3馬身差の最後尾にヨハンという隊列。最初の600mは35秒8の超ハイペース。
 向正面で抑えきれなかったジャスティンが上がっていって逃げたジョーパイロライトと併走。スマイルウィは3馬身差の3番手に。3コーナーでジャスティンがジョーパイロライトの外から先頭に出ると,すぐに外を回ってスマイルウィが追い上げてきました。この後ろにティアラフォーカスでその後ろはサヨノグローリー。直線の入口にかけてジャスティンとスマイルウィは雁行。ジャスティンが外に出てきたのでスマイルウィはさらに外となりましたが,直線では楽にジャスティンを差して,そのまま抜け出して優勝。大外からブラックパンサーとアマネラクーンが並んで追い込んできて,2頭ともジャスティンを差し,ブラックパンサーが1馬身差で2着。アマネラクーンが4分の3馬身差で3着。ジャスティンは2馬身差の4着で,ジャスティンが外に行ったので内を回ったサヨノグローリーがクビ差で5着。
                                   
 優勝したスマイルウィマイルグランプリからの連勝で南関東重賞6勝目。ゴールドカップは第60回に続いての連覇。このレースはスマイルウィとジャスティンの2頭が重賞でも通用の能力上位でしたが,コーナーが4回の1400mではスマイルウィの方に明らかに分がありますので,順当な優勝といえるでしょう。短距離を得意とする馬が多かったので速いペースに巻き込まれてしまうということが懸念材料でしたが,そういう展開にもなりませんでした。1600mの方がよいと思うのですが,今日の内容であれば1400mの重賞でも優勝が狙えそうです。父はエスポワールシチー
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はマイルグランプリ以来の南関東重賞36勝目。ゴールドカップは連覇で2勝目。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞15勝目。ゴールドカップは連覇で2勝目。

 『スピノザーナ15号』の吉田知広による工藤喜作のインタビューのまとめの後半は,「スピノザ研究と私」という題名になっています。この私というのは工藤のことです。つまり工藤が語ったことを吉田がまとめたのですが,あくまでも工藤が語ったこととして掲載されているのです。工藤へのインタビューは何度かに分けて行われ,それが一括掲載されていますので,各々の部分のどの部分がいつのインタビューによるものかは分かりません。そして題名から分かるように,これは工藤によるスピノザ研究の内容より,スピノザを研究する際の工藤の志向のようなものに寄っています。
 このインタビューの中で工藤は,最近のスピノザ研究に関して言及しています。最近のというのは工藤の晩年のという意味ですから,2009年,あるいは2008年以降のことを意味すると考えてよいと思います。工藤によれば,そうした研究は頭だけで考えたものが多く,それだけではスピノザの本当の姿は見えてきません。スピノザの哲学の体系としての整合性を探求することは,学問的な意義はあるのかもしれないけれども,スピノザの本当の思想に近づくことはできません。
 この後で工藤は,最近もそういう研究書があったといっていますから,何らかの具体的なものを想定しているのは間違いありません。ただそれが何であるのかまでは明らかにされていないので,その研究書が何であったのかまでは不明です。ただ,たとえば『スピノザの形而上学』などはここで工藤が指摘している研究書に合致しているといえ,工藤は松田がしているような研究は,学問的な意義こそあれ,スピノザの本来の姿を明らかにすることはできないような研究であると考えていたとみてよいのではないかと思います。
 念のためにいっておきますが,これは工藤がそのようにいっているということであって,僕がその工藤の意見opinioに同意しているという意味ではありません。僕はむしろ松田がしているような研究は,単に学問的な意義があるというだけでなく,スピノザの本来の姿を明瞭に浮かび上がらせるものであると考えます。ただこれは,本当の姿とは何であるのかという問題にはなるでしょう。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&工藤がみていたこと

