スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理六六&墓参り

2023-07-31 19:16:47 | 哲学
 スピノザは第四部定理六六で次のようにいっています。
                                   
 「理性の導きに従って我々は,より小なる現在の善よりはより大なる未来の善を,またより大なる未来の悪よりはより小なる現在の悪を欲求するであろう」。
 簡潔に理解するためにここでは次のような例を用います。
 今,100円をもらえるとして,それを断れば明日には1000円がもらえるという状況があるとします。この場合,よほど今日の100円を必要としているとか,明日まで生きている保証がないというような特殊な状況でない限り,僕たちは今日の100円よりも明日の1000円をもらうでしょう。これは,100円をもらうことも1000円をもらうこともそれ自体では善bonumであって,しかし1000円をもらう方がより大なる善であるので,より小なる今日の善よりもより大なる明日の善を欲求していることになり,この定理Propositioに合致します。これは100円をもらうことも1000円をもらうこともどちらも喜びlaetitiaで,1000円をもらう方が大なる喜びであるということに注意すれば,第四部定理八から明白です。
 厳密にいえば,僕たちはここに示した事情を,理性ratioに従って認識するcognoscereというより,第三種の認識cognitio tertii generisによって直観的に認識するのですから,この定理には合致しないということはできます。ただ,第三種の認識で認識することができる事柄は,必ず理性による推論によっても認識できますから,このことは不問に付してよいでしょう。
 このことがいえるのなら,人間の本性と善悪を関連付けて説明することができるようになります。今日の100円より明日の1000円を欲求することは人間の本性の型に合致するといえますし,一般的に現在の小なる善より未来の大なる善を欲求することは人間の本性の型に一致するということができるからです。
 このときに,第四部序言第四部定義二のように,malumを積極的に定義するのではなく,善の否定と定義することが役立つのです。

 1月8日,日曜日。お寺に行きました。8日は総講の日ですが,1月は寒参詣といって,総講は午前6時半からです。何度もいっているように僕は朝の6時半からお寺に行こうという気にはなれませんから,総講に出たわけではありません。年が変わってからお寺には行っていませんでした。僕がお寺に行く最大の目的は墓参りですから,新年に入ってからは墓参りに行っていなかったということです。なのでこの日に行ってきたのです。僕はこういう場合にも総講の日を選んでお寺に行きますが,これは理由があります。前にいったように,僕はお寺には本堂の入口から入るのですが,この本堂の入口は,日によっては鍵が掛かっていて,だれかに連絡して開けてもらわなければならないという場合があります。しかし総講が行われる日は,総講が終わった後でもだれかしら,ここでいうのは信者という意味で,何人かの信者はまだお寺に残っていますので,鍵が閉まっているということはありません。また,総講でない日にはどこかの檀家の御講が入っているというような場合もあり,その場合はお寺に入ることはできますが,御講をしている本堂を通り抜けるというのはなかなか気まずいものがあります。これらのことを避けるためには,総講の日にお寺に行って墓参りをするというのがベストなのです。
 1月11日,水曜日。前年の11月12日に始まった隣家の解体工事は,この日で完全に終了となりました。僕の家の北側にあった建物がなくなりましたので,家の北側は明るくなりました。ただ北側はトイレや風呂場などですから,明るくなったことの実利がそれほどあったというわけではありません。なお,現時点ではすでに建物が建っているのですが,以前に隣家が建っていた頃よりは,差し込む光の量は増えているような気がします。僕の家と新しく建った建物との間が,それまでの隣家との間よりも少し広くなっているのですが,そのことが影響しているのかもしれません。
 1月14日,土曜日。妹の土曜レクリエーションがありました。
 1月16日,月曜日。6日の眼科検診のときに予約を入れておいた歯科検診でI歯科に行きました。午前10時半からでした。
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金鯱賞争奪戦&友人

2023-07-30 20:10:22 | 競輪
 名古屋記念の決勝。並びは新田‐守沢の北日本,渡辺‐武藤の東日本,取鳥‐桑原の山陽で,山口と南と伊藤は単騎。
 桑原が前に出ましたが,外から新田が勢いよく追い抜いていって前受け。3番手に伊藤が上がってきて,4番手に取鳥,6番手に渡辺,8番手に山口,最後尾に南という周回に。残り3周のバックの出口から山口が内に進路を取って進出の構え。内に来られた渡辺がホームに入ると動いていき,新田を叩きました。この時点では3番手に新田,5番手に伊藤,6番手に取鳥,8番手に山口,最後尾に南で,やや車間の開いたところはありましたが一列棒状。バックに入って取鳥が発進して打鐘。渡辺は応戦しようとしましたが明らかに踏み遅れた感があり,ホームで叩いた取鳥の先行に。このラインを追うような形になった山口がバックから発進。最終コーナーを前に取鳥を捲り,そのまま抜け出して快勝。直線は後ろで守沢が落車するアクシデントがあったこともあり,逃げた取鳥が3車身差の2着。取鳥マークの桑原が4分の3車輪差で3着。
 優勝した岐阜の山口拳矢選手は前々回出走の向日町のFⅠ以来の優勝。グレードレースは日本選手権以来,GⅢは2月の伊東温泉での施設整備等協賛競輪以来で2勝目。記念競輪は初優勝。このレースは脚力から新田と山口の優勝争いになるだろうとみていました。新田は山口より後ろの位置になり不発に終わりましたが,前受けをするのに脚を使ったことが多少の影響を与えたかもしれません。その意味では山口に捲られて2着と3着になりましたが,山陽のふたりが前を取りにいく構えをみせたのが,いい作戦だったといえそうです。山口は単騎で好結果を出すことが多い選手ですが,単騎でこれだけ走れるということは,本当はラインができればもっと強い筈だと思います。

 12月28日,水曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。この日はそのままО眼科に行って診察を受ける予定でした。ただそのために必要な保険証およびおくすり手帳を,妹が持参していませんでした。目薬の在庫にはまだ余裕がありましたので,診察は中止にしてそのまま帰宅しました。なお,この日に妹を迎えに行ったのは,翌日から妹が年末年始の休みに入るからです。つまり妹は年末年始は家で過ごしました。
                                   
