スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&5月28日

2009-12-31 19:22:32 | 地方競馬
 南関東2歳女王決定戦の東京2歳優駿牝馬。タカヒロフェアリーが除外となり,15頭。
 押していったスパンキーラビットの逃げ。ナリショーシーズンが2番手で,ロゼワイン,オノユウ,レッカ,キョウエイトリガー,レギュラーサヤカと先行集団はごった返すレース。前半の800mは49秒3。2歳戦にはありがちですが,かなりのハイペースになりました。
 スパンキーラビットも直線の入口までは頑張りましたが,内から3頭目のオノユウが抜け出しを図りました。しかし中団からコーナーで外を回って追い上げてきたプリマビスティーがそのまま大外を伸び,内の各馬をあっさりと交わして先頭に立ち,そのまま優勝。オノユウが2着を確保し,しぶとく伸びてきたキョウエイトリガーが3着。
 優勝したプリマビスティーは北海道デビューで8戦3勝。南関東転入後は中山の条件戦に遠征して5着。南関東で走るのはこれが初めてでした。鋭い末脚が武器の馬で,今日はそれが見事に決まりました。北海道ではオノユウに勝てなかったのですが,古谷剛彦さんによれば,転入後の順調度でこちらが上回っていたようです。来年は南関東牝馬クラシックの中心の1頭になるでしょうが,左回りは課題になります。
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は,まだ回顧していませんが,先週の浦和競馬でオーバルスプリントを制していて,2週連続の南関東重賞制覇。管理する船橋の岡林光浩調教師と共に,このレース初制覇となりました。

 僕は1月20日に退院してからは,昼食と夕食はさすがに別ですが,朝食だけは必ず家で摂取しています。これはシックデイのときまでということではなく,今でもそうです。そしてその場合,何を食べるにしても,食事の用意は自分でしています。したがって,5月28日の朝も,自分で用意したということになります。血糖値は計測してから食事の用意に取り掛かりますが,インスリン注射の方は食事の用意が整ってから。このときも食事の直前になって,注射を打ちました。そして食事を始めたのです。
 ところが,最初の一口を飲み込んだだけで,患部である喉の右側に強烈な痛みが走りました。これは本当に激しいもの。よく,痛みでのたうちまわるという表現がされますが,文字通り,その場にじっとしてはいられないような強さをもった痛みでした。当然ながらそれ以上の食事はできません。ただ,インスリン注射をしてしまいましたし,食前の血糖値も,朝としては高めであったとはいえ,箆棒な数値ではありませんでしたから,このままではこの薬の副作用である低血糖を招く恐れがあります。幸いにして,固形物はだめでしたが,問題なのは痛みだけであり,食欲が湧かないということでもありません。液体であれば飲み込むことができましたので,家にあったスープやジュースなどである程度の熱量,もちろん本来摂取するべきエネルギーには足りませんでしたが,それなりの量は確保しました。
 実はこの日は仕事がなく,囲碁将棋チャンネルの銀河戦の再放送でも見ようと思っていたのですが,それどころではありません。僕はテレビを録画する習慣がありませんから,この日の放映は見逃しています。また,仮に仕事があったとしても,やはりそれどころではなかったでしょう。とにかく病院に行かなければならない,この痛みを何とかしなければならないと思いました。それでその準備として,異変を感じてから初めて熱を測ってみたのですが,37.1℃。少し高いかもしれませんが,もともと平熱の方が高いわけですから,僕としてはさほどの問題があると思えるような熱ではありませんでした。
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競輪グランプリ&血糖値の推移

2009-12-30 19:00:03 | 競輪
 1着賞金1億円を賭けての一発勝負,競輪グランプリ。並びは山崎-伏見の福島,平原-武田-神山の関東,永井-加藤の岐阜で,海老根と石丸は単騎。
 平原も出て行きましたが外から加藤が誘導の後ろに入り永井の前受け。上昇してきた海老根が3番手に入り,4番手が平原。石丸がこのラインを追走して8番手から山崎という周回。残り2周半から山崎が上昇し,ホームで永井を叩くと,この動きに乗った平原が中団を永井と取り合った末,打鐘で発進。ホームで山崎をかまして先行。山崎がうまく3番手を取り,4番手に神山,5番手に伏見。連結が切れた伏見がバックから自力で捲っていくと,海老根がこれに乗る形となり,さらに番手から武田も発進。3人による捲り合戦となりましたが,大外の海老根が内の武田を僅かに捕えて優勝。少し遅れた中の伏見が3着。
 優勝した千葉の海老根恵太選手は,7月の寛仁親王牌で優勝してここの出場権をゲット。その後,函館記念も優勝。グランプリはこれが初出場でした。個人的には少し遅かったと思っているくらいですが,今年最もブレイクしたといっていい選手。今日は伏見のスピードをもらった感もありますが,単騎でのレースですからまずは立派なもの。年齢的にもまだまだ活躍が見込めますから,来年以降もさらに楽しみだと思います。

 僕は現在でも1日に何度かは血糖値の計測を行っています。そこで,これらシックデイズにおいて,僕の血糖値がどのように推移していったのかを,手元に残っている記録をもとに紹介しましょう。
 僕が自分の身体の異変を自覚したのが25日の午後。しかしこの日は夕食前の血糖値が105㎎/㎗,そして睡眠前の血糖値は89㎎/㎗。いずれも正常値の範囲内でした。
 翌26日は朝と昼の2回しか計測を行っていないのですが,朝食前が136㎎/㎗で昼食前は156㎎/㎗。これらは正常値よりもやや高めではありますが,この程度の血糖値が出るということはよくありますから,とくに驚かなければいけないような数値でもありません。
 午後から仕事で川崎に出た27日は,朝が145㎎/㎗で,昼は247㎎/㎗。朝というのは,食事と食事の間隔が最も長いですから,正常値の血糖値が最も多く出る時間。それを考えればこの値は少し高いという気はしますし,昼食前ははっきりと高いといえるでしょう。この後,川崎から帰宅して夕食前の血糖値は164㎎/㎗。この日のように,外を回って少し動きますと,おそらく糖尿病の療法のひとつとしての運動療法の効果が出るためではないかと思うのですが,血糖値は安定するか,下手をすると低血糖が生じるケースの方がずっと多い。これは清水ヶ丘公園を散策した日の夕食前の血糖値が正常値であったということからも分かります。したがってそれを考えればこの血糖値も少し高いと思えます。睡眠前の血糖値は195㎎/㎗で,これは高いと考えることもできますが,この日は8時過ぎに寝てしまったわけで,要するに夕食からそれほど時間が経過していない状況での計測ですから,あまり問題視することはできません。むしろこの時間帯であるということを考慮に入れれば,優良な数値といえないこともないです。しかしこの血糖値は,それから12時間前後が経過した翌朝になっても152㎎/㎗と,あまり低下してはいませんでした。
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東京大賞典&悪化