2023-12-20 19:05:00 | 地方競馬
 第23回兵庫ゴールドトロフィー
 スティールペガサスは左によれる発馬でしたが,すぐに立て直して不利には至りませんでした。逃げたのはボヌールバローズ。2番手以下はサンライズホーク,スティールペガサス,タイガーインディ,ケイアイドリー,スペシャルエックス,バーニングペスカという順になりました。2馬身差でマルモリスペシャルとセキフウ。2馬身差でサンロアノークとデュープロセスという隊列で発馬後の正面を通過。超ハイペースでした。
 向正面で2番手のサンライズホークと3番手のスティールペガサスとの差が3馬身くらいに開き,スティールペガサスの外からケイアイドリー,内からはタイガーインディが並び掛けていきました。3コーナーからはボヌールバローズとサンライズホークが雁行に。外を回ったケイアイドリーはその直後まで進出。直線に入るとサンライズホークが先頭に立ち,そのまま先頭を譲ることなく優勝。早めに追い上げたケイアイドリーが4分の3馬身差で2着。ケイアイドリーの外からセキフウが一旦は3番手。そこに外からマルモリスペシャル,ボヌールバローズとセキフウの間に進路を取ったスペシャルエックスが追い上げてきて3頭の3着争い。内のスペシャルエックスが半馬身差で3着。外のマルモリスペシャルがハナ差で4着。セキフウは半馬身差で5着。
 優勝したサンライズホークはこれがサマーチャンピオン以来のレースで重賞連勝となりました。距離と斤量,近況を綜合すると最有力とみていた馬で,優勝は順当といえるもの。今日は体重が大きく増えていたのですが,過去の成績からみるとこれくらいの体重はレースで力を発揮するのに大きく影響しないようです。たぶん冬場は体重を絞りにくい体質の馬なのでしょう。現状の力量だとこのくらいのレベルのレースで勝ち負けといったところではないかと思います。父はリオンディーズ
                                          
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している牧浦充徳調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。

 スピノザが敬虔pietasであるということを評価するのは,その行動が理性ratioに従うことによって生じる行動と同一であるからです。第四部定理三五にあるように,理性に従う限りでは人間の現実的本性actualis essentiaは一致します。よってすべての人間が敬虔であることによって,人びとの平和paxが保たれるでしょうし,公共の福祉にも有益でしょう。そして社会societasの安寧も保たれることになります。こうした理由によってスピノザは人びとが敬虔であることはよいことだというのです。つまり,スピノザは人びとが理性に従うことによって敬虔であるということがよいことだという前提があって,理性に従うのと同じように敬虔であるように人びとを服従させる新約聖書のことを評価しているのです。
 このときに重要なのは,もし敬虔であるということがキリスト教徒であることの条件であるのならば,理性に従って敬虔である人もまたキリスト教徒であるといわなければならないということです。僕はスピノザが哲学上の建前からイエスを救世主であると認めなかったとは思いません。つまりこの点では工藤の見解opinioには同意しません。しかしスピノザが敬虔な人物であったということ,もちろん常に理性に従うことができた人物であったというわけではないにしても,敬虔であることが多かった人物であったということは認めます。他面からいえば,イエスをキリストであることを肯定していた多くの人びとよりも敬虔であったのであって,その意味では多くのキリスト教の信仰者よりもキリスト教徒であったとは思います。よってこのような意味でスピノザがキリスト教徒であったと工藤がいっているのなら,僕はそれには同意します。ですからこのような観点からも,このような考察をするということ自体に意味があるということができるでしょう。そして同時に,このような観点からみる限り,工藤は敬虔であるということを推奨するということがスピノザの哲学の中で重要な点であると考えていたのであって,カトリックの教義に中にそれに通じるような教えを見出していたのであろうということがおぼろげながら理解できてくるのではないでしょうか。
 それではこの点に関する探究に移ることにします。
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悪の認識&行い