 12月30日,金曜日。後期の三者面談のお知らせが郵送されてきました。前期と同様に,対面形式か書面形式のどちらかを選択できるようになっていました。
 1月1日,日曜日。三者面談のお知らせはこの日に郵送しました。書面形式を希望しました。どちらでもよいのであれば,グループホームまで出向かなくてよい分だけ,僕にとっては書面形式の方が楽だからです。
 1月4日,水曜日。妹はこの日が今年の初の出勤日でしたので,通所施設へ送りました。
 帰宅後,午後1時15分に,Gという友人から電話がありました。高校のときの同級生で,2年生と3年生のときに同じクラスでした。その当時から仲が良かったのですが,Gと僕はそのまま同じ大学の同じ学部に進学しましたので,学生時代もよく遊んでいました。Gは現在は京都に住んでいるのですが,実家に帰省しているので会わないかという誘いでした。Gの実家は品川区,駅でいえば大崎駅の近くで,僕も何度か行ったことがあります。ただ,会うことができるのはこの日か翌日のどちらかだということで,さすがに予定を作ることができなかったので,会うことは断念せざるを得ませんでした。年賀状のやり取りはしていますが,電話で話すのは久しぶりでしたから,それができただけでもよかったというほかありません。
 1月6日,金曜日。О眼科に眼科検診に行きました。右目は視神経に変化があるけれども,これが緑内障によるものか近視の影響なのかは不明とのことでした。眼圧は14で,これはさほど高くありません。なのでまだ治療には入らず,経過を観察することになりました。網膜症は異常がありませんでした。I歯科にも寄って,予約を入れました。この日から診察券が新しくなりました。
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天罰の対象&2022年12月の通院

2023-07-29 19:27:23 | 歌・小説
 先生が天罰といっている以上,その天罰に見合うだけの罪があるのでなければなりません。より正確にいえば,先生は自身に天罰を受けなければならない罪があると認識しているのでなければなりません。そして『こころ』のテクストには,先生の罪とみなせる事柄がいくつかあります。ところがこれらの罪は,子どもができないという罰に見合うような罪とは考えられません。そしてさらに,子どもができないということ自体を天罰とみなすには,不都合と思えるような事情があります。
                                       
 子どもができないということは,先生だけの問題なのではなくて,先生と奥さんとの間での問題です。実際に当該箇所で,子どもが欲しいという主旨のことを言っているのは先生ではなく奥さんの方なのであって,それに対して先生は天罰だから子どもはできっこないと応じているのです。すると,この部分だけを抽出すると,天罰を受けているのは先生ではなくむしろ奥さんであると解釈することができることになります。では実際に先生がそのような意味でそう応じたのかといえば,そのようなことはないのであって,あくまでも天罰は自分に与えられている,自分だけに与えられているものであって,奥さんに与えられているわけではないと解していたと考えられます。
 なぜそのように考えることができるのかというと,この天罰はKとの関係なしに考えることができないからです。ところが奥さんが何を知っているのかといえば,Kが自殺したということだけなのであって,先生とKとの間で何があったのかということを知らなかっただけでなく,Kが奥さんを好きであったということさえも知らないのです。このことは,先生自身が私に宛てた遺書の中で,Kとの関係を詳細に述べた後で,このことを妻には知らせないでくれといい,それは妻の記憶を汚したくないからだという主旨のことを理由としてあげていることから明らかです。つまり,奥さんに対して天罰だから子どもができないと先生が言っていたのだとしたら,なぜ自分が天罰を受けなければならないのかは奥さんには分からないのです。
 ここから分かるように,天罰というのはあくまでも先生だけに与えられる天罰なのであって,奥さんに与えられるような天罰ではありません。したがってその罰に見合うような罪も,先生に固有の罪なのであり,先生と奥さんに共通の罪ではないのです。

 12月26日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室では6人の患者が採血を待っていました。ですのでまず採尿をしてしまい,さらに注射針の処理を済ませ,いくらかの待ち時間があった後に採血をしました。
 診察が開始になったのは午後3時20分でした。HbA1cが7.2%になっていました。ここのところ5ヶ月間は6%台で推移していましたから,7%台に入ったのはおよそ半年ぶりです。いうまでもなくこれは寒い時期に入ってきたからです。よってこのままの状態を維持していけば,まだまだ寒くなっていく季節ですから,HbA1cも上昇していくでしょう。ということで,持続効果型のインスリンであるトレシーバを注射する量路,10単位から11単位へ,具体的な量でいえば0.1㎎の注射をしていたのを0.11㎎へと増量をする措置を採りました。
 ほかに異常が検出されていたのはアルブミンです。アルブミンの下限値は4.1g/㎗ですが,この日の検査結果では3.8g/㎗で,その下限値を下回っていました。数値自体は11月と同じですから,2ヶ月連続での異常であったことになります。10月から臨時で担当していた代理の医師による診察はこれが最後で,1月からは,といっても僕の次の通院は1月ではなく2月でしたが,次の通院からは主治医による診察に戻りました。このときの主治医は,前の主治医が出張していた期間に臨時で診察をした医師でしたが,このときに臨時で診察した医師は,主治医にはなっていません。
 この日は僕が会計のための計算を終えたとき,まだ80人が会計を待っている状態でした。これはあまり見ない数です。中央検査室で採血を待っている患者が多かったように,どうもこの日は通院の患者がいつもよりも多かったようです。これはたぶん年末であったからで,翌週の月曜は1月2日で休診でしたから,その分の患者は1週前か1週後に振り分けられる筈で,その影響が出たものでしょう。
 薬局に寄って帰りました。おくすり手帳を忘れてしまいましたが,とくに問題はありませんでした。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後5時20分でした。
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お~いお茶杯王位戦&中間報告

2023-07-28 19:29:31 | 将棋
 25日と26日に小樽で指された第64期王位戦七番勝負第三局。
 藤井聡太王位の先手で角換わり相腰掛銀。後手の佐々木大地七段が右玉に構える将棋でした。
                                        
 第1図から後手は☖4三馬と引きました。先手は軽視していたそうですが,☗4四香☖同馬☗1一角とするのが三手一組の妙手順で先手が勝っています。
 感想戦では触れられていませんが,第1図では☖6四桂と王手する手があったようです。☗8七王に単に☖5六桂と取る手が最善で,この手が変わった手であるために対局者は気付かず,感想戦にも出てこなかったのでしょう。
                                        
 第2図は先手陣が安全なので強く攻めていきたくなります。☗3一角☖同玉☗5二龍がその手順。これには☖4三銀と受けます。
 さらに攻めていくなら☗3二銀☖同銀☗同歩成☖同金☗3三香になります。
                                        
 第3図は☖4三角が王手飛車なので,これは先手がいけません。つまり第2図から先手が一気に攻め倒すことはできません。なので第1図で☖6四桂と打つ手は有力だったことになります。
 藤井王位が勝って3連勝。第四局は来月15日と16日に指される予定です。