2009-12-29 19:11:30 | 地方競馬
 ダート競馬の1年修めの大レース,第55回東京大賞典
 あるいは伏兵の先導もあり得るかとみていましたが,すんなりとフリオーソの逃げ。サクセスブロッケン,ロールオブザダイス,ヴァーミリアンと続きました。前半の1000mは64秒3という超スローペース。このためにゴールデンチケットが向正面で外を進出し2番手に。
 この2頭がほぼ並ぶようにして4コーナーを回ってきましたが,直線に入るとヴァーミリアンが競り合う2頭を尻目に先頭に。コーナーのところで一旦は置かれかけた感のあるサクセスブロッケンが外からこれに迫り,激しい叩き合いに。ゴール前で僅かに前に出たサクセスブロッケンが優勝。ヴァーミリアンが2着で,3着は直線勝負に賭けたセレンの追い込みをきわどく凌いだロールオブザダイス。
 優勝したサクセスブロッケンは2月のフェブラリーステークス以来の勝利で大レース3勝目。今年のダート競馬のテーマは世代交代で,ここもその通りの決着。内田博幸騎手の騎乗馬が武豊騎手の騎乗馬を僅かに交わして勝つというのも,今年1年の競馬を象徴していたような気がします。来年以降も日本のダート競馬を引っ張っていく1頭でしょう。父はシンボリクリスエス
 今年のJRAリーディングジョッキーに輝いた鞍上の内田博幸騎手はフェブラリーステークス以来の大レース制覇。東京大賞典は2004年と2005年にアジュディミツオーで連覇していて,4年ぶり3勝目。管理している藤原英昭調教師はフェブラリーステークス以来の大レース制覇。東京大賞典は初勝利です。

 自分の身体に異変が生じているということには気付いたのですが,症状としてみれば,これは深刻なものではまだなく,むしろごく軽微なものでした。このときはこの後,保土ヶ谷まで出て,やるべき仕事を問題なく片付けて家に戻りました。
 それで夕食を摂ったのですが,このときにまた痛みがありました。つまり,何かが喉を通りますと,それがぶつかることによって痛みが発生するように感じられたのです。僕がこの痛みについて,それは自然な痛みではなく,もっと物理的な痛みのように感じられたと説明したのはこのような理由です。しかしこの痛みは,少なくともこの時点ではまさにこの通り,物理的な痛みにすぎず,食事を終えると自然と引いていきました。もちろん違和感がありますから,たまに上から触ってみたり,ときにはもう少し強く押してみたりすることもあり,そういう場合にはやはり痛みは感じましたが,日常生活において支障を来すようなものではまだありませんでした。熱は測ってはいませんが,高熱が出るという場合には自分でも分かりますから,平熱に近かった筈です。
 しかし食事時の痛みというのは,翌日になっても治りませんでした。というより,むしろ悪化していきました。それに伴って,右顎の下の腫れの方も,あるいは気のせいであったかもしれませんが,徐々に大きくなっているように感じられました。
 翌27日は,自分の仕事と,それから頼まれた用事もあり,午後から川崎に行かなければならないことになっていました。食事中の痛みはますますひどくなっていましたが,あくまでも食事中のみでしたから,無事にこの仕事もこなせました。ただし,やはりこの時点では体調の方もかなり悪化していたのでしょう,この夜は,8時過ぎには布団に入ってそのまま眠ってしまいました。そして翌朝を迎えたのです。
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ヤンググランプリ&異変

2009-12-28 18:54:46 | 競輪
 今年の競輪グランプリの舞台は京王閣競輪場。というわけで今日のヤンググランプリも京王閣バンクで争われました。並びは菅田に藤野,木暮-篠原の群馬,牛山-神山の茨城栃木,柴崎-池田の西日本で伊原が単騎。
 スタートは菅田が取りましたが,外から池田が上昇するとこれを入れ,柴崎の前受け。伊原が3番手に入り,4番手に菅田,6番手に牛山,8番手が木暮で周回。残り2周のホームから木暮が一気に駆け上がって柴崎を叩くと,これに乗った牛山がバックで抑えて先行。3番手に木暮,伊原が5番手を取り,菅田が6番手,柴崎が8番手の一本棒。バックから単騎の伊原が捲っていくと,後ろにいた菅田がこれに続き,牛山は捕らえましたが神山が菅田をどかして番手に。木暮が内から掬いに来ましたが神山にうまく極められて落車。乗り上げた篠原も落車。直線から踏み出した神山が抜け出して優勝。伊原が2着に残り,立て直して外を伸びた菅田が3着。
 優勝した栃木の神山拓弥選手はこれがグレードレース初優勝。大方の予想通りであったかもしれませんが,牛山の先行となったのが第一の勝因。しかし菅田をどかして木暮を極めるなど,番手としての走行も見事なもので,この立ち回りが勝利を呼び込んだといえるでしょう。まだ自力で走っていくだろうと思いますが,現時点でこういったレースができるのであれば,将来はかなり有望なのではないでしょうか。

 このときに僕の身体に生じた異変,あるいは僕が気付いた異変について,これをことばで表すのは少し難しいです。しかしごく簡単にいうならば,右の顎の下から喉のあたりにかけて,奇妙な違和感を感じたといったところでしょうか。
 僕はかつて,まだみなと赤十字病院に移転する前の日赤病院に,喉の違和感を覚えて2度ほど通ったことがありました。しかしこのときに感じたものは,それとはまったく別のものでした。ひとつは,前回のときは違和感があったのは明らかに喉の中だったのですが,今回はむしろ外側,つまり皮膚と喉との間でした。しかし何よりも,前回の違和感はまさに違和感ということばでしか表現することができないような不思議な感覚だったのですが,今回の場合は,これはこの時点ではということになりますが,ごく弱いものではありましたが,痛みを伴っていたからです。
 一方,僕の風邪の初期症状はこの喉の痛みから始まるのですが,それともこれは明らかに異なっていました。確かに喉に痛みがあるという点だけをもってすればこれは同じだったのですが,その痛みの種類というのがはっきりと違っていたのです。これもどのように表現していいのか分からないのですが,風邪のときの痛みというのがごく自然な痛み,喉自体が何らかの炎症を起こすことによって感じるような痛みであるとすれば,このときの痛みは,もっと物理的な痛み,何かにぶつかって痛みを感じるというような種類の痛みのように感じられたのです。しかも,風邪の初期症状としての痛みが喉の全体の痛みであるとすれば,このときの痛みはもっと部分的なもの,喉の右側だけに固定されたような痛みでした。
 痛いときに,その痛みを感じる部分を触ってみるというのは,だれもがするようなごく自然な行為でしょう。僕もそうしてみました。すると,その痛みを感じている部分に若干の腫れがあるように思えました。このとき僕は,喉のリンパ腺が腫れているのではないかと思ったのですが,実際にはそれだけではなかったのです。
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有馬記念&清水ヶ丘公園

2009-12-27 19:05:30 | 中央競馬
 JRAの1年を締めくくる第54回有馬記念
 ドリームジャーニーは出遅れ。予想通りにリチーザクラウンの逃げとなり,徐々に後ろを離していきました。追っていったのは2頭で,ミヤビランベリとテイエムプリキュア。その後ろもまた離れるという展開。ペースは速かったと思います。
 向正面でスリーロールスが競走中止。3コーナー手前からマツリダゴッホが外を上昇。前でこれに合わせたのがシャドウゲイトで,直線入口ではこの2頭が前に。これを目標に追い出されたブエナビスタがあっという間に交わして先頭に立ちましたが,後方から大外を回って追い上げてきたドリームジャーニーが襲い掛かり,半馬身捕えて優勝。ブエナビスタが2着で,4馬身離された3着にエアシェイディ。
 優勝したドリームジャーニーは6月の宝塚記念以来の大レース3勝目。馬にもピッチ走法とストライド走法というのがあり,この馬は典型的なピッチ走法。一般的にこういう馬は小回りの方が得意で,そのために東京ではあまり結果を残せないようです。父はステイゴールド,母の父にメジロマックイーン
 3着以下が千切られているように,今日のメンバーでは上位2頭の力量がはっきりと上位であったということだと思います。
 鞍上は池添謙一騎手で,管理しているのは池江泰寿調教師。共に宝塚記念以来の大レース制覇で,有馬記念は初優勝です。

 それでは僕のシックデイ,正しくいうならシックデイズということになるのですが,これについて詳しく説明をしていきましょう。
 横浜市南区の小高い丘の上に,清水ヶ丘公園という公園があります。公園といってもこれは町中にある,滑り台とかブランコなどの遊具がある公園ではなく,この地域一帯の広域避難場所に設定されているような,広大な敷地を持つところ。公園というよりも,緑地帯ということばで表現した方が,より近いイメージが喚起されるのではないかと思います。
 横浜市内にはこうした類の公園は多くありまして,たとえば中学時代の僕が長距離走の練習の舞台としていた根岸森林公園もそのひとつ。これは中区ですが,僕が住む磯子区にも,港南区とまたがった久良岐公園というのがあります。あるいは近くに動物園もある西区の野毛山公園とか,井伊直弼の銅像がある掃部山公園は有名かもしれません。
 僕はこれら4つの公園,さらに旭区の大池公園も含めた5つの公園には行ったことがありました。しかし清水ヶ丘公園は行ったことがなかったのです。
 5月25日の午後,僕はこの公園の近くにいました。それでついでに行って散策してみようと思ったのです。本当のことをいえば,このときはなすべき仕事があって,それはまだ終っていなかったのですが,時間は十分にありました。しかもこのときは,その仕事さえ終えてしまえば,真直ぐに家に帰っても構わないような状況だったのです。行ってみたい公園が近くにあって,これを逃せば今度はいつこのような絶好の機会が訪れるかは分かりません。ということで行ってみたのですが,ここで散策をしている最中に,僕は自分の身体に異変が起こっていることを知ったのです。いや,正確を期せば,異変はもう少し前から発生していたのかもしれません。僕はこのときに,その異変に気がついたのです。このブログらしくいえば,自分の身体に関するある表象を意識したということになります。
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中山大障害&プリントの内容

2009-12-26 19:03:38 | 中央競馬
 暮れの名物レースのひとつ,中山大障害
 先手を奪ったのはテイエムトッパズレ。トウカイポリシーがつかず離れずという感じでついて回り,ドングラシアスを挟んで人気を分けたメルシーエイタイムとキングジョイ。ただ,全体にかたまっての競馬。順回り2周目の2コーナーでようやくクルワザード1頭が脱落するという展開。
 その後,向正面で逃げていたテイエムトッパズレがバランスを崩すように落馬。自然とトウカイポリシーが先頭に立ちましたが,メルシーエイタイムも追いかけてきて,4コーナーを回ったところではこちらが先頭。直線では内からキングジョイが迫り,こちらが交わして優勝。2着がメルシーエイタイム。3着に外から追い上げたオープンガーデン。
 優勝したキングジョイ昨年に続いての連覇で障害GⅠ2勝目。中山コースでは本当に安定して走ります。障害は息長く走ることができますし,目立った新興勢力もいませんから,まだ活躍が見込めるのではないでしょうか。父はマーベラスサンデー
 鞍上は西谷誠騎手で,昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース制覇。中山大障害は2006年以来の3勝目。管理している増本豊調教師は昨年のこのレース以来の大レース制覇です。

 シックデイに関するプリントに書かれている内容は,主に次の2点です。
 まず1点目ですが,たとえば風邪などをひきますと,食欲が減退するということが起こります。これはとくに糖尿病の患者に特有なことではなく,だれにでも起こり得ることでしょう。
 ところが,Ⅰ型糖尿病の患者が注射するインスリンの量というのは,管理栄養士によって決められた量の食事を摂取するという前提で医師から決定されています。したがって,食欲がなく,食事ができないような状態では,普段と同様の量のインスリンを注射することには危険が伴います。食べないのに注射だけを打てば,この薬の最大の副作用である低血糖を発症する可能性があるからです。
 そこで,食欲減退によって実際に食べることができる量が決められた量から減ってしまう場合に,注射するインスリンの量をどの程度の割合で減らせばいいのかということがここで説明されています。なお,まったく食べられないという場合には注射はしないのかといえば,そうではありません。このような場合でも一定量の注射は必要です。
 僕はまだ経験していませんが,下痢などの場合,それが原因で低血糖が生じることがあるそうです。しかし一般的には,シックデイにはむしろ血糖値は上昇します。そしてそれが過度である場合,今度は食べる量とは関係なしに,むしろ注射するインスリンの量を増加させる必要が出てきます。もちろんインスリンは食前に注射するのが基本で,食事と関係なしに,単に血糖値が高いという理由だけでは打つことはできませんが,血糖値がどの程度まで高まったならば,インスリンの量をどの程度の割合で増加させる必要があるのか,こうしたこともこのプリントには書かれていました。これが2点目ということになります。
 減らす場合と増やす場合があるので分かりにくいのですが,場合によっては,食べられる量が極端に減ったとしても,注射するインスリンの量は増やさなければならないようなこともあるということになります。
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武雄記念&シックデイ

2009-12-25 18:51:32 | 競輪
 年末の競輪は何といっても競輪グランプリが最大のイベントですが,記念競輪の方も開催ラッシュ。22日には武雄記念の決勝(動画)がありました。
 並びですが北日本は別れ,渡辺-岡部の福島に木村,佐藤には山口,南-沢田の近畿で,小倉と吉永は単騎という細切れ戦。
 スタートは木村が取って渡辺の前受け。4番手に小倉が入り,その後ろはインの佐藤とアウトの南。吉永が最後尾と,周回中から一列棒状にならない珍しいレースに。残り2周のホームで南が5番手を取りきると,引いた佐藤がバックから発進しかまし先行。しかし3番手に入った渡辺がホームからすぐに巻き返し。このときに,インから上昇してきた南と岡部が絡み,渡辺は単騎となってしまったため,佐藤が労せず番手に。立て直して発進した佐藤が山口の追撃を凌いで優勝。山口が2着で,大外をよく伸びた小倉が3着。
 優勝した岩手の佐藤友和選手はこれが今年の初優勝。昨年は共同通信社杯などビッグ2勝をあげていますが,記念競輪ということになると一昨年の小田原記念以来となる3勝目。今年ははっきり不振といえる内容で,個人的にもかなり期待をしている選手なので残念に思っていました。終りよければすべてよしといいますが,これが来年の復活への足掛かりとなってくれればいいなと思います。

 表題にあるシックデイとはsick day,すなわち病気の日という意味。個人的にはやや奇妙な言い回しと感じるのですが,少なくとも糖尿病患者が糖尿病以外の病気に罹患する場合,このようないい方をするようです。ただし,病気といってもこれはたいそれたものではなく,たとえば風邪をひいで体調を崩すといったような,むしろ病気としては軽度のものであるとお考えください。もちろん重度の病でもシックデイであることには変わりないでしょうが,少なくともこれ以下の説明においては,僕はそうした重度の病を念頭にはおいていません。
 これは本来は糖尿病教室の講義内容のひとつでした。担当は看護師。ただ,看護師の講義内容というのはあまりに多岐にわたっていたため,これについては十分といえるだけの時間を割くことができませんでした。このために,シックデイに関する概略の書かれた2枚のプリントを基に,講義後に看護師が入院中の自室まで来て,簡単な説明が行われました。糖尿病教室を担当した看護師は,何度か僕の担当になった看護師だったのですが,説明の方は当日の担当であった別の看護師によるものでした。
 プリントの内容は,詳しくは次回に説明しますが,ごく簡単にいうならば,インスリン注射を行っている糖尿病患者が,こういった日にどういった注意が必要であり,またどのように対処すればよいのかが説明されたもの。実は僕はこの説明のときにはあまり重大なこととして考えられなかったのですが,これは非常に重要な内容をもったものでした。それに気づいたのは実際にシックデイが自分に訪れたとき。やはり実際に経験してみないことには,事の重大さにはなかなか気がつかないものなのかもしれません。
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兵庫ゴールドトロフィー&原因

2009-12-24 19:36:16 | 地方競馬
 今年はJBCの舞台となった園田競馬場。年末を締めくくる重賞は第9回兵庫ゴールドトロフィーです。
 ポートジェネラルの逃げを予想していましたが,大外から主張したヴァンクルタテヤマがハナへ。リミットレスビッドがいつもより前目の2番手に上がり,3番手の外にトーセンブライト。人気のラヴェリータは,発走でやや寄られたところもあり,中団内目の後方を追走。あまりペースは上がらず,ミドルペースだったのではないかと思います。
 前の3頭が雁行状態で直線に。一番外のトーセンブライトの伸び脚がよく抜け出して優勝。真中のリミットレスビッドが2着で,内目を猛然と追い上げたラヴェリータが迫るも3着まで。
 優勝したトーセンブライトは3月の黒船賞以来の勝利で重賞3勝目。どうやら現状は1400mというのが最も力を出せるようです。現時点での力関係を考えれば,リミットレスビッドと同斤というのは恵まれたのではないかと思います。
 2日連続の重賞制覇となった安藤勝己騎手は2005年以来となるこのレース2勝目。管理している加藤征弘調教師はこのレース初制覇となりました。

 第一部公理三にあるように,スピノザの哲学では,何らかの現象が生じるならば,その現象が生じる必然的な原因causaがあるとされていて,この因果論はスピノザの哲学の中心原理です。だから僕も,ある事柄の原因は何であるのかということについては,とくに大きな関心を有します。もちろんこの考え方は,スピノザが方法論としてむしろ否定するような帰納法の一種なのですが,人間が帰納法的思考をするというのはごく自然なことだと僕は考えているのです。だから,僕の肝機能障害の原因が何であるのかということ。このことについてはやはり大きな関心を抱かざるを得ないのです。
 M先生によると,一般に人間の身体humanum corpusに僕に生じているような肝機能の障害が発症する場合には,大きくふたつの原因が考えられるのだそうです。
 ひとつは飲酒。僕は最初に肝機能障害が見つかったときには飲酒をしていたわけですが,現在はまったく飲みません。だから今回の障害に関してこれが原因となったということは考えにくいのではないかと思います。
 もうひとつが激しい運動。しかし僕は運動らしい運動というのはしていません。確かに僕は散歩が趣味ですし,またこれは散歩に限らず,歩く場合には1キロを10分強で歩きますから,歩く速度だけでいえば多くの人よりも速いでしょう。しかしいくら早く歩いたからといって,所詮は歩いているだけ。それでも,僕という人間にとってはこれは十分に激しい運動なのだということは可能ではあると認めますが,一般的な肝機能障害の原因として激しい運動があげられるならば,やはり一般的にいってこれを激しい運動というのは無理があるでしょう。よってこれもこの障害の原因であるとは考えにくいのです。
 したがって,僕の肝機能障害の場合にはこれらのどちらも直接的な原因であるとは思えないです。ということで,はっきりとした原因が何であるのかということは,現時点ではまったく分からないのです。
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名古屋グランプリ&肝機能障害

2009-12-23 18:46:25 | 地方競馬
 JBCクラシックの2,3,4着馬が参戦した名古屋グランプリ(動画)。
 内からワンダースピードも押していきましたが,外から制してマコトスパルビエロの逃げ。1周目の正面では内に入って行ったマイネルアワグラスが,向正面では外に出し,ワンダースピードを交わして2番手。ワンダースピードがインの3番手。詳しいラップは分かりませんが,スローペースであったことは間違いないものと思います。
 2周目の向正面から最後尾に控えたメイショウトウコンが追い上げましたが,前の3頭とは関係なし。コースロスなく逃げ切ってマコトスパルビエロの優勝。ワンダースピードが内からマイネルアワグラスを交わしてマコトスパルビエロに迫っての2着。最初に手応えが悪くなったマイネルアワグラスが3着を確保。
 優勝したマコトスパルビエロは9月の日本テレビ盃以来の重賞3勝目。適距離はもう少し短いのでしょうが,スムーズにレースを運べると強いタイプの馬ですから,楽に逃げられる長距離の方が,結果は出しやすいかもしれません。母系祖先はダイシング
 鞍上は安藤勝己騎手で管理しているのは鮫島一歩調教師。名古屋グランプリは共に初制覇です。

 主治医の交代によりM先生の初めての診察を受けたのが4月13日。その次は間隔がおよそ2ヶ月に開いて6月1日。そこでまた1ヶ月に戻って7月10日になり,それ以降はおよそ2ヶ月の間隔となり,9月7日と11月2日に通院。次の予定日は来年早々の1月4日となっています。
 この間の診察において特記しておくべきことがひとつあるとしたら,肝機能に若干の障害が出ているということです。僕は聞かされるまで知らなかったのですが,血液検査の一環に,肝機能の検査が含まれていたようです。
 最初にこれをM先生に言われましたのは,9月7日の診察のときでした。実は,3月のG先生の診察時にも同じような異常が出ていたようなのですが,このときは何も言われませんでした。これに関してはG先生の何らかの判断があったためだと思われます。したがって何の処置もしなかったわけですが,4月の検査のときにはこれは改善されていたようです。そしてその後,6月と7月は問題なかったのですが,9月になってまた異常が表れたとのこと。11月の検査のときにもこれは改善されていませんでした。
 すでに説明しましたが,僕は就職して最初の健康診断のときにやはり肝機能の異常が発見されました。今回の症状もそれと同様のもの。ただし,だから何か処置を始めたのかといえばそうでもなく,とくにそのための治療をしているわけではありません。逆にいえばこれは,異常は出ているけれども,とくに特別な治療が必要と思われるほど悪いというわけでもないということでしょう。
 もちろんこの状態が今後も続いたり,また数値が一段と悪化するようなことになればどうか分かりませんが,現時点ではとくに心配の必要はないのだろうと考えています。
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棋王戦&思わぬ効用

2009-12-22 18:53:28 | 将棋
 第35期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は1勝でよい勝者組の佐藤康光九段が5勝,2勝が必要な敗者組の山崎隆之七段が1勝。
 振駒で佐藤九段の先手。山崎七段の一手損角換り1-Ⅱ。先手の早繰り銀になりました。互いに手損をする珍しい進展でしたが,その後の中盤の折衝で一気に差が開いてしまいます。
               
 後手が壁銀の解消を目指して△3三歩と合わせたところ。ここで先手は▲4五銀とぶつけました。コメントにあるようにこの銀は取れないようで△3四歩。しかし,結果的にいえばこの後手の二手がかなり甘かったようです。先手は▲7五歩とこちらに手をつけ,△5五銀と逃げたのに対して▲7六飛(第2図)。この狙いが厳しく,先手があっという間に局面をリードしました。
               
 以下,先手が一気に寄せて快勝。佐藤九段が挑戦権を獲得。昨年のリターンマッチとなります。第一局は来年の2月5日,中国対局です。
               
 4時間の将棋なのでいくらか観戦できるものと思っていたのですが,アクセスしたときには終っていてびっくりしました。山崎七段も力はある筈なのですが,佐藤九段や羽生名人など,本当のトップクラスを相手にするとなかなか結果が出ないのは気掛かりです。

 主にふたつの意図をもって書き始めたノートですが,これ以外に,まったく予期していなかった意外な効用がありました。
 僕はこのノートの説明で,何を食べたかを記録しておくといいました。しかし,もしも厳密にいうならばこれは間違いなのです。実際は,食事の用意ができたら,食べる前に先に記録しておくからです。
 同じことではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが,実は先に記録しておくことによって,ちょっとした違いが生じるのです。もし食べた後に記録するなら,これは厳密な意味で単なる記録にすぎないのですが,先に記録しておくということは,その後で食べるものを先に決定しておくという意味が含まれていまして,これが思わぬ効用をもたらすのです。僕は記録を始めたとき,とくに意識して食前に記録したわけではなく,何の気なしにそのようにしただけですので,これは本当の意味で思わぬ効用でした。
 どんなことかといいますと,先に書いておけば,自然と書いておいたものだけを食べて,ほかのものは食べなくなるのです。つまり余分なエネルギーをごく自然に摂取しないで済むようになったのです。自分ひとりだけで食事をするという場合には,自分で自分の分だけを用意するわけですからこれは記録しようがしまいが関係ありませんが,たとえば家族と食事をするときには,いろいろなおかずが食卓に並びますから,こうした記録方法というのは,僕にとって有益でした。
 僕は体重がありませんからまったく関係のない話ではありますが,これはたぶんダイエットをしようという人にも有効な方法なのではないかという気がします。すべての人に妥当するかといえばはっきりそうともいえないように思いますが,確かに食前に食べるものを記録しておくことによって,ごく自然とそれ以外のものは食べなくなるという人は,意外に多いのではないかと思えます。
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朝日杯フューチュリティステークス&複合食品

2009-12-20 18:56:36 | 中央競馬
 2歳芝のチャンピオン決定戦,第61回朝日杯フューチュリティステークス
 最内のバトルシュリイマンの逃げ。ツルマルジュピター,ダッシャーゴーゴー,キングレオポルドが追って行き,その後ろに控えたダイワバーバリアン。前半の800mが46秒1のハイペースとなりました。
 直線の入口でキングレオポルドがバトルシュリイマンを捕まえに出ましたが,その直後にいたエイシンアポロンの伸び脚がよくこちらが一気に先頭に。さらに中団の内で控えていたローズキングダムが直線で外に出し,エイシンアポロンを目標に追われるとこれを捕えて優勝。エイシンアポロンが2着で,内目から伸びたダイワバーバリアンが前とは離されましたが3着を確保。
 優勝したローズキングダムは新馬,重賞と連勝中の馬。3連勝で大レース制覇。この2戦は共に広々としたコースでのもので,今日は器用さを問われましたが問題なくこなしました。父はキングカメハメハで,母がフィリーズレビューとマーメイドステークスを勝ったローズバド。さらにその母もデイリー杯を勝ったロゼカラー。距離はむしろ伸びた方が持ち味が生きそうに思えますので,無事なら来年のクラシックでも期待できる馬ではないでしょうか。
 鞍上の小牧太騎手は昨年の桜花賞以来の大レース2勝目。管理している橋口弘次郎調教師は昨年のスプリンターズステークス以来の大レース制覇で,このレースは初制覇です。

 この,食べたものを書き留めておくノートには,もうひとつ,主眼としていた意図がありました。
 僕が食事制限を課せられていることはすでに説明しました。そしてそのとき,単に1日に22単位を摂取すればよいというものではなく,栄養素ごとにそれぞれの摂取するべき単位の量が決められていて,それを守らなければならないということも詳しく説明した通りです。ところでこの場合に,食品をあくまでも単品で摂取するという場合には何も面倒は生じません。単品である以上,その食品がどんな栄養素を含んでいるかは決まっているからです。栄養素が何かは分からなくても,それは教科書で調べればよいのです。しかし僕たちが日常的に口にするような食品のうちには,複数の栄養素にまたがっていると考えなければならないようなものもいくつかあります。そこでこうした食品に関しては,ほかの食品とのバランスをどのように保っていくのがよいのか,結局のところは経験によって確かめていくほかないのです。そこでこのノートが役立つということになります。
 代表的なものをひとつ挙げれば餃子です。父の知り合いに餃子の専門店の人がいて,よく買ってきます。この餃子はしょうゆなどの調味料をまったく使わずに食べることができるとても美味なもの。必然的によく食卓に並びます。しかし餃子は,具は野菜も入っていますが主成分はですからたんぱく質ということになります。しかし皮はうどん粉ですから,主食の一種として考えなければなりません。よってご飯の量は減らすべきなのですが,もともと出来合いのものとして売られている以上,餃子の皮だけの重量などは計量できませんから,何度か試してよい量を求めるということになります。
 現在のところ,餃子を7つ食べて,ご飯を100gにすれば,良好な血糖値の統御ができるようなので,そのように食うこととしています。ただし,これはこの餃子を焼いた場合。煮たり蒸したりする場合は別。実は先日,これを水餃子にして焼いたときと同量を食べたのですが,低血糖を生じてしまいました。おそらく肉に含まれる油脂成分が少し流れ出すためではないかと思います。なのでこの場合はまたよい量を求めて試していくということになります。
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イーグルカフェ&ノート

2009-12-18 19:07:27 | 名馬
 先月のローレル賞を勝ったキョウエイトリガーの父はイーグルカフェという馬です。
 アメリカ産。ダートで2戦惜敗した後,2歳12月に芝の未勝利で勝ち上がり。正月の京成杯を猛烈な追い込みで2着となり,続く共同通信杯で重賞初制覇。
 この後,放牧先で火災が起こるというアクシデント。馬は火を見ると立ちすくむといわれていて,この火災でも阪神牝馬特別とマイラーズカップを勝ったエガオヲミセテなどが焼死。この馬は難を逃れましたが,さすがにその影響もあったかニュージーランドトロフィーは7着。しかし次のNHKマイルカップでは大外を追い込み,内の馬との写真判定を制して大レースの勝ち馬となりました。この後,果敢にも安田記念に出走しましたがこれは香港の馬の13着。キングヘイローブラックホークも出ていたレースです。
 秋は毎日王冠4着をステップに天皇賞へ。これはテイエムオペラオーメイショウドトウを相手に4着と,3歳馬としてはまずまずだったのですが,この後が苦難の始まり。ようやく連対できたのは翌年の武蔵野ステークスでしたが,これもクロフネに大きく離されてのもの。大レース勝ち以降,実に20連敗を喫し,5歳7月の七夕賞でようやく久々の勝利を飾りました。
 驚かされたのはこの後。フランス遠征を挟んで出走したジャパンカップダートで,ランフランコ・デットーリ騎手の巧みな手綱捌きに導かれて優勝。ゴールドアリュールトーホウエンペラーを相手に大レース2勝目を上げました。しかしこれが最後の勝利。この後,15戦したものの勝てず,引退となっています。
 芝とダートの両方での大レース優勝は立派ですが,卓越した成績を収めた馬とはいい難い面があり,繁殖相手にはそうも恵まれそうにありません。血統的には日本のダート競馬には向く筈で,キョウエイトリガーのような,地区重賞の勝ち馬は今後も出てくるかもしれません。

 主治医の交代があった前後から,僕はあるノートをつけるようになりました。簡単にいえばごく簡略化された日記のようなもので,起床時刻や就寝の時刻なども書いていますが,最も主眼となるのは,その日に何を飲み食いしたかです。つまり,その日に食したものをすべて書いて記録しておくようにしたのです。
 すでに説明しましたように,僕は無制限に食べてよいような食品に関しては夜食として食べることがありますし,また同様に熱量を含まないようなものをおやつとして食べる日もあり,そうしたものに関しても,食べた場合にはノートに書いておきますが,こうしたものを例外とすれば,3食以外には何も食べないわけですから,要するに食事として何を食べたかを書き留めておくようになったということです。
 これをするようになった意図というのは,飲食物と血糖値の上下の因果関係を,経験的に見極めようということでした。つまり僕は頻繁に血糖値を測定するわけで,そのときに,正常である場合もあれば高くなってしまう場合もあり,またときには低血糖を発症しているということもあるわけです。ところで血糖値の上昇は,厳密にいうとストレスなども関係してくるのでそれだけではないのですが,やはり何を食したのかということと最も深い関係をもちます。そこで,具体的にどんなものをどの程度食べ,また飲んだかを記述しておけば,そうした具体的な飲食物と血糖値との関係が,ある程度まで自分で分かるようになるのではないかと思ったのです。
 実際,これをするようになって分かったことというのはいくつかあります。たとえばそのうちの一例をあげるとすれば,僕は果物は朝に摂っているのですが,教科書にあるように同じ熱量を摂取していても,バナナを食べますと昼食前の血糖値は高くなるケースが多いですし,柿を食べた日には血糖値が安定することが多くなります。
 もちろんこうしたことには個人差もある筈で,僕にだけ特有の現象かもしれませんし,また,僕が思っているほどの因果関係はないのかもしれません。しかし,おそらくは消化の速度の関係で,血糖値を急激に高めるようなものと,むしろゆるやかに上昇させるようなものがあるのは事実だと思います。僕自身は,このようにノートをつけ始めた当初の意図は十分に達成されていると考えていますし,そうであるなら,今後も続けていこうと考えています。
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全日本2歳優駿&主治医の交代

2009-12-16 19:46:59 | 地方競馬
 今月の川崎競馬はセミナイター開催。ということで今日の全日本2歳優駿は午後7時の発走でした。
               
 先に行きたい馬が揃っていましたが,抜群のダッシュをみせたラブミーチャンがいとも簡単にハナへ。アースサウンドが2番手で,その後ろにナンテカとネオアサティス。前半の800mは49秒2のミドルペース。走りやすい重馬場で,単騎の逃げでしたから,ペース以上に楽だったかもしれません。
 発走後に真中の馬が少しごちゃついていたこともあり,中団以降はごった返すような展開。これを尻目に3コーナーを過ぎるとラブミーチャンとアースサウンドが後ろを引き離していき,直線入口では優勝争いはこの2頭に絞られました。楽に逃げていたラブミーチャンが追われるとアースサウンドはついていかれなくなり,逃げ切ったラブミーチャンの優勝。中団以降の馬では唯一ブンブイチドウだけが内目から追い込み,ゴール寸前でアースサウンドを捕らえて2着。アースサウンドが3着。
 優勝したラブミーチャンは前走の兵庫ジュニアグランプリに続く勝利でこれで5戦5勝。距離延長は少し不安視されましたが,意外と楽に逃げられたこともあり,見事に克服しました。これ以上の距離延長はさすがにマイナスなのではないかと思いますが,父のサウスヴィグラスは長きにわたって活躍した馬ですので,やはり短距離中心になると思うのですが,今後もどのような馬に成長していくのかは楽しみです。
 鞍上は笠松の浜口楠彦騎手で,管理しているのは笠松の柳江仁調教師。共に初の大レース制覇となりました。

 総合内科の通院は最初が2月2日。その後,保険用の書類の申請や受け取り,また記入の不備などがあったりなどで何度か病院に通いましたが,総合内科での検査と診察のためのその次の通院日は,およそ1ヶ月後の3月9日でした。つまり最初は2週間だった間隔が,少しだけ伸びたわけです。
 入院中の主治医は名目上はH先生の方で,そのために書類などはH先生に作ってもらったのですが,実際に回診に来るのはG先生の方が多かったですし,退院後は正式にG先生が主治医となりました。つまり僕は2月と3月の通院時にはG先生の診察を受けていたわけです。ところがこの3月9日の診察の終了後に,G先生からみなと赤十字病院を退職することになったと言われました。このため,この次の通院日もこのときと同じ間隔のほぼ1ヶ月後,4月13日になったのですが,この日から主治医が新しくなり,新着のM先生になりました。ちなみに翌々日の15日には眼科検診がありましたから,この週は2度も病院に行ったことになります。
 M先生は僕と同じか少し若いくらいの男の先生。父も主治医はG先生で,この時期にM先生に変更となりましたから,おそらくこの病院でG先生がやっていたすべての仕事を引き継ぐことになったのではないかと思います。
 主治医が交代するということは,患者にとっては一大事のように思われる方もいらっしゃるかもしれませんし,また,実際にそういう場合もあろうかとは思いますが,僕のように定期的に通院している糖尿病の患者の場合には,診察の内容が内容ですから,そうも大した出来事ではありません。ただ,データ等の引き継ぎには何ら問題はないにしても,入院中の僕のことをまったく知らない医師が主治医となったということは事実ではあります。
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広島記念&診察

2009-12-15 19:04:48 | 競輪
 レインボーカップのファイナルが同時に行われた広島記念は今日が決勝でした。
 並びは武田-神山-諸橋の関東,石橋-加藤の南関東,柴崎-山口-西郷の中部近畿で,飯野は単騎。
 武田を制してスタートを取ったのは石橋。そのまま前受けとなり,3番手に武田,6番手に飯野が入り,7番手から柴崎で周回。残り2周のバックから柴崎が一気に発進。石橋を叩くと武田が切り替え。打鐘を迎えると飯野が外を上昇して先頭に。さらにホームから5番手となった武田が発進し,かまし先行のような形となりました。4番手には追い上げた石橋。結局レースは直線入口までこの隊列で進行。あとは踏み比べとなり,番手から出た神山の優勝。武田と神山の中を割った諸橋が2着で,3着は接戦でしたが外の石橋が逃げた武田を差し切りました。
 優勝した栃木の神山雄一郎選手は6月の宇都宮記念以来となる記念競輪96勝目。これはもちろん現役最多。競輪グランプリに出走が決まっている選手は,1本に絞っている選手が多い中,ここは武田とともに参戦。連係が決まりました。グランプリでも連係確実で,いい弾みになったのではないでしょうか。当地の記念は一昨年も優勝しています。

 通院時における検査や診察の具体的な内容ですが,採尿は紙コップに自分で尿を採ります。中央検査室のすぐ横にトイレがあり,このトイレには小窓がついていますので,その奥の棚に紙コップを置いておけばいいのです。また採血は左腕に注射をされて血を抜かれるもの。このふたつに関してはとくにこれ以上の詳しい説明は不要でしょう。
 一方,大概は3時からの診察の方ですが,これは当日の検査の結果などを医師から聞くというのが大部分。したがってどんなに長くても10分もあれば終わります。もちろん,たとえばインスリンの量の変更などは,このときに医師から指示されるということになります。内科の診察というともっと違ったことを連想される方もいらっしゃるかもしれませんが,糖尿病の診察というのは,僕に限らず,大体がこんなものなのだろうと思います。僕は服を脱ぐということはありませんし,そもそも医師が僕の身体に触れるということすらありません。
 診察が終了しますと決まったやり取りがいくつかあります。まず,僕の方から使い済みの注射針を渡します。すでにお話ししましたが,インスリンの注射器や血糖値測定に使うセンサーなどは,自宅でゴミとして処分してもいいのですが,注射針に関しては,専門的な処分が必要なので,このときに渡すということになるのです。なお,これは薬局でも処分してくれますので,そちらに持っていくこともあります。茶筒とか,大きめのプレーンのヨーグルトの紙パックなどを利用しています。
 インスリンは処方箋ですが,血糖値計測の針やセンサーはそうではありません。したがって次回の分までのセットを受け取ります。現在はおよそ2ヶ月に1度の通院で,インスリンを除いて1万円強の費用ですが,その大部分がこれです。
 最後に処方箋が出ますのでそれを受け取り,すべての診察が終了ということになります。なお処方箋は,この後さらに受付で判子を押してもらう必要があります。
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香港国際競走&ヘモグロビンA1c

2009-12-14 19:10:17 | 海外競馬
 この時期恒例の香港での国際招待レース。日本時間昨日午後に行われた4レースのうち,3レースに1頭ずつ日本馬が参戦しましたので,レース順に簡単に振り返ってみます。
 香港のレースはすべて芝。まず2400mの香港ヴァーズには,昨年僅差の3着だったジャガーメイルが出走。後方3,4番手から向正面で外を進出。直線の入口では5頭雁行状態の一番外。残り200m辺りで一旦は先頭に立ちましたが,内と外から交わされ勝ち馬からおよそ1馬身差の4着。
 この馬は重賞も勝っていませんし,勢いという点でも昨年より劣っていましたので,このくらい走れば健闘といっていいのではないでしょうか。勝ったのはフランスの3歳牝馬Daryakana。これで5戦5勝です。
 続いて1200mの香港スプリント。今年の高松宮記念スプリンターズステークスを勝ったローレルゲレイロが2年連続の参戦。発走直後に内と外の馬にぶつかり出足がつきませんでしたが,押していって一旦は先頭。しかし内のCalifornia Flagが引かなかったので,2番手からのレース。残り300m付近で後続に飲み込まれ,13着に終わりました。
 よくいっていることですが,スプリントは日本の全体のレベルが低いので,いい勝負をするのは難しいです。この馬は以前に参加していた馬たちのように,競馬にもならないような負け方をしているわけではありませんので,近年の日本のスプリンターとしてはむしろ高いレベルにあるように思います。勝ったのは地元のSacred Kingdom。一昨年に続いてこのレースは2度目の制覇。
 メーンは2000mの香港カップ。ここにはエリザベス女王杯を逃げ切ったクィーンスプマンテが出走。発走後の直線ではEyshalと並んでいましたが,コーナーワークで先頭に。向正面ではむしろペースを上げていったのですが,後続も早めに差を詰めてきて,直線に入るとすぐに捕まって最下位でした。
 この馬はエリザベス女王杯も恵まれた部分があり,まして牡馬相手となるここは苦戦必至でした。逃げ馬ですので捕まれば惨敗するのは止むを得ないこと。むしろ先手を取って自分のレースはできたわけですから,それでよかったのではないでしょうか。勝ったのはフランスのVision d'Etat。昨年のフランスダービー馬で,これがGⅠ4勝目。

 採尿および採血の検査では,さまざまなことを調べます。その中には糖尿病そのものに関連するものもあれば,合併症に関係するものもあります。このうち,糖尿病自体に関係するもので,とくに重要なのが,血液中の赤血球にあるヘモグロビンに,ブドウ糖がどの程度の割合で結合しているかを調べる検査です。この数値を調べることによって,過去1ヶ月から2ヶ月の血糖値のコントロールの良否が分かるのです。つまり日々の血糖値の計測が,ごく短期的な血糖値のコントロールの指標となるとすれば,こちらはもっと長期的な指標になります。むしろこちらの数値によって,注射するインスリンの量を医師は判断しているようです。
 この値をヘモグロビンA1c,もっと省略すればHbA1cといいます。ヘモグロビンにブドウ糖が結合している割合ですので,単位は%。優良とされる値,すなわち僕たち患者が目標として目指すべき値ということになりますが,これは6.5%以下。こちらは血糖値と異なり,下がる分にはいくら低くなっても構いません。といいますか,厳密には下限値もあって,それは4.3%ですが,実際にそこまで低くなるということはないといえるでしょう。ただし,低くなっていればなっているほど,低血糖の症状は出やすかった,あるいは実際に出ていたということになります。
 ちなみに,入院中も何度か採血の検査はしていますが,1月5日に測定したとき,これが10.8%でした。ここからも僕の糖尿病がいかに深刻なものだったかが分かります。この2月2日が8.2%で,その次,3月9日の検査で5.8%と,理想的な値になりました。ただしその後はまた悪化してしまい,ここ最近は6%台の後半で推移しています。3月の検査でよい値が出たのは,おそらく入院中の生活が反映されたからではないかと思われます。また,この結果により,注射するインスリンの量を減らしましたので,その後にまた増えたのにはその影響もあったかもしれません。今くらいの値がずっと続くようであればそんなに心配することはないようなのですが,あるいはまた注射するインスリンの量が増えるということもあるのかもしれません。
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