2023-12-19 19:34:31 | 哲学
 第四部定義二のように,malumが善の否定であるとすれば,悪の確知が十全な認識cognitioであり得るということは分かりました。ただ,第四部定理六六を論理的に裏付けるためには,これだけでは十分ではありません。この定理Propositioでいわれていることのうち,より小なる現在の善bonumよりはより大なる未来の善を欲求するということは,各々の認識が十全な認識であり得るから,より大なる未来の善の否定negatioとなる現在の善が悪とみなされるということも十全な認識であり得るので,この部分は問題ありません。しかし,より小なる現在の悪より小なる未来の悪を欲求するという点については,解決していません。第四部定理六四によれば,悪の認識は十全な認識ではあり得ないのですから,それが理性ratioによって認識されるということはない筈です。であればなぜ理性の導きに従って,より小なる未来の悪をより大なる現在の悪よりも欲求するということができるのでしょうか。この場合,比較の上では未来の小なる悪は善であるといわれなければならないのはその通りですが,小なる悪はそれ自体では悪なのですから,それが理性によって認識されるということは,むしろ論理的に否定されているからです。
                                   
 これを解決していくために,まず次の点を確認しておきます。
 第三部定理九にあるように,僕たちのコナトゥスconatusは,僕たちが事物を十全に認識するcognoscereときにも混乱して認識するときにも,同じように働きます。したがって,より小なる悪の認識とより大なる悪の認識が,同じ条件で僕たちの精神mensのうちに発生するのであれば,僕たちは必ずより小なる悪の方を欲求するのです。第四部定理六六は,第四部定理六五を明らかに受けているのですが,第四部定理六五でいわれていることは,ふたつの善,またふたつの悪が同じ条件の下に与えられる限りでは,理性の導きに従っているか従っていないかということと無関係に僕たちに発生します。ここで理性の導きという条件が付せられているのは,条件が同一でない場合が考慮されているからです。そしてその条件が時間tempusに関係する場合が,第四部定理六六でいわれているのです。このことを踏まえて考察することになります。

 敬虔pietasであるということは,聖書が教える通りにあることを意味します。よって,新約聖書が敬虔であることを人びとに教えているのであれば,敬虔である人間がキリスト教徒で,そうではない人間はキリスト教徒ではないということができます。そして実際にスピノザはそう解釈します。よって,極端にいえば異教徒であってもキリスト教徒といい得る人間が現実的に存在するというようにスピノザはいうのです。つまり,イエスがキリストすなわち救世主であるということを肯定しないとしても,実生活の上で敬虔であるならその人はキリスト教徒であり,逆にたとえイエスがキリストであるということを肯定していても,敬虔な生活を送っていないのであれば,その人をキリスト教徒ということはできないというのが,スピノザの基本的な解釈です。
 敬虔であるということは,現に神Deusを愛し,また現に隣人を愛するということだけを示すのであって,これは実際のそうした行いによって示されます。ですからある人間がいくら自分は敬虔であるといったとしても,それだけでその人間が敬虔であると断定できるわけではありません。実際にはそうではなくてもそうであるということが人間にはありますし,もっといえば,敬虔とは程遠いような生活を送っていたとしても,自分は敬虔であると思い込むことができるのが人間であるからです。また,神を愛し隣人を愛するということは,たとえば熱心に教会に通うというようなことを意味するのではありません。神を愛し隣人を愛するということは,宗教的なことを,あるいは宗教的なことだけを意味するわけではないからです。熱心に教会に通っても隣人をまったく愛さないというようなことはあり得るのであって,そうした人間のことを敬虔な人間であるということができないのは,ここまでいってきたことからも明らかでしょう。そして敬虔な人間のことをキリスト教徒というのであれば,そのような人間はたとえ熱心に教会に通うとしても,キリスト教徒とはいえないということになるのです。
 なので,敬虔であることができる人間というのがどのような人間であるのかが重要です。それがキリスト教徒といわれるからです。
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九十九島賞争奪戦&キリスト教徒