 12月17日,土曜日。前日に帰宅したときに郵送されていた個別支援計画書の中間報告書は,僕のサインと押印が必要な書類でした。ですのでこの日のうちにその書類を郵送しました。前からいっているように,グループホームが関係するような書類については,僕は通所施設の事務所に僕自身が届けるのではなく,郵送しています。午後8時20分にピアノの先生からの電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
 12月18日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時半の開始でした。
 12月19日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 12月23日,金曜日。個別支援計画書の中間報告のもうひとつの書類が郵送されました。もうひとつの,というのは,個別支援計画書は通所施設のものとグループホームのものがありますから,中間報告書もそれぞれ別の書類になるのです。こちらの書類はすでにサインも押印もされているものでしたから,僕がサインを入れて送り返す必要はありませんでした。前もってサインが入っているのは,このサインというのは身元引受人である僕のサインが必要なものではなく,妹のサインさえあればよいというものであったからです。よって妹自身の自筆のサインがあれば,僕が記入して送付し返す必要はないのです。また,この説明から理解できるかと思いますが,このときに僕の家に送付されてきたのは,正式な報告書ではなく,その報告書のコピーです。個別支援計画の書類は,基本的に通所施設またはグループホームの分と,僕の分の2通があるのですが,僕の手元に残るのは正式な書類をコピーしたものだということになります。
 12月25日,日曜日。総講がありましたので,お寺に行きました。12月25日というのは,総講としては1年で最後の日になります。僕はなるべくこの日は総講に行くようにしています。というのはこれは以前からいっているように,僕はお寺関係の維持費というのを前もってお寺の奥さんに渡しています。翌年の維持費を渡すのには,この12月25日というのは最もよい日だからです。25日は本門仏立宗の開祖の月命日の総講です。
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大成建設杯清麗戦&ウイルスの現実的本性

2023-07-27 19:05:50 | 将棋
 25日に博多で指された第5期清麗戦五番勝負第二局。
 西山朋佳女流三冠の先手で相三間飛車に。後手の里見香奈清麗が5筋の位を取ったのに対して,先手がその歩を目標に動く将棋。このあたりは先手の方が得をしたように思いますが,後手が猛攻に出て,形勢は難しいままでした。
                                        
 第1図から後手は☖4六飛☗3八玉☖2七歩☗1八金☖1三角と攻め合いに出ました。
 ☗2一飛成☖3一金☗5五銀☖2一金☗4六銀で飛車の取り合いに。
                                        
 第2図となってみると先手玉は右側に逃げられるようになっているのに対し,後手玉は端歩を突いていないために逃げ道がなく,先手が有利の攻め合いになりました。第1図からすぐに攻め合うのは危険で,先に☖3一金と受けて先手に手を渡さなければならなかったようです。
 西山三冠が勝って1勝1敗。第三局は来月8日に指される予定です。

 宿主に対して弱毒化することはウイルスの現実的本性actualis essentiaに合致します。しかし一方で,ウイルスの感染力が強力化することもまたウイルスの現実的本性に合致します。そしてこのふたつのことの間には,何らかの因果関係があるわけではありません。ウイルスの感染力が強化されることによってウイルスが宿主に対して弱毒化するということは,現実的に生じることがあるにしても絶対にそのようになるというわけではありません。逆に,ウイルスが宿主に対して弱毒化することによって感染力が強化されるということも,現実的には生じるとしても,必ずそうなるというものではありません。すなわち,ウイルスが有する現実的本性,あるいは同じことですが,ウイルスが自己の有に固執するperseverare傾向conatusとしてあげられるふたつの事象は,それぞれが別個にウイルスの現実的本性を構成しているといわなければなりません。
 ですから,ウイルスが宿主に対して弱毒化すると同時に感染力が弱まるという変異を遂げることがないということはできません。逆に,宿主に対する毒性が強まると同時に感染力が強化されるという変異を遂げることもあり得るでしょう。もちろんそれは,一方がウイルスの現実的本性に適合するような変化ではあるけれども,他方は現実的本性に合致しない変化ですから,こうした変異をしたウイルスは,いずれは別の変異ウイルスによって駆逐されることになるでしょう。しかしそうした変異自体が生じ得るということは事実です。ですから,新型コロナウイルスは人間に対して弱毒化し,一方で感染力は強めるという変異を遂げて現在のような株になっていると考えられますが,だからこれが最終形態であると断定することができるわけではありません。感染力を強めて強毒化するような変異が発生する可能性は,きわめて低いにしても0であるということはないのです。
 12月12日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 12月16日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹を連れて帰宅したとき,郵便受けに個別支援計画書の中間報告書が郵送されていました。個別支援計画は三者面談の内容で,これはその中間報告の書類ということになります。
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習志野きらっとスプリント&弱毒化

2023-07-26 19:36:45 | 地方競馬
 兵庫から2頭,高知から1頭,佐賀から1頭が遠征してきた昨晩の第13回習志野きらっとスプリント
 好発は大外のメイプルシスター。すぐに先頭に立ちましたが,内から追い上げてくる馬もいて,最終的にはキモンルビーの逃げに。2番手にロトヴィグラスが上がり,3番手にギシギシとプリモパイソンとメイプルシスター。その後ろはパーとダノンジャスティスとカプリフレイバー。さらにプライルードとローウェルまでは集団で続きました。2馬身差でブンロートとサダムスキャット。1馬身差でメンコイボクチャン。6馬身差の最後尾にルーチェドーロ。最初の400mは22秒4の超ハイペース。
 直線に入るところではキモンルビーとメイプルシスターが併走。内を回って追い上げてきたのがプライルードとプリモパイソン。直線に入ると再びキモンルビーがメイプルシスターを引き離しました。プライルードとメイプルシスターの間を割ってプリモパイソンが2番手を窺いましたが,内で位置を下げて直線は大外に持ち出したギシギシが強襲。抜け出していたキモンルビーに迫りましたが届かず,キモンルビーが一杯に逃げ切って優勝。ギシギシが半馬身差で2着。プリモパイソンがクビ差で3着。
 優勝したキモンルビー川崎スパーキングスプリントからの連勝で南関東重賞3勝目。ここは近況からキモンルビーとギシギシの争いになることが濃厚で,順当な結果。ギシギシがややロスのあるレースになったのに対し,こちらは先頭に立つまでは苦労がありましたが,その後は思い通りに走れましたので,その差が結果に表れたように思います。1000mまでがベストで,1200mでもやや長いというタイプの馬です。父はコパノリチャード。母の父はサウスヴィグラス
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は川崎スパーキングスプリント以来の南関東重賞64勝目。その後,ジャパンダートダービーを勝っています。第8回以来となる5年ぶりの習志野きらっとスプリント2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞29勝目。習志野きらっとスプリントは初勝利。

 新型コロナウイルスは,人間だけを宿主とするわけではないようです。ただ,人間を宿主としているということは間違いありません。したがって,自身のウイルスに感染することによって宿主たる人間が死んでしまうということは,ウイルスそのものの現実的本性actualis essentiaには合致していないことになります。したがって,もしも宿主たる人間に対して弱毒化するような変異を遂げることができるとすれば,実際にそうした変異を遂げることになるでしょう。他面からいえば,もしも自身の毒性が宿主たる人間に対して強力過ぎるのであれば,弱毒化するような傾向conatus自体を新型コロナウイルスは有しているので,その傾向に合致するような変異を遂げられる限り,その変異を遂げるわけです。
 もちろん,新型コロナウイルスに感染した人間の死亡率が減少したことには,その他にも諸々の要因があるのであって,新型コロナウイルスが人間に対して弱毒化したということだけをその原因causaとしてあげることができるわけではありません。ただその原因のひとつを構成しているのは間違いないと僕は考えています。そして新型コロナウイルスが,徐々に人間に対して弱毒化するような変異を重ねていき,弱毒化したウイルスが優勢になってくるということは,新型コロナウイルスそのものの現実的本性によって,それだけによって,説明することができる事象なのです。
                                   
 ただし,次の点には注意してください。ウイルスが有する現実的本性は,宿主に対して弱毒化するということだけではありませんでした。感染力を強化するということも,ウイルスの現実的本性に合致するのです。したがって,ウイルスにとって最も好ましいのは,感染力がきわめて強くなった上で,毒性がきわめて弱くなるということです。毒性が弱まれば宿主は感染したということにすら気付かないでしょうから,それは感染症とすらいわれることはなくなるでしょう。この場合には宿主はそのウイルスに対抗する必要はありませんから,他面からいえば宿主がウイルスを除去することが宿主の現実的本性に含まれなくなるのですから,この面からウイルスが自己の有に固執するperseverareことを阻害するような要因を排除することができるからです。
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不死鳥杯&感染力

2023-07-25 18:58:04 | 競輪
 福井記念の決勝。並びは藤井‐脇本‐鷲田の近畿①に河野が番手戦,古性‐稲毛の近畿②,清水‐柏野の中国で佐藤は単騎。
 古性が前受け。3番手に佐藤,4番手に清水,6番手に藤井で周回。残り2周のホームからまず清水が動き,ホームの出口で古性を叩きました。これをさらに叩きにいったのが藤井。このときは河野が番手に続いていました。清水を叩いた藤井はバックで脇本が追い上げてくるのを待ち,河野の外まで脇本が追い付いてくると発進して打鐘。しかし番手は河野があっさりと奪いました。脇本はその後ろに入ろうとしましたが,清水が譲らず競りに。ホームからまた追い上げに行きましたが併走していた清水に合わされ,脚を使うところがないまま脇本は不発に。発進した清水がバックの入口で藤井を捲り切ると,後方から古性の捲り。この捲りに続いたのは佐藤。柏野の牽制を乗り越えた古性が清水を捲り切って優勝。佐藤は古性よりも激しく柏野に牽制されたので古性との差は開いてしまいましたが,柏野には競り勝って2車身差の2着。清水が半車身差の3着で柏野が8分の1車輪差で4着。
 優勝した大阪の古性優作選手は前々回出走の前橋記念以来の優勝で記念競輪8勝目。福井記念は一昨年も優勝していて2年ぶりの2勝目。このレースは脚力で上位の脇本と古性が連携せず,なおかつ脇本が番手戦を選びその番手が競りになりましたので,まず脇本がどのようなレースをするのかということが注目点。競らないで位置を下げて捲った方が,脇本自身が勝つためにはよかったでしょうが,番手戦を選択した以上は今日のようなレースをするというのもひとつの選択肢としてあり得ると思いました。やはり脇本は現状はだれかの後ろを回るよりも,自力を出した方がよいということでしょう。脇本が不発なら古性の優勝は当然の結果だと思いますし,脇本が不発ということも十分に考えられるレースでしたから,上位がこのようなメンバーで決着も順当なもののひとつだと思います。

 ウイルスがどのような変異を遂げるのかということは,ウイルスと宿主との関係だけで説明することができるわけではありません。宿主に対して弱毒化するような変異が,すべてのウイルスにとって可能なことであるとは断定することができないからです。
                                   
 もうひとつ,第三部定理七に注目する場合は,次の観点も見落とすことはできません。
 ウイルスの現実的本性actualem essentiamは自己の有に固執するsuo esse perseverareのですから,宿主から宿主へと感染していくことで自己の有を維持することが可能になる,他面からいえばこれ以外の方法では自己の有を維持していくことができないウイルスにとって好ましい変異がもうひとつあることになります。それは,宿主から宿主へと感染するpotentiaがより大きくなっていくという変異です。要するに,宿主から別の宿主へと感染していく力が大きければ大きいほど,そのウイルスはより自己の有に固執していることになりますから,このような変異を遂げることは,ウイルスの現実的本性に適合していることになります。よって,もしもこのような変異をウイルスが遂げることができるとすれば,この変異を遂げたウイルスは,変異を遂げる以前のウイルスを駆逐していくことになります。このことはそれ自体で明白だといえますから,これ以上の説明は不要でしょう。
 したがって,人間だけを宿主とするXというウイルスにとって,好ましい変異,これはXの現実的本性に適合する変異という意味ですが,その変異は二種類あることになります。ひとつが人間に対してより弱毒化するということで,もうひとつが現実的に存在する人間から現実的に存在する別の人間へとXが感染していく力を強くしていくことです。Xが必ずそのような変異を遂げることができるとは限りませんから,これはXの現実的本性に適合するXの変異がどのようなものであるのかということを示すだけであって,Xが現実的に存在すればXは必ずそのように変異するということを意味するわけではありません。しかし,Xはもしも変異するならばこのような変異を遂げていくという傾向を有するconariのはXの現実的本性そのものですから,これに逆行するような変異をXは遂げません。
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印象的な将棋⑲-4&ウイルスと宿主

2023-07-24 19:29:56 | ポカと妙手etc
 ⑲-3で示したように,⑲-2の第2図で☖4六歩と指した場合に,☗4四角と打っていくのは先手の負けです。もうひとつの手段である☗3一角をみていきます。この変化が先手にとっては本命で,かつ変化手順が複雑ですので,これは何回かに分けて検討します。
                                         
 この手も詰めろですので受ける一手。☗4四角と同様に☖6四角と打って受けたとします。
 この場合は☗5三金が成立します。今度は☖5一王に対して☗4二角成と王手することができ,☖6一王に☗6三金と銀を取れるからです。
                                         
 第2図は詰めろの上に角取りになっていますから先手の勝ちです。なので後手は☗3一角に対しては別の手段が要求されます。

 このことから理解できるのは,ウイルスは現実的に存在するためには宿主が現実的に存在することを必要とするということです。この場合でいえば,XはX自身が現実的に存在し,かつその現実的存在を継続していくために,宿主である人間が現実的に存在することを必要とするということです。したがって,第三部定理七にあるように,Xが自己の有に固執するin suo esse perseverareことがXの現実的本性actualem essentiamであることのうちに,Xは宿主である人間の現実的有に固執するということが含まれていなければなりません。あるいは,人間の現実的有に固執するということがXの現実的本性そのもののうちに含まれるのではないとしても,Xの現実的本性から帰結する特質proprietasのうちには含まれていなければなりません。
 したがって,もしもXが自己の力potentia,これは人間に対する毒性という力のことですが,こうしたことによって人間の現実的有を消滅させてしまうなら,いい換えればXに感染することによって人間が死んでしまうのであれば,それはXの現実的本性には適合しないのです。適合しないというよりも,Xの現実的本性に反するといっていいでしょう。宿主である人間の死は,Xにとっては自己の有の持続duratioの停止を意味するからです。よって,Xが人間に対して強毒性を発揮することは,人間にとって好ましくないことであるのと同時に,Xにとっても好ましくないことなのです。よって,Xは何らかの仕方で変異することによって,人間に対しては弱毒化するようになるのであれば,そうした変異をしたXは,変異をしていないXよりも,自己の有に固執していることになります。ですからこのふたつを比較したら,変異をしたXの方が,変異をしていないXよりも,優勢になってくるでしょう。これは,自己の有に固執する力が大きいものの方が,その力が小さいものよりもより自己の有を維持することができるのでなければならないということから明白であるといえます。
 ここで示した例はごく単純なものであって,ウイルスとそのウイルスの宿主との関係は,このことだけで説明することができるわけではありません。しかし第三部定理七は,現実的に存在する個物res singularisの基本的な原理です。
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オルデンブルクの役回り&ウイルス

2023-07-23 19:39:32 | 哲学
 書簡三十三におけるオルデンブルクの質問に不自然なところがあるというためには,オルデンブルクHeinrich Ordenburgがスピノザはユダヤ人であるということを知っていて,かつユダヤ教から破門された,あるいは同じことを意味しますが,アムステルダムAmsterdamのユダヤ人共同体から追放された人物であるということを知っていたということを確定させなければなりません。これはこれで重要なことなので,その事情を詳しく検討していきます。
                                        
 オルデンブルクは1660年にイギリスの王立協会の秘書官に選出されています。秘書官というところには意味があるのであって,オルデンブルクは会員となるような卓見,これは自然科学的な卓見や哲学あるいは神学に関する卓見も含みますが,そうしたものがあったとは必ずしもいえません。他面からいえば,学者として有能であるから王立協会の一員となれたわけではないのです。秘書官というのは会員の秘書という役回りであって,その仕事は主にふたつあったと僕はみています。
 ひとつは情報の収集です。当時は現在のように手軽に移動ができるわけではありません。イギリスは島国ですから,他のヨーロッパ諸国の状況,これは科学や哲学あるいは神学の発展と同時に,政治状況なども意味しますが,そうしたことを現在ほど簡単に知ることができたわけではありません。このためにその情報を収集するということはとても重要であって,王立協会にあってオルデンブルクはそうした役回りを担っていました。このことは一般的に知られていることで,オルデンブルクについての説明には大抵は含まれています。
 もうひとつ,通訳あるいは翻訳者としての役割もあったと僕はみています。これはあまりいわれていることではなく,僕の仮説にすぎないともいえるのですが,少なくとも,英語はまったく理解することができなかったスピノザと,おそらくラテン語を得意としてはいなかったロバート・ボイルRobert Boyleとの間で書簡上の議論が行われたのは,翻訳者としてのオルデンブルクが介在したからだというのは確かだと僕には思えます。たぶんこうした役回りを,ボイルとスピノザの間だけでなく,オルデンブルクは担っていたと僕は推定しています。
 オルデンブルクはこうした役職の人物として,スピノザと会見したのです。

 これは新型コロナウイルスがということではなく,一般にウイルスが宿主に対して弱毒化する変異を遂げていくということは,ウイルスの現実的本性actualis essentiaから説明することができます。
 まず,ウイルスが生物であるかどうかということについては,識者の間でも見解に相違があるようです。つまりウイルスには生物らしいところもあるけれども,生物とはいえないところもあるのです。何を生物というのかということを厳密に定義するなら,僕はウイルスを生物というのには無理があるという見解opinioをもっています。ただしこの点について争おうという気は僕にはいっかなありません。ウイルスの本性,これはウイルスが現実的に存在する場合の本性ですから現実的本性ということになりますが,一般に現実的に存在する個物res singularisの本性を示した第三部定理七は,別に生物にだけ固有の本性であるというわけではなく,現実的に存在するすべての個物に,いい換えれば生物であろうと生物ではなかろうと同様に成立します。この定理Propositioは,現実的に存在する個物は自己の有に固執するsuo esse perseverare conaturといっていますが,それは生物であるから固執するというわけではなく,たとえ生物ではないとしても,自己の有に固執するのです。よってウイルスというものを仮に生物であると考えようと,僕のように生物ではないと考えるのであろうと,第三部定理七は適用されることになります。
 ここでは分かりやすくするために,Xというウイルスがあって,このXは人間にだけ宿ると限定します。ウイルスは自己の力potentiaだけでは増殖することができず,宿主を介して別の宿主に感染することで増殖していきます。Xというウイルスの宿主が人間に限定されるということは,Xは人間から人間に感染してくことでのみ増殖することができるという意味です。したがってこのウイルスは,自身が存在existentiaを持続していくためには,これはいい換えれば自己の有を維持してくためにはということですが,人間が現実的に存在するということを必要条件とします。他面からいえば,もしも人間が現実的に存在しないならば,あるいは人間が現実的に存在することをやめるとすれば,Xも現実的に存在することはできませんし,現実的に存在することをやめます。
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続・谷津の雑感②&要因

2023-07-22 19:21:20 | NOAH
 でいったように,谷津がキラー・カーンと同居するようになったのは1980年11月後半のことでした。このとき谷津はすでにデビュー戦が決まっていました。それが12月30日のMSGの大会です。MSGは当時のWWFの最大の会場です。しかもこの試合は,1981年の元日にテレビ朝日で録画放送されることも決定していました。デビュー戦がMSGという大会場で,なおかつそれが日本で放映されるのですから,谷津は新日本プロレスのレスラーとしては異例といえるような特別待遇を受けていたことになります。
 谷津はこの年の10月に会場で挨拶をしたばかりですから,実際にはプロレスの動きというのはほとんどできない状態でした。カーンはこのことを心配して,いろいろなプロレスのアクションをデビュー前の谷津に教えてくれたそうです。とはいえ,同居し始めたのが11月後半で,試合が12月30日ですから,教えるにも限界はあったものと思われます。このために,この動きをリング上でぶっつけ本番でやるのは困難なので,実際にはMSGの大会の前に3試合か4試合はやっていたと言っています。つまり,日本でデビュー戦として紹介された試合は,谷津のデビュー戦ではなかったそうです。相手はカルロス・ホセ・エストラーダという選手で,デビュー前の試合もいずれもこの選手とのシングルマッチだったようです。エストラーダはとてもうまい選手だったので,何とかプロレスの試合としての形にしてもらったと言っています。こういう選手がデビュー戦の相手だったのは,谷津にとってはとても幸運であったといえそうです。
 ここまで特別待遇を受けたのですが,帰国初戦で谷津は血祭りにあげられます。これは1981年6月24日の蔵前国技館での有名な試合。谷津が猪木と組んで,不沈艦黒い呪術師のチームと戦った試合です。とはいえ日本でのデビュー戦でこれだけのカードが用意されていたわけですから,特別待遇であったことは間違いないと僕は思います。契約金が1500万円だったそうで,当時の1500万円は今の1500万円とは価値が違います。それだけ谷津は新日本プロレスに期待されていたのです。 

 5人の職員と5人の利用者が新型コロナウイルスに感染したわけですから,これもクラスターであったといっていいでしょう。ただ,7月にクラスターが発生したときのように,長期間にわたって妹がグループホームに待機することにならなかったのは,あるいはもしそうであったとしたら,通所施設が閉鎖とならなかったのは,それ以上の広がりが見られなかったからだと思います。よってこれは通所施設で発生した2度目のクラスターといえるのですが,その規模としては1回目よりも小さいものであったといえます。
 前回のクラスターのときは,グループホームからも感染者が出ましたから,妹も保健所での検査を受けたのです。今回はその報告を受けていませんから,妹は検査は受けていないと思います。また,通所施設の利用者の全員が3日間で検査を受けてその結果が出たというようには思えませんから,それもなかったのではないかと推測されます。もちろん何らかの症状があった人は検査を受けて,その中には陰性者がいたというケースはあり得たと思いますが,1回目のときほど大規模な検査が行われなかったということは確かだと思います。これは,現状の新型コロナウイルスに対して,1回目のときのような対応は,大袈裟すぎるという面があったからではないでしょうか。
                                   
 新型コロナウイルスは,発生の当初と比較すれば,重症化したりその結果として死亡したりするという割合が減少しました。これは主に3つの要因が考えられます。ひとつは,新型コロナウイルスを発症した患者に対してどのような対処をするべきなのかということが,時間を経ることによって分かってきたということです。もうひとつは,ワクチンの接種などの影響で,新型コロナウイルスに対する一定程度の免疫を有する人が増えてきたという点です。これらふたつの点は人間に関する点です。さらにこれとは別に,新型コロナウイルスそのものに関連する点があります。それは,新型コロナウイルスが変異を重ねていくことによって,人間に対してあるいはこれは人間だけでなく,ウイルスの宿主に対してというべきかもしれませんが、宿主に対して弱毒化したウイルスが優勢になってきたという点です。
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先生の罪&感染者発生

2023-07-21 19:39:00 | 歌・小説
 先生が天罰というとき,それをKと絡めずに解することは僕には難しく思えます。しかしKと絡めると,子どもができないということだけが天罰の意味であるというのも無理があるように思えます。なぜなら,もしも子どもができないことが天罰であるとするなら,Kはお嬢さん,これは後の先生の奥さんのことですが,Kはお嬢さんとの間の子どもを欲しがっていたというべきだと僕には思えるのですが,そのようなことを示すテクストはどこにもないからです。このゆえに,先生と奥さんとの間には,子どもを産むために性的交渉そのものがなかったという読解にも,理があるといえるのです。
                                         
 まず,先生が天罰ということの意味をどのように解しているかということのヒントになる部分を考察します。
 第一に,Kがお嬢さんを好きだということを先生は知っていました。これはK自身が先生に告白しているのですから,疑い得ない事実としてそうであるといわなければなりません。
 第二に,Kはお嬢さんに対するKの恋を,先生が応援してくれると思っていた可能性が高いのですが,先生はそれについて否定的なことをKに告げます。このときにKの動揺が生じます。先生がKの恋を応援しなかったのは,自身もまたお嬢さんに恋をしていたからですが,先生はKにそのことを告げていません。このことは先生に自身の罪を感じさせ得ますので,罪に応じた罰が与えられると先生が考えたとしても不思議ではありません。
 第三に,先生はKに抜け駆けするように,奥さん,つまりお嬢さんの母親にお嬢さんとの結婚を申し込み,承諾されます。しかし先生はこのことをもKには話さず,奥さんの方からKへ伝えられます。この点でも先生は罪を感じて不思議ではありません。なおかつそのときにKは,私は金がないからお祝いをあげることができないと言ったのですが,これは端的にその結婚を祝えないという意味です。少なくとも先生はそう解したでしょう。つまり,先生と奥さんが結婚することをKは祝う気持ちにはなれないというように先生は解していたことになります。ですからなおのこと先生の罪悪感は強くなったと思われます。
 これらが先生が感じるであろう罪であって,天罰はこうした罪に与えられることになると先生は考えていたと想定されます。

 11月26日,土曜日。10日の届いた妹の受給者証の更新のお知らせについては,この日までに必要な書類をすべて集め,申請書を郵送しました。
 午後8時5分にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知です。
 11月27日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時の開始でした。
 11月28日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 12月2日,金曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。
 12月3日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。このためにこの週は妹を迎えに行っていません。なので前日は総講に行くことができたのでした。厳密にいえば,妹を迎えに行くために家を出なければならないのは午後2時で,午前10時半からの総講はどんなに遅くとも午後1時半には帰宅することができます。ですから総講に行った後で妹を迎えに行くということは,やってやれないことではありません。ただ,妹を家に迎えるためにはそれなりの準備が必要で,僕は迎えに行く日の午前はそのために時間を費やします。なのでもしもその日に妹を迎えに行くのであれば,それが総講の該当日であっても僕は総講に行くということはしません。この日の土曜レクリエーションは,クリスマスの創作活動をしたとのことですが,具体的に何を創作したのかということまでは分かりません。
 12月9日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。これはこのときに知らされたことですが,12月6日の火曜日から8日の木曜日までは,妹は通所施設には出勤せず,グループホームで待機していたとのことでした。これは新型コロナウイルスの罹患者が,通所施設の方で発生したからです。帰宅した後,午後8時に,妹のグループホームの前任の担当者であったSさんから電話があり,新型コロナウイルスに罹患したのは職員が5人で利用者が5人だったとのことです。妹がグループホームに待機していた間,通所施設自体が閉鎖されていたのか,通所施設は閉鎖していたわけではないけれどもグループホームの利用者は自主的にグループホームに待機していたのかということまでは分かりませんでした。
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ヒューリック杯棋聖戦&妹のHbA1c

2023-07-20 19:03:40 | 将棋
 18日に岩室温泉で指された第94期棋聖戦五番勝負第四局。
 佐々木大地七段の先手で相掛り。終盤まで白熱した戦いになりました。
                                        
 後手の藤井聡太王位が歩を成った局面。☖2六香と飛車を取ることができたところですが,そう指すと☗5五桂☖5四銀☗9二飛で負けとみての勝負手だったとのことです。
 実戦は第1図から☗5五桂☖5四銀☗3四香と攻めていったのですがそこで☖7八とと金を取って後手の勝ちになりました。勝負手が功を奏した形です。
 ☗3四香ではなく☗7三香と打つ手があり,これは先手の勝ちでした。
                                        
 変化手順の一例は以下の通り。☖7八とも☖2六香も先手玉への詰めろにならないというのが重要です。
 第2図は☗7三同桂と取る一手。そこで空いた空間に☗8一角と打ちます。これにも☖7一香と受けるのですがまた☗7二角成☖同香で空間を作り☗7一飛と打ちます。ここまで来ると受け難いので☖7八とと取ることになりますが☗7二飛成☖6二桂に☗6三香と打っておきます。
                                        
 後手は先手玉を詰ますほかなくなりました。☖6八と☗同玉に☖9五角と打ち☗7七香☖同角成☗同玉に☖5九角が最もきわどく迫る手順。しかし☗8七玉で詰みません。
                                        
 変化の一例ではありますが,先手に勝ちがあったのは確かでした。
                                         
 3勝1敗で藤井棋聖が防衛。第91期,92期,93期に続く四連覇で4期目の棋聖です。

 午後は妹の歯科検診でした。このためにこの週は前日に妹を迎えに行っておいたのです。
 この日はクリーニングをした後に,薬品を塗布しました。これは,歯周病が進行していたためです。また,次回の検診のときに,嚙み合わせを矯正するために,被せ物を削るかもしれないとのことでした。そのための準備として,検診の終了後に2階でレントゲンの撮影をしました。
 11月21日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 11月24日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この週も木曜に迎えに行ったのは,翌日が本牧脳神経外科の通院となっていたためです。
 11月25日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院でした。前回の通院のときに血液検査をしましたので,その結果が出ていました。
 この血液検査で異常が出ていたのはHbA1cです。3.8%と,下限値の4.6%を大きく下回っていました。実は先日送付された健康診断の結果でも,HbA1cは4.0%でした。これでみればやはり下限値を下回っているのですが,その健康診断ではこれは異常とされていませんでした。というのは,この健康診断では上限値が5.5%とされていて,それを下回っていれば問題なしということになっていたからです。一般にHbA1cの上限値は6.2%であって,これは本牧脳神経外科でも僕が通っているみなと赤十字病院でも同様です。なので5.5%という数値が何を意味するのかは不明です。もしもこれが現在の世界規準ではなく,かつての日本規準を意味するのであれば,その分だけHbA1cも下がる筈ですが,この数値が健康診断でも本牧脳神経外科での数値も同じですから,たぶんそのようなことはないだろうと思われます。ですから数値の意味は不明確ですが,健康診断では糖尿病の有無を検査しているので,ある数値を下回ってさえいれば,それがどんなに下回っていても構わないということで,だから異常とはされていないのだと思われます。
 HbA1cが低いのは血糖値が低いからです。食事を摂取しても血糖値がそれほど高くならないので平均的に低くなるか,そうでなければ低血糖を発症していることが多いから低くなるかのどちらかです。
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プラチナカップ&2022年11月の通院

2023-07-19 19:13:02 | 地方競馬
 第6回プラチナカップ。御神本騎手が負傷したためベストマッチョは和田譲治騎手に変更。
 ベストマッチョが外を窺いながらの逃げ。2番手にエンテレケイア。3番手をアマネラクーンとサヨノグローリーとテーオーマルクス。2馬身差でコパシーナとタツノエクスプレス。最後尾にスウィングビートで発馬後のコーナーを通過。向正面に入って,ベストマッチョとエンテレケイア,さらにサヨノグローリーが雁行するような形になりましたが,3コーナーに向けてこの3頭はまたそれぞれ1馬身差くらいに。最初の600mは35秒4のハイペース。
 3コーナーを回ると外からサヨノグローリーが単独の2番手に。エンテレケイアが3番手に後退し,その後ろからアマネラクーンが外を回って追い上げてきました。直線に入ると逃げるベストマッチョをサヨノグローリーが余裕をもって差し,そこに外からアマネラクーンの強襲。よく追い詰めましたが届かず,優勝はサヨノグローリー。アマネラクーンがアタマ差で2着。ベストマッチョが1馬身半差で3着。
 優勝したサヨノグローリーは南関東重賞初制覇。このレースは少頭数の上,わりと力関係も明確で,順当に決着しそうでした。力量的には2着馬の方が上で,2キロの斤量差があっても勝っていなかったのですが,55キロと57キロの2キロ差と,56キロと58キロの2キロ差では,意味合いが違うのかもしれません。2着馬がいつになくもたついたのは,その斤量の影響があったのではないかと思います。父は2010年に中日新聞杯,2011年に京都記念と日経賞,2012年に日経新春杯と鳴尾記念を勝ったトゥザグローリー。その父がキングカメハメハで母がトゥザヴィクトリー。母の父は2004年にアーリントンカップとニュージーランドトロフィーと兵庫ゴールドトロフィー,2006年に日本テレビ盃,2007年に浦和記念を勝ったシーキングザダイヤでその母がシーキングザパール
 騎乗した船橋の澤田龍哉騎手は若潮スプリント以来の南関東重賞4勝目。プラチナカップは初勝利。管理している浦和の工藤伸輔調教師は開業から17年で南関東重賞初勝利。

 11月14日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時25分でした。
 中央検査室で採血を待っていたのは3人でした。なのでまず採尿をしてそれから注射針の処理を済ませました。しかしこの日は採血までの待ち時間がいつもよりも長めになりました。これは,順番を表示する機械が一時的に故障してしまったからでした。採血が終了した時点で,すでに午後2時20分になっていました。
 このことがどの程度まで影響したのかは不明ですが,診察の開始も遅れて午後4時でした。HbA1cは6.8%で,10月よりも上昇していました。もっとも,10月はこれが正常の範囲内と,Ⅰ型糖尿病である僕にとっては低すぎたといえますので,上昇するのは当然でした。まだ低血糖を発症することもありましたので,注射するインスリンの量を変更することはしませんでした。
 この日はふたつの異常が検出されていました。ひとつはアルブミンで,下限値である4.1g/㎗を下回る3.8g/㎗でした。アルブミンが下限値を下回ったのは,6月以来のことになります。もうひとつは中性脂肪で,こちらも下限値である50㎎/㎗を下回る,41㎎/㎗でした。中性脂肪に異常値が検出されたのも6月以来のことですが,そのときは上限値である149㎎/㎗を上回る181㎎/㎗でした。下限値を下回るという異常が出たのは2019年10月以来でしたから,およそ3年ぶりであったことになります。
                                        
 薬局に寄りましたが,この日は注射針が1袋足りていませんでした。これは僕の都合で,次回の通院までのの間隔がやや長くなってしまったためです。配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後5時10分でした。
 11月16日,水曜日。この日の夜に注射針が配達されました。
 11月17日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 11月18日,金曜日。午前中にО眼科に行って,妹の目薬を処方してもらいました。いつもは妹を迎えに行った帰りにО眼科に寄っていますが,このときにそうしなかったのは,木曜日はО眼科は休診となっているからです。目薬の処方は保険証があれば,妹がいなくても可能です。
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サマーナイトフェスティバル&お寺

2023-07-18 19:25:25 | 競輪
 函館競輪場で争われた昨晩の第19回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは佐々木‐平原‐神山の関東,脇本‐松浦‐山田の西日本で,新田と松井と山口は単騎。
 神山がスタートを取って佐々木の前受け。4番手に新田,5番手に松井,6番手に山口と単騎の3人を挟んで7番手から脇本の周回。残り2周のホームの出口まできてから脇本が発進。佐々木も踏み込んで打鐘から先行争い。神山と平原の車間が開いてしまったので苦労しましたが,脇本はホームの出口で佐々木を叩きました。山田が離れてしまい,松浦の後ろを松井が追走。出きった3人に対してバックから新田が捲っていったもののこれは不発。直線で脇本を差した松浦が優勝。脇本が半車身差の2着で西日本ラインのワンツー。このラインを追走した松井が4分の3車輪差で3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は小松島記念からの連続優勝。ビッグはウィナーズカップ以来の8勝目。サマーナイトフェスティバルは第17回18回に続く三連覇で3勝目。函館では一昨年のサマーナイトフェスティバルのほか,5月の記念競輪も勝っています。このレースは佐々木と脇本の自力対決ですから,よほどのことがない限りは脇本か松浦が勝つだろうと思っていました。脇本は簡単に差すことができる選手ではありませんが,松浦くらいのレベルにある選手が無風で番手を回れば,差し切るのは当然だと思います。山田が離れてしまったのですが,単騎の3人のうち追走になったのが松井だったのは,僕にはやや意外でした。

 お寺会堂ができたことによって,以前とは構造が変化していますから,この機会に改めて説明しておきましょう。
                                        
 会堂が新しく建った部分は,以前は木造でしたが現在は鉄筋コンクリートの2階建てになっています。会堂は2階にあります。階段もありますが,エレベーターも設置されています。
 この会堂の入口にあたる部分は,お寺の前の通り沿いになっています。この入口から入ることはもちろん可能ですが,僕はここからお寺の中に入るということはほとんどありません。もしもここから入ると,右側に受付があって,左が階段です。階段の横にエレベーターがあり,エレベーターの先にはトイレがあります。なお,トイレは2階にもあります。これらの向かい,つまりこの通路の右側は,台所があって,その横に食堂があります。食堂といっても食事をすることに限定された部分ではありません。たとえば彼岸会のときはこの部屋に塔婆がまとめて置かれますから,各自が自分の分をそこから取ります。これらの先は本堂に繋がっています。ただし本堂は建て直されていませんから木造です。
 僕は会堂の入口より道路をさらに先に進みます。ここは建て替えた鉄筋コンクリート製の部分が続いていて,最後に駐車場になります。この駐車場を通り抜けると,本堂の前の庭になります。この駐車場から庭に入ると,以前は石が敷き詰められていました。母の三回忌のときには妹がこの部分で躓いて膝をすりむいています。その後,この部分も本堂の入口まで,コンクリートで埋められました。
 僕はほぼこの本堂の入口の方からお寺に入ります。ここで靴を脱ぎますが,本堂は絨毯の上に椅子ですから,スリッパなどを履く必要はありません。僕はお寺に行ったときは会堂で墓参りをしますから,本堂で荷物を置き,必要なものを携えて本堂の左側の廊下から,前に説明した,会堂の入口の最も奥の部分,つまり新しい建物と以前からの建物の繋目の部分まで行きます。新しい建物は何も敷いていない床ですから,ここで備えつけのスリッパを履きます。したがって僕は本堂では何も履いていませんが,会堂ではスリッパを履いているということになります。
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農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&解体工事

2023-07-17 19:04:40 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第27回マーキュリーカップ
 まずノーブルサターンが前に出ましたが,外から追ってきたメイショウフンジンが抜いていき先頭に。発馬後の正面で外に出して鞭を入れながら追い上げてきたテリオスベルが,向正面の入口でメイショウフンジンの前に出て,ここからはテリオスベルの逃げ。控えたメイショウフンジンが2番手。3馬身差でヴァケーションとノーブルサターンとウィルソンテソーロ。2馬身差でバーデンヴァイラー。2馬身差でスズカゴウケツ。1馬身差でサンライズホープ。6馬身差でフレイムウィングス。ここからは大きく離されレールガン,サイファリス,サンライズハイアーの3頭。ミスティネイルはさらに大きく取り残されました。ミドルペース。
 テリオスベルは快調に逃げ,3コーナーでのリードは3馬身くらい。ここからメイショウフンジンとウィルソンテソーロが並んで差を詰めていきました。直線に入るとウィルソンテソーロが楽にテリオスベルを差し,そのまま抜け出して快勝。逃げ粘ったテリオスベルが4馬身差で2着。メイショウフンジンは差を詰めたものの4分の3馬身差の3着まで。
 優勝したウィルソンテソーロかきつばた記念からの連勝で重賞2勝目。今回は条件が大きく変わっていましたが,前走の1500mはそれまで走った最も短い距離でしたから,むしろ条件としては今日の方が向きそうに思えました。メンバーのレベルがそれほど高かったわけではありませんが,余裕を持っての楽勝ですから,もう少し上のレベルで戦うことができる馬かもしれません。父はキタサンブラック
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第15回,24回に続き3年ぶりのマーキュリーカップ3勝目。管理している小手川準調教師はマーキュリーカップ初勝利。

 11月12日,土曜日。この日は土曜レクリエーションでした。なのでこの週は妹を迎えに行きませんでした。隣家のSさんは10月23日に引っ越したのですが,この日から本格的に解体工事が始まりました。この解体工事はなかなか大変なものでした。というのは,家の前の路地というのがとても狭いものであったからです。
 以前にいったことがありますが,僕の小脳出血を起こすまでは運転をしていました。その当時は自家用車を家の前の駐車場に停めてありました。ただ,路地が狭かったので,この自家用車はずっと軽自動車でした。普通車は,入れて入れられないことはありませんが,路地に入るところでの切り返しがとても大変であったからです。
 この路地は隣家の方まで続いていて,さらにその奥にも民家が何軒かあるのですが,隣家の前からさらに細くなっていて,その先で左に分かれる道と直進する道とに分離します。隣家というのはこの分かれ道の角の所にあるのです。そしてそこまでいってしまうと,軽自動車も通ることができないほどの細い道になります。いい換えれば,実質的に自動車が入れるのは,僕の家の前までなのであって,そこから先には進むことはできません。そしてこの路地は,所有者も路地の対面に位置する家同士で,半分ずつ分有しています。僕の家の駐車場は僕が所有する土地の部分にありますが,路地全体が僕の土地ではありません。これは僕の家の近所の家ですべて同様になっているので,自由にその土地を使うというわけにはいきません。こうした事情でしたから,大型車が入ってくることはできません。よって,家を解体するということ自体はそこまで大変ではないとしても,解体することによって出る廃棄物を処理するということは簡単ではなかったのです。よって,路地の入口にトラックを停車させて,出た廃棄物を作業員が手でトラックまで運ぶという作業をしていました。このために,この解体工事は,終了するまでにだいぶ時間が掛かりました。
 11月13日,日曜日。総講に行きました。この日は住職が鹿児島に行っていたので不在でした。こうしたときは現時点でこのお寺を預かっている僧侶が読経することになります。
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