退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「天然資源より人が資源であることあるいは『手をかけて育てること』の楽しさ」について

2019-01-11 02:33:17 | Weblog
くもり。やや冷える。

ナオミ・クライン「これがすべてを変える 資本主義vs気候変動(下)」を読む。

「環境にやさしい億万長者」はいないこと。
「危険な結果」を省みない「地球工学」を信じる者が結構いること。

「抵抗地帯」ではいわゆる「普通の人々の連帯」があり
それが石油企業の「横暴」を抑えていることもあることなど。

タイトルの「これがすべてを変える」は
「気候変動の怖ろしさ」と「抵抗地帯のたくましさ」を意味する模様。

興味深かったのは「先住民の権利」が
「抵抗地帯の人々」の立場をまとめることになること。

そうかそれが「希望」か。

「戦い続けること」が「スタイル」になるのは美しい。
もちろんその分野を問わず。

こうした人々の間に「つながり」ができればさらに楽しそう。
大事なのは「持続可能」であることをあらためて。

それにしても石油企業や億万長者あるいはある種の科学者たちが
ちょいと「調子に乗り過ぎ」なのは事実。

「貨幣でしか量れない豊かさ」を維持したいために
どれだけ「素敵なもの」が犠牲になっていることか。

どのような「消費」をするかが案外肝心だったりもして。
ここでも「好ましいもの」にお金をかけたいもの。

「鶴瓶の家族に乾杯」で生田斗真がゲストの栃木は那須塩原の回の再放送を観る。

「ショーゾーさん」という魅力的な人物を中心に
活気に満ち溢れている空間が生まれているのにふむふむ。

「ハブになる人物」がいることの重要さをあらためて。
「資源」はそもそも人なんだということを知っておきたい。

「何もない場所」をあらたに「街」にすること。
お手軽に都会にそれを求めるよりずっと楽しいはずなのでよろしく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「気候変動と壁の建設あるいは検察の圧倒的な劣化」について

2019-01-10 01:30:13 | Weblog
晴れ。風強く冷える。

ナオミ・クライン「これがすべてを変える 資本主義vs気候変動(上)」を読む。

すでに「ティッピング・ポイント=急激に変化する時点」を超えているかもしれない一方
「既得権益」を手放したくない大企業は金をかけまくる反論の嵐で煙に巻き。

「敵を変える」はずだった環境団体はその意見を翻すことに。
「豊かさ」とはほど遠い生活をする国では常に「それどころではない」。

「人類の結末」を仄めかすためにわざわざ「ナウル島」を持ち出さずとも
中学の教科書に載っている「イースター島」で十分だと思いつつ。

今のところ「これがすべてを変える」とはとても思えない感じだけれど
明日読む下巻でどうなるのかが気になるところ。

かつて「ツバル」について書いた神保哲生に「現状報告」をお願いしたいもの。
かの国はさらにひどいことになっていると思われるのだが。

こんなものがあったので載せておく。

それとは別に。

トランプがTVで国民に「壁の建設」を訴えたのだけれど。

「万里の長城」を思い出せば「壁」には必ず「抜け穴」が出来る。
あるいは「ベルリンの壁」を思い出しても結構。

「鉄板の支持層」が40%弱あるとしてそれは実現に至るのだろうか。
今後の展開が気になる次第。

日産元会長のカルロス・ゴーンについて
マスメディアは昨日大騒ぎしたものの今日は音も無し。

「有罪を信じる社員」は「これ以上恥を晒すな」などと。
本当に有罪であるかどうかの「チェック」のないままに。

「冤罪」を繰り返し続けてきた検察を無意味に信じられる方が不思議。
その反省もなく今回もまたというのが「本当」じゃないのか。

それにしても。

「確実に有罪に出来る」と判断した根拠の「不確かさ」を思えば
実は「どうしようもない劣化」がそこに見えてくる。

フランス政府にはこれをいい機会に
わが国の「中世並み」の「人質司法」をぶち壊していただきたい。

「外圧」でしか動けないわが国の「事情」ゆえ。
何とも情けないことではあるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「残念な数学の利用あるいは『世界』に触れることの大切さ」について

2019-01-09 01:28:15 | Weblog
晴れ。寒さはそれほどでもなく。

クリストファー・G・ブリントン&ムン・チャン「パワー・オブ・ネットワーク」を読む。

副題に「人々をつなぎ社会を動かす6つの法則」。
敢えてそれらについては書かない。

興味深かったのはグーグルのランキングの説明。
もちろん複雑な数式は抜きの上でのそれ。

関連度と重要度を数値化して可視化し方程式を作ってランクづけするとのこと。
そうした「評価基準」を作ってしまった者の「勝ち」ということか。

効果の不明だった広告についても同じこと。
知らぬ間に「好み」を把握されピンポイントで出されその結果もわかり。

どこか少し前の「金融工学」に似ているような。

どうにも数学が不健全な使われ方をしているとしか思えず。
もっとさまざまな「問題の解決のため」に使われることはないのだろうか。

深夜「激白! 西野朗×岡田武史」の再放送を観る。

堂安、南野、中島、富安といった若手たちを見ていると
以前よりは「世界」に近づいてきたことを感じられなくもない。

基本はおそらく「キープ力」だろう。
自分がボールを持った時にどれだけ余裕があるかどうか。

正確なトラップとキック。
やはりそこに戻るのではないか。

それを支える身体の強さも。
元々テクニックはそこそこあるのだから。

日本代表が全員海外でプレーしている選手であるくらいでないと。
もう少し時間が経てばそんな「現実」も可能になるはず。

それにしても。

スポーツでは「世界レベル」が次々と輩出されるのに
それ以外ではそうでもないのはなぜか。

実に単純な話で「世界との接触」がないから。
曰く「島国」であろうとなかろうと「世界の現実」に触れることが重要。

さらに言えばそれは「国内」においても同様だったり。
ここでも「すぐれたもの=いいもの」に触れることが肝心。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「遅れ馳せながらの『発見』」について

2019-01-08 03:30:30 | Weblog
深夜久方ぶりのyoutube。

「スー女」つながりで今頃になって浜田真理子を知る。

素敵な音色を奏でるピアノと少し中島みゆきを思わせるうなりなど。
「情熱大陸」に15年前に出ていたらしい。

わが国のさまざまな名曲を採り上げている一方で
ジェフ・バックリーの「ハレルヤ」があるのにふむふむ。

オリジナルのハイトーンボイスによる「天上感」とは異なり
いささか「地上の天国」を思わせる歌唱ぶり。

遅れ馳せながら彼女をもっと聴いていただきたいと思うことしきり。
詳細はyoutubeを検索していただきたい。

それが言いたくてついつい。

岡林信康オリジナルの「君に捧げるラブソング」をとりあえず。

綺麗な音と綺麗な声。
しばし浸っていただいて結構。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スー女の情熱あるいは身近な女子の『たくましさ』」について

2019-01-08 02:40:56 | Weblog
晴れ。雲がやや多く。

和田静香「スー女のみかた」を読む。

相撲にはさほど興味がなかったけれど
なるほどこのように面白いと感じるのねといった印象。

当時「どん底」にいた著者はTVでたまたま朝青龍を目にして
「動く仁王様みたい」といきなりハートをつかまれた模様。

そこから本場所や朝稽古、アマチュア相撲を観に行くまで一気に駆け上がり
やがては自らが女相撲大会に参加することにも。

この「燃え上がり方」は何とも凄まじいけれど
女子には「よくあること」だったり。

その一方で相撲界の「人種差別」には敏感に反応していて
「そんな風になっていたのか」と思わされることしきり。

「相撲道」というのにも眉に唾をつけていて
「エンターテインメントでいいじゃない」という意見のよう。

相撲の技については案外よく知らなかったりするものの
「ミーハーでいいじゃない」とここでも。

とりあえず著者の「圧倒的な情熱」にグイグイ引っ張られて
気が付いたら結構な厚さをあっという間に読み終えた感じ。

「ジェットコースター・ムービー」というのがかつてあったけれど
このタイプの「ジェットコースター・ブック」は初めてかも。

いやはや大いに楽しませて頂きました(「女子の生態」についても)。

それとは別に。

仕事場で何気なく話をしていたら「骨格見本」の彼女が
「お正月に一度におもちを十個食べました」という。

当人は「もう少し太りたい」と言っているのでそのせいもあるだろうが
雑煮のもち三個で「少し多いな」と思うこちらからすると「驚異」でしかない。

彼女の体内には「さなだくん」でもいるのだろうか。
ある種の女子には「うらやましいこと」でもあるのだろう。

「すごいね」という別の女子は上司の買ってきたチョコとせんべいをボリボリ。
その食べっぷりもなかなか(彼女も痩せ型)。

その後「ラーメンを食べに行きます」と。
それでも彼女の母親は「以前より食べなくなった」と言っているとのこと。

結局「体質」が大きいのか。
あるいは「若さ」のせいか。

いずれにせよ元気いっぱいなのは結構。
いかにも「たくましい」のも同様に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゲームとポルノへの中毒あるいはオジサンのふむふむと確かな『批評』」について

2019-01-07 02:12:06 | Weblog
くもりときどき晴れ。日が暮れると風が冷たい。

フィリップ・ジンバルドー&ニキータ・クーロン「男子劣化社会」を読む。

ゲームへの中毒とポルノの見すぎで男子は「劣化」しているとのこと。
わかりやすいだけにいささか眉唾ではある。

ただし後者については案外説得力がありそう。
「子ども」のうちにポルノに「教育」されるから。

先日観たTV番組でAV男優のしみけんも言っていたのだけれど
「AV=ファンタジー」ということがわからないまま見られているのがマズイと。

それを「基本」とすると「リアルな存在」を「つまらないもの」だと判断することに。
お決まりの「めんどくせー」がここでも顔を出し。

「自分の好きにすることを最優先にすること」の結果。
「現実」を「つまらないもの」にしてしまう仕組みがここに。

もっと異なる「楽しいゲーム」を作り出すことは「大人」には可能なはず。
あるいは「ポルノの弊害」について語ることも含めて。

むしろ「好ましいセックス」をわからせる映像があればいいかも。
心ある者にはそれを是非と思うのみ。

その基本は「キャッチボールの出来るコミュニケ-ション」。
「対話が可能な相手」でありたいもの。

この点においては老若男女を問わないことも忘れずに。

マル激を観る。

今回は「平成の終わり」についてで自動的に「昭和の振り返り」にもなり。
オジサンたちの「ふむふむ」が横溢する。

自分もオジサンなので理解できるけれど若者たちはどう思うのかと。
敢えてそこを問題にしたいところ。

とりあえず「小さなことからコツコツと」という西川きよしが「正しい」らしい。
藻谷浩介の紹介をさらに参考にすべきか。

深夜「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春SP」の再放送を観る。

「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
菅原道真の太宰府天満宮周辺をブラブラと。

タモリが鶴瓶を「人間性を売っている」というのに笑う。
この「批評の確かさ」こそを「基準」としたいもの。

これで通じる相手ならお話しましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「手紙から再構成された人生とよくある仕事の話あるいは『圧倒的に頼りない自分』が基本であること」について

2019-01-06 03:21:45 | Weblog
くもり。おだやか。

「鷗外歴史文學集 第十一巻」で「北条霞亭(下)」読了。

いろんな医者に診てもらいつつ病状は小康状態だったものの。
突然の悪化により亡くなった模様。

ただしその死因ははっきりとせず。
「脚気」だという見立てがあったのだけれど。

ほぼ「ベジタリアン」であった彼は塩分を控えてまで
自らの病気に対処していたというのに。

260通に及ぶ手紙を「時系列」に並べ直した挙句
さまざまな可能性を考慮し「ある人生の再現」を図った鷗外の情熱よ。

本シリーズもあとわずか。
明日また図書館であらたな一冊を借りてくる予定。

仕事終わりに若い女子の同僚の話に付き合う。

内容は「上司のダメさ」について。
年末からかなりストレスが溜まっていたよう。

ある時期以降それが異様に目立ってきたので大いに同意する。
要は「まともに仕事をしていない」ということ。

元々コミュニケーションに難のあるタイプで
それが現場にもかなり影響してきた次第。

「あんまりミスが多いので話の途中で席に戻っちゃいました」というのに笑う。
「上司のいない新年会」でも開いて彼女の憤懣を「癒す」べきか。

こちらもあれこれ相当キツイ助言をしたのだが「柳に風」。
もうひとりの若い女子も「どうしてわからないんでしょう」と言う。

彼女らに忠告しておく。
曰く「他人に自分と同じ『基準』を想定するのは無駄」と。

「自分なら舌を噛んで死んでるよ」と笑わせて。
「見たいものしか見ないこと」は同時に「見えないものは決して見えないこと」でもある。

「もって他山の石とすべし」とのみ。

それとは別に。

ある種の人々は「めんどくさいもの」はすべて「排除」する。
「現実」を自分の都合よく変えてしまう。

そうした「作業」に慣れてしまうと
ただでさえそのようにしがちな「貧弱な脳による惰性」を変えようがなくなり。

自らが「厄介な存在」であることを忘れ
すべての「原因」を「自分以外のもの」に求めることになり。

かくして「学習能力」が失われ。
「惰性に縛られた自動機械」になるという仕組みにご用心。

自分の判断能力などたかが知れている事実が身に沁みるためには
やはり「素敵なもの」に触れることしかない。

ただし「何が素敵なのか」についても自分の判断に頼るしかないので
それがうまくいくかどうかは残念ながら不明。

繰り返すができれば楽しく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「本の終わりと人物の終わりあるいは父のバッタもんのスーツと監督の変遷」について

2019-01-05 02:23:38 | Weblog
快晴。あたたかい。

「鷗外歴史文學集 第十一巻」で「北条霞亭(下)」を読み進める。

ようやく終わりが見えてきた次第。
霞亭の病状についての記述が増える。

「最後の一年」であるせい。
その時期を知っている者としては何とも微妙。

明日読了予定。

そういえば仕事初めだけれど
これといって新しいこともないままに淡々とこなすのみ。

父親のスーツが保管されていたのを母親が思い出して着ることに。
サイズはぴったりだがさすがに「昭和な雰囲気」が濃厚。

何しろズボンの太いこと。
青山やAOKIのそれと比べると生地はやや厚い模様。

スーツの首のところを何気なく見ると「DARBAN」の文字が。
当時アラン・ドロンがCMで言っていた台詞を思い出す。

「D'urban, c'est l'élégance de l'homme moderne」
曰く「ダーバン、それは現代の男のエレガンス」。

どうやらその「バッタもん」か、うはは。
しばらくそのまま着て行くつもり。

深夜「X-men2」(’03)をTVでちょいと観る。

もう16年前になるのか。
これまた当時はちょいと物足りなく思ったものの。

今となっては懐かしい限り。
本作を撮ったのはブライアン・シンガーで「ボヘミアン・ラプソディー」も。

とりあえず「Mamma mia=オー・マイ・ガーッ」と言っておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大型商業施設の『視察』と子どもという『怪物』を引き受ける映画」について

2019-01-04 01:00:21 | Weblog
『晴れ。風が冷たい。

近所に出来たららぽーとの視察へ。

やたら広いので「散歩」にはいいかも。
ただしそこに魅力があるのかというと微妙。

そばにある蔦屋書店も同様に。
広い割りに置いてある新書の数も少なく本を探しにくい感じ。

それが「意図」なのだと言われればそれまでだけれど
個人的には「求めるもの」にすぐ辿り着きたいので。

その後シネコンで中島哲也「来る」を観る。

「共同脚本」がうまく作用していない印象。
「別々のお話」を強引にまとめたような。

全体としては「告白」(’10)「パコと魔法の絵本」(’08)の監督の作品だなと。

「ホラー作品の陰」には常に「現実の酷さ」があり。
昔から同じであることを確認する。

「イクメンパパ=理想」を演じるブログにしか興味のない夫と
「どうしようもない母親」に育てられた過去ゆえ「子育て」に苦しむ妻。

「しあわせ」の背後にある「現実」に「あれ」がそれぞれの「弱味」につけこみ。
彼らを助けようとする人々についても同じことが起きて。

「怪物」である「あれ」を「受け入れる」かたちでお祓い。
人々の声を自在に操る業に翻弄されつつ。

「痛みこそが現実」だという描写はほぼ「リストカットの世界」ではないのか。

スターウォーズ風に言えば「暗黒面」の世界。
そのまとめは相当に強引であることは確か。

「子どもであることの『厄介さ』」をもたらしたのは「大人たち」であり
それを引き受けるしかないというのが「結論」か。』で寝る。

久方ぶりに自転車で走り回ったせいだろう。
もっとも筋肉痛はなかったのだけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「候文になれることと『アラカン』の笑いあるいはちょいと気になる映画」について

2019-01-03 01:39:19 | Weblog
晴れ。陽が落ちると冷える。

「鷗外歴史文學集 第十一巻」で「北条霞亭(下)」を読み進める。

今日はいい感じ。
「不惑」を超えてようやく召し抱えられることになるところまで。

華岡青洲との絡みもあり。
有吉佐和子の原作も増村保造の映画も知っておきたいもの。

「候文」にだいぶ慣れた模様。
現代語同様のスピードで読める部分も増えてきて。

惜しむらくは鷗外と違って漢籍の知識があまりなく
「故事」を引いているあたりの理解に乏しいことか。

帰宅後「とんねるずのスポーツ王は俺だ 20」をダラダラと観る。

テニスはダニエル太郎の「KY」な感じが面白く。
卓球では石川佳純がキレイになっていることにふむふむ。

「リアル野球BAN」ではあまりの「打たれぶり」に「反則」が登場。
ゴルフは残念ながら「奇跡」は起きず。

「PK対決」における長谷部の「動揺」と堂安の「落ち着き」の対照が印象的。
後半になって「面白さ」が減るように思えるのは「とんねるずの体力の無さ」ゆえか。

彼らがもはや「アラカン=還暦に近いこと」を思えばそれも致し方なく。
石橋が「どうしても手首を使って打ってしまうこと」がむしろ笑えたりする次第。

さて。

年末年始の休日もあっという間にあと一日に。
もっとも普段から「毎日が休日」のような生活を続けて久しいのだけれど。

明日はもう一本映画を観るかどうか思案中。
たぶん何か観ることになるはずだと思いつつ。

中島哲也「来る」が気になってはいるのだけれど
近所のシネコンの上映時間が微妙だったり。

違う映画館を探すべきか。
いちおう明日スマホで検索してみるつもり。

もうちょいと飲んで寝る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする