スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&ライプニッツとフッデ

2024-04-27 19:10:20 | 将棋
 22日に指された第95期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は佐藤天彦九段が5勝,山崎隆之八段が6勝。
 振駒で佐藤九段の先手となりノーマル向飛車。後手の山崎八段は相振飛車を視野に入れていたようですが,先手の牽制によって居飛車になりました。途中は先手がリードする将棋に。ポイントがいくつかあったっと思われますので,その中からひとつだけみておきます。
                                        
 ここで先手が☗8九飛と逃げたので,後手は☖3三角成と馬を作って自陣を強化しました。
 ここからは☗4七金☖5四銀と渋い手が続き☗7二角。これは☖6四飛と逃げる一手で☗5九飛と回りました。銀取りなので☖5五歩と受けたところで☗8一角成と馬を作りました。後手は☖6九歩成。
                                        
 第2図から☗5八飛☖6八と☗4八飛と進み,先手は飛車を使いにくくなって実戦的に勝ちにくくなってしまった感じがします。こうなってしまうのであれば,第1図で☗6八同飛と取ってしまった方がよかったように思われます。
 山崎八段が勝って挑戦者に。2009年の王座戦以来となる2度目のタイトル戦出場。第一局は6月6日に指される予定です。

 ナドラーSteven Nadlerはそのことについては書いていませんが,ライプニッツGottfried Wilhelm LeibnizはフッデJohann Huddeと面会するにあたっても,事前に調整を入れていたと思われます。ふたりの間に直接的なやり取りがなかったとすれば,それについてもだれかに仲介を依頼していた筈です。ただ,ライプニッツとフッデとの間では直接的なコンタクトがあった可能性もあります。少なくともふたりの間にはかつては接点がありました。
 書簡四十五でライプニッツはスピノザに対して,自身が書いた光学に関する論文をスピノザに送り,その論文についての講評を求めていますが,それと同時にフッデにも批評してもらえるように依頼しています。つまりライプニッツはこの論文をスピノザには2冊送ったのです。書簡四十六でスピノザは,1冊は自分で読み,もう1冊はフッデに送ったと明言しています。ただフッデはこのときは多忙で,その論文を読む暇がないという返事をスピノザに寄せたと書かれています。ただ,1週間か2週間がたてば読む時間ができるという主旨の内容になっているので,それがフッデの社交辞令でなかったとすれば,フッデはおそらくその論文を読んだことでしょう。なのでこのとき以降,スピノザとライプニッツとの間で文通が交わされたように,ライプニッツとフッデとの間でも書簡のやり取りが行われていた可能性は否定できません。ライプニッツはフッデのことを知っていて,かつフッデとスピノザが親しいということも知っていたので論文を2冊送ったのですが,フッデの方はライプニッツについてそう多くのことを知っていたわけではないかもしれません。ライプニッツとフッデとの間の接点はスピノザによって結ばれたものだと考えてよいでしょう。ただそれは相互に知己の関係になったというだけであって,面会に関しては別の方法での仲介者が必要であった可能性もありますし,そちらの可能性の方が高かったのではないかと推測されます。
 ライプニッツとシュラーGeorg Hermann Schullerの関係はこれとは違っています。シュラーはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがライプニッツと会った後でライプニッツのことを知ったのですから,その関係はフッデとライプニッツの関係よりも薄いものであったと解するべきです。

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