2023-12-18 19:26:02 | 競輪
 昨日の佐世保記念の決勝。並びは小林‐平原‐鈴木の東日本,伊藤‐久島‐荒井‐井上‐塚本の九州で小川は単騎。
 荒井がスタートを取って伊藤の前受け。6番手に小川,7番手に小林で周回。小林は残り3周のホームで早くも上昇開始。バックに入るところで伊藤に並びました。伊藤は引かずに残り2周のホームまで伊藤と小林で併走。誘導が退避するタイミングから両者の先行争いに。うまく小林を外に追いやった伊藤の先行で打鐘。小林がいけないとみた平原が下りてきて荒井の後ろに入り,マークの鈴木も続いて井上はその後ろに。小林は立て直してまた伊藤を叩きにいきましたが,番手の久島の横あたりで一杯に。井上が追い上げて平原の外まで上昇すると,それに合わせて荒井がバックから自力で発進。小林がいたこともあって井上がスムーズに荒井に続き,捲り切ったふたりで直線勝負。自力をを出した荒井が凌いで完全優勝。マークの井上が半車輪差の2着で九州のワンツー。井上が上昇するタイミングで追い掛けた小川が流れ込んで1車身差の3着。
 優勝した長崎の荒井崇博選手は7月に佐世保のFⅠを優勝して以来の優勝。GⅢは2021年11月の飛龍賞以来の17勝目。記念競輪は2019年4月の武雄記念以来の15勝目。このレースはライン構成にかなり偏りがありましたので,九州勢が圧倒的に有利。小林が思いのほか頑張りましたが,平原が早い段階でスイッチしていたために,荒井は外から被せられる展開になりませんでした。井上が追い上げてきたタイミングで発進したのがよい判断で,これで荒井と井上の優勝争いに持ち込むことができました。荒井と井上はもう大ベテランといっていいような選手ですが,ベテランならではの巧みさが光ったレースでした。

 工藤は現代人ですから,死んだイエスが生き返ったということを比喩的に解するとしても,あるいはオルデンブルクHeinrich Ordenburgのいい方に倣えば,その信条を支えとしなくても,キリスト教徒であることができると考えていたとしても不自然ではありません。これは工藤が寄稿の後半部分でいっていること,すなわち,スピノザは隠れキリスト教徒であったということとも関連しますので,まとめて考察していきます。
                                   
 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では,キリスト教徒とはだれのことであるのかということが,オルデンブルクがいっているのとはまったく違った観点から主張されています。キリスト教徒とは,何らかの信条によって支えられている人物のことを指すのではないのです。スピノザはそれを,敬虔pietasであるといういい方で示すことになるのですが,これまでにも何度かいってきたように,スピノザがいう敬虔とは,現実的に存在する人間の信条を意味するのではなく,人間の態度とか行動に関連します。したがって,ある人間が敬虔であるか否かを測る尺度というのは,その人間の精神mens humanaの思惟作用であるよりは,その人間の身体humanum corpusの運動motusであるという側面が強くなっています。これは強くなっているというだけであって,それがすべてであるという意味ではありません。スピノザの主張ではある人間の精神というのはその人間の身体の観念ですから,同一の人間の思惟作用と身体運動の間には,因果関係こそありませんが同一個体ですから,ある人間について敬虔であるという形容が,その人間の身体的運動だけを表現するということはないのです。ただ,スピノザは思惟作用について敬虔というのではなく,身体の運動についてそういうと解しておけば,僕たちには理解しやすいでしょうから,ここでは僕はそのようないい方をします。
 スピノザがこのように主張する理由は次のようなものです。これは今回の考察の中でもいっておいたことですが,新約聖書が教えているのは,神Deusを愛することと隣人を愛することのふたつです。このとき,現実的に存在するある人間が,神を愛しまた隣人を愛しているならば,その人は敬虔であるといわれます。これがスピノザがいう敬虔の具体的な意味です。
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朝日杯フューチュリティステークス&イエスのミステリー

