スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

羽田盃&プラトンとアリストテレス

2020-04-30 19:04:58 | 地方競馬
 昨晩の第65回羽田盃
 ドイテーは立ち上がってしまい2馬身の不利。すっとファルコンウィングがハナに立って2馬身のリード。2番手にゴールドホイヤー。2馬身差でグリーンロード。4番手はアジュバントとヴァケーション。2馬身差でファンシーアップ。7番手にティーズダンク。8番手にコバルトウィング。3馬身差でブラヴール。10番手がモンゲートラオで最後尾にドイテー。最初の800mは50秒3のミドルペース。
 隊列が決まってからはかなりペースを落とすことができたファルコンウィングは快調にコーナーを回り3馬身ほどのリード。2番手のゴールドホイヤーも手応えよく追い掛け,その後ろは内からアジュバント,グリーンロード,コバルトウィング。ファルコンウィングは先頭のまま直線に入り,ゴールドホイヤーは少し外目に持ち出しました。コーナーでこの2頭を追っていた馬たちは追いつくことができず,一旦は2頭が抜け出す形。ファルコンウィングは疲れたというより真面目に走っていないという感じを僕は受けましたが,直線の途中でゴールドホイヤーが抜け出して優勝。後方から大外を追い込んだブラヴールが2馬身差で2着。ファルコンウィングが1馬身4分の3差で3着。
 優勝したゴールドホイヤー雲取賞に続いて南関東重賞連勝で2勝目。このレースはわりと好走する馬の傾向がはっきりしていて,前走で京浜盃で上位に入った馬か,別のレースで勝っていた馬が候補になります。上位の2頭はその傾向に合致する馬でしたが,勝敗を分けたのはペースと位置取りでしょう。ですから2頭の間にはっきりとした能力の差があるとは判断しない方がよいのではないかと思います。父はトランセンド。母の3つ上の半姉に1999年のフェアリーステークスに勝ったベルグチケット
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は戸塚記念以来の南関東重賞14勝目。羽田盃は初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞9勝目。羽田盃は初勝利。

 哲学や形而上学における存在論というのは,古くからの歴史を有しています。ここでは考察を分かりやすくするために,それをプラトンPlatoの哲学に遡ることにします。『〈内在の哲学〉へ』では,第7章でメイヤスーQuentin MeillassouxによるバディウAlain Badiouの理解あるいは批判に対する近藤の考察が取り上げらていたのですが,その直前の第6章は「存在論をおりること,あるいは転倒したプラトニスムの過程的イデア論」という論文になっていて,その中でプラトンの存在論およびこれから説明することになる,プラトンの存在論に対する批判としての,哲学的あるいは形而上学的な存在論が紹介されています。なお,プラトンの思想というのは,何がソクラテスSocratesに独自の思想で,何がプラトンが解したソクラテスの思想で,何がプラトンに独自の思想であるのか僕には判別することができません。ここでプラトンの存在論というのは,必ずしもプラトンに独自の存在論という意味ではなく,プラトンの思想の全体を幅広く解した上でのプラトンの存在論であると理解してください。
                                        
 現在の考察との関係でいうなら,プラトンの存在論というのは,バディウがそれを哲学や形而上学から剥奪しようとした存在論にほかなりません。つまりプラトンの存在論は一の存在論です。バディウがそのように意識していたかどうかは分かりませんが,存在論が哲学や形而上学における課題であるとバディウが解する場合に,その代表格といえるのはプラトンの存在論であると解して,それほど誤謬は犯さずにすむだろうと思います。
 しかし,哲学や形而上学の歴史において,こうしたプラトンの存在論が完全な形で受け入れられてきたというわけではありません。というよりそれに対する批判というのもやはり歴史的には古くからあったのです。その代表的といえる存在論というのは,アリストテレスの存在論です。つまりアリストテレスの存在論というのは,プラトンの存在論,一の存在論であるプラトンの存在論に対する批判あるいはその克服を目的としている存在論です。したがってアリストテレスの存在論は,一の存在論であるプラトンの存在論に対して,明らかに多の存在論であると解されなければなりません。
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農林水産大臣賞典東京プリンセス賞&多と一

2020-04-29 18:57:59 | 地方競馬
 昨晩の第34回東京プリンセス賞
 発馬後の加速でブロンディーヴァが前に出ましたが,外から先手を奪いにいったカラースキームがハナへ。テーオーブルベリーとアクアリーブルが2番手を併走し,控えたブロンディーヴァはレイチェルウーズと並んでの4番手に。6番手にルイドフィーネとリヴェールブリス。8番手にバブルガムダンサーで9番手がシントーヨーキヒ。3馬身差でサブノアカゾナエとアートムーブメント。12番手にミナミン。あとは2馬身差でヤマジュンサルサ,2馬身差でミリミリ,4馬身差でマッドシティ,5馬身差でジュンスピード。能力的に見劣りする馬も出走していたこともあり,隊列は縦長に。最初の800mは50秒2のミドルペース。
 3コーナーを回るとカラースキームとテーオーブルベリーとアクアリーブルの3頭は併走に。追ってきたのが内から順にブロンディーヴァ,レイチェルウーズ,リヴェールブリスの3頭。前の3頭から抜け出したのがアクアリーブル。後ろの3頭からはリヴェールブリスの末脚が優り,抜け出したアクアリーブルとの差を詰めていきました。一旦は差が縮まったのですが,そこからまたアクアリーブルが頑張り,最後は同じ脚色となり優勝はアクアリーブル。リヴェールブリスが1馬身4分の3差で2着。内を捌いて伸びてきたルイドフィーネが1馬身半差の3着で,2着馬に伸び負ける形になったレイチェルウーズがアタマ差の4着。
 優勝したアクアリーブル桜花賞からの連勝で南関東重賞2勝目。桜花賞のときはレイチェルウーズに次ぐ集団の1頭という位置づけ。ここはレイチェルウーズの巻き返しがあると思いましたが,前走よりはレースになったものの伸びを欠きました。2着馬は僕はノーマークの伏兵だったのですが,3着馬は力がある馬なので,成長の度合とか現状の体調まで含め,アクアリーブルが3歳牝馬ではトップに立ったとみなしていい結果が出たと思います。母は第26回を制したアスカリーブルで母仔制覇。母の父は1999年にセントライト記念に勝ったブラックタキシード
 騎乗した大井の矢野貴之騎手は鎌倉記念以来の南関東重賞20勝目。今月はマリーンカップで重賞初制覇を達成しました。第29回以来5年ぶりの東京プリンセス賞2勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は南関東重賞41勝目。第20回,32回に続き2年ぶりの東京プリンセス賞3勝目。

 バディウAlain Badiouの説明によれば,存在論というのは,純粋な多の存在existentiaとしての存在の学ないしは思考を意味します。ここで純粋というのをどう解するべきかはよく分からないのですが,僕はそれを,数学的な理念とか数学的な形式と理解します。ここでの考察において重要なのは,純粋とは何であるのかということより,バディウが存在を多の存在と規定している点です。このとき多に対抗するのは一で,したがって多の存在論に対しては一の存在論というものが成立することになります。バディウは存在論を哲学や形而上学から剥奪することを目指していたのですが,これでみれば分かるように,バディウは一の存在論というのは哲学的あるいは形而上学的なものであるとみなしていて,それを多の存在論に移行させようとしていたことになります。そして多の存在論を解明するのが数学で,バディウは実際に,このような存在論は数学において主題として規定されていたわけではないけれど,数学の全歴史の中では達成されてきた,実現されてきたのだといっています。ただしこれは,完全に達成された,あるいは完全に実現されたという意味よりは,これからも達成されていくであろうし,実現されていくであろうという意味に解するのが適当だと僕は思います。
                                        