2023-12-17 18:55:54 | 中央競馬
 第75回朝日杯フューチュリティステークス
 1馬身ほど遅れたシュトラウスが外から上がっていって発走後の向正面の中途で先頭に立ちました。それまで逃げていたのがセットアップで差がなく続いていたのがクリーンエア。この後ろはタガノエルピーダとダノンマッキンリーとバンドシェル。2馬身ほどあってジャンタルマンタルとオーサムストロークとナムラフラッカー。10番手にタイキヴァンクールでその後ろにミルテンベルクとエンヤラヴフェイス。サトミノキラリとタガノデュードがいて,2馬身ほど離れた最後尾がエコロヴァルツとジューンテイクとアスクワンタイムの集団。前半の800mは46秒1のハイペース。
 シュトラウスは先頭で4コーナーを回ってきましたが,その内に進路を取ったジャンタルマンタルがすぐに前に出ました。外の方から追ってきたのがタガノエルピーダとジューンテイク。さらに大外からエコロヴァルツの追い込み。エコロヴァルツが最も迫りましたが届かず,早め先頭のジャンタルマンタルが優勝。エコロヴァルツが1馬身4分の1差で2着。タガノエルピーダがクビ差の3着でジュンーテイクがアタマ差で4着。ジューンテイクとエコロヴァルツの間を伸びたタガノデュードが半馬身差で5着。
 優勝したジャンタルマンタルはデイリー杯2歳ステークスから重賞連勝。デビューから3連勝での大レース制覇。このレースは前走で1番人気か2番人気に推されて勝った馬がそのまま勝つという傾向。今年はその傾向に合致する馬が8頭いたのですが,この馬は1600mの重賞ということで,このレースと同じ条件でしたから,ほかの7頭よりは優位ではないかとみていました。ペースが速かったのはシュトラウスが暴走気味に走ったためで,早めに先頭に立って粘りきったことは,そのペースほどに評価できるものではありません。ただ2着馬との着差は大きかったので,来年以降の活躍も期待できるのではないかと思います。Jantar Mantarはインドの天体観測施設。
                                       
 騎乗した川田将雅騎手秋華賞以来の大レース41勝目。第69回,72回に続いて3年ぶりの朝日杯フューチュリティステークス3勝目。管理している高野友和調教師はマイルチャンピオンシップ以来の大レース6勝目。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。

 バーバラ・スィーリングBarbara Thieringという,その当時はシドニー大学で死海文書についての講義をしていた学者が書いた『イエスのミステリーJesus The Man -A New Interpretation From The Dead Sea Scrolls-』という本があります。学者が書いた本ですから学術書の扱いになっていますが,新約聖書の解釈に関する学術書としては問題を抱えている,極端にいえば問題しか抱えていないようなものなので,その点ではまったく推奨できるものではありません。ただ,新約聖書の福音書を,究極まで自然現象として生じたことと解することができるのかという実験としてとらえれば,なかなか面白い著作であるとはいえます。ここで僕が奇蹟と自然現象との間につけている区別がどのようなものであるかということがいまひとつ分からないということであれば,この本でスィーリングがなしている解釈は,その分節の理解の上で役立つでしょう。何しろこの本のような解釈をすれば,マリアが処女のまま懐妊してイエスを産んだというプロットについても,自然現象として解釈できるようになっています。ただ念のためにもう一度だけいっておきますが,これは解釈の上でのことなのであって,ここでスィーリングがいっていることを歴史上の事実と解釈しないでください。
 スピノザはその処女懐胎や,イエスの復活などは自然現象として生じ得ないので,比喩的にしか解することができないといいます。後者については書簡七十八で現にいっていますし,前者についてもそういうのは疑い得ません。そこでもしもこの種の奇蹟miraculumを認めることができなければキリスト教徒とはいえないというのであれば,スピノザはキリスト教徒ではあり得ないことになります。実際にこの書簡を受け取ったオルデンブルクHeinrich Ordenburgは書簡七十九でスピノザに宛てて,キリスト教の真理はイエスの復活の信条によって支えられているといっていて,少なくともスピノザが生きていた時代において,スピノザをキリスト教徒であったというのは無理があるといえるでしょう。
 ただし工藤は現代人ですから,オルデンブルクと異なった考えをもつことはあり得ます。
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