 近藤によれば,数学こそが存在論であるという主張をバディウが断行する理由は,上述の点にあるのだそうです。すなわちあらゆる多を一の専制から解放することがバディウの目指したところであり,そのゆえにバディウは,数学は存在論である,という,それ自体をどのように擁護するべきなのかが難しいと思えるようなテーゼを定式化したということです。いい換えれば,数学は存在論である,というテーゼが有する意味は,この点にある,もっといってしまえばこの点にしかないということになるでしょう。
 ただし,このようなバディウの考え方は,それこそ純粋に哲学とか形而上学を解釈しようとする立場からは疑問の余地があるように思えます。というのは,これだと哲学的なあるいは形而上学的な存在論はそのすべてが一の存在論であるといわなければならなくなりますが,それが正しいとは思えないからです。
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オルデンブルクとの文通&第一のテーゼ

2020-04-28 19:07:10 | 哲学
 書簡五の後しばらく,スピノザとオルデンブルクHeinrich Ordenburgとの文通は,スピノザとロバート・ボイルRobert Boyleとの,自然科学を巡る論争をオルデンブルクが仲介するという形で続きます。これらの文通の内容については,『スピノザ哲学研究』を考察したときに説明していますので,個々の書簡については,それ以外に有用性を認められない限り,このブログでは扱いません。自然科学の部分の論争の是非については,僕の力では解き明かすことができないからです。
 文通がこのような内容に変化したのは,書簡五が,実際にはロバート・ボイルの著書をスピノザに送るために付せられたものであったからだと思われます。ただ,スピノザとオルデンブルクとの間での哲学的対話が消えたことに,何らかの事情があった可能性は否定できません。たとえばオルデンブルクからすると,スピノザの哲学は難解すぎるので,それについて議論することに疲れてしまったとか,あるいは諦めてしまったという可能性はあるでしょう。また,スピノザの哲学は本質的には時代的に危険なものでしたから,オルデンブルクがそのことに気付き,そうした対話を意図的に回避したという可能性もなくはありません。同様にスピノザの側からすると,オルデンブルクがスピノザの哲学を十全に理解することができないのではないかと疑ったため,これも意図的にその種の議論をすることを避けたとか,いくら自分の哲学について説明したとしても,オルデンブルクがそれを肯定することはないだろうと思うようになったために,やはり意図的に哲学的な対話をすることを中止したというような可能性は,絶対にないとはいいきれないでしょう。ですから,単に書簡五の内容によって,その後の文通のあり方が決定づけられたとは断定しない方がいいのかもしれません。
                                        
 ところで,スピノザ―ナ15号に収録されている平尾昌宏の「≪スピノザ書簡集≫を作る」という論文では,スピノザとオルデンブルクの文通の背後にはボイルがいたと指摘されています。したがって,オルデンブルクからスピノザに宛てられたものの中には,一読しただけではボイルとは無関係に思える書簡にも,ボイルの影響があった可能性は排除できないのかもしれません。

 メイヤスーQuentin MeillassouxがいうバディウAlain Badiouの第一のテーゼは,数学は存在論である,というものです。このテーゼは一瞥しただけでは意味が汲み取りにくいと思いますので,ここでの考察と関連させる形で,どのような意味として解するのが適切であるかということから説明していきます。
 存在論というのは,一般的には哲学とか形而上学に類する学であるといえます。ですがバディウのいっているのは,数学というのはそのような哲学あるいは形而上学であるということではありません。そのように解するなら,これからの考察には混乱を招いてしまうでしょう。むしろこの観点でいうなら,バディウのいっていることは,存在論は数学であるということです。いい換えれば,もしも存在論というのがひとつの学問として成立するのであれば,それは数学でなければならない,あるいは数学的に考えることができるのでなければならないということです。そのために,数学的に考えることができないようなある種の学問についてそれを存在論であると主張するのであれば,バディウはそれを否定することになります。
 したがって,バディウが数学は存在論であるというときの存在論は,ごく一般的な意味において存在existentiaについての論理ではありません。たとえばある何ものかが具体的に存在するのかしないのかといったことについては,数学が明らかにできるわけではありません。少なくともそのすべてを明らかにすることはできません。そうしたことはたとえば化学とか生物学のような,諸々の自然科学の助けを得なければ解明できないのです。つまりバディウはそのことは存在論からは外しています。数学となるような存在論というのは,数学に特有の理念とか形式を有するもののことであり,バディウがいう存在論というのはそこに限定されます。ただしそこに限定されるとはいっても,それが数学であるという点は看過してはいけないのです。なぜならそれが数学であるということの意味のうちに,それは哲学ではないとかそれは形而上学ではないという,否定的な意味もまた含まれているからです。いってみればバディウは,存在論を哲学や形而上学から剥奪することを目指していたのです。
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天龍の雑感④&バディウのテーゼ

2020-04-27 19:01:06 | NOAH
 天龍源一郎がアメリカでの修行を終えて帰国したのは1977年6月でした。このとき天龍は相撲崩れのプロレスラーと思われたくないために,譲ることができなかったふたつのことがあったと言っています。ひとつはブリッジで鼻まで着くようになっていたことで,もうひとつは腹筋が割れていたことです。いずれも力士には必要とはされていない事柄です。天龍は大相撲ではかなり上の方までいきました。たぶん天龍には関取としてのプライドというものがあり,そのプライドが逆に作用して,このふたつの譲ることができない部分というのが出てきたのだろうと思います。後に天龍は輪島大士との対戦の中で,輪島を徹底的に痛めつけるのですが,それは相撲界で最高峰までいった輪島が相手だったからしたことなのでしょう。つまりそれくらい天龍は相撲というもの,あるいは力士というものに対して,大きな誇りをもっていたということなのだろうと思います。
 この頃の天龍が目指していたのは,ジャンボ・鶴田でありまた仮面貴族だったそうです。天龍は,自分を指導する馬場のうちには,朧気ながらも鶴田がいて,それを自分にも求めたのだろうといっていて,このときの目標は,自分自身の目標というよりは,周囲の期待に沿うための目標だったという一面がありそうです。実際に天龍は,鶴田の域にはとても達していなかったと言っていますが,自分のスタンスはそういうものではなかったとも言っています。たぶん天龍がプロレスのスタイルという点で最も苦労したのはこの時期だったろうと思います。
 で示したように,天龍の鶴田への後の敵愾心は,すでに修業時代に兆していたのですが,この時期の鶴田に対しても天龍は不満をもっていました。そのことを天龍は,ジャンボ・鶴田というプロレスラーとしては最高だったけれども,ひとりの人間としての鶴田友美としてみたなら,相容れないものがあったといういい方で表現しています。この時点ですでに天龍は,鶴田にある種の物足りなさを感じていたのです。

 バディウAlain Badiouには『存在と出来事』という著作があります。メイヤスーQuentin Meillassouxによれば,この著作にはふたつの中心的なテーゼがあります。
                                        
 これはメイヤスーの見解で,近藤はこの見解には疑義を呈しています。近藤によればテーゼはふたつではなくみっつであるとも解釈できるのです。しかしそれについての検討はここではしません。また,メイヤスーがいうようにテーゼがふたつであるとしても,それらふたつのテーゼの関係性については,バディウとメイヤスーの間で対立があるようです。少なくとも近藤はそのように分析しています。それは,ふたつのテーゼの間には優位性といったものがあるのかどうか,またもしも優位性があるとすれば,どちらのテーゼが優位であり,どちらのテーゼがもう一方に従属するべきなのかといった関係性に関する見解の相違です。つまりメイヤスーはバディウのふたつのテーゼを検討し,それらふたつのテーゼの関係性をバディウがどのようにみているのかということを検証した上で,それとは別の関係性をふたつのテーゼに与えれば,バディウが導出した結論とは別のことが導き出せるのではないかということを主張しているのです。『〈内在の哲学〉へ』の第7章の具体的な内容というのはこのようなものであって,このメイヤスーの検討に対して,さらに近藤が検証するという形になっています。結論として近藤がいっていることは,メイヤスーの思想はバディウの亡霊のようなものであるということで,近藤自身はバディウについてもメイヤスーについても,あまり積極的には,あるいは肯定的には評価していないといえます。ただしこれらのこともここでは考察しません。
 ではなぜこのような概要を説明したのかといえば,メイヤスーが提示したバディウのふたつのテーゼのうち,ひとつめはバディウがなぜスピノザの哲学を批判するに至ったのかということと関連を有すると僕には思えたからです。他面からいうと,僕はここではバディウによるスピノザへの批判についての補足をしたいのですが,その発端となっているのがこの第一のテーゼ,バディウ自身ではなくメイヤスーがいうところのバディウの第一のテーゼにあるようなのです。
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大楠賞争奪戦&バディウの補足

2020-04-26 19:15:21 | 競輪
 武雄記念の決勝。並びは郡司‐中村の南関東,野原‐村上の近畿,山田‐大坪の九州で山崎と深谷と松浦は単騎。
 山田,郡司,中村の3人がスタートを取りにいきました。最内の山田が誘導の後ろを確保して前受け。3番手に郡司,5番手に野原,7番手に深谷,8番手に松浦,最後尾に山崎で周回。残り3周のホームの手前から野原が上昇。これに合わせたのが郡司。山田も引かなかったので,ホームでは3人が併走する形。誘導の退避を待って山田が突っ張り,郡司は大坪の後ろに。野原は立て直してバックから発進。ここに続いた松浦が3番手となって打鐘。外を上昇してきた山崎がホームの手前で野原を叩いて前に。そこから深谷が発進。うまくスイッチしたのが松浦で,松浦の後ろを郡司が追走。中村を捌いた野原が4番手になってバックを通過。深谷との車間を開けていた松浦が直線の手前から発進。マークする形になった郡司の追撃を凌いで優勝。松浦マークになった郡司が4分の3車身差の2着で,郡司マークになった野原が2車身差の3着。逃げた深谷が4分の1車輪差で4着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は前回出走のウィナーズカップからの連続優勝。記念競輪は2月の高松記念以来となる6勝目。武雄記念は初優勝。このレースは松浦,深谷,郡司の3人が脚力で上位。先行はおそらく野原か深谷で,野原が先行の場合は3人のうち,深谷が先行の場合は残るふたりのうち,よい位置を確保できた選手が有利になるだろうと思っていました。機敏に動いて深谷の番手を確保できたのが勝因でしょう。力量上位の選手が最終バックで前から3人で並んでは,ほかの選手に出番はありません。もっと工夫したレースが必要だったと思います。

 エピステーメーの中に党派的なものが存在したという点に関する考察はここまでとして,次の課題に移ります。
                                        
 『主体の論理・概念の倫理』に関する考察の中で,バディウAlain Badiouについて触れた部分がありました。ただし僕は,バディウがどういう観点からスピノザを批判したのかはよく分かっていませんでした。というか,なぜバディウがスピノザを批判しなければならなかったのかということが分からずにいたのです。これについて『〈内在の哲学〉へ』の中で,理由が示されていましたので,そこのところを補足しておきます。ただしこの補足には事前に注意しておいてほしいことが含まれます。
 『〈内在の哲学〉へ』の第7章は「メイヤスーとバディウ」という表題になっています。これは,メイヤスーQuentin Meillassouxがバディウを解釈し,それに対する批判をしているのを,近藤が検討するという内容になっています。ものすごく大まかな説明で,正確性を欠いているといわれればその通りではありますが,とりあえずそのような内容であると思ってください。このとき僕は,メイヤスーの考え方については何も考察しません。あるいはメイヤスーの主張について,それを検証するということはしません。同様に,近藤がメイヤスーのバディウ批判をどのように解しているかということも考察しませんし,近藤の解釈の正当性についても検証はしません。ですからここではバディウの考え方について補足をしていくのですが,それを紹介しているメイヤスーや近藤の見解の正当性については何も問わないのですから,メイヤスーによるバディウの理解や,近藤によるメイヤスーのバディウ批判に対する理解に何らかの誤解が含まれているとしたら,その誤解が含まれたまま僕の考察も進んでいくということになります。これは考察としては大きな危険を孕むものではありますが,さすがにそれらの正当性について評価するには,僕には能力も足りませんし,かといってその評価のために時間を費やすのも,僕自身の関心からいえば徒労ですから,止むを得ないこととしておきます。これは僕がなぜ『〈内在の哲学〉へ』を読んだのかを説明したときにいったことからもお分かりいただけるでしょう。
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印象的な将棋⑯-5&『国家論』の主張

2020-04-25 18:53:25 | ポカと妙手etc
 ⑯-4の第2図から,後手は☖5四歩と突いていきました。
                                        
 これには☗6四角と取る一手でしょう。そこで☖5二金とか☖6二飛とかすれば穏やかな進行に戻ったかもしれません。しかし☖5三銀と上がりました。
 角を引いては後手の注文通りですから先手としても☗3五飛と角を取る一手。☖同歩と取り返すのは☗5三角成で銀損ですから後手も☖6四銀と角の方を取る一手。飛車取りが残っているので先手は☗3四飛と取りました。
 後手はさらにここで☖5五歩と突きました。☗4七銀と逃げてしまうと☖2五角と打たれ,☗6四飛は☖4七角成でこれは後手がいいでしょう。☖2五角に☗3七飛と逃げ☖4五桂なら☗2七飛というのはあったかもしれませんが,どうも形が窮屈です。よってすぐに☗6四飛と取り,☖5六歩と進みました。
                                        
 第2図となって角と銀が総交換という派手な中盤戦となりました。

 議会派の出身であったフッデJohann Huddeが,王党派がオランダの政治の実権を握った後にもアムステルダムAmsterdamの市長でいることができたのは,フッデ自身が党派的な人物ではなかったということの証明でしょう。そして同時に,実権を握っていた王党派の中心にも,フッデがアムステルダム市長でいることを許容する,党派性から遠ざかっていた人物がいたからだと推定することができます。
 スピノザが党派的ではなかったということは,王党派のコンスタンティンConstantijin Huygensと深い交際があったという事実からだけでなく,『国家論Tractatus Politicus』で主張されていることからも明らかだと僕は考えます。『国家論』は,君主制,共和制,民主制という各々の国家制度が,どのようなシステムの下でその制度下に暮らす市民Civesにとって最良のものであり得るかということを検討した書物でした。スピノザはこれらの制度の中では民主制が最善であると考えていました。つまり民主主義者であったわけです。民主制の部分はスピノザの死によって中途で終っています。『スピノザの生涯』を考察したときにいったように,その部分には明らかにスピノザ自身の哲学の裏付けを欠く,あるいはそれに反する内容が含まれていました。しかしここでの考察においてはそのことを問う必要はありません。民主主義者であったスピノザが,君主制についても共和制についても,その制度下において市民にとっての最善を模索していたということが重要です。つまりスピノザは民主主義者ではあったのですが,だからといって君主制や共和制を頭から否定したわけではなく,そうした制度の下でも市民にとって最善なシステムがあると認識していたわけです。これは君主制や共和制を絶対的に否定していなかったということの,紛れもない証であるといわなければなりません。つまりスピノザは,民主主義についても党派的でなかったことになるのです。
 なお,『国家論』についてアルチュセールLouis Pierre Althusserとの関係で述べておけば,土地と住宅の公有が,君主制における最善の政策としてあげられていたことは指摘しておくべきでしょう。君主制とは特権階級の独裁であり,スピノザは土地や住宅を公有することは,独裁下での政策とみていたのです。
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僕たちの将来⑤&二大勢力

2020-04-24 19:08:39 | 歌・小説
 の直後で歌われる部分がの直後にも歌われます。この楽曲の主要部分になります。ただ,歌詞カードにはありませんが,これは楽曲の最後にもリフレインされていますので,後回しにします。
                                        
 その最後のリフレインの直前の部分では,次のように歌われます。

     青の濃すぎるTVの中では
     まことしやかに暑い国の戦争が語られる


 ②にあったように,ふたりはレストランにいたのでした。そのレストランには一台の映りの悪いテレビが置いてあって,そのテレビには,おそらくこの時点で勃発していた暑い国での戦争のニュースが流れていました。これはこの場の状況の説明です。そのニュースに彼が次のような反応を示します。

     僕は 見知らぬ海の向こうの話よりも
     この切れないステーキに腹を立てる


 彼はステーキを食べていると何度かいいましたが,僕がステーキと断定できたのはこの部分を知っていたからです。で,彼はナイフに急に力を入れたとありますが,あれはことばを切るためだけでなく,肉そのものも固くて切りにくかったのです。そしてこのときの彼にはそれが最も重大なことでした。知らない国の戦争などには関心をもってはいられなかったのです。

 スピノザ自身が政治的であったというときに,そこにどのような意味があると僕が解しているのかは分かってもらえたでしょう。スピノザはおそらくは自身のうちにあったスピノザ主義によって議会派を支持したのですが,スピノザが政治的であろうとしたときに,議会派は完全であったということではないのです。
 スピノザが政治的であったということは間違いないところですが,だから党派的であったというわけではありません。この当時は王党派と議会派が事実上の二大勢力ですから,スピノザが党派的であったというなら,議会派が正しく王党派は誤りであるという認識cognitioをスピノザが有していたといわなければなりませんが,実際にはそうではなかったと思われます。たとえばスピノザが,王党派を支持していたコンスタンティンConstantijin Huygensと懇意にしていたということは,スピノザが党派的な人物ではなかったということを,歴史的事実という側面から明らかにしているのではないでしょうか。
 同じことは王党派の側からもいえます。王党派を支持したプロテスタントの牧師の中には,明らかに党派的な立場から,これは政治的な立場というより宗教的な立場における党派性と解する方がいいかもしれませんが,そのような立場からスピノザを排斥しようとした人がいたことは確かだと思います。しかしコンスタンティンは王党派を支持こそしていたものの,スピノザが別荘に立ち寄ることを拒もうとはしませんでした。また,ファン・ローンJoanis van Loonはスピノザよりも政治的にも宗教的にも急進的な人物であったと思われるのですが,そのファン・ローンを近くに置いておいたのです。これらのことから,少なくともコンスタンティンは党派的なものからは無縁に近い人物であったと判断するべきであって,スピノザが進歩的な議会派を支持したから党派的にならずにいられたというわけではなく,反動的な王党派に属する人物,あるいは王党派を支持する人物の中にも,党派性からは遠のいていた者がいたのです。
 フッデJohann Huddeは議会派として政治家になったのですが,後にオランダの政治の実権を王党派が掌握してからも,長くアムステルダムAmsterdamの市長を務めました。これもその一例でしょう。
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同類意識&状況への対応

2020-04-23 19:02:16 | 哲学
 第三部定理二七の意味のうちには,もしも僕たちがある人間を同類としてみなすとき,それ以外の条件が同一であるなら,同類としての意識が高くなるほど,感情の模倣affectum imitatioが生じやすくなるということが含まれています。僕がいう羨望は,感情の模倣の一種なので,これと同じことが妥当することになります。つまり僕たちは,ほかの条件が均一であるなら,同類意識を高く持っている人に対して,より羨望を感じやすくなりますし,より大きな羨望を感じるものなのです。
                                   
 たとえばここにひとりの将棋の棋士Aが存在すると仮定しましょう。この棋士はまだタイトルを獲得したことがありません。そこでだれかほかの棋士Bが初めてタイトルを獲得するという出来事が生じたとき,AはBに対して羨望を感じることになります。これはAもBも同じ人間であるという意味で同類であるだけでなく,AもBも同じ棋士であるという意味でも同類なので,単純にそれだけ大きな羨望を感じることになります。こういった事象が生じ得るということについては,とくに説明をする必要はないでしょう。
 このとき,Bが,Aとは普段はほとんど交流がない棋士であった場合と,Aと普段から親しくしている棋士,たとえば同じ研究会の仲間であったというような場合を比較すれば,Aの羨望は後者の場合の方が前者の場合よりも強くなるのです。これは前者の場合より後者の場合の方が,AのBに対する同類意識は強くなっているからです。ただし感情の模倣というのは,羨望のような欲望cupiditasの場合に特化して生じる現象なのではなくて,あらゆる感情について生じる現象ですから,羨望だけが大きくなるのではなく,喜びlaetitiaもまた大きくなります。つまりAのBに対する同類意識が大きければ大きいほど,Bがタイトルを獲得した喜びを,Aも大きく感じるのです。この喜びの場合は,おそらくだれしも経験的に知っているのではないでしょうか。そして羨望の場合にも同じことが起きているのです。このことも経験的に知っている方は,さほど少なくないだろうと思います。
 したがって羨望の特徴として,僕たちは同類意識が高い相手に対して羨望を感じやすく,また大きな羨望を感じるということが帰結します。

 どんな人間であれ,自分の意向に沿った政治体制の下で産まれてくるということはできません。また育つこともできません。実際に人間が政治的になるというのは,ある程度の年齢に達した後であるというべきでしょうが,そうなったときに自身の意向に沿う政治体制の下で生活を送るということは,まったくできないことであるとはいえないでしょうが,ほとんどの人にとって不可能なことです。いい換えれば大部分の人間は,与えられた政治体制や政治状況の下で生活し,それが思想や哲学によって基礎づけられるかどうかは別としても,その与えられた状況に則して政治に対して対応していくものです。したがって,対応そのものは能動actioではあり得るのですが,与えられた状況というのは個々の人間にとっては受動passioでしかないわけですから,人間が政治的であるという場合には,ほとんどの場合はそこにこのような意味での受動が入っていることになります。その受動に対して,よりよき能動を選択するというのが,多くの場合の政治的実践であるといえるでしょう。
 スピノザの場合でいえば,その時代のオランダは,王党派議会派の二大勢力が政治の実権を巡って権力闘争をしていました。スピノザはふたつの勢力のうち,議会派の方を支持しました。このことはスピノザ自身の中のスピノザ主義がそうさせたといっていいでしょう。ですが議会派の政策というものが,スピノザ主義に完全に即していたものであったと解するべきではありません。実際にはそうでなかったとみておく方が妥当でしょう。当時の議会派を代表する政治家というのはヨハン・デ・ウィットJan de Wittですがスピノザとデ・ウィットの間では最良の政治的手法とはどういうものであるのかという点に関して,明らかに相違があったからです。それでもスピノザが議会派を支持したのは,王党派と比べた場合には議会派の方がよりスピノザ主義に近かったからなのであり,王党派は反スピノザ主義で議会派が親スピノザ主義であったからというわけではないのです。政治的実践が,その状況に対しては能動的であり得たとしても,与えられた状況そのものは受動であるということは,具体的にはこのようなことです。
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しらさぎ賞&政治的

2020-04-22 19:20:50 | 地方競馬
 笠松から1頭が遠征してきた第58回しらさぎ賞
 先行争いは激しくなったものの,1周目の1コーナーを前にストロングハートが抜け出ました。2番手にクイーンズテソーロで3番手はヴィルトファンとウインメディウム。ここまでが集団。2馬身差でアークヴィグラス,サラーブ,ケンガイアの3頭。4馬身差でフラワーオアシス。4馬身差でサンルイビル。3馬身差でビマジョとトーセンガーネット。4馬身差の最後尾がナラと,かなり縦長の隊列に。最初の600mは35秒9のハイペース。
 3コーナーを回ると逃げたストロングハートと追ったクイーンズテソーロの2頭で3番手以下を一時的に引き離しました。しかし追ったクイーンズテソーロの方はコーナーの中間で苦しくなり,ヴィルトファンがその内から2番手に上がり,さらにこの2頭の外からサラーブも追い上げてきました。ハイラップで逃げたストロングハートは最後は苦しくなったものの,追い上げた2頭が前まで届くというところまではいかず,逃げ切ったストロングハートが優勝。内を回ることができたヴィルトファンが2馬身差の2着。外を回らされたサラーブはクビ差で3着。
 優勝したストロングハートは昨年2月のA2クラス以下のレース以来の勝利。2歳の時にエーデルワイス賞を勝ち,その後で南関東に転入。南関東重賞では2着や3着はあったものの勝つには至らず,これが初勝利。昨年の夏以降は落ち込んでいたのですが,今年に入ると復活の気配。前走は4着とはいえ離されたものの,相手関係からするとかなりいい内容のレースでしたから,ここは最有力候補ではないだろうかと思っていました。逃げることができたのもよかったのでしょう。距離はこのくらいがぎりぎりで,もう少し短い方が本当はいいのではないかと思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスに勝ったスマートボーイ。5代母がパッシングクラウドで,ひとつ上の全姉に2016年にローレル賞を勝ったアップトゥユー
 騎乗した川崎の町田直希騎手はスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞12勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞17勝目。第51回,56回に続き2年ぶりのしらさぎ賞3勝目。

 最後にもう一度,次のことをいっておきます。それは僕が政治的であるということと,党派的であるということを,厳密に使い分けているということです。スピノザの哲学は党派的であることを許容する余地を残してはいるものの,それ自体が党派的であるということはできません。他面からいえば,スピノザの哲学を党派的なものとして解釈するとすれば,それは解釈として誤謬errorを含んでいるといわなければなりません。また,スピノザの哲学を党派的なもののために用いるとすれば,そのような用い方は正当性を欠くといわなければならないでしょう。そして,スピノザの哲学そのものについて党派的な立場を採用するとすれば,スピノザの哲学は採用されたその立場自体を否定することになると思います。アルチュセールLouis Pierre Althusserが党派的であったことを批判するとすれば,それはこの観点からなされなければならないと僕は考えます。
                                        
 しかし,党派的であるということと政治的であるということは異なるのですから,スピノザの哲学が党派的ではあり得ないとしても,政治的であり得ないということにはなりません。むしろ僕のいう政治的であるということは,ある思想によって基礎づけられた政治的な行動や行為のすべてを意味するのですから,スピノザの哲学はきわめて政治的であるとさえいえます。スピノザの哲学の場合,思想を十全に理解するということと,それが実践されるということは切り離せないような関係にあるからです。これは論理的にいえば,どのような政治的立場に立つかということは,その立場に立つ主体subjectumの意向に左右されるわけではないということから明らかです。また,具体的な例証としては,スピノザ主義者であったカヴァイエスJean Cavaillèsが,最終的には銃殺されることになるのだけれども,レジスタンス運動に参加したという事実から,もちろんこれは極端な例ではありますが,明らかだといえるでしょう。こうしたことは,政治的であるということがいかなることであるのかということについて,僕の説明を理解してもらえるのなら,近藤も同意するに違いないでしょう。
 そもそも人間は,ある政治体制とか政治的状況を選択して存在するわけではありません。
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カーンの雑感①&非党派性

2020-04-21 19:02:12 | NOAH
 キラー・カーンは全日本プロレスで仕事をしていた期間は短かったものの,興味深く感じられる証言をしています。ただ,カーンの発言には一定程度のバイアスをかける必要があると思われますので,そのあたりの事情を最初に説明しておきましょう。
 カーンは1971年1月に日本プロレスに入門しています。猪木が日本プロレスに対してクーデターを起こそうとしたとして除名されたのがこの年の12月、猪木が中心だったNETの放送に馬場が登場し,馬場はそのことに不信感をもって日本プロレスを退社しました。つまりカーンが入門したときには,まだ馬場も猪木も日本プロレスに所属していたのです。
 カーンは出身が新潟県で,これは馬場と同郷になります。しかも馬場の出身地とカーンの出身地は,隣の隣の町という,きわめて近いところでした。このために馬場は入門したカーンのことをかわいがったそうです。かわいがったというのはカーンの証言であり,カーンからすれば,日本プロレスのエースである馬場が,入門して間もないカーンのことをかわいがってくれたということになります。つまりカーンはプロレス界に入門してすぐに,馬場に対して好感を抱いていたのです。
 このときカーンは吉村道明の付き人でした。ところが吉村は1972年3月にプロレスラーを引退してしまいます。そこでカーンは坂口征二の付き人となりました。馬場が日本プロレスを退団したのが7月。カーンは本当は馬場についていきたかったのですが,坂口の付き人となってしまったためにそうすることができず,翌年の4月に坂口と共に新日本プロレスに移籍することになります。
 カーンは,自身のプロレス人生の中での最大の失敗は,馬場ではなくて猪木を選んでしまったことであるという主旨のことを,プロレスラーをとっくに引退した現在でも述懐しています。こうしたことはそもそもカーンのプロレス人生の初期の経験に経緯があることになります。ですからカーンの証言を受け取るときには,こうした事情を無視するわけにはいかないことになるのです。

 たとえばアルチュセールLouis Pierre Althusserがある政治的立場を選択したら,それより優れた政治的立場があると認識するcognoscereのでない限り,アルチュセールはその立場を保持するよう固執するperseverareことになります。これは第三部定理六に合致するといわなければなりません。そして第三部定理七により,それがアルチュセールの現実的本性actualem essentiamであり,コナトゥスConatusです。そしてこのコナトゥスは,第三部定理九によって,アルチュセールが物事を十全に認識しようが混乱して認識しようが同じように発現します。したがって,アルチュセールがゲルーMartial Gueroultのスピノザ論に触れたとき,それが自身の政治的立場を補強するものとなっていないと認識したなら,アルチュセールがそれについて不満を抱くのは,アルチュセールのコナトゥスそのものの作用であるといって間違いありません。そして僕はこのような解釈を党派的であるといっているのですから,アルチュセールは自然Naturaの法則に従って党派的になったといえます。これはアルチュセールを例材としただけであり,現実的に存在する人間はだれであれ,本性naturaの必然性necessitasによって党派的になる,少なくとも党派的になる場合があるということになります。このために僕は,ある人間が党派的であるということだけで,その党派性がどのような党派性であるかを問わず,批判することはしないのです。
                                   
 スピノザの哲学は上述のような意味で,党派的であることを許容する哲学であるといえます。しかしスピノザの哲学それ自体が党派的であるということはあり得ません。というか,スピノザの哲学が党派的であり得ないのは,上述のような意味での党派性についてそれを許容しているからだといえなくもありません。もしそれを許容せず,党派的であることを一切認めないような思想であれば,その思想自体が党派的であるといわれなければならないからです。少なくともスピノザの哲学のような,党派的であることを許容する余地を含む思想に対しては,党派性をまったく許容しない思想は党派的であるといわれなければならないでしょう。
 スピノザの哲学の道徳律は,能動actioを希求し受動passioを回避する点にあるので,党派的でない方が優れているのはいうまでもありません。
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エピファネイア&党派性とコナトゥス

2020-04-20 19:19:16 | 名馬
 12日の桜花賞を勝ったデアリングタクトの父はエピファネイアです。父はシンボリクリスエス。母がシーザリオで祖母がキロフプリミエール。Epiphaneiaはギリシア語で公現祭。
                                        
 2歳10月に新馬を勝つと11月のオープンも連勝。さらにラジオNIKKEI杯2歳ステークスで重賞制覇。3連勝で2歳戦を終了。
 弥生賞で復帰し4着と初黒星。皐月賞は2着。ダービーキズナに差されて2着でした。
 秋は神戸新聞杯で復帰して重賞2勝目。さらに菊花賞も勝って大レースの勝ち馬に。
 4歳春の大阪杯で復帰しキズナの3着。香港に遠征したクイーンエリザベスⅡ世カップは4着。
 秋は天皇賞(秋)で復帰して6着。続くジャパンカップを制して大レース2勝目。有馬記念にも出走しましたがこれは5着。
 5歳春にドバイに遠征してドバイワールドカップに出走。このレースで9着に敗れ,現役を引退しました。
 ダービーでは負けましたが,能力の上限はキズナより上だったと思っています。ただ精神面の増幅が大きかったために常に一定の能力を発揮するには至らなかったタイプの馬。そのあたりがどう出るかが種牡馬としても課題になります。デアリングタクトが初めての産駒としての重賞勝ち馬で,それがいきなり大レース。抜きん出た大物を出すタイプの可能性もありそうです。

 人間は能動的である限りにおいて本性naturaが一致します。これは,万人にとって真理veritasは同一であるというのと同じことです。なぜなら,理性ratioによる認識cognitioは精神の能動actio Mentisであるがゆえに,それによって認識されたものは真の観念idea veraです。スピノザの哲学では個々の真の観念の総体のことが真理といわれます。つまり,働くagere限りにおいては人間は事物を真に認識するcognoscereのであり,それが万人に共通するのですから,万人が同じように事物を真に認識します。したがってそうした真の認識の総体である真理もまた万人に共通なのです。いい換えれば,ある人間にとっては真理であるが,別の人間にとっては真理ではないというような事柄は存在しません。したがって人間は少なくとも真理に関して党派的であるということはできないということになります。他面からいえば,真理に関して党派的である人間は,実際には虚偽falsitasを真理であると思い込んでいる人間であると判断して差し支えないでしょう。よってこの観点からも,スピノザの哲学は党派的であることができないということは明らかだと思います。
 しかし一方で,人間は常に能動的であることはできないのですから,いくらスピノザの哲学を十全に認識したとしても,党派的になるという場合があるのです。第三部定理六から分かるように,各々の人間にはコナトゥスconatusがあり,それは第三部定理七から各々の人間の現実的本性actualem essentiamそのものです。そしてこのコナトゥスは,第三部定理九から理解できるように,十全な観念idea adaequataを有する限りでも混乱した観念idea inadaequataを有する限りでも発揮されるのです。このとき,自身の政治的立場なり宗教的立場なりを正当化しようとすることは,各人の現実的本性そのものだと解することができます。もっと具体的にいえば,アルチュセールLouis Pierre Althusserが自身の政治的立場をスピノザの哲学によって基礎づけようとしたことは,アルチュセールの現実的本性から発したものだと解することが可能です。このゆえにアルチュセールは党派的になったのですが,そのこと自体を全面的に否定できる要素がスピノザの哲学の中には実はないということは,ここまでの説明から明らかだといえるでしょう。党派性の発端はコナトゥスにあるからです。
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皐月賞&党派性と能動

2020-04-19 18:54:59 | 中央競馬
 第80回皐月賞
 発走後の正面ではウインカーネリアンが先頭。外から追い掛けてきたキメラヴェリテが1コーナーで追いつくと,そのまま先頭に立って2コーナーにかけて後ろを引き離していきました。控えた2番手にウインカーネリアン。2馬身差でディープボンドとビターエンダー。ここまではばらばら。2馬身差でサリオスが好位集団の一番前。以下ラインベック,テンピン,ヴェルトライゼンデ,サトノフラッグ,コルテジア,ガロアクリーク,コントレイルとマイラプソディ,ダーリントンホール,レクセランス,アメリカンシードとクリスタルブラックまでは一団で続きました。3馬身差の最後尾にブラックホール。前半の1000mは59秒8のハイペース。
 3コーナーではキメラヴェリテのリードは1馬身に。ここから後続の各馬が外から捲り上げていったため,8頭ほどが雁行する形に。外から2頭目がサトノフラッグで大外がコントレイル。直線で先頭に立ったのはウインカーネリアン。その内からサリオス,そして外を回ったコントレイルの2頭が抜け出し,直線半ばからは抜け出した2頭の競り合いに。最後は外のコントレイルが捻じ伏せて優勝。サリオスが半馬身差で2着。前の2頭が抜け出した後で大外から追い込んできたガロアクリークがウインカーネリアンを差して3馬身半差で3着。
 優勝したコントレイルホープフルステークス以来の実戦。これでデビューからの連勝を4に伸ばして大レース2勝目。このレースは無敗で2歳の大レースを制した2頭が,ともにそれ以来の実戦で初対決。結果的にその2頭が後ろを離しての決着となりましたから,ともに久々のレースだったということも考慮に入れると,その2頭の能力が傑出していたということになるでしょう。ダービーに向けては,2000mに適応できることは前走で示していましたが,さらに距離が延びることがプラスに働くとは思いません。それをどこまで能力で相殺できるのかといったところではないでしょうか。父は第65回を制したディープインパクトで父仔制覇。Contrailは飛行機雲。
                                        
 騎乗した福永祐一騎手はホープフルステークス以来の大レース34勝目。皐月賞は初勝利。管理している矢作芳人調教師フェブラリーステークス以来の大レース15勝目。皐月賞は初勝利。

 スピノザの哲学が党派的なものではあり得ないと僕が考える最大の理由は,第四部定理三五にあります。そこでは,人間の本性natura humanaは各人が理性ratioに従う限りで一致するといわれています。つまり,各人の政治的立場や宗教的立場,階級や年齢などに違いがあろうとも,理性に従う限りでは立場の相違を超えて,すべての人間の本性が一致するのです。よってスピノザの哲学は,すべての人,少なく見積もっても理性に従おうとするすべての人に共通の真理veritasを教えるものであり,ある特定の立場の人にだけ向けられたものではありません。よってこの限りにおいて,スピノザの哲学は党派的であることを否定するのです。他面からいえば,どのような立場であったとしても,党派的なものに縛られている人は,理性に従っていない人であることになるでしょう。そしてそれがスピノザの哲学が目指そうとしているところではないことは,すでに説明したことから明らかだと思います。
 しかし一方で,このことは現実的に存在する人間が党派的であるということを何ら否定するものではないという側面を有しているのです。それは次のような理由によります。
 人間の本性が一致するのは人間が理性に従う場合です。スピノザの哲学では,理性というのは共通概念notiones communesを基礎とした認識cognitioのことを意味します。第二部定理三八第二部定理三九から分かるように,共通概念というのは十全な認識です。よって第三部定理三により,これは精神の能動Mentis actionesを意味することになります。したがって,理性に従う限りで人間の本性が一致するというのは,人間は能動的である限りにおいて,あるいは同じことですが働くagere限りにおいて,本性が一致するといっているのと同じになります。スピノザが立てた道徳律は,能動的であることを目指すものでしたから,党派的にならないことはその道徳律に合致しているといえるでしょう。しかしこの道徳律は,人間が受動的であることを全面的に否定するものではありませんでした。人間が受動passioから免れ得ないということもスピノザは同時に認めていたからです。したがって,党派的であること,党派的になることを全面的には免れ得ないことも,スピノザは認めるのです。
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農林水産省賞典中山グランドジャンプ&道徳律との関係

2020-04-18 19:02:17 | 中央競馬
 第22回中山グランドジャンプ
 コスモロブロイは立ち上がってしまい3馬身の不利。前半の基本的な隊列はメドウラーク,オジュウチョウサン,メイショウダッサイ,シングンマイケル,シンキングダンサー,ユイノシンドバッド,ヒロシゲセブン,ブライトクォーツ,セガールフォンテン,アズマタックン,コスモロブロイの順。4番手と5番手の間には大きめの差がありました。セガールフォンテンは大生垣障害で落馬しました。
 最終周回の1コーナーを回るとブライトクォーツが5番手に。ここで5番手と6番手に決定的な差がつき,優勝争いは前の5頭。逃げていたメドウラークは向正面の障害で飛越に失敗し後退。オジュウチョウサンが先頭に立つと,ブライトクォーツが2番手,3番手にメイショウダッサイ,4番手にシングンマイケルとなって4頭の争いに。残り600mを過ぎるとオジュウチョウサンが2番手との差を広げていきました。最終コーナーではメイショウダッサイがブライトクォーツに並び掛け,直線では2番手に。シングンマイケルは最後の障害で落馬。メイショウダッサイはオジュウチョウサンとの差を縮めはしたものの並ぶというところまではいかず,優勝はオジュウチョウサン。3馬身差の2着にメイショウダッサイ。ブライトクォーツはそこから2秒4差の3着。それでも4着のシンキングダンサーとはさらに3秒7の差がありました。
 優勝したオジュウチョウサンは前走の阪神スプリングジャンプからの連勝で重賞13勝目。大レースは昨年の中山グランドジャンプ以来の7勝目。第18回,19回,20回も制していて,中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。昨秋はまた平地を走り,その間に新進の障害馬も出てきましたが,前走でそれらに対して実力上位というところをみせつけていました。今日は大雨の影響で馬場が悪くなり,5分02秒9と極度に時計が掛かったのですが,第一の持ち味はスタミナですから,ほかの馬に対しては有利に働いたのではないかと思います。順当な優勝で,もしかしたら障害ではもう負けないまま引退までいくのかもしれません。おそらくこれほどの馬はもう出てこないでしょう。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。ひとつ上の全兄に2013年にラジオNIKKEI賞に勝ったケイアイチョウサン
 騎乗した石神深一騎手は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース8勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。管理している和田正一郎調教師は昨年の中山グランドジャンプ以来の大レース7勝目。中山グランドジャンプは五連覇で5勝目。

 理性ratioによって欲望cupiditasを統御する,いい換えれば精神mensによって身体corpusを統御するというデカルトRené Descartesの道徳律は,現実的に存在する人間に対して無理なこと,不可能なことを要求していることになります。このためにスピノザは独自に,それとは異なる新たな道徳律を立てることになりました。それが能動的であること,働くagereことを目指し,受動的であること,働きを受けるpatiことを回避するというものです。第三部定義二から分かるように,あるものが十全な原因causa adaequataとなっている場合が能動actioであり,それに反してあるものが部分的原因causa partialisになっている場合が受動passioですから,この道徳律は,現実的に存在する人間の一人ひとりが,十全な原因として働くことを目指し,部分的原因となって働きを受けることを回避するという道徳律であるといい換えることができるでしょう。
                                   
 ですがこの道徳律は,能動的であることを全面的に肯定するものではあり得るのですが,受動的であることを全面的に否定するようなものではあり得ないという一面がスピノザの哲学にはあるのです。いい換えればそれは,現実的に存在する人間に対して,受動的であることを批判するような内容を有さないという一面があるのです。なぜなら,スピノザはこのような道徳律を立ててはいるのですが,第四部定理四から分かるように,人間が十全な原因であるということには限界がある,要するに人間が働くということには限界があるのであって,部分的原因になること,働きを受けることを完全に回避することは不可能であることを同時に認めているからです。ですから,もし現実的に存在する人間に対して,能動的であることを全面的に要求するのであれば,それは理性によって欲望を,精神によって身体を統御するように要求するのと同様に,人間に対して無理で不可能な要求をしていることになります。だからこの道徳律は,可能な範囲内で能動的であることを目指し,また可能な範囲内で受動的であることを避けるように要求する道徳律であることになります。
 なぜこの道徳律についてここで示したのかといえば,党派的であるということについても同じような関係がスピノザの哲学のうちには見出せると思うからです。
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マイナビ女子オープン&能動と受動

2020-04-17 19:02:17 | 将棋
 昨日の第13期マイナビ女子オープン五番勝負第二局。
 西山朋佳女王の先手で5筋位取り中飛車。後手の加藤桃子女流三段が穴熊とみせて中央から仕掛ける将棋になりました。仕掛けのタイミングはよかったけれどもその後でやりすぎたといわれていますが,龍を作られたとはいえ駒得しているので,そんなに後手が悪くしたというわけでもないように僕には思えました。
                                        
 後手が4筋の歩を取り込んで,先手が取り返した局面。ここで☖5四飛と指しています。疑問手だったとのことですが,僻地の飛車を龍と交換できるのですから,この手もそこまで悪い手ではないように思えます。☗同龍☖同金☗4一銀と進みました。
 そこで☖8九飛と打ったのですが,ここは☖4八歩もあったっと思います。ただ,☗3九金と逃げられるとこの歩が残るのを嫌ったのでしょう。それは実戦の☗8二飛に☖4二歩と受けたことから想像できます。先手は☗3二銀成と取って☖同玉に☗4三歩と打ちました。
                                        
 ここで☖5七角と打ちましたが,☖4八銀も有力だったと思います。それでもだめなら第2図は後手が非勢だったことになるでしょう。
 西山女王が勝って1勝1敗。第三局は来月12日に予定されています。

 デカルトRené Descartesは理性ratioによって欲望cupiditasを統御するということを道徳律の中心に据えました。しかしスピノザはこの道徳律を否定しました。この道徳律は現実的に存在する人間に対して,不可能なことを要求しているからです。つまり,理性によって欲望を統御することはできないとスピノザは主張したのです。その理由は次の点にあります。
 デカルトにとって理性は人間の精神mens humanaを,そして欲望は人間の身体humanum corpusを代表する要素でした。つまり,理性によって欲望を統御するというのは,精神によって身体を統御するというのと同じ意味を有していたことになります。そこでもし実際にそうしたことが行われると仮定しましょう。そのとき,精神は身体を統御するのですから,能動actioという状態にある,同じことですが,身体に対して働きをなしている状態にあります。同時に身体は,精神によって統御されているのですから,受動passioという状態にある,これも同じことですが,精神から働きを受けている状態にあることになります。精神が身体を統御するとき,身体は精神によって統御されるのですから,これらふたつの状態,つまり精神が働いている状態と,身体が働きを受けている状態は同時に出現します。したがってデカルトの道徳律を成立させるためには,精神の能動は身体の受動を意味しなければならないことになります。逆に統御が失敗している状態は,身体によって精神が統御されている状態であると把握されなければならないので,同じ理由により,身体の能動と精神の受動が,現実的に存在する同じ人間のうちに,同時に出現していることになるでしょう。
 スピノザが否定しているのはこの点に関わります。スピノザによれば人間の能動と受動は,精神にあっても身体にあっても一律なのです。すなわち,ある人間の精神が働いているならその人間の身体も働いているのであり,逆にある人間の精神が働きを受けているならその人間の身体も働きを受けているのです。もちろんこのことは,身体の方を中心に据えても同じことです。つまりある人間の身体が働いている状態にあってはその人間の精神も働いていますし,身体が働きを受けているときには精神も働きを受けているのです。
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東京中日スポーツ賞クラウンカップ&注意点

2020-04-16 19:03:58 | 地方競馬
 羽田盃トライアルとして行われた昨晩の第23回クラウンカップ。ウタマロは石崎駿騎手から酒井忍騎手に変更。
                                        
 先行する構えをみせたのはインペリシャブル,スマイルウィ,プリモジョーカー,ファルコンウィングの4頭。最内のインペリシャブルが先行争いを回避したので,逃げたのはスマイルウィ。2番手にプリモジョーカー,3番手にファルコンウィング,4番手にインペリシャブルという並びになりました。2馬身差の5番手にグリーンロード。6番手にウタマロ。7番手にマーヴェルクエストとボンモマン。9番手にストーミーデイとエメリミットでこの6頭は一団。3馬身差でヘブンリーキスとグランコージー。2馬身差でチョウライリン。2馬身差の最後尾にマンガン。前半の800mは49秒2のハイペース。
 スマイルウィを追い掛けていた3頭は先に脱落。勢いよく上がってきたのがウタマロで,最終コーナーの途中でスマイルウィの前に出ました。スマイルウィはここで脱落。先頭で直線に入ってきたウタマロを追い掛けてきたのがエメリミットで,一緒に上がってきたボンモマンとグリーンロードを振り切って単独の2番手。しかし抜け出していたウタマロには追いつけませんでした。向正面では最後尾に位置していたマンガンが大外から伸び,ウタマロを追い詰めていきましたが届かず,優勝はウタマロ。マンガンが半馬身差で2着。4コーナーではエメリミットの後ろにいたストーミーデイが,エメリミットとマンガンの間からエメリミットを差して3馬身差の3着。エメリミットは4分の3馬身差で4着。
 優勝したウタマロは南関東重賞初挑戦での優勝。このレースは南関東重賞の勝ち馬や善戦を続けていた実績馬と,ここにきて連勝中の上昇馬の対決。ウタマロは1月にJRAとの条件交流戦を勝ち,一息入れて先月のこのレースのトライアルも勝っていた上昇馬。上昇馬が1着と4着,実績馬が2着と3着という結果で,平均的な能力としては互角だったということになるでしょう。実績馬の中ではグリーンロードの能力が最上位だったと思いますが,発汗が激しく,レース前に消耗してしまったのだと思われます。ウタマロはこれが4勝目となりますが,いずれも川崎コースでのものなので,ほかのコースでも同じように能力を出せるかは課題となります。母の父はアグネスタキオン。3代母がビューパーダンスで従兄に2015年にユニコーンステークスとジャパンダートダービーと武蔵野ステークス,2018年に根岸ステークスとフェブラリーステークス,2019年にサンタアニタトロフィーを勝っている現役のノンコノユメ
 乗り換わって騎乗した川崎の酒井忍騎手は2009年の大井記念以来となる約11年ぶりの南関東重賞7勝目。第5回以来18年ぶりのクラウンカップ2勝目。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞20勝目。クラウンカップは初勝利。

 僕はスピノザの哲学が党派的であることは不可能であると考えますが,その際に次の点に注意しておいてください。
 スピノザの哲学は党派的ではあり得ないのですが,それは党派的な立場についてそれを批判する意図を含んでいません。むしろスピノザの哲学は,部分的にいうなら党派的であることを肯定します。肯定するということの意味は,それを完全には否定することができないということです。いい換えれば,現実的に存在する人間が党派的であるということを部分的には許容するということです。なぜなら,現実的に存在する人間は,党派的であるということを全面的に免れるということは不可能であるということが,スピノザの哲学には含まれていると僕は考えるからです。したがって,スピノザの哲学は,党派的ではあり得ない哲学であるのと同時に,党派的であるということを禁止するような哲学でもありません。むしろスピノザの哲学の観点に立てば,党派的であることを禁止するような思想は,それ自体が党派的な思想であるといわれなければならないでしょう。このために僕は,ある人間が党派的であるということだけでその人間を批判するのであれば,批判しているその人間が実は党派的なのであり,その批判はすべて自身に跳ね返ってくるであろうといっておいたのです。
 次に,僕がここで党派的であるというのは,政治的な観点を含むものではありません。より正確にいうなら,政治的な観点だけを含むようなものではありません。政治的であれば党派的であるという言明は成立しません。このことは,僕が政治的であるということと党派的であるということを,厳密に使い分けていることから自明といえるでしょう。しかし一方で,政治的でないから党派的ではないということはありません。このことも,たとえば宗教における宗派の争いは,政治が絡む場合もあるでしょうが絡まない場合もあるのであって,政治が絡まない場合にも党派的な立場に立つということがあり得るということから明白です。この場合にも僕が何をもって党派的であるといっているのかということには注意しておいてください。
 まずは基本的な観点から説明していきます